最も鬼神に近い鬼
生まれた時はレベル1。それはこの世界に生まれるあらゆる生物に平等に成り立つ法則である。
初期値、成長率、その他もろもろの種族差はあれど、レベル自体は必ず1で生まれて来る。
生まれた時点で同じ種族である以上、同条件のプレイヤーとNPCの合計ステータスには実は全く差が生まれない。
しかしながら、NPCとプレイヤーには絶対的な違いがある。
ひとつがスキル。
そしてもうひとつが成長性だ。
プレイヤーはボーナスステータスポイントという、己の成長の方向性を自分で決める権利が与えられている。そして同時に、一定のスキルを自在に交換して戦うことも出来る。
しかしNPCに与えられるステータスの割り振りは、プレイヤーと違い大きなランダム要素に左右される。
努力によりある程度の方向性は定められるが、全く意味のないステータスを押し付けられることもある。生涯に手に入れられるポイントのうち、自分の努力で選べるのはせいぜいが6割程度だ。
そしてスキルに関しては努力の末に手に入れられる血の結晶であり、プレイヤーのように付け替えることも出来はしない。
自由な成長の可能性を得ることが出来ないが故に、NPCにとってはステータスの割り振られ方こそが才能そのものだ。
使えもしない知力にステータスが振られる鬼人族や、職人の道に進みたかったのに器用が全く伸びなかった人族。
数え切れないほどの悲哀の連鎖の中で、それを慰めるのに最も手っ取り早い言葉が「運命」であったのは当然といえば当然のこと。
そう。琥珀もまた運命に弄ばれたNPCのひとりだった。
☆
「私はね、スクナ。誰よりも恵まれていたんだと思う」
お気に入りだという琥珀色のブランデーをひと口飲んでから、琥珀はゆったりと話し始めた。
ここは琥珀が連れてきてくれた裏路地のバー。彼女の御用達なのか、すぐに個室に案内された。
お通しにしては高価そうなチーズっぽい何かをつまみながら、私は彼女が話し始めるのを待っていたのだ。
「これを見てくれるかい?」
そう言って彼女が懐から取り出したのは、ヒヒイロカネの指輪。その先端に象られているのは鬼灯だろうか。
「《パワーホルダー》。この世界で最も筋力に秀でた存在に創造神から与えられるアクセサリーさ」
「それって……」
「そう、実は私、この世界で一番の力持ちなんだ」
琥珀はそう言っておどけてみせるけど、誇らしさなんて微塵も感じない。本人がそれを無価値だと断じていた。
「もちろん、鬼神様には遠く及ばないけどね。……私はね、スクナ。今まで何度もレベルアップを重ねてきたけれど、たった一回の機会を除いて全ての才能が筋力のステータスに捧げられてきた。小さな頃は鬼人族の中でも飛び抜けた才能の持ち主だと言われながら育ったよ」
「全て」。ゲーム内での言葉で表現するなら「極振り」だろうか。
一体どれほど運命に愛されれば、それほど偏ったステータスを与えられるのだろう。
パワーホルダー。この世界で最も高い筋力値を持つ者。それこそ城壁を正面から破壊するほどの力を持つ、鬼人族の極地に立つのが目の前にいる琥珀という鬼だ。
彼女を見ていてわかるのは、それが途方もない数値なのだろうということだけ。
そしてわずか一回という強調されたその言葉こそが、彼女の瞳に宿る感情の正体なのだ。
「私の一族は鬼人族の中でもかなり立場ある存在でね。教育も相まって、幼い頃の私は鬼神様に憧れていた。ステータスの伸びも、戦いの才能も、鬼神様に見初められたからこそなのだと信じて疑わなかったよ。鬼神様の祝福を得るのは私だと確信さえしていた」
馬鹿な子供さ、と自嘲したように呟いて琥珀は手元のブランデーをあおる。
「ふぅ……。けれど、私は職業を得る時、鬼神様の祝福を……《童子》の適性を得られなかった。もう何十年前になるか……当時の私は荒れに荒れたよ。具体的には里を半壊させてしまったんだけどね」
「えぇ……」
今の飄々とした琥珀の印象からは想像出来ないほどバイオレンスな過去語りに、私は思わず声を漏らしてしまった。
自覚はあるのか、琥珀はその反応に微笑みながら話を続ける。
「ふふ、始まりの地で生まれた君にはわからないかもしれないが、鬼人族とは元来感情の昂りに大きく左右される種族なんだ。私は当時から里で一番の実力があったからね。それはもう酷い被害が出たよ。死者が出なかっただけ幸いだった」
