夕やけの白昼夢
「なるほど、ここが帝都ねぇ」
「広い……ですねぇ」
始まりの街、デュアリス、トリリア。3つの大きな街を見てきた私たちをして、広いとしか形容できない巨大な都市。
それが、フィーアスという街への第一印象だった。
「検問らしい検問はないっぽいね」
「あの門の上にある水晶が、監視カメラのような役割を果たしているらしいですね。門番の方々も非常に強いNPCだとかで、レベル50を超えた犯罪プレイヤーが一太刀でデスしたって話もあります」
「NPC強すぎ案件」
一応監視の水晶に手を振ってから、私たちは帝都フィーアスへと入場した。
「あれがメルスティヴ帝国城だよね。リンちゃんに連れてってもらった海外のお城に近いけど、でっっかいね」
『はぇ〜』
『登るだけで一苦労しそう』
『無駄にでけぇ』
『物理的にいけるんか?』
「現実では物理的に不可能な構造も、この世界なら魔法でどうにかなっちゃいますからね」
「なるほどね?」
あー魔法って便利な言葉だー。
と、冗談はさておき、夕方に差しかかろうというこの時間帯になっても、帝都はだいぶ賑わっている。
だだっ広い道の端には色々なお店や屋台が立っていて、なかなか食欲をそそられるご飯も多い。
プレイヤーらしき人たちもそれなりには見受けられて、やはり装備や佇まいがトリリアまでのプレイヤーとはワンランク違う。
なんだかんだで厄介なゴリラだったからね。あれを倒したとなれば相当に強者だ。あのレーザーはずるだと思う。
「無事にフィーアスに着きましたけど、この後はどうしますか?」
「そうだねぇ……ミステリア・ラビの素材を売りたいといえば売りたいかなぁ」
あの後、フィーアスに着くまでに3体のミステリア・ラビを狩ったおかげで、私のお財布は結構潤っていた。
ここから更に素材を売ればしばらくお金には困らないだろう。丁寧に使えば金棒はほとんど壊れないしね。
「よろずやに直に売ると安く買い叩かれますからね。観光がてら、少しお店を探しますか?」
「うん、そうしよう」
「お姉ちゃん、ちょっとい〜い?」
トーカちゃんとこの後の予定を話していると、不意にすれ違ったNPCの少女から声をかけられた。
茶色の髪の毛を少しボサボサにした、幼い子供だった。
「ん? どうかし……ッ!」
「姉様?」
思わず武器を抜きそうになるほど、明確に死を感じた。
なんだ、この、悪寒は。
目の前の少女は、一見するとただの女の子でしかない。
見た目も、雰囲気だって普通の女の子だ。
変なところはどこにもない。それが逆にどうしようもない違和感となって私の感覚を逆撫でしていた。
「……誰?」
「………………あはっ」
長い沈黙の後、一際おぞましく笑った少女は、瞬きの間に金髪紅眼の少女へと姿を変化させていた。
それは初めて会った少女のはずなのに見覚えのある姿で。
幻覚? 魔法? 分からないけれど、こんなに一瞬で変化させられるものなの?
