閑話:その時リンネは
熱気がしんどい。こういう時、汗ひとつかかないナナの体質が本当に羨ましく感じてしまう。
会場をぶらぶらと回りながら、私はそんなことを考えていた。
なんだったか、体温調節の機能がうんぬんかんぬん。うちの医者が調べて驚いてたけど、細かいことはちょっとわからないわね。
「り、リンネさん! サインください!」
サイン会はとうの昔に終わっていて、今の私はフリータイム。しかしまあ、プロゲーマーも人気商売だものね。
勇気を振り絞って声をかけてきてくれたのであろう初々しい少女からの要望に、私は鷹揚に応えてあげる。
「いいわよ。どこにして欲しい?」
「えっと、えっと……じゃあコントローラーの真ん中で……!」
「いいセンスね。……はい、これでもっと上手くなれるように頑張りなさい」
「うわぁぁぁ……ありがとうございます!」
「楽しんでいってね」
このためにわざわざ白のコントローラーを持ってきたのか、差し出されたそれに、プレイの邪魔にならない部分にサインを描いてあげる。
たったそれだけの事で、少女は満面の笑みでそれを抱きしめながらお礼を言ってきた。
「あ、あの、私もいいですか……?」
はい来た。基本的にサイン会以外ではサインしませんとは言っているけれど、小さい子に贔屓した以上こうなることは予測できてた。
「一列に並んで、サインして欲しいものを出しなさい」
続々と集まってきたサイン希望者に、私は最低限そんな指示を出すのだった。
☆
「あー……疲れた」
ファンサービスするのは好き。みんなの笑顔に元気を貰えるし、自分の活動が身を結んでいるのが実感出来るから。
プロゲーマーと言っても、基本的にストリーマー活動がメインになる人も多い。
お金を稼いでいればプロという人もいるけれど、未だプロゲーマーという言葉の定義は曖昧だ。
賞金ありの大会が増えて久しく、私のように賞金だけで食べていける人もいれば、ストリーマーとして企業と契約しながら給料を貰う人もいる訳で。
とはいえやはり、昨今ゲームでお金を稼ぐような人達は何かしら企業に支援してもらうのが一般的。
動画投稿、配信、普通に働かなくてもエンタメで稼いでいく手段はいくらでもある。
まあ、そこら辺は正直私にはどうでもいいと言えばどうでもいい。
私自身億単位で貯金があるし、お金のためにやるならゲームなんかよりも余程時間効率のいい手段はあるのよ。
どんなゲームも、やり込めばやり込むほど楽しさの幅は広がっていく。コンシューマーゲームならいざ知らず、オンライン対戦ゲームは同格以上の相手と戦ってこそ楽しみがいがある。
そのレベルの相手と大舞台で競い合える環境を、自分で作り出すのが1番手っ取り早かったというだけの話。
《HEROES》自体、私が楽しむためだけに作ったゲーミングチームなんだから。
「リンネ氏、お疲れ様ですなぁ」
「あら、ダルマ氏。久しぶりね」
ファンサをするの自体が体力的にしんどかったからスタッフルームで休んでいた私に話しかけてきたのは、でっぷり太った初老の男性。
囃子達磨。WLOの開発陣のひとりであり、それに限らずゲーム業界に多大な影響力を持つ人物であり、私にとってはクライアントのひとりでもある人物だった。
「前回会ったのは2ヶ月ほど前ですから、さほど久しぶりということもないでしょう」
「テスターの時か。確かに、そう言われればそうかもね」
「今回のイベントはクロクロのRTA勢を呼び込めたおかげで一段と熱が入りましたよ。基本的にRTAは海外の方が盛り上がってますから、それを誘致するためにはリンネ氏のようなゲストが必要不可欠でして」
「わかってるわ。私も久しぶりに海外のプレイヤーと会えたし、有意義だったわよ」
クロクロの100%クリア達成RTAは、時間がかかるというその性質上、日本国内での走者が極めて少ない。
ぶっちゃけ命に関わるのよね。私もあの時は3日寝込んだし。ゲーム文化が十分に浸透したことで、逆にそういう度を超えたゲームプレイに問題の焦点が移るのは仕方のないことなんだけど。
とはいえ私の持つ記録ですら3日を超える超重量級RTAを、2日間しかないこのイベントでやる訳にはいかない。
今日走ってる走者たちだと最長でも12時間くらいかしらね。クロクロに限れば30%クリアぐらいがレギュレーションの限界でしょう。
「しかし、リンネ氏も厄介な逸材を見つけてきたものですな」
雑談の中、不意にダルマ氏が話を変える。
誰の事とは言っていないけれど、わざわざ言うまでもない話という事だ。
「うふふ、ダルマ氏がそんな顔するところ、久しぶりに見たわ」
