長い一日の終わり
「メルティ、誰と話してたの?」
「可愛い可愛い女の子よ」
「またそういうこと言って……いつか刺されるわよ、絶対」
「貴女に刺されるなら本望よ?」
「私の力じゃ刺さらないわよ」
「はっ、確かにそうだわ」
「ぶん殴るわよほんと」
握り拳を作るリィンに、メルティはにこやかな笑みを返す。
帝都を緩やかに歩きながら、メルティとリィンは彼女らなりの冗談を交わし合っていた。
「久しぶりにね、ゾクゾクする子に会ったのよ。だからちょっとだけ唾を付けておいたの」
「その子に同情するわ……で、何してきたの?」
「ちょっとお話ししただけよ。私が手を出すまでもなく、覚醒しないのがおかしいくらいに揺らいでいたもの」
リィンはメルティに目をつけられたその少女に心の底から同情しつつ、覚醒という言葉に思いを馳せる。
揺らいでいたというメルティの話しっぷり的に、それは必ずしも「いい事」ではないのだろう。
覚醒とは必ずしも成長や進歩に使われる言葉ではない。世界には目覚めてはいけない領域もあるのだから。
「鬼人である以上、『あのスキル』を発現する素養はある。あの子にはその引き金もあった。こればっかりは辿り着く事が正しいとは言えない力だから、目覚めないのならそれはそれでいいことなのかもしれないけれど」
「鬼人の『あのスキル』って……その時点でダメじゃないの!」
メルティの言葉を聞いて、リィンは思わず語気を強めた。
メルティですら明言を避ける『あのスキル』の正体は、リィンも知っている。
知っているからこそ、それを止めなかったメルティの意図がわからなかったのだ。
「ダメってことはないわ。目覚めないに越したことはないのは確かだけれど……アレもまた、ただの「力」でしかないのだから。使い手によって善にも悪にも変わりうる」
リィンの批難を、メルティは涼しい顔で受け止めながらそう言った。
「あの様子ではほぼ間違いなく、近いうちに覚醒するでしょう。むしろ既に覚醒してないのがおかしいくらいだったんだから」
「メルティでも止められなかったの?」
「そうね。私も人の心までは操れないもの」
どれほどの力を持っていようとも、知識を有していようとも、変えられないものはいくらでもあるという事をメルティは自覚している。
とりわけ人の心と言うものは難しい。力で屈服する事もあれば、決して屈しない強い心がもっと別の要因に惹かれることもある。
メルティから見れば、あの鬼人の少女は力に屈するタイプではなく、さりとて何かに惹かれる訳でもない。
ひとりきりでも迷わぬよう、たったひとつの光を見つめ続ける幼子のような心だった。
「ま、仮に力に呑まれるようなら私が止めてあげればいい話。師匠もいるみたいだし、支えてくれる人もいるのだから、きっと自力で乗り越えるんじゃないかしらね」
「ふぅん……メルティにしては随分と評価が高いのね」
「そうねぇ。妬いちゃった?」
「全然。珍しいと思っただけよ」
全く嫉妬の気配を見せないリィンを見て残念そうに肩を竦めてから、メルティは《天眼》を通して先程の少女を見る。
メルティの眼に映る、2つに別れた心。どちらも本物であるが故に、目覚めてしまった時に何が起こるのかはわからない。
「人って、ほんとに面白いわ」
まずはこの結末を見届けよう。
かつて吸血種が滅びた時のように。
メルティの本質はどこまで行っても観測者なのだから。
☆
「皮だけで20万出そう」
「ふぁっ!?」
ここはフィーアスの服飾店……などではなく。
私たちがいるのは、子猫丸さんが拠点にしている工房だった。
いつも通り配信を見ながら生産を進めていたという子猫丸さんは、私がミステリア・ラビの素材を手に入れたのを見て急いで連絡を入れてきたそうだ。
すっかり忘れていたけど、彼の工房はフィーアスにある。目と鼻の先に落ちてきたレア素材ゲットのチャンスを、彼はふいには出来なかったそうだ。
「他のお店と比べても10万イリスも高いですけど、どうしてですか?」
子猫丸さんの提示してきた金額は、はっきり言って段違いの数値だった。
一応トーカちゃんと二人で色んなNPCショップを回って、売値を比較してみたりはしたのだ。
だから、余計に訝しんだトーカちゃんが疑うような視線を向けるも、子猫丸さんは慌てることなく理由を話してくれた。
「実は、あるクエストをクリアするのにこの素材が欲しかったんだ」
「クエストですか?」
