鬼と棍棒
リンネ視点です。
5匹の狼が、一人の少女を襲っている。
正面から2匹が両腕を狙って噛み付かんと飛びかかる。
その間に1匹は失敗に備えて背後へと回り、残り2匹は警戒するように周囲を抑える。
一見すると隙のないその布陣は、しかし少女を捉えることはなかった。
少女は大きく右にステップすると、空中にいるせいで無防備な狼の背骨を砕くように右手の棍棒を叩きつける。
ゴシャッと音を立てて折れ曲がり、地面に落ちた狼を無視して、距離を取ろうとするもう1匹に逆手に持ち替えた棍棒を投擲した。
まっすぐに飛んでくる棍棒は逃げる狼の脚に当たり、痛みで足を止めた狼は既に後ろに迫っていた少女によって踏みつけられる。
哀れな狼は拾い上げられた棍棒によってポリゴン片へと還った。
2匹のカバーに入るはずだった3匹に、わずか数秒のうちに行われた暴力を止める術はなく。
動揺している内に、後ろに回り込もうとしていたもう1匹に向けて石ころが直撃する。
怯んだ時点で目の前には少女が立っていて、両手で振り下ろされた棍棒が狼の脳天を打ち据えた。
1匹が死に、2匹が瀕死。
狩りのはずがあっという間に狩られる側に回った残りの2匹は、戸惑いを捨てて少女に特攻する。
胴体を狙った時間差での突進攻撃。
回避されてもその先を叩くという捨て身の攻撃は、1匹目が叩き伏せられるという純粋な暴力で塵と化した。
残る1匹はもはや足を止めることは出来ずに飛びかかり、顎をカチ上げられて動けなくなったところを潰されてポリゴンへと散った。
「初めから5匹でかかってこないから……」
機動力を奪われた瀕死の3匹をゴッガッグシャッと音を立てて屠った少女は、飛び散る赤いポリゴンの中で残念そうに呟いた。
「相変わらず人外すぎるわ……」
そんな凄惨すぎる撲殺劇を見せた親友の姿を、私ことリンネは諦めを含んだ笑みを浮かべて眺めていた。
☆
プレイヤーネーム、《リンネ》。
それがこのゲームでの私の名前。
誰よりも早くこの名前を取るために最速で初期設定を終わらせた私の努力は、ちゃんと報われたのだ。
今日はナナと、七年ぶりにするゲームの日だ。
興奮で眠れないのに、ベッドからナナの匂いがして余計に眠れなくなるなんて言う本末転倒なことをしながらも、無理矢理取った睡眠のおかげで頭は軽い。
このゲームをナナとやってみたい。
いや、このゲームをナナにやらせてあげたい。
そんな思いが抑えきれずに電話したら、まさかちょうどナナが失業しているなんて思わなかった。
そして、神がかった幸運に感謝の祈りを捧げて、急いで各所に根回しをした。
前々から話だけは通しておいた甲斐もあり、ナナの承諾も得られて、晴れて私はナナとゲームを楽しむ時間を手に入れたのである。
正直な話、プロゲーマーにする云々はどうでもよかったのだ。
彼女が一緒にゲームをしてくれると言った時点で一生養う気満々だったし。
ただ、さんざん存在を匂わせてきたとはいえ、ただの一般人と公式の配信で特別に仲良くするのはあまりよろしくないのも事実である。
それを誤魔化すためにナナをVR部門に引っ張りこめたらいいなぁという、その程度の話でしかなかった。
ただ、私は何も打算だけでナナをVR部門に引き込んだわけではない。
ナナは言うなれば「リアルチート」の権化だ。
そもそもの身体能力が人間のそれではない。
体力測定は手を抜いても余裕の最高ランク。
運動に関しては一目見ればなんでも出来て、体を使うことであればやりたいと思ったことをそのまま実行できる器用さもある。
視力も望遠鏡並みで、動体視力も群を抜く。真面目な話、人間なのか疑うほどのチートスペックをしている。
その上、体力が異常だ。
週七回、毎日十数時間働いて、それを何年もの間繰り返せる人間はいない。
