懐かしい顔
門を潜った先にあったのは、それなりに広い部屋だった。
広さはリンちゃんの部屋と同じくらいだから、多分20畳は下らないだろう。
「部屋……だね」
「……セーフポイント、って感じかしらね。クリアするとここに戻されるのかも」
「その通りです。異邦の旅人よ」
不意に後ろから掛けられた声に、私たちは思わず振り向いた。
ぐるっと1回部屋を見渡した時には確かにいなかったはずの修道女が、いつの間にか後ろに立っている。
警戒して武器を構えようとした瞬間、その顔が見知ったものであることに気付けた。
「えっと、ナビゲーターだよね?」
「ええ、お久しぶりですね、旅人スクナ」
私の言葉に微笑みを浮かべた修道女は、初期設定をする時に案内をしてくれたNPCの……確かイリスとかいう名前だったっけ。
通称・ナビゲーターと呼ばれるNPCだった。
最後に会ったのがたった2週間前だったので私は覚えていたけれど、リンちゃんは少し考えてからようやく気づいたみたいだった。
「ここは安寧の間。ダンジョンに挑む前の準備を整えるための空間です」
「準備って言っても、ここには何もないわよ?」
「それは当然のことです。安寧の間は《星屑の欠片》を対価に多くの機能を解放することが出来る空間ですから」
リンちゃんの疑問への回答は、要するに星屑の欠片を集めろというものだった。
なるほど、この何もない部屋は自分でカスタマイズできるセーフポイントな訳だ。
「あー……把握把握。で、フィーアスに戻りたい時はどうするの?」
「一定数の星屑の欠片を集める事で帰還札を交換することができます。これはこちらの世界からあちらの世界へとモンスターを渡らせないための措置。ご理解いただけると幸いです」
「交換の仕方は?」
「帰還札に限らず、アイテムの交換は全て私が行います。なにか御用がありましたらお声かけください」
ナビゲーターの言葉を聞く限り、どうもあの門は一方通行のようだ。モンスターを渡らせないため、ということは道が繋がっていればモンスターが街に氾濫してしまう可能性もあるんだろう。
でも、街中にわざわざ門を設置したのがそもそもの原因なんじゃないだろうか。
もっと辺境においてやれば一方通行にしなくても良くなったんじゃ?
そう思ったけど、口に出すことはしなかった。
私ですら考えつくようなことをリンちゃんが思いつかないわけがないし、門の設置場所はさておき一方通行の理由自体は納得が行くものだったから。
「ま、そういう事ならいいわ。あっちの扉がダンジョンでいいのね?」
「はい。星屑の迷宮へはそちらの道をお使いください。迷宮の主を倒すか、来た道を引き返せばこの空間に辿り着けます」
「はいはい。じゃ、行くわよナナ」
「りょーかーい」
「ご武運を」
ぺこりと頭を下げたナビゲーターに手を振って、私たちはダンジョンへの扉を潜り抜けた。
☆
扉を潜り抜けた私たちが降り立ったのは、星空の見える草原の上。まるでダンジョンらしからぬフィールドだった。
「ふぅん……ナナ、空に向かって思い切り投擲できる?」
「ちょっと待ってね……せりゃっ!」
真上に向けて思い切り。スキルまで使って放り投げた鉄球は、100メートルも進まないまま「何か」に当たって跳ね返ってきた。
ズドン! と音を立てて地面に埋まった鉄球を回収していると、リンちゃんが口を開いた。
「なるほどね。ここも「ダンジョンの中」ってわけ」
「じゃあ今当たったのは天井?」
「恐らくね。迷宮って呼ぶには開けすぎてるけど、適度に時間をかけて探索させるには確かに都合のいい地形でもあるのよね」
月光と星光のおかげで周囲は想像以上に明るく照らされているものの、あの天井は「夜」という環境を作り出しているらしく、暗いことに変わりはない。
それでも、所々に林がある以外はとても平坦なフィールドだ。
これだけ見通しがあるなら、十分見える。
「リンちゃん、あっちの方に1キロくらい行った所の壁に穴みたいなのがあるよ」
「でかしたわ、ナナ。階段かどうかはわからないけど、とりあえず見に行ってみましょ」
壁に大きく開いた穴を見つけた私の言葉に、リンちゃんが嬉嬉として反応する。
WLOに限った話ではないんだけど、ダンジョンというものには明確な階層があるものとそうでないものがある。
例えばトーカちゃんと行った焦熱岩窟は、階層がなく洞窟の内部が徐々に徐々に下がっていくタイプのダンジョンだった。強いて言うなら上層、中層、下層とか分かれるタイプのダンジョンと言える。
階層型は言わずもがな。階段を降りる度に敵の強さや環境が変わってくるダンジョンの事だ。
今回のイベントダンジョンである星屑の迷宮は、事前情報が一切ないまま潜らされたダンジョンだ。
故に、私達はこのダンジョンがどんな構造なのかも知らないし、何が出てくるのかもわからない。
分かっているのはフィーアス以降のプレイヤー向けのダンジョンであるということくらいだ。