「琥珀、ほんとに強いんだね」
「意外かい? ……とはいえその一件で私は一度鬼人族の里を追放されてね。閉鎖的な鬼人族にあって、私がこうして外の世界を旅しているのはそれが原因なんだ」
琥珀の話は繋げてみると確かに筋が通っていて、しかし私はひとつだけ気になることがあった。
「妖狐族との関係は? 鬼人族と仲がいいって言っても、追放されてたら繋がりも持ちづらいんじゃないの?」
「いや、もう追放は解かれてるから」
「あ、そうなんだ……ごめん、話遮っちゃったね」
「いいんだ。湿っぽい話には合いの手があるくらいがちょうどいい」
よかった、とりあえず符術士への道のりは途絶えてなかったらしい。
酔いが回ってきたのか、少し頬を赤く染めている。琥珀は先ほどまでの闇を孕んだ空気を一変させ、明るい雰囲気を纏い始めた。
「里を追いやられてから色々と調べてね。君も知っての通り、鬼人族が《童子》になるためには魔法技能の全てを放棄する必要があることがわかった。そして同時に、この世界に生まれる鬼人族はほぼ例外なく、生まれつき知力に才能を割り振られている事がわかってしまった」
「なんじゃそりゃ……」
「運命のいたずらか、はたまた鬼神様を封じておきたい創造神の仕業か……ハッキリとはわからないけどね。確かなのは、里に生まれる鬼人族では《童子》になることは出来ないということだけだった」
『生まれつき』。そんな絶望的な話があるだろうか。
私たちがキャラクリエイトをする時に得られるボーナスポイントは自由に使い道を決められるけど、NPCはそれがランダムに振り分けられる。
そのほんの一部だけが魔法技能に割り振られるように仕組まれているのだとすれば、なかなかにふざけた話だ。
琥珀は一番欲しかったものを最初から失っていたということなんだから。
いや、琥珀に限った話じゃない。この世界の鬼人族はみんなそうなんだ。
「伝承によれば、鬼神様の復活にはどうしても《童子》が必要だ。祝福とは言ってしまえば《縁》そのもの。かつて創造神に封印された鬼神様がこの世に干渉するには、どうあっても《童子》という存在を介さないといけない。しかし悲しいかな……この世界に生まれる鬼人族では《童子》にはなれないんだよ」
琥珀の語る内容は、メタ的に言うならば鬼人族プレイヤーへのエクストラクエストを発生させるための設定だろう。
《童子》という、大きな枷を付けられる職業の存在意義。万が一にもこの世界で生まれる鬼人族が鬼神を復活させられないように。
と言っても、《童子》になればあの鬼神・酒呑童子に会えるのかと言われれば私も首を傾げざるを得ないけれど。
他の《童子》プレイヤーに出会ったこともないし、私自身、どうしてあの場に呼ばれたのかはさっぱりわからないのだから。
「私自身が祝福を得られなかったことに納得しても、次に待っていたのは「鬼神様への道筋が消えた」という事実さ。鬼神様が封印されて以来、鬼人族の里から《童子》が誕生したことはない。妹様が亡くなられてからは、もはや影すらなくなってしまった」
一息に語ってため息をついてから、琥珀はグラスの中身を全て飲み干した。
「一目でいい。私はね、我らの神に一度でいいからお会いしたいんだ。……不思議なものだよね。得られないとわかった瞬間、焦がれるほどに欲しくなる」
琥珀の話を聞いて、私は必死に頭を働かせる。
WLOにおける鬼人族、その歴史のごく一部を琥珀の人生になぞらえて語ってもらっただけだけど、それを繋ぎ合わせるのは中々に難しい。
重要な情報その1。琥珀はこの世界で最も筋力値が高い存在であり、最も《童子》に近づきながら成れなかった存在でもある。
重要な情報その2。この世界に元々生きている鬼人族はほぼ確実に《童子》にはなれない。
重要な情報その3。鬼神が干渉できるのは《童子》という縁を持った存在のみである。
重要な情報その4。少なくとも鬼人族の里においては鬼神の封印後、《童子》の誕生はない。
そして、琥珀の願いは酒呑童子への謁見である。
ここまで整理して、ふと疑問が生まれた。
琥珀の話も一段落したようなので、私の方から尋ねることにした。
「ねぇ、琥珀。鬼神様の職業って、《童子》だったの?」