まして彼女のソレはほとんどが接客系か肉体労働。その疲労感はデスクワークの比ではないのだ。
それを事も無げにこなして、疲れのひとつも見せずに笑っている。
その実態を知る者は私くらいのものだろうが、知れば誰もがありえないと言うだろう。
話が逸れたが、そう、ナナは知略系でなければ尋常ではないほどにゲームが上手い。
そして、フルダイブVRゲームに必要な適性の一つと言われる《運動神経》が人外のソレだ。
私は知っている。
ナナが常に己の高すぎる身体能力を抑え続けていることも、それにストレスを感じていることも。
結局のところ、彼女が気狂いのように働いていたのは、有り余る体力を持て余しているからだ。
それを知っていて、日々の生活の中で解消する方法を見つけられなかったから、私はあの子のバイト生活を見逃していたのだ。
スポーツをやらないのは、自分の並外れた能力が狡のように感じてしまうからだと、ナナは寂しそうな目で言っていた。
でも。このゲームの中なら、ナナは自由に生きられる。
数値によって定められた身体能力は平等を産む。
平等な下地がある以上、そこから先は「プレイヤースキル」の一言で済ませられるのだ。
ナナが思うままに、自由に過ごせる世界。
《WorldLive-ONLINE》はそれを可能にするだけの世界だと、私は確信していた。
「じゃ、今日もワローやって行きましょう。今日は予告通り、私のリア友兼、今日からは同僚になるナナとやって行きまーす」
『待ってた』
『遂にこの時が』
『嬉しいのう嬉しいのう』
『おまどうま!』
『動画じゃなくて配信定期』
同時接続数は放送開始前から1万を超えていたが、今は5万近くまで跳ね上がっている。
普段から3万くらいは見てくれているけれど、流石に今日は話題性が違ったのだろう。
今日は待ちに待ったナナとのデーt……ではなく、ゲームプレイの時間である。
一応お披露目も兼ねてるし、始まりの街の案内も約束しているから、真面目な配信になる予定だった。
盛り上がるコメントを見て少し嬉しくなりつつ、私は一応予防線を貼っておくことにした。
「私の友人であること、これまで無名だったこと、まあ色々言いたいことはあるかもしれないけどね。実力だけは本物だと私から太鼓判を押しておくわ。後は今日の配信で是非を確かめてちょうだい」
『うおおおおぉ』
『ま、お手並み拝見かな』
『パワーレベリングすんの?』
『名人様すこ』
『色眼鏡じゃないことを祈る』
『ナナって女の子?』
「パワーレベリングはしないわ。する必要が無いからね。ナナの性別は……っと、メールが来たわ。もう広場にいるって」
『初期設定もう終わったんか』
『早いな』
『リンネの友人なら初期ビルドくらいササッと決めてるのでは』
『でもこのゲームアバター作るの結構時間かかるんだぞ』
『もしや弄ってないのでは』
『リンネ自身が名前を取るために最速で初期設定終わらせてんだよなぁ』
勢いよく流れるコメントの中から、気になるところをチョイスする。
配信のコメント掲示板は、私だけの視界に映るウィンドウを勢いよく流れている。
ライブ配信の許可を得たプレイヤーにはこういった機能が追加され、同時に撮影中であることを示す宝玉がふわふわとプレイヤーの周りを漂うようになっている。
ピントが合うのはプレイヤーから半径数メートル程度で、それ以上はプレイヤーの顔に限り認識できなくなる。
だから、例えば情報を秘匿して配信者に映されたくないプレイヤーは、宝玉がふわふわしているプレイヤーから少し離れていればいいわけだ。
個人個人の完全非公開設定なんてものもあるので、最悪の場合はそれでもいい。
あらゆる配信で常にモザイクの人になるが、プライベートは守られていると言えるだろう。
