初期設定
意識がふわりと浮かび上がるような感覚を受けた瞬間、私は草原の中にいた。
最初に驚いたのは、「匂い」がすることだった。
草花の香り。土の香り。そういう、草原の中に立っているという実感を与えてくれる香り。
それがこの二日で体験したどのゲームにもないシステムだったからだ。
「ようこそ、《WorldLive-ONLINE》へ」
予め仕入れていた情報の通り、後ろから声がする。
振り向いた先にいたのは、紺色の修道服を着た女性だった。
通称・ナビゲーター。このゲームに初めて降り立ったプレイヤーに、必ず後ろから話しかけてくるチュートリアルキャラクターである。
「私はイリス。貴方に道標を授けに参りました」
その言葉と共に手渡されたのは、一枚の鉄板のようなカードだった。
メニューカードと呼ばれるこれは、思考操作ができないプレイヤーのために用意されたメニュー表示用のアイテムだ。
この世界においては街に入るための身分証や財布の代わりにもなる、らしい。
「メニュー表示と念じてみて下さい。メニュー画面が投影されるはずです。どうしてもダメならば、そのカードを二度擦ればメニューが表示されます」
「へぇ……あっ、出た」
フォォンというなんとも言い難い音とともに出現したメニュー画面はどうもスマートフォンの画面のように硬質な素材で、操作感もそれによく似ていた。
まあ、半透明のホログラムを操作しろと言われるよりはいいのかもしれない。
画面にはまだメニューの項目はなく、真ん中に「初期設定」の4文字があるだけだった。
「設定を始めましょう。まずは種族を選んでください」
初期設定を押すと、二つの項目が現れる。
人間、そして亜人。
亜人に関しては、そこから更にツリーが開けるようだった。
私は亜人の欄を開いて、ずらりと並ぶ項目の中からリンちゃんと相談して決めていた一つの種族を探していく。
エルフ、獣人、ドワーフなどの有名どころから、小人などのVR特有の特殊なアバターの種族が目に入り、前情報としてきちんと知っていてもその量に圧倒される。
そんなこんなで一度スクロールして見つけられなかったので一旦戻り、もう一度改めてスクロールしてようやく発見したひとつの種族を選択した。
それは《鬼人族》。非常に偏った性能を持つ、ピーキーな種族だ。
「種族を選びましたら、アバターの造形を決めてください」
ナビゲーターの言葉に合わせて、メニュー画面に私のものであろうアバターが表示された。
黒髪、赤目、額に申し訳程度の小さなツノ。
身長はリアル同様155センチ。悲しいほどに慎ましやかな体もそのままである。泣きたい。
あ、おっぱい盛れる……いやいや、なんかそれをやったら負けな気がする。くっ、私もリンちゃんくらいあったらなぁ……。
なんとか誘惑に打ち勝って、髪の長さをショートからセミロングに変えるに留めた。
リンちゃんもそのままにしてるって言ってたし、そこまでいじらなくてもいいだろう。
「アバターの造形が終わりましたら、スキルを二つお選びください。現在人気のスキルは《片手剣》スキルと《雷属性魔法》スキルです」
ご丁寧にこれまでのプレイヤーの中で流行りのスキルを教えてくれるらしい。
せっかくのファンタジー世界だ。確かに剣を使いたくなる気持ちはよくわかるし、魔法は夢だろう。
ただ、私はそれを選ぶつもりは無かった。
というより、半分は選ぶことが出来ないとも言える。
具体的には魔法のスキル。私はこのゲームを始めるにあたって、この項目を完全に捨てていた。
なぜかと言うと、《鬼人族》は魔法関連のステータスが著しく低いのだ。
簡単に言うと、魔法発動に必要なMP、魔法攻撃力に関わる知力、魔法防御力に関わる魔防の3つのステータスが極めて低く、その上に成長補正が-75%というえげつないカット率を誇る。
これはつまり、レベルアップで本来上がるはずのポイントが20あるとすると、5しか上がらないという事だ。
代わりといってはなんだが、攻撃に関わる筋力、防御力に関わる頑丈、クリティカル率や生産職に必須の器用、そして敏捷性に関わる敏捷に大幅な上昇補正が掛けられる。
