ご機嫌なナナ
バチバチと音を立てて、狭いダンジョンを舐め尽くすように雷が舞う。
「〜〜♪」
左右の手で別の魔法を描きながら、口笛の「音」で魔法を紡ぐ。
目の前で起こっていることがモンスター達にとってどれほどの理不尽なのか。抵抗するまもなく焼き尽くされていくモンスターに合掌しながら、私はただただその光景に圧倒されていた。
リンちゃんは先程ウルフを前に見せた技術を「ピアノを弾くくらい」と評した。
楽器の演奏が凄まじく上手なリンちゃん的には、要するに簡単なことであるという余裕の表れだ。
私には何を言っているのかさっぱりわからなかったその技術も、今目の前で行われている攻撃を見れば確かに簡単な技術なのかもしれないと思わされる。
リンちゃんは今、同時に3つの魔法を操りながらモンスターを殲滅しているのだから。
詠唱という隙間を埋めるように放たれる、途切れることの無い魔法の連鎖。
それはまるで芸術のように煌めく、死の嵐のようだった。
「……ふぅ」
「す、すごいねリンちゃん!」
「えへ、そうかしら? ナナに褒められると悪い気しないわ」
緩んだ笑顔でそう言ったリンちゃんは、その間も描き続けていた魔法で正面から襲ってきていたモンスターを一瞥もせずに消し飛ばす。
初日に見せてくれた簡単な魔法とは訳が違う。これが魔法使いであるリンちゃんが、本気で戦っている姿なんだろう。
「3つ使うのはね、初めて見せたのよ? 最初はナナに見せたかったの」
「ほんと? 嬉しいなぁ」
照れ臭そうに言うリンちゃんに、私は素直な気持ちを伝える。
そんな風に2人で笑いながら、私は密かに思った。
ああ、すごい懐かしい。
リンちゃんがこうやって、私に魅せるようにゲームを楽しんでいる姿を見るのが、涙が出るくらい懐かしかった。
昔からずっとずっと。リンちゃんは見てるだけの私でも楽しめるようにって、ものすごい工夫しながらいろんなゲームをプレイしてくれていた。
普通なら出来ないようなスゴ技だったり、神業とでも呼ぶべきスーパープレイだったり。
逆に面白プレイとか変なバグ技だったりとか、そういうのを見つけ出しては2人で笑って。
懐かしい。とても幸せな、懐かしい記憶だった。
「ちょっと張り切ってMP使いすぎちゃった」
周囲のモンスターを殲滅して両手を下ろしたリンちゃんは、ほっと息をついてそう言った。
純粋に3倍の魔法を使い続けていたのだ。その分MP消費が早かったのかもしれない。
「それなら次は私の番かな?」
「ふふっ。かっこいい所、見せてちょうだいね?」
「…………うんっ!」
お互いに、今の空気を懐かしいと思ってる。
それは私を煽てるための言葉。昔から変わらない、「本気でやっていい」という許可を出す時、リンちゃんは決まってこういうのだ。
「見ててね?」
「ええ、もちろんよ」
まるで昔の私たちをなぞるように言葉を交わす。
なんだか胸がぽかぽかする。幸せな気分が抜けない。
そんな風に、ふわふわした気持ちのままに私はリンちゃんの前に出る。
とっても、とっても気持ちいい。
体が熱くて堪らなかった。
☆
「えいっ」
ぐしゃりと音を立てて、ナナが振るった《影縫》が《ハイドスネーク》を叩き潰した。
第2階層以降に何度か階段を降りても、景色は変わらず迷宮のまま。第1階層が特別なのか、あるいはたまにしか出ないレア階層なのか。
後者だったらもったいない事をしたかも、なんて思いながら私はナナの後ろを歩いていた。
『んほ〜、この殺戮感たまんねぇ』
『これが撲殺鬼娘たそですか?』
『↑そうです』
『相変わらずすげー戦い方すんな』
『擬態も不意打ちも効かないってどういう事なの』
『あの武器カッケー』
『金棒だけどな』
『ステ上がった分戦い方が鏖殺に近くなってるよな』
『リンネ暇してて草』
「失礼ね、ちゃんと道は覚えてるわよ」
コメントに反応しつつ、暇な事実を隠すことはしない。
さっきまでは私が前に出ていたけど、今はナナが道を切り開いてくれていた。
私が後ろに下がった理由は2点ほど挙げられる。
ナナが素直な褒め言葉をくれるくらいには「凄い」技術であろう私の多重魔法は、強力な反面非常にわかりやすい欠点がある。
それはMPの消費量が多すぎること。MPに特化した私のステータスですら長時間の使用はできないほどに、あの技術は激しいMP消費を要求される。
だから、定期的に休息を入れつつ戦う必要がある。
魔法にはアーツのような技後硬直がない代わりに、MPはSPほど早くは回復してくれないのだ。
と、建前に近いこの理由がひとつ。
「あは、ふふ、ふふふふふっ」
もうひとつは、ナナがとても「ご機嫌」だったからだ。
影縫という名前の金棒を振り回して、襲い来る敵を軽々と屠る。柔らかく歪に笑いながら。
今のナナは機嫌がいい。おそらくこの2週間の配信の中では最高潮だろう。