しかし、まだ第二陣のサービスが開始してから10分も経っていない。
チラホラと初期設定を終えて転移してくる第二陣のプレイヤーはいるが、それでも早いことに違いはなかった。
始まりの街の噴水広場をナナを探して練り歩いていると、不意に噴水に腰掛けている黒髪の鬼人族を見つけた。
間違いない。あれはナナだ。だってアバターがリアルそのままで……。
配信者としての都合上アバターを弄っていない私が言えることではないのだけれど、私が施したネチケット講座はあまりナナの頭には響かなかったようだった。
「あの黒髪の鬼人族の子がそうね。ナナ!」
「リンちゃん! わぁ、立派な装備だね」
「まあ、二週間もあればこの位はね。ナナ、PNは?」
「スクナ。リンちゃんがくれた、大事な名前だからね」
「ちょっ……そ、そうね。私はこのゲームでもリンネだから、まあ呼び名は変えなくていいわ」
『可愛い』
『可愛い』
『可愛いやん』
『リンちゃんちっす笑』
『リンネがリンちゃん……ぶふっ』
『スクナちゃんhshs』
『リンナナ尊い……』
『リンスクでは?』
『大事な名前……閃いた』
「笑ったやつBANするわよ」
『ひぇっ』
『ひぇっ』
『ひぇっ』
『ひぇっ』
「という訳でー……彼女がナナ、もといスクナよ」
「えーと、この丸いのがカメラ? スクナです、新参者ですがよろしくお願いします」
「配信権限は付与されてるから、明日にでも一人で配信することになると思うわ」
『よろしく』
『よろしく』
『よろしくな!』
『よろしくお願いします』
『リンちゃんと比べると色々ちっちゃいな』
『礼儀正しいのは好評価』
『黒髪ひんぬー鬼っ娘……いい……』
『こんなに可愛い子の初期装備が棍棒ってマジ?』
『ほんまや草』
『鬼に棍棒』
『それ金棒や』
掴みは、まあ悪くないだろう。
それにしても、本当に棍棒を選んだらしい。
始める前から、使いやすそうだから棍棒かなー、とは言っていた。
棍棒は耐久性も高く攻撃力もあるが、如何せんあまりにも見た目がよろしくない。
ファンタジー世界で棍棒ってどうなの? という意見が多く、正直なところ不人気な武器だった。
実際、初心者の剣とは武器の属性が違うだけで性能は一緒だしね。
「とりあえず、狩りに行きましょう。混雑してくるとモンスターのポップを探す方が難しくなるからね」
「わかったー」
「始まりの街については、歩きながら説明するわ」
『ほのぼのするなぁ』
『姉妹みたい』
『どっちかてーと師弟かな』
『装備の差が激しいんだよなぁ』
『リンネそっち南門だぞ』
『南の適正6レベじゃなかったっけ』
『狼が強すぎる』
パワーレベリングはしないと言った。
実際、私が弱らせてスクナにトドメを刺させるようなことをしても楽しくはないだろう。
ただ、私はスクナの実力をリスナーに見せるのに、最も適しているのは南だと判断したのだ。
始まりの街の東西南北にはそれぞれ門があって、別々の生態系を有した草原フィールドが広がっている。
例えば北は難易度が低く、主に《ボア》と呼ばれるノンアクティブの雑魚が屯する穏やかな草原で、西は《ホーンラビ》という角付き兎がぴょこぴょこしている少し危険な草原がある。
次の街に繋がるのは北の草原の方で、道なりに先に進むとダンジョンがあったりする。
そして南は草原の先に《果ての森》と呼ばれる広域ダンジョンがあるだけで、ステージとしては行き止まりだ。
ただ、雑魚のレベルが他の門より段違いに高い。
具体的に言うと《ウルフ》という狼の魔物が強い。こいつら、ただでさえ強いくせに群れるのだ。
「それじゃあ、これから狩りを始めるわ。私は基本手を出しません。スクナの自由に戦っていいわよ」
