トリリア
ボス部屋を抜けた私が見たのは、心配など微塵もしていなさそうな自信に満ちた琥珀の姿だった。
そういえばボス部屋は一度突破していれば素通りできるんだっけ。先に待ってたってことは抜け道かな?
「終わったんだ。思ったより早かったね」
「大技打たれそうだったからさ、最後はタイムアタックみたいになっちゃった」
ふぅと息をついて、私は武器をガントレットからメテオインパクトへと持ち替える。
先程の戦闘で確信した。素手格闘はボス戦では大いに活躍するけど、そもそもが自分にヘイトが向かない状態で使用するスキルだ。
一撃の重さ的に、普通のモンスター相手にはこっちがいい。本音を言えば片手用のメイスも欲しいんだけどね。
「トリリアはもうすぐだ。スクナはトリリアは初めてだろう? きっと驚くよ」
「驚く?」
森の出口が見えてきたあたりで、琥珀は唐突にそんなことを言い出した。
リンちゃんも特に何も言ってなかったと思うんだけど、第3の街であるトリリアに何かあるってことなんだろうか。
森を抜けると、数百メートルほど先に街が見える。何か違和感があると思ったら、あの街の外壁は始まりの街やデュアリスに比べて、あまりにも低いのだ。
しかし、遠目からでもその理由は容易に理解できた。
モンスターの侵入を防ぐ壁なんて、純粋に不要なんだ。
私の視線の先。第3の街は、湖の上に建っていたのだから。
「アレが湖上要塞都市・トリリアだよ。水の都とも呼ばれたりするね」
「はー……すごいな」
湖のほとりまで歩いてみると、都市をぐるりと囲ってなお余裕があるほど巨大な湖であることが分かる。
そのまま惚けるようにトリリアを眺めていると、突然何かが湖から飛び出してきて水をかけられた。
「キュルルルルッ!」
「うわっ、なに!?」
そのまま飛びつかれて押し倒された私は、結構力の強い謎生物の下敷きにされてしまった。
「水竜の子じゃないか。こんな浅瀬に出てくるなんて珍しいね」
「水竜? おうおう……舐めないで舐めないでザラザラするから」
なんだか異様に友好的というか懐いてるというか、ペロペロと顔を舐めてくる謎生物をなんとか退かす。
水竜と呼ばれていたその生物は首長竜というよりは蛇のような細長い胴体をしていて、退かしたはいいものの再び私の体に巻きついてきた。
レベルの表示もHPの表示もない。ということは、モンスターの扱いじゃないんだ。
「水竜はとても賢くて、トリリアではとてもメジャーな生物なんだ。少なくとも人を襲うことはない温厚な生物だよ」
「今私襲われてない?」
「いや、それはじゃれついてるだけだね。お腹が減ってるのかもしれない」
「そうなの?」
「キュルッ」
返事をするように鳴き声を発して頷いた水竜が何となく可愛らしくて、試しに頭を撫でてみる。
とても滑らかな鱗だ。頭を撫でてやると、水竜は気持ちよさそうに目を細めていた。
試しに魔の森で拾い集めたマジカル茸を取り出してみると、水竜は何度か舌先で確かめてからパクリと飲み込んでしまった。
もっともっとと言わんばかりに巻き付いてくる水竜に手持ちのマジカル茸を食い尽くされた頃、いっぱい食べて満足したのか、水竜は私の体に巻き付くのをやめて水中に潜っていった。20本以上あったのに。
「行っちゃった……」
「キュッ!」
「うおっ!?」
見送りくらいしてあげようと思ってたら、水竜はすぐに戻ってきた。口にくわえた何かを私に放り投げると、一声鳴いてから勢いよく湖底へと消えていった。
受け止めたものを見ると、大きな青いガラスのような球体だった。
「なにこれ」
「これは……水の竜結晶だな。それもかなり大きいね」
「竜結晶?」
「竜が生まれつき体内に持っている結晶だよ。成長するにつれて大きく、純度の高いものに変化していく。このサイズだと……100年物って所かな。多分亡くなった水竜のものをあの子が持ってたんだろうね」
「ふーん……これは良いものなの?」
「人にとっては、武具に属性を付けるのに使えるから便利だよ。光り物を好む竜にとっても大切なものだとは思うけど、嗜好品の類だ。だからこそお礼にくれたのかもしれないよ」