「ここは第4の街であるだけでなく、帝都でもある。当然だけどね、この街には貴族が居るんだよ」
子猫丸さん曰く。
今、彼が受けている生産系のクエストは、帝都の貴族への上納品を作成するものらしい。
その貴族は子猫丸さんに工房を使わせてくれている張本人であり、その見返りとして求められたのが上納品なんだそうだ。
武器でも防具でも、洋服でもアクセサリーでもいい。何か一点、その貴族が満足するくらいの装備品を作り上げることが出来れば、晴れて工房は子猫丸さんの物……というクエスト内容。
それを達成するために、ミステリア・ラビの素材を探していたんだそうだ。
「この街の周辺に比較的多くいるのは確かなんだが、その狩りにくさから需要と供給が全く噛み合っていなくてね。金策にするならもっと手堅いモンスターがいくらでもいるし、経験値は正直不味い。狩ることが出来れば大きな収入なのは確かでも、効率としてはイマイチなのさ」
確かに、逃げ足を考えると片手間で倒せる相手ではないし、なんならそこら辺を飛び回っている《ブラックラビット》を狩る方が効率は良さそうだ。
ちなみにブラックラビットはレベル33のモンスターで、フィーアスの周りにすっごい沢山いる子たちだ。
「そこで私ってわけですね」
「そうだ。まさか4匹も狩っているとは思わなかったけどね」
手痛い出費だ、なんて言いながらも子猫丸さんは嬉しそうだった。
皮だけで20万と子猫丸さんは言っていたけど、もちろんミステリア・ラビの使い道は皮だけにあらず。
一度しっかり観察した時に気づいたんだけど、実はミステリア・ラビは額に宝玉のようなものがついていて、そして目も水晶のような素材でできているらしい。
こちらの2種類はただ綺麗なだけの素材としてドロップしていて、NPCショップでも、単体の売値で見たらこっちの方が遥かに高かった。
「宝玉はとりあえず2つ、前金でひとつにつき15万出そう。こちらは完成品をオークションで売ろうと思うから、売値次第で追加報酬も出すよ。もちろん、黒字になればだけどね」
「ほぇー……子猫丸さん、お金持ちですねぇ……」
「私は竜の牙の一員だからね。彼らの装備を優先的に作るという条件はあるが、研究や趣味に没頭できるだけのイリスを稼げるお得意様でもある。僕ら生産職こそ、先立つものは必要だからね」
「あ、お金は取ってるんですね」
「もちろんだとも」
クラン・竜の牙。その名前を聞くのも久しぶりな気がするけど、1週間以内なのは間違いないんだよねぇ。
かなり大規模なクランだと聞いているけれど、少なくとも私は子猫丸さんくらいしか知り合いはいない。
クラン。クランかぁ。同じ志を持ったプレイヤーの集団のことだけど、名前が違うだけでオンラインゲームには高確率で存在するものだから、珍しいものではないよね。
パーティよりも大きな互助集団、とでも言えばいいんだろうか。案外言葉で説明しづらいかも。
そう言えば、リンちゃんはクランを立ち上げてたりはしないんだろうか。
リンちゃんのカリスマ性なら大規模クランのひとつや2つくらい治められそうなものだけど。
しかしもうフィーアスなんだなぁ。
あとひとつ、あるいは2つ街を進めれば、やっとリンちゃんの元へ辿り着ける。
初日ぶりに一緒にゲームができるのだと思うと、心が踊るのは否定できなかった。
「そう言えば、せっかくだから赤狼装束の修理もしようか? ロストがないとはいえ、強敵との連戦で消耗してるだろう」
「あー……そう言えばそうかも」
手に入れて直ぐにロウと戦い、アポカリプスに削られ、魔の森での死闘もあったし琥珀にもだいぶ削られている気がする。
ちょっとメニューから確認してみると、確かにだいぶ耐久を消費してしまっていた。
「防具の修理ですか? できるなら私もお願いしたいです」
「構わないよ。ほとんど時間もかからないし、せっかくだから見ていくかい?」
便乗したトーカちゃんに対し、快く頷いてくれる子猫丸さん。
せっかく誘ってもらったので、私は生産の見学をさせてもらうことにした。
「あ、それならぜひ」
「私も、防具の生産は見た事ないので見てみたいです」
この後私とトーカちゃんは子猫丸さんのちょっとした生産講座を受け、空も暗くなってきた頃に2人揃ってログアウトするのだった。
酒呑と会って琥珀と戦ってゴリラを倒して燈火と再会してゴリラを倒してフィーアス目指してボスゴリラを倒して兎を倒して吸血種に出会って兎の素材を売り捌いた←今ココ
長い……1日だったね……。