要するに物理一辺倒のピーキーキャラ。
それが《鬼人族》という種族だった。
そんな訳で選べない魔法系スキルは無視して、とりあえず決めていた《打撃武器》スキルを取る。
《片手剣》じゃないのかって? 私は刃物の扱いに長けてないので……。
鬼に金棒、という訳では無いが、私としては剣よりも棍棒やらバットの方が使いやすい。
というより、現代に生きている日本人ならまず間違いなく打撃武器の方が使いやすいだろう。
何せ殴りつけるだけでそれなりに戦えるし、武器の全部が攻撃に使える。
剣は腹を叩きつけると折れるし、刃を立てないと切れない。
流石にゲームで綺麗な剣筋を求められる訳ではないだろうとは思うけども、ゲーム慣れしていない私には楽な武器の方が都合がよかった。
もう一つは《投擲》スキル。
鬼人族は魔法がほぼ使えない。
それはつまり遠距離攻撃の手段に乏しいという事だ。
それを補うためのスキル。最悪その辺の石ころでも武器に出来るそうなので、武器が壊れた時にも役立つかもしれない。
「スキルを選びましたら、ステータスの初期ポイントを振ってください」
流れのままに画面をタップしていくと、ズラッとステータス画面が開かれた。
――
PN:
種族:《鬼人族》
職業:
所持金:1000イリス
ステータス
HP:39
MP:0
SP:26
筋力:13
頑丈:13
器用:13
敏捷:13
知力:0
魔防:0
幸運:10
残りステータスポイント:10
スキル
《打撃武器》:熟練度0
《投擲》:熟練度0
――
これを見ていると、鬼人族のステータスに関する上昇補正がおおよそ把握出来た。
3割。30%。それが上昇補正のようだ。
これを見る限り、どうもHPとSPにも上昇補正が入っていることが分かる。
ステータス補正が一切ない場合、それぞれの基本値は30と20のはずだからだ。
ちなみにSPはスタミナのことで、スキルの使用や攻撃、ダッシュや回避といった行動で消耗されるらしい。
MPと違ってサクサク自動回復するけれど、考えなしに使うと戦闘中に動けなくなる。
つまり、《WorldLive-ONLINE》は俗に言うスタミナ管理が欠かせないゲームであるということは念頭に置かねばならない。
それはそれとして、魔法ステータスの初期値は前知識の通りだった。初期値0ともなるともはや清々しいレベルだ。
ゲームによってはLuckなんて言い方もする幸運は、初期値のまま手付かずだった。
とりあえずステータスポイントは筋力と器用に半々で振る。
なんでも、器用が上がるとアバターの操作感の柔軟性が上がるそうだ。
試しに前屈をしてみると、現実の私より遥かにカチカチの身体だった。5追加した程度では目立った変化はなさそうだ。
「ステータスを決めましたら、初期装備をお選びください」
これに関しては取ったスキルに合わせた初心者用装備を選べということだと思うので、棍棒を選ぶ。
棍棒のステータスをみれば、《打撃武器》にカテゴライズされていることも確認できた。
「初期装備を選びましたら、お名前を選択してください」
名前。大事なところだと思う。
《絶影》とか、《漆黒の堕天使》とか、そんな風な名前をつける人もいるのだろう。
一生物の黒歴史の誕生である。
私は滅多なことでは自主的にゲームをすることはなかったけれど、ゲームをする事になったら、必ず同じ名前をつけることにしている。
それはリンちゃんが小さな頃、覚えたての知識を総動員して考えてくれたプレゼント。
《スクナ》。それが、私のプレイヤーネームだ。
幸いにして先行した一万人にも、そしてきっと私より早くチュートリアルを終わらせた第二陣の中にも、この名前を使っている人はいなかった。
名前被りを許さないタイプのゲームは後発が不利だよな、なんて考えながら名前を決めると、メニュー画面が音もなく消えた。
「旅人スクナ。貴方の旅路をお祈りしております」
微笑みと共にゆるりと振られた腕から、魔法陣が足元に飛んでくる。
一瞬の視界の暗転の後に、私は喧騒の中に飛ばされていた。
《始まりの街》。そんな、ある意味では名も無き街に、私はついに足を踏み入れたのだった。