恐らく、リンちゃんは今攻略に向けた情報を恐ろしい速度で組み上げている。
今回のイベントが周回向けなのもあって、リンちゃんはその方向で考えているはずだ。
私に出来るのは五感を使った原始的な情報収集で得た情報を、リンちゃんに伝えることくらいだった。
「ん……リンちゃん、斜め後方、それなりに速いモンスターが2体来る」
索敵スキルを使うまでもなく、草を踏み分ける音でモンスターの襲来を知覚する。
リンちゃんに報告すると、影縫を抜こうとした私はリンちゃんに手で制された。
「ウルフ系のモンスター2体ね」
私たちの元に迫る、夜闇に紛れるような黒い色のウルフ。
リンちゃんは杖を構えることもなく、魔力を纏った指先で空中に文字を描いていく。
「稲妻よ走れ、《プチボルト》」
《プチボルト》とは、相手をほんのわずかな時間だけ麻痺させる足止めの魔法の事。それを近い方のウルフに当てたリンちゃんは、間髪入れずにもう一度詠唱を始める。
それも、恐らく何かしらの魔法を発動させるために文字を描く指先を止めることなく。
「稲妻よ走れ、《プチボルト》」
もう一発のプチボルトがもう一体のウルフに当たった瞬間、宙に描かれた文字が強烈に発光した。
「《ライトニングボルト》」
天を裂く雷が2体のウルフを焼き尽くす。おそらく中級以上の威力を持った強力な範囲魔法が、2体のウルフに大きなダメージを与えていく。
強力な魔法ではあったものの、2体とも8割程度のダメージを負いつつも生きている。しかし痺れて動けないのか、すぐに攻撃を仕掛けてくる気配はない。
「《サンダーボール》」
2体のウルフはリンちゃんが放った初級雷魔法に貫かれ、あっさりと死んでいった。
「ま、流石に1階からきつくはならないわよね」
リンちゃんはそう言うと、広げていた手を下ろしてにっこりと笑った。
「今のは何してたの?」
「魔法の多重発動……いえ、並列待機って言うべきね。このゲーム、詠唱とそれ以外の発動方法は両立できるのよ」
リンちゃんの戦闘を見ていて何が何だかさっぱりわからなかった私は、素直に何をしていたのか聞いてみた。
リンちゃんの説明によると、魔法には詠唱の他にいくつか違う発動方法を持つものがあるらしい。
例えばリンちゃんが使っていた筆記魔法や楽器を使う奏楽魔法、アイテムを用いる陣魔法などもそうだ。
詠唱を行いながら同時に強力な魔法を準備し、詠唱魔法で作った隙にそれらを叩き込む。あるいはその逆に、強力な魔法を詠唱している間に別の魔法で身を守る。
曰く「ピアノを弾くくらいの難易度」。私もピアノなら弾けるけど、いくつもの魔法を並列に扱うような技術を扱える気はしなかった。
「さてと……今ので星屑の欠片が8個ね。さてはて、1個の価値はどれくらいなのかしら」
「効率とかも気になるねー。ボスが強いと案外トリリアのを周回した方が得だったりするかもよ」
「流石にそこまではないと思いたいわね」
例えば一周で星屑の欠片が10個手に入るけど2時間かかるダンジョンと、一周で1個だけど10分で回れるダンジョンなら後者の方が効率は上だ。
その差は微々たるものでしかないけど、七日間延々と回し続ける事を考えればチリツモってやつだ。
とはいえ、実際の効率の差はわからない。
もしかしたらフィーアスがぶっちぎりで効率よかったりするのかもしれないし、案外難易度による差別化はなかったりするのかもしれない。
「ともかくまずはさっきの穴に向かうわよ。細かな地形は全部私が覚えるから、ナナは索敵だけお願いね」
「ランダム生成じゃないといいね」
「それでもパターンはあるものよ。とりあえず今日中に感覚を掴んじゃいましょ」
リンちゃんが当たり前のように「全部覚える」と言いきれるのには理由がある。
80時間近く集中力を維持できるリンちゃんは、起きてる間ほとんどの時間を集中して過ごしているからか、記憶力が常人のソレを遥かに上回る。
リンちゃんが習い事や勉強でぶっちぎりの成績を出していた理由のひとつがそれで、根本的に物事に対する集中力が違うのだ。
だから、基本的にリンちゃんは「覚えよう」と思ったことを忘れることはない。
ただ、その分覚えなくていいと思ったことはかなりぼんやりとしか覚えない傾向がある。
さっきナビゲーターの顔を忘れてたのは、あのNPCとはもう二度と会わないからみたいな理由だと思う。
「ありゃ、普通に階段だね」
「とりあえず降りましょう。どの道周回するんだし、探索は後回しでいいわ。なるべく消耗を抑えてボスに向かうわよ」
「あいよ〜」
無駄に横幅が広くて段差が小さな階段を降りながら、私たちは星屑の迷宮の第2階層に向かうのだった。
日々の配信でナナのことを語られ続けたリンネのリスナーは逆に「スクナ」の方が馴染みが薄いという謎の現象が!! その関係でリンネもナナ呼びしてます。仲良しだからね、仕方ないね。