「了解。ねぇリンちゃん、投擲スキルで使える石ころって、その辺に落ちてるのでいいの?」
「攻撃力はほとんどないけど、そうね」
「いくつか拾っとこう」
『石ころ拾い』
『投擲スキル持ち?』
『打撃武器と投擲か』
『地雷って訳じゃないが珍しいよな』
『打撃武器は実用的だぞ。初期装備の見た目がイマイチなだけだ』
『派生後のメイスからが本番だよな』
『てかマジで南で狩りすんのか』
『リンネ初日にここ来て発狂してたよな』
『発狂(無表情で魔法連打)』
『あれはトラウマもの』
道を歩きながらそこら中から石を拾い集めているスクナを見守っていると、草原の奥に敵影が見えた。
草原屈指の強モブ、《ウルフ》だ。
「スクナ、しょうめ……」
「うん、見えてるよ」
流石と言うべきだろうか。
私より遥かに早く敵影を捕捉していたスクナは、私を守るように前に出た。
ウルフのレベルは3から5のランダム。目の前のウルフは4と、強さ的には中間だ。
ウルフの特徴はその素早さと攻撃力にある。
打たれ弱い代わりに攻撃に特化した彼らは、動きの速い獣に慣れていない現代日本人の初心者には中々の鬼門となるのだ。
躊躇うことなく、一直線に突進してくるウルフに対して、スクナが取ったのは投擲の構え。
手にした石ころを振りかぶると、軽い様子でスキルを発動した。
「《シュート》」
スキルの光を纏って飛んで行った石ころは、寸分違わずウルフの眉間に直撃してHPを少し削り取る。
だが、ウルフにとって致命的だったのはダメージではなく、怯んだことにより動きが緩んでしまったことだった。
既にほど近くまで接近していたウルフに対して自ら間合いを詰めたスクナは、いつの間にか抜いていた棍棒をすれ違いざまに振り抜いた。
緩んだとはいえそれなりの速さだった自分と、駆け抜けるように叩きつけられた棍棒の力により、交通事故のごとくウルフは後ろにはね飛ばされる。
何度か地面を転がって立ち上がろうとした時には、追撃が振り下ろされたあとだった。
脳天を割るような一撃に揺れるウルフに、寸分違わず再び脳天。
「《叩きつけ》」
ゴッゴッゴッと三度ほど脳天を叩いた後、スキルを利用した両手での振り下ろしが直撃し、ウルフは絶命してポリゴンと化した。
「ふー……お、レベルアップした」
嬉しそうに頬を綻ばせるスクナの姿に惑わされそうになるが、コメント掲示板の空気は冷え切っている。
『ひぇっ』
『嘘やろ』
『殺意が高すぎる』
『顔面殴打からの脳天五連撃は……』
『その前に投擲を当てられることがすげぇ。あれ完全にPS依存だぞ』
『鬼やん』
『鬼人族だから実際鬼』
『レベル1の動きじゃねぇ』
エグい。
その一言に尽きた。
モンスターを倒すんじゃなく、狼を殺すための戦いだった。
怯えどころか、楽しそうでさえあった。
「リンちゃん、レベルアップしたー」
「え、ええ。おめでと。ステータスポイントの割り振りは決めた?」
「筋力と器用に半々で残りはそのままだよ」
「そう……まだ動きづらい?」
「流石にね。まあ、この分だと思ったより早く調子取り戻せそうだから大丈夫」
低レベルのアバターでは、スクナのリアルとの能力差は大きい。
それを埋めるために彼女は器用の値を上げているのだろう。
このゲーム、器用さのステータスはめちゃくちゃ重要だからね。
「どう、リスナーのみんな。これがナナ。期待したくなるの、分かるでしょ?」
『獣のような動きじゃった』
『言ってもウルフ一体くらいならなぁ』
『撲殺系鬼っ娘すこ』
『この程度ならそこそこおるけど、まあ確かに素質は感じた』
コメント掲示板からはそれでもいくらか否定の言葉が出てきたが、その後に襲いかかってきた5匹のウルフの群れを一掃したナナを見て、全員が掌をひっくり返すのだった。