《殺人姫》2
僅か300秒、換算してたったの5分しかもたない超強化スキル《餓狼》。
ロウが操る《毒蛇の滴り》と同様のレアスキルではあるが、現状MP消費以外の消耗が見えないソレと比較して《餓狼》には明確かつ大きなデメリットが存在している。
デスペナルティの増加だとか、防御性能が下がるだとか、そんな話をしている訳ではない。
このスキルの最大の欠点はその表面的なデメリットではなく、使用者の知覚能力が一切調整されないという点にある。
かつてスクナが戦った赤狼が、自身のあまりの速さに単調な攻撃しか行えなくなっていたのと同じだ。
プログラムで動く機械ではない以上、自分が操れる以上のスペックを与えられた所で、乗りこなすことなど出来はしない。
高いステータスをぽんと渡されたところで、そう簡単に扱えたら苦労はないだろう。
表面的なデメリットに騙されがちだが、このスキルは本来「使い慣れる」ことでより力を発揮するスキルなのだ。
ただし。
それは普通のプレイヤーなら、という前提の話である。
VRゲームにおいて現実世界と比にならないほどの身体能力を得られるという現象は珍しくはなく、トレーニングを積めば「慣れ」が生まれるものだ。
このスキルを初見で使用したとして、上位のプレイヤーならば振り回されずに扱うことは十分に可能だ。
そして、ここに例外がひとり。
☆
踏み締めた足にこれまでとは比にならないほどの力が込められる事実を認識し、スクナは小さく笑みを浮かべる。
そうして、ぐんと踏み込んだ瞬間に倍増した敏捷を爆発させた。
目の前の相手が切り札を切った。その事実に陶酔していたロウは、不意に背を撫でた悪寒に思わず剣を挟み込む。
「……ッ!」
ギィン! と鋭い音を立てて金属がぶつかり合うような音が鳴り響く。
一歩目の踏み込みで後ろに回り込み、返す二歩目でロウの頭を潰しに来た。
ほんのわずかな時間、気を抜いたのは確かだ。
しかし、その隙に危うく首が消し飛ぶかもしれなかったという事実が、ロウの胸を高鳴らせる。
「ア、ハ」
目をつけた相手を殺す。
雑魚を一方的になぶり殺しにする。
騙し討ちも不意打ちも、殺しのためなら躊躇わない。
その全てが彼女にとっては快楽となる。
しかし、今目の前にいる相手を前に、ロウはぞわりとした悦びを感じていた。
鍔迫り合う金棒とレイピアだが、スキルで強化されてなお膂力はロウに分があるようで、不利な体勢を強いられてなお力負けすることなく火花を散らす。
だが、均衡は続かない。不意に武器を手放したスクナに対し、それを防ぐために力を込めていたロウの剣は抑えを失って宙を泳いだ。
「ラァッ!」
「ぐ……っ」
左の脇腹を容赦なく、スクナの右足が抉り抜く。手を離した瞬間にその場で回転し、その勢いのまま回し蹴りで撃ち抜いたのだ。
先程同様、スキルでもない攻撃ということでダメージそのものはさほどではない。
しかしそれでも踏ん張りの効いていない状態での回し蹴りにより、ロウの体は数メートル吹き飛ばされる。
側転の要領で体勢を立て直したロウは、追い打ちをかけるように飛んできた投げナイフをレイピアで撃ち落とすと、そのまま見えない背後に向かって鋭い突きを放った。
「けほっ、いい手応え……すぎるかしら」
再び鳴り響いた金属音が示すとおり、不意打ちを狙いに来たスクナに対する不意打ちは金棒の中心で受け止められていた。
「どうして分かったの?」
「乙女の勘……っていえば信じてくれるかしら?」
軽口を叩きながらもガガガン! と一瞬の間に3合打ち込んだロウだったがその全ては音の通り金棒に防ぎ切られる。
だが、戦い始めて数十秒と経っていないにも拘らず、ロウはスクナの様子が変化していることに気づく。
「へぇ、そのスキル……HPを消費するのね」
「まあね。でも、使わなきゃロウには勝てない」
HPを犠牲に発動するスキルは、ロウにも覚えがある。
本来ならば会話の時間さえもったいないはずだ。
それなのにスクナは乗ってきた。
