お高いカフェにて
「ほ、ほほほほんも、本物のリンネが目の前に……」
幸いすぐに再起動したサクちゃんは、若干怪しい挙動をしながらメモ帳を取り出した。
「さ、サインください!」
「ええ、いいわよ。でも、そんなメモ帳じゃ寂しいでしょ?」
そう言うとリンちゃんはカバンからミニ色紙を取り出して、さらさらとサインを描いてサクちゃんに手渡した。
リンちゃん風に言うなら有名人の嗜みだとかで、彼女は常に何枚かミニ色紙を持っている。
リンちゃんの変装が上手くても、今みたいに名乗ったりだとか見抜かれたりすることはある。
そういう時にこういう細かなファンサービスが出来るのも、リンちゃんの魅力のひとつだった。
「ふぉぉお……あ、ありがとうございます!」
「このことは内緒にしてね?」
サクラ君へ、と書かれた色紙を大事そうにポケットにしまったサクちゃんは「あっ!」と大きな声を出した。
「すいません、今俺仕事中なんでした」
「ああ、うん。そうだね」
気付いてくれて何よりである。
「もうすぐ終わりなんで、お二人がよければもう少しだけお話したいんすけど……」
申し訳なさそうな表情で頼んでくるサクちゃん。
私自身はよかったので、リンちゃんに聞くことにした。
「私はいいよ。リンちゃんは?」
「ナナのお友達なんでしょう? せっかくだもの、仕事中のナナの話とか聞きたいわね」
「ええー、そういうの恥ずかしいなぁ。まあいいか、そしたらサクちゃん、4時に2階のカフェに集合でいい?」
「大丈夫す! ありがとうございます!」
深々と頭を下げて、サクちゃんは仕事に戻っていった。
ちょっとだけ仕事風景を眺めていると、どうも彼はお客さんの応対を中心にさせられているようだった。
前のバイトを辞めてから日も経ってないし、お菓子作りとかはまだなんだろうなぁ。
こうして、私たちとサクちゃんは一旦別れてから合流することになったのだった。
☆
「うう、疲れた……」
4時ちょっと前。
あの後ブティックでリンちゃんの着せ替え人形を演じた私は、カフェのテーブルに突っ伏していた。
リンちゃんは化粧を直しにお手洗いに行っている。
「ナナ姉様、お待たせしました」
「あ、トーカちゃん」
ぐでーっとテーブルに溶けていた私は、約束していたトーカちゃんの到着に合わせて軟体化を解いて座り直す。
トーカちゃんはとんでもなく長身だから、周囲の目を一身に集めている。
慣れてるのか、本人は全く気にしていない様子だけどね。
「リン姉様は?」
「お色直しに行ってるよ」
「あら、そうなんですか。そしたら、少しの間だけナナ姉様を独り占めできますね」
クスリと笑ってそう言うと、トーカちゃんは私の対面に座った。
トーカちゃんとサクちゃんのことを考えて、テーブルは4人席を取っている。
テーブルも少しゆったりと作られているので、背の高いトーカちゃんでも余裕を持って座れるみたいだった。
「ナナ姉様……ううん、ナナねぇ。こうして話していると感じます。あの頃と比べて……すごく変わりましたね」
「そうかなぁ。6年以上も経てば多少はねぇ」
「ふふ、そういう所は変わらないですね。でもあの頃のナナねぇを知ってる人に聞けば、みんな口を揃えて言うと思いますよ」
「そんなことないと思うけどなぁ」
トーカちゃんの口調は穏やかで、別に何か深い意味を持って言っている訳ではないみたいだった。
けれど、彼女の言葉から、私はほんの少しだけ頭痛を覚えた。
実は、両親が死んだあの日以来、とりわけそこから1年くらいの間は、あんまり記憶が定かじゃない。
叔母と交渉して一人暮らしを始めたのも、しばらくの間は土方作業で食いつないでいたのも覚えてはいるんだけどね。