「いや、鬼神様は職業そのものを持っていなかったと伝えられている。《童子》という職業は、あのお方が神に至った時に授けられた名を元に誕生したそうだからね」
なるほど、琥珀の言うことはおおよそ私の想像と合っていた。
やっぱり、《童子》の始まりは酒呑だったんだ。
「妹様って?」
「鬼神様の妹君だよ。自由奔放な鬼神様が唯一逆らえなかったとも言われているね。不変の呪いがかけられていて、死の際までとても若々しいお姿だったな……」
「え、会ったことあるの?」
「ああ、亡くなったのは半世紀ほど前だからね」
「ほへぇ……じゃあ琥珀って少なくとも50超えてるんだ」
「私も鬼人族ではまだまだ若造だよ。とはいえ、鬼人族において大切なのは年齢じゃなく強さと実績なんだけどね」
琥珀は見た目だけなら20代の前半、それこそリンちゃんに匹敵する美人さんだ。
それが50歳をゆうに超えているというのも驚きだけど、それを若いと言えてしまう鬼人族の平均寿命に驚いた。
それにしても、酒呑の妹さんは亡くなってたんだな。
もし仮に復活したとして、酒呑はどう思うんだろう。寂しいとか思うんだろうか。
何となく、一度会ってみたいとそう思った。
「長い話になってしまったけど、私は今更祝福に未練もないし、スクナに何かを強いるつもりでもないんだ。ただ、ひとつ嘘をついてたのは謝らなければならないね」
「それは何となくわかるよ。琥珀、多分だけど私がデュアリスに着く前からずっと私をつけてたんでしょ」
少しだけ真剣な表情でカミングアウトしようとした琥珀の言葉を遮って指摘すると、彼女は驚きを隠すことなく表情に浮かべた。
「始まりの街から出立したら、ほぼ間違いなくデュアリスで職業を選択することになる。始まりの街にたくさんの鬼人族が生まれ落ちたって聞いて、琥珀はこの3週間ずっと鬼人族をマークしてたんじゃない? もしかしたら《童子》に手が届くのがいるかもしれないって」
なるべくプレイヤーという言葉を使わないようにしながら、私は琥珀に自分の考えを伝える。
NPCからのプレイヤーへの認識がわからないからね。下手な言葉は使えない。
琥珀は茶屋で見かけて追ってきたなんて言ってたけど、それは「私を」追ってくる理由には弱い。
第一に、鬼人族のプレイヤーは私以外にも少なからずいる。その全ての中から私をピンポイントで追ってくるってよっぽどだ。
よしんば私が《童子》であることを見抜いての事だったとしても、貴重なアイテムを使って助けるにはタイミングが遅すぎる。
そもそも声をかけたいだけならもっと早くかければいいし、力を見極めるなんて明らかになにか目的があるとしか思えないし。
まあ、それ以前に琥珀ほどの実力者がデュアリスにいるってこと自体がおかしいんだけどさ。
「私の前に何人の《童子》がいたのかは知らないけど……全員声掛けてるんじゃない?」
「……8人だよ。スクナ、君に出会うまでに8人会った」
たった8人しかいないのか。私が第2陣の中では前の方を走っているとしても、半分の1万人のうちたった8人。
「回りくどいのもいらないかな。スクナ、私はこのチャンスを逃したくはないんだ。これから先、どれほどの《童子》が生まれるかもわからない。私がいつまで生きていられるかもわからない。だから……」
「鬼神様の復活を手伝えばいいんだね。いいよ」
結局回りくどくなりそうな琥珀の申し出を、私は食い気味に了承した。いや、ほら、琥珀って話長いところあるから……。
それはもう真剣な表情の琥珀には申し訳ないんだけど、これに関してはむしろ私がお願いしなきゃいけない立場な訳で。
パァっと表情を綻ばせた琥珀だったけど、続く私の言葉で彼女は完全に凍りついた。
「というか、うん。ごめん、黙ってたんだけど……私、鬼神様に会ったことあるんだ」
「え?」
それはもう綺麗に。
彫像のように微動だにせず、琥珀は完全に動きを停止させた。
琥珀のボーナスポイントの振り分けは知力1、残り全部筋力です。現在は4桁を軽く超えるとか……。
ステータスの数値を見る術は当時からありましたが、全ての鬼人族が知力に最低1ポイント割り振られて生まれてくるので、それを初期値だと思い込んでいた訳です。
例外は酒呑のみ。どこかの文献に残っていたらしい酒呑の初期ステータスを発見したことで、琥珀は創造神の悪戯に気づいたと。絶許。