鼻歌を歌いながらモンスターを鏖殺していく姿は完全に撲殺鬼娘を地で行っている。
「ダメで〜す」
そんな緩い声を出しながら、分かれ道の陰から矢を放ったゴブリンアーチャーに掴み取った矢を投げ返す。
トスッという小さな音が響き、脳天を貫かれたゴブリンアーチャーが倒れ伏す。急激にHPが減っているからこのままでもスリップダメージで死ぬだろう。
「はいお終い」
落ちてきた叩きつけで、ゴブリンアーチャーは考えるまもなく消えてしまった。
今のナナの感情を言葉で表すなら「嬉しい」だろうか。
強敵と戦っている時や、モンスターを蹴散らしている時とはまた違う、幸せそうな姿。
何が契機になったのか、どうしてこんなにもご機嫌なのか。
何となく察しはつくけれど、これほどまでに感情を表に出す姿は珍しい。
とはいえ珍しいだけなら問題は無いんだけど、当然問題があるからこそ私は今後ろに立っているのだ。
この状態のナナは力の制御がかなり甘くなる。
それがどういう事なのかと言えば、普段抑えている運動能力を制限しなくなるということで。
一度感情の箍が外れてしまうと、この子が宿している「力」が出口を求めて暴れ出すのだ。
こうなってしまえば、満足するまでナナは止まらない。
下手に強力な武器を手に入れてしまったせいで、モンスターが足止めにもなっていない。
多分この感じだと、ボスにたどり着くまではナナの鏖殺は続くだろう。
最近は配信を見ていても、強敵と戦えないフラストレーションは伝わってきていた。
早い段階でアリアやロウ、そして琥珀と戦ってしまったせいで、顔には出さなくともナナはかなり欲求不満だったはず。
言ってしまえばこれはガス抜きなのだ。
この所強敵と戦うこともなく、今回のイベントもナナの欲求を満たせるかどうかは現状わかっている情報から見ると微妙な所である以上、ナナがこうして溜まったガスを抜けるタイミングを逃したくはない。
そんな風に考え事をしながらナナの後を追っていると、ゴォォン……という鐘を叩いたような音が鳴り響いた。
ナナが迷宮の分かれ道の前で、地面に金棒を叩きつけた音だ。
『びっくりした』
『なになに』
『急に音割れしたんだけど』
『地面叩いた?』
結構な轟音だったせいか、リスナーの耳にダメージがあったらしい。
少し騒がしくなるコメントとは対象的に、ナナは目を閉じて耳を澄ませていた。
「ん〜……? リンちゃ〜ん、左が続きっぽいけど右側になんかあるっぽいよ〜」
音の反響を全身で聞き取って、空間を把握する。
いわゆるエコーロケーションとかと同じ原理の技術だ。私には出来ないけど、ナナには出来るらしい。
いや、実際に出来てるのかなんて本人にしかわからない事だけど、ナナが間違ってるところを見たことがないだけ。
「何かって?」
「生き物じゃないなぁ……う〜ん……でもおっきいやつだよ〜」
まあ、実際の精度なんてこんなものだ。
姿形まで完璧にわかるんじゃなくて、とりあえずざっくりとした形がわかるくらい。
それでも探知スキルと組み合わせればモンスターかどうかはわかるし、そうでなくとも動くものかどうかはわかるみたいだ。
「先があるってことはボスじゃないし、生き物じゃない大きいやつね……」
「行ってみる〜?」
「そうね。いいペースで進めてるし、ちょっと確認しましょうか」
「は〜い」
ふにゃりと表情を崩すと、ナナは若干おぼつかない足取りのまま右側の通路を進み始めた。
『なんか緩いな』
『ゆるっゆるだな』
『うへぁ』
『いまのにへらって顔いいな』
『クリップした』
『ご機嫌?』
『ギャップ萌え……燃え?』
『だが無慈悲だ』
『今のドグシャァッって音してた』
『流血表現のないゲームでよかったね』
『こっわ』
『でもかわいい』
「珍しくご機嫌みたい。あ、後でそのクリップ私にも頂戴ね」
『こら!』
『草』
『編集サボるなw』
『ナナのこと好きすぎかよ』
『リンナナ尊い……』
『くっこいつNGの外側に……!』
『NG芸やめろ』
『手抜きいくない』
「いいじゃないの、しばらくイベント走るんだから」
私の視点から見ても、今のナナは普段の淡々とした凛々しさとは別の魅力的な表情をしている。
私の脳内フォルダからナナについての記憶が消えることはありえないけど、それはそれとして繰り返し再生できる媒体でアレを保存できるならそれに越したことはない。
まあ、リスナーに言われた通り自分で保存すればいいだけの話なんだけどね。
とはいえ私自身が動画の編集をすることなんてほとんどない。いつも通りチームの人に任せましょう。
「リンちゃ〜ん、こっち〜」
「ごめんなさい、今行くわ」
ナナに呼ばれて辿り着いたのは、迷宮の行き止まりにドカンと鎮座する大きな宝箱だった。
ご機嫌なナナはよりシンプルに撲殺を狙いに行きます。殺意マシマシです。3割くらいバーサーカー。