つまりそれは何か理由があるからだ。
「頭上注意だよ」
その言葉を聞いて咄嗟にバックステップしたロウは、肩口にめり込んだ鉄球による衝撃で危うくレイピアを落としかける。
やられた、とロウは思った。どのタイミングで放り投げたのかはわからないが、いつの間にか頭上に仕掛けられていたトラップ。
スクナはロウのバックステップまで計算に入れて、あえて声をかけたのだ。
追撃に来るスクナに対し、ロウは距離を取るのをやめた。
どのような効果によるものかはわからないが、スクナの敏捷がレベル60を超えている自身よりも遥かに高くなっていると理解したからだ。
敏捷で負けている以上、距離を取って戦うのは得策ではない。
となれば筋力で勝っている点を活かして近接戦闘に持ち込むのが筋ではある。
幸いにして、スクナの方は時間に制限がある。このレベルの効果を維持できるのは長くて10分だろう。
仮説はいくつか立てられるが、直ぐに思いつく可能性は大きく分けて3つ。
HPが切れるまで続き、切れた時点でデスする。
HPが1になった時点で効果が自動的に止まる。
HPが1になった時点で減少は止まるが、効果は持続する。
どの場合にせよ、時間が来た時点で最低でも瀕死になっている事は想像に難くない。
問題はスクナの持つ目の良さと、反応速度だ。
ロウが現実世界とかけ離れたこのステータスに慣れるのに要した時間を嘲笑うように、この鬼は完璧な制御でアバターを操っている。
中途半端な攻撃は通らず、逆に隙を見せることに繋がってしまう。
アーツを捌かれ、後隙を狙って強力なアーツを打たれれば、防御にステータスを割り振っていないロウは致命的なダメージを受けかねない。
《誘惑の細剣》の持つネームドスキルも、ロウのレアスキルも、標的に物理的なダメージを与えて初めて効果がある類のものである。
どうにもこの獲物には、ロウの手札では相性が悪いのだ。
しかし、ロウはPKプレイヤーとして、一度決めた標的は必ず殺すと決めている。
薮をつついて蛇が出たからといって、PKを諦める理由にはならない。こういう戦況がこれまでになかった訳でもない。
これまで殺してきた66人のプレイヤーたちと同様に、スクナを確実に殺しきるのだ。
どんなに醜くても、意地汚くても、最後に立っていればそれでいい。
(笑えない話よね)
湿地帯の異常を見に来たついでにPKして帰ろうとしただけだと言うのに、とんだじゃじゃ馬を引き当ててしまったものである。
己の手札を再確認して、迫り来る鬼人をしっかりと見据える。
切り札を持っているのはスクナだけではない。
殺す手段は確かにある。
故に、ロウは徹底的な持久戦を選択した。
☆
ロウが持久戦を選択したのは、私にとっては想定の範囲内だった。
どんなに私の敏捷が高くなったとしても、敏捷以外のステータスは全てロウに軍配が上がっている。
餓狼はあくまで私が即死しないために必要な手立てであって、1発でも貰えば餓狼の使用時間がガクンと落ちる私の方が明らかに不利なのだ。
まして、このゲームにはSPがある。
速く大きく動いた方がより大きく消耗する以上、餓狼の制限時間故に攻め続けなければならない私の方が苦しい状況を強いられ続ける。
そして、私より遥かに対人戦に手慣れているであろう目の前の少女が、自分より速い相手の対処を心得ていないなどと過信する訳にもいかなかった。
彼女の見せた手札と、これまでに綺麗に入った2発の蹴りのダメージから察するに、防御が薄めでスピード型の剣士であることは間違いない。
体捌きはそれほど上手ではないが剣速に関してはピカイチである辺り、器用も相当高いだろう。
近接戦闘も普通に油断ならない強さのはず。
綱渡りのように撹乱してきたが、ここからは純粋に崩さない限り攻撃は通らないと見るべきだ。
湿地帯に剣戟が鳴り響く。私はこの戦闘において、両手棍を使う事はしなかった。
手のひらを返すようだが、こと対人戦においてはあの武器は扱いづらいのだ。正確に言うならば、高速戦闘の中で攻め立てるのには向いていない。