「笑い事じゃないのですよ。WLOは高度なAI技術によって管理をある程度コンピュータに任せているわけですが、それは我々からNPCへの直接的な干渉ができないことを意味します。もちろんイベント等に備えて運営用NPCも存在していますが、大多数のNPCはあの箱庭で「生きている」。まさか赤狼がこんなに早く倒されるとは……」
「1プレイヤーにそんなことを話しちゃって大丈夫かしら?」
「貴女には多大な出資を頂いておりますから。もちろん、ゲームを楽しめなくなるようなネタバレは致しません。しかしナナ様でしたか、彼女の影響かWLOは加速度的に進み始めています。やむないことですが、イベントは前倒しにせざるを得なくなりそうです」
ダルマ氏はため息をついてそう言った。
WLOの開発に私は一切関わってはいないけれど、彼に頼まれて資金を確保してあげたのは鷹匠の家。
クロクロの時から目をつけていた監督を支援できるのだ。おねだりをしたら、お父様も快く大金を貸し付けてくれた。
「今日の用事はそれだけかしら?」
「いえ、もうひとつ。3ヶ月後に行われるWGCS。アレにナナ様を参加させる予定はありますか?」
「ええ、もちろん。今回のお題はVRシューティングでしょう? ナナにうってつけだもの」
WGCS。ワールドゲーマーズチャンピオンシップの略称であるそれは、全世界のゲームの祭典。
都合1週間にも及ぶ超巨大イベントの目玉に、今回はシューティングが選ばれた。
お題がMOBAだったこともあるし、格ゲーだったこともある。珍しいところではTCGとかも。
VRが選ばれたのは今年が初めてで、だからこそ《HEROES》はVR部門の設置を行ったとも言えるのだ。
破格の賞金、至高の名誉。ゲーマーたちの祭典への切符をかけた戦いは、案外に近くまで迫っている。
「我社からも技術提供を行った、現行最先端のシューティング……さながらMOBAにも近い戦略ゲーとも言えますが、基本的にはスクアッドのバトルロイヤル形式です。リンネ氏は苦手分野ですかな」
「私はね。けど、ナナに限らずその分野で活躍できそうな子のスカウトはできてるわ。ナナ以外のメンバーには優先的にそっちの練習をしてもらってる」
「おや、ナナ氏には必要ないと?」
「そうね。それがあの子だから」
今はWLOで試行錯誤しているみたいだけど、ナナは自分の手で人を傷つけることを極端に恐れている。
ゲームだからと言うことでだいぶ緩和されているものの、その反動からかイマイチ対人戦に乗り切れていないようだった。
逆に動物に関しては一切情け容赦ない所があるから、普通のモンスター相手には暴虐の限りを尽くしてるように見えなくもないかもしれない。
ナナが本来最も得意としているのは飛び道具だ。投擲具からクロスボウ、弓、大弓、拳銃、ショットガン、ミニガン、スナイパーライフルまでなんでもござれ。
狙いたいところをドラッグショットで百発百中する化け物じみた芸当を、ゲームではなく現実でやらかしてしまうのがあの子のおかしな所だ。
そんな子だから、わざわざ練習させるというよりは自由に動かさせた方がいい。
情報だけしっかり与えてあげれば、後は放置で大丈夫だ。
それに、だ。
だいぶステータスも上がってきたようだけど、多分まだまだナナのアバターは現実の身体能力に追いついてない。
あの子の潜在能力には今よりもっと上がある。
私が把握してる7年前の話でこれなのだから、今のあの子がどれほどの成長を遂げているのかは私には未知数。
日常生活を送っていたせいだろう、ナナの勘はあの頃よりも間違いなく錆び付いている。ナナの強さを取り戻させるには、格上だらけの世界の方が都合がいい。
1ヵ月後にはWGCSに向けた予選が始まる。
錆落としが間に合うかは微妙だけれど、本番には間に合うだろう。
「ほほ、短い時間でしたが有意義な話を聞けました。イベントはまだまだ続きますので、リンネ氏も楽しんでいってくだされ」
「ダルマ氏も、こんな所で倒れたりしないでよね」
フォフォフォ、なんて演技じみた笑い声を残して、ダルマ氏は退室していった。
「はぁ……もう少し休んでから、クロクロのスペースに行きましょうか……」
人前ではなかなか気が抜けないせいで、疲れていたから休んでいたのを忘れてた。
少しだけ深く椅子に腰掛けて、私は携帯端末からWLOの掲示板を眺め始めるのだった。
実はリンネは実家だけでなく個人としても超弩級のお金持ち。ナナは勘違いしてますが、現在居住しているマンションは40階だけでなくそのものがリンネの所有物です。羨ま。
とはいえ流石に超巨大なゲームプロジェクトへの支援なので、そこは実家に甘え倒しました。やったね。
ちなみにリンネは頼まれてお金を出しただけなので、制作陣からすればこれ以上ないスポンサーだったとか。