野球ボール大の結晶……というより水晶かな。よくよく見ると内部で液体が揺れているように見える。
マジカル茸は少しもったいないけど、もしかしたらいいものを手に入れたのかもしれない。
それにしても、動物にじゃれつかれたのは初めての経験で、ちょっと惜しい気持ちが胸に残った。
ペットに限らず、私は人生で動物と触れ合ったことがほとんどない。なんでか分からないけど逃げられちゃうのだ。
もしかしたらゲームの中なら触れ合うことも出来るのかもしれない。さっきの水竜の子に関してはモンスターでもなかったしね。
「可愛かった……」
「スクナの感性は独特だね」
ほっといてください。
☆
「おい、あれ……」
「うお、マジだよ」
「ステキよね……」
「かっけぇ……」
トリリアに入る前、検問のために並んでいると、周囲の目線がこちらを向いてくるのに気がついた。
要塞都市と言うだけあって、トリリアにはちゃんと検問がしかれていた。
元より街に犯罪プレイヤーは入れないんだけど、まあポーズというかなんというか。
街に出入りするのはプレイヤーだけじゃないから、どっちかと言えばNPCへの検問と言ってもいいだろう。
さて、こちらに視線を向けている彼ら彼女らの視線の先にいるのは私ではなく、琥珀の方。
ひそひそ声を拾い集めた感じ、どうも琥珀はNPCの中では結構有名な存在のようだ。
なになに……?
「……《はじょう》の琥珀?」
「ん、まあ、そう呼ばれることもあるかな」
少し気恥ずかしそうに頬をかく琥珀。
二つ名、とでも言うんだろうけど……NPCの間で有名って結構なことだよね。
どんな由来でと聞こうと思ったら、琥珀は自分からそれを話し始めた。
「昔、災害級の名持ちモンスターが帝都を襲ったことがあってね。その時、帝都の守護を任されたんだ。名前は確か……《蠢く古城・アルマ》だったかな。まさに動く城というモンスターだったんだけど……若気の至りというか、その城壁を粉々に破砕したのをきっかけに二つ名で呼ばれるようになったんだよ」
「なるほど……《破城》ね」
いや、なるほどとか言ってごめん、ちょっと何を言ってるのかわからないですね……。
城壁を? 粉々に? 破砕した? 若気の至りで?
照れくさそうに笑ってるけど、ちょっとシャレにならない話だと思うんですけど。
それは果たして人間業と呼んでいいのか……いや、私たち純粋な人間じゃないけども……。
「やろうと思えばできるものだよ」
「いや、どうかなぁ……」
「いいや、出来るさ。私に出来たことが君に出来ないはずがないからね」
思わず背筋が伸びてしまうような真っ直ぐな言葉に、私はどこか違和感を覚えた。
違和感という程のことじゃない、取るに足りない引っ掛かりだ。出会ったばかりの人に感じるようなことじゃない、そう分かっていても、今の断言には「らしくないな」と思ってしまった。
「ねぇ、琥珀ならひとりでも……それこそ、アリアみたいなネームドを倒せるんじゃないの?」
それは冗談のつもりでかけた言葉だった。
けれど、琥珀は首を振り、とても真剣な声音で否定した。
「それは出来ない」
「どうして?」
「願いがあるんだ。だから、それを見届けるまでは死ねない。名持ちとの戦いは命を賭す必要があるからね」
そう言って、夢見る少女のような表情で、琥珀は私のことを見つめていた。
そんな眩しい表情とは裏腹に、琥珀が浮かべているのはゾクリと背筋が凍るような、暗い暗い闇のような瞳。
その瞳に宿るのは羨望と嫉妬で、けどそれだけじゃ語り尽くせない泥のような感情だった。
ああ、そっか。やっとわかった。琥珀が私に構ってくれる理由。わざわざ助けた理由も、こうして色々なことを伝えてくれる理由も。
茶屋で見かけて追ってきたという割にはすぐに話しかけるわけでもなく、死にかけるまでは遠目で見守るだけ。
おかしいとまでは言わなくとも、どうしてだろうとは思ってた。
「場所を変えようか。少し長い話になるからね」
「うん、分かった」
琥珀という、この世界に生きる人物が何を抱えているのか。
その始まりは、システムアナウンスにより告げられた。
『《エクストラクエスト:鬼姫・憧憬鬼譚》を開始します』