大切な人を失った喪失感なのか、はたまた生きるのに必死だっただけなのか。
かろうじてリンちゃんと連絡を取っていたくらいで、死んだように生きていた気がする。
あと、もう1人、誰かいたような気がするんだけど、それがどうにも思い出せなくて……。
「あら、燈火も来てたのね」
「リンねぇ。ちぇっ、ナナねぇを独り占めできる時間が短すぎです」
「全く、思ってもないことを言うんじゃないわよ。……ナナ、どうかした?」
「……えっ? あ、いや、なんでもない」
少しぼーっとしていたみたいで、いつの間にかリンちゃんが戻ってきていた。
リンちゃんは私の隣に座って、テーブルサイドのメニューを取って広げていく。
「ここはカプチーノがイケるのよ」
「私はミルクティーにします」
「燈火、まだコーヒー飲めないの? お子ちゃまねぇ」
「苦いのはダメなんです。ダメなものはダメなんですー」
ニヤニヤと煽るリンちゃんに、トーカちゃんはぷいと顔を背けてしまった。
じゃれ合ってる姿を見てるのは微笑ましくて、いつの間にか私の頭痛も治まっていた。
「すいません、遅れました!」
「時間通りだよ、気にしないで」
「はいっす。あ、お隣失礼します」
「はい、どうぞ」
慌てた様子で、しかし決してドタバタとはせずにカフェに入ってきたサクちゃんは、トーカちゃんに頭を下げてから隣の席に座っていた。
「あ、自分は佐藤咲良って言います。今日はご厚意に甘えさせてもらっちゃって……」
「私は鷹匠燈火です。私も姉様に誘われた側なので、そんなに畏まらなくてもいいんですよ?」
「いや、でも、年上相手すから……」
「あー、サクちゃん照れてるんだ」
「うっ……いや、はい、俺も男なんで……」
ちょっとからかったつもりだったんだけど、サクちゃんはカチコチに固まってしまった。
ふむ。そう言えばバイト先ではあまり歳の近い女の子はいなかったもんなぁ。
リンちゃんもトーカちゃんも美人だし、リンちゃんに至ってはどうもファンみたいだし。
こんな状況になれば緊張してしまうのも仕方ないのかも。
「とりあえず注文しちゃいましょ。ナナは私と同じのでいいわね。サクラ君……だと言いづらいわね、サクは何か食べたいものとかある?」
「サ……よ、夜ご飯があるんで、飲み物だけで……コーヒーにします」
「遠慮しなくていいのよ? 私お金持ちだから」
そうだね、リンちゃんは弩級のお金持ちだね。
サクちゃんが緊張でいっぱいいっぱいなのもあるだろうけど、このカフェの商品は普通に高い。珈琲1杯1000円とかそんなレベルだ。
ただでさえ彼は高校生なんだからこんな高いお店には滅多に来ないだろうし、遠慮してしまうのも仕方ないと思う。
ましてや憧れの人に奢ってもらうなんて気が引けるのだろう。
そう思った私は、助け舟を出してあげることにした。
「サクちゃん、ここは私が持つから好きなの頼んでいいよ」
「菜々香先輩……じゃあ、自分もお二人と同じもので……」
慣れ親しんだ私からの提案だったからか、サクちゃんは遠慮がちにそう頼むのだった。
「菜々香先輩は、前のバイト先の屋台骨だったんす」
届いた飲み物を各々が飲みながらちまちまと雑談していたんだけど、リンちゃんの一声で私たちの前のバイト先の話をサクちゃんから聞くことになった。
「俺は初めてのバイトだったんで気づかなかったんすけど、あそこはいわゆるブラックで。人手は足りないし、休憩もないし残業も……高校生だったんで俺はなかったんですけど、大学生の人達は結構してたみたいで。まあ、飲食なんてどこもそんなもんらしいですけどね」
「ネットでたまに見ますけど、実際にあるんですね、そう言うの」