未だに心臓を掴まれているような死の予感は消えない。
あまりに上位。触れることさえ許されないほどの力の差を感じた。
「ごきげんよう、赤狼装束の鬼人さん。よく気づいたわね、褒めてあげるわ」
「そりゃ、どーも」
上から目線の語りかけに反感を抱く余裕すらない。いつだって殺せるのだ。そして、街中でそれをすることを躊躇うような甘さもない。
本物の殺気を前に、私は冷や汗をかきながら言葉を選ぶしかなかった。
「お名前は?」
「……スクナ」
「職業は?」
「童子、だけど」
「あら、どうやら本物ねぇ。分かっていたことだけれど」
ルンルンと鼻歌でも歌いそうな雰囲気で、少女はただ笑っている。
初対面の相手が私の事を知っている、それ自体はもう珍しいことではない。ただ、このレベルのナニカに目をつけられるのは想定していなかった。
「気力は合格、才覚は満点。力はまだまだ未熟として……いいわぁ、貴女のその目。随分と我慢強い、と言うよりは引き金が引かれなかったのねぇ。自覚はないようだけれど……こんなにも濁り切った闇を抱えてる子は久しぶりに見たわ。ふふ、それは鬼人としては最高級の才能よ」
「何を、言って……?」
「いずれ分かるわ。それが鬼人なんだもの。貴女が眠らせているその感情が覚醒めたのなら、また会いに来てあげる」
少女はそう言うと、自分の唇を彩るルージュを少しだけ指先に乗せると、つぅっと私の頬に指を滑らせてから身を翻す。
「ま、まって」
意味深な事だけ言って帰っていきそうな少女に、私は思わず声をかけた。
「貴方の、名前は?」
答える義理もないのだけれど。
そう言葉を残してから、少女はその紅の瞳で私の目を見据えながら、楽しそうに己の名を謳った。
「メルティ。そう呼ぶことを許してあげるわ」
聞き覚えのある名前に、思わず息が詰まる。
メルティ。《天眼》のメルティ。
それは琥珀から名前を聞いた英雄の名前。
見覚えがあるはずだ。だって彼女はクロクロと同じ容姿なのだから。
なんでこんな所に、そんな超大物がいるの?
「また会いましょう。幼い幼い鬼人さん」
言葉だけを残して、幻影のような少女は完全に姿を消し去った。
後に残ったのは、訳もわからず立ち尽くす私と、疑問符を浮かべたトーカちゃんだけだった。
☆
「姉様、今何と喋っていたんですか?」
「え?」
想像を遥かに超える化け物との遭遇から数秒後。
トーカちゃんから投げかけられたのは、不思議な問いだった。
「何って……」
「私には、姉様が虚空に向かって話しかけているように見えたのですが」
「はっ……え……?」
トーカちゃんが何を言っているのかわからない。
私は今、あの自己申告が正しいのであれば《天眼》のメルティと話していた……はずだ。
トーカちゃんは真横でそれを見ていたのだから、当然メルティの姿は見たはず。もし仮にあの幻術のようなもので見た目通りに見えなかったのだとしても、茶色の髪の少女は見えていたはずで……。
「ねぇ、リスナーのみんなは見えた?」
『?』
『??』
『急に芝居でも始めたのかと』
『何も』
『何かいた?』
『わからん』
「そっ、か」
白昼夢でも見ていたんだろうか。ゲームの中で?
というか、さっきの状態の私を相手なしで見てたのなら、さぞかし迫真の演技に見えたかもしれない。
「ふっ、くくく、あははははは」
そう思うと少し笑えてきて、私は全身の緊張を解いた。
「なんでもないよ。ちょっと幽霊さんと話してただけ」
「? そう、ですか……?」
システムを騙す。どんなにかけ離れたレベルの話なのかもわからないけれど、全く、上位者というのは何でもかんでもめちゃくちゃな事をやってくれる。
メルティ・ブラッドハート。最強の吸血種にして人類の英雄。
相対した印象としては純粋に善なる存在ではないように思えた。それは琥珀にも言えることだけどね。
自分さえよければいい、そんなトリックスターのような性格をしていそうな気がしたけれど、それもまた私の勘違いかもしれない。
結論から言えばわからない。というか、わかりようもないかな。
「さ、観光しようか。フィーアスの鍛冶屋に金棒は売ってるかなー」
「スク姉様は金棒がお好きですねぇ」
「使いやすいんだもん」
着いて早々なんだか疲れてしまったけれど、そもそもボスを倒してここまで来たんだから疲れてて当然だ。
気持ちを切り替えて観光しよう。そう思って、ふと通りのガラス窓に写る自分の姿を見た私は、何だかとてもほっとした。
ほっぺたに微かなルージュの跡が見えたからだ。
「夢じゃない、か……」
きっと、また会うことになるんだろう。
それが思っていたよりも遠い話ではなかったと、今の私には知る由もなかった。
夢のようで、夢じゃない。