武器全体の攻撃判定の広さという点で見た時、確かに両手棍はどこで殴っても火力が出るようになってはいる。
ではいざ戦いましょうとなった時、結局使うのは両端だ。
あの武器の攻撃範囲は《薙ぎ払い》のように棒全体で殴るアーツの時は非常に高い効果を発揮する反面、それ以外の場合は特に役に立たないのだ。
逆に、足を止めて殴り合うような近接戦闘では大きく強さを発揮してくれるとは思う。
対モンスター戦でも同様に、活躍の場は多いだろう。
ただ、今は回避に専念するロウを追いながら攻撃を両立させなければならない。
投擲武器も併用することを考慮すると両手が塞がるのは避けたいという思いもあって、せっかくの新武器をやむなく封じて戦っているのだった。
右袈裟気味に振り下ろした金棒が弾かれる。
後ろ回し蹴りと見せかけての足払いはバックステップで躱されるが、指で弾いた石ころが彼女の頬にカスった。
「っ!」
低くなっていた体勢をブレイクダンスの要領で跳ね起きさせ、ダメージに一瞬怯んだロウを追撃しようと試みるが、そんな私の攻めっ気を嘲笑うように返す刀が振るわれる。
それを金棒の棘で受け流し、さらに一歩踏み込んで横殴りの《叩きつけ》を繰り出す。
流石のロウも回避しきれずに剣で受け止めていたが、軽くは命中したのかHPが削れていた。
戦闘が始まって2分弱。私の残りHPは60%強残ってはいるが、ロウもまた同程度のダメージしか負っていない。
ロウの反応速度を考慮すると隙の大きすぎるアーツは使えないから、必然的に一番軽くて速い《叩きつけ》を使うことになるのだが、やはりクリーンヒットには至らない。
ここに少しでも木々があれば……と悔やまずにはいられないが、ここは平らな湿地帯。投擲アイテムも牽制以上の効果は発揮しづらかった。
「ふふ、このペースだとどっちが先に死ぬかしら」
「殺してみせるよ」
「素敵なお誘いね」
技と回避と言葉の応酬。見切りの速度で上回っていることと敏捷で勝っているおかげで私の方が攻めているように見えるが、現実はなかなか厳しい。
私の想像以上に、ロウは捌きが巧みだった。冷静に考えると彼女もまたネームドボスモンスターを倒したプレイヤーなのだ。相応のプレイヤースキルは持ち合わせているに決まっている。
こちらの攻撃も通っていると言うよりは通されているとでも言うべきか。クリーンヒットを避けるためにいくらかのHPを捨てている、ロウの上手さの結果だった。
濃密な時間が過ぎていく。剣戟は勢いを増し、まるで音楽でも奏でているかのように湿地帯に響き渡る。
追う私、追われるロウ。それは傍から見ればダンスでも踊っているかのようだったかもしれない。
こんな事を言うのもなんだが、その時の私は幸せな気分に浸っていた。
赤狼との戦いもそうだったが、脳みそをフル回転させて敵を殺すための道筋を立てていくのは楽しい。
リンちゃんが招いてくれた世界。窮屈なリアルではできないことを。ただそれだけを望んで飛び込んだ世界だ。
まだ足りない、使い切れていない。私の限界はここじゃない。もっと速く、疾く、鋭い攻撃を叩き込め!
気付けば私もロウも笑っていた。
殺し合いであるということさえ忘れて、笑っていた。
だからこそ。
お互いのことだけに集中しきっていたからこそ。
私達はソレに気付くことが出来なかった。
轟音と共に、湿地帯に絶望が舞い降りた。
☆
ソレは轟音と共に飛来した。
湿地帯が揺れる。ミサイルでも着弾したかのように、ソレの足元にはクレーターができていた。
そう、そのモンスターは空から現れたのだ。
漆黒の甲殻を纏いし巨大な体躯。
全てを切り裂くであろう、鋭利な爪。
瞳は黄金に輝き、尾を振るうだけで暴風が吹き荒れる。
誰もがその存在を知っている。
恐れの象徴。あるいは悪魔の化身。そして、古今東西の創作でうんざりするほど使われてきた、絶対強者。
《理の真竜・アポカリプスLv???》
それは、ドラゴンの襲来だった。