箱入りのお嬢様であるトーカちゃんは、こういうアルバイトの闇みたいなものとは縁がないようで、結構興味深そうに聞いていた。
彼女の通う大学はお金持ちの子ばかりだから、周りでもそういう話は聞かないのかもしれない。
「ザラみたいです。で、まあ、お二人の方がご存知だと思うんすけど、菜々香先輩ってヤバいじゃないですか」
「そうね」
「そうですね」
「おや?」
「ひとりで……何人分かな、ホールのほとんどを回してたと思います。ホールを駆け巡る風とか言われてたんで」
えっ、なにそれ聞いたことないんだけど。
「まあでも、今思えばそれで回せちゃってたのが一番の問題だったんす。根本的な人手不足の負担を全部先輩に押し付けて先送りにして。ま、最終的には上の不祥事で店舗を減らすことになって、店は潰れちゃったんすけど」
そう。私たちが働いていたのはチェーンの鉄板焼き店だったんだけど、食品の衛生管理がどうとかで不祥事になって、それが理由で潰れたのだ。
「お客さんからのクレームも多かったみたいなんすよ。人手不足のツケっす。菜々香先輩も常にいるわけじゃないし、そうなるとみんなタスクが多すぎて接客もまばらだし。売上は出てたんすけど、結局は潰されました」
「あー、ナナの働いてたとこ、あそこの会社の系列だったのね」
「最近ニュースになってたところですよね。死人が出たとか……」
「え、そうなんだ。知らなかったなぁ」
「なんで当事者が一番知らないのよ……」
いや、だって私の家テレビとかなかったし、ネットも見ないし……。
「一番びっくりしたのは、誰ひとりとして菜々香先輩の連絡先を知らなかった事っす。仲良かった奴は他にもいるはずなんすけど、知らないって言うし。よくよく考えると先輩がケータイ弄ってるとこ見たことないんすよね」
「私も、連絡先の交換をした時くらいですね」
「そういう子なのよ。ストイックというか、無頓着というか」
「実は私も何年かぶりに再会したばかりですしねぇ」
若干雲行きが怪しくなってきたのを、カプチーノを飲むことで誤魔化していく。
あー美味しい。カプチーノが美味しいなぁ。
「まあでも、潰れてよかったのかなと思ってます。俺も前よりは随分楽に稼げてますし、菜々香先輩も元気そうだし」
「そうね。私としてはこのバイト狂がやっと捕まるようになってホッとしてるわ。この子ね、誘っても誘ってもバイトガーバイトガーって断るのよ」
「前ん時もそうでしたね。退勤時間だけは絶対守ってました。みんなの分の仕事もバリバリこなしてからだったんで、誰も文句言わなかったすけど」
「……ナナ姉様、1日どれくらい働いてたんですか?」
盛り上がる2人の会話を聞いたトーカちゃんが、興味本位で聞いてくる。
えーと、フルタイムのバイトを2つと日雇いのを合間に挟んで……。
「17時間から20時間ぐらいじゃないかな」
「ひぇっ」
「ひぇっ」
「ほんと馬鹿よね……しかも週7よ」
「なんで生きてるんですか?」
「ホントすよ」
「そんなこと言われても」
体力は有り余ってたし、バイト以外にすることなかったから。
いや、リンちゃんからの誘いを断ってるからすることがなかったわけじゃないんだけど、タイミングの問題というかね。
「まあでも、そうね。ナナがちゃんと受け入れられてたって知って少し安心したわ」
本当に、心の底から。
安堵したようにそう言ったリンちゃんの姿が、なんだかすごい印象に残った。
その後は、サクちゃんとリンちゃんがゲームトークで盛り上がったり、私が憧れの人と知り合いなのを黙っていたことをつつかれたりと楽しい時間を過ごして。
最後に連絡先を交換して、私達はカフェを出て解散するのだった。
次回からゲームに戻ります