《殺人姫》
「不思議」
穏やかな声と共にレイピアを引いたゴシックドレスの少女は、自身の持つ武器を不思議そうに眺めてそう言った。
かと思えば一瞬で距離を詰めて私の首を取りに来るのを、金棒の真ん中で受け止める。
硬質な音を立てて衝突した武器はレイピアの方が一方的に弾かれ、そうかと思えば瞬時に引き戻されて突きが来る。
金棒を盾にしつつ半身になって躱し、そのままの勢いでしゃがみながら足払いをかけようとすると、剣の持ち主はふわりと浮かぶような優雅さで後ろに飛んだ。
「殺せないと思わなかったわ。完全に不意をついたのに。不思議。目がいいのかしら。勘がいいのかしら。不思議ね」
赤い唇に指を当てて首を傾げるのは、先ほど助けた少女そのもの。ゴシックドレスに身を包んだ私よりも小さな女の子である。
150センチくらいだろうか。改めて見ると、流れる金髪と赤い瞳が良く似合う、日本人離れした顔立ちのアバターだ。
まあ、別にこの辺りはキャラクリエイトでいくらでも弄れる範囲だけど、ゴシックドレスだけは明らかに生産品だろう。
「で、いきなり襲いかかってきてなんのつもりかな」
「ロウ。16歳。仲良くしてね」
「いきなり斬りかかってくるような子と仲良くする趣味はないなぁ」
「悲しい。私は貴方と仲良くしたいのに」
「まず斬りかかってくるのをやめようかっ」
音もなく駆け寄ってくる少女の連続突きを、両手で持った金棒を盾に受け続ける。
金属同士のぶつかり合いで何かの鳴き声かと思えるような音が鳴り続ける中、不意に少女の口が弧を描く。
嫌な予感がした瞬間、絶え間なく続いていた突きに空白が生まれた。
「《デストラスト》」
一気に引き絞られたレイピアが毒々しい紫のオーラを纏い、倍以上の速度で私に向かって突き出された。
「っぶない、なぁっ!」
突き出されたレイピアを、力づくのサイドステップで躱す。
無理な挙動で足首が軋むのを感じながら、技後硬直で固まる少女のお腹に全力で回し蹴りを叩き込んだ。
「あぐっ!?」
ごしゃっと何かが潰れる音を立てて叩き込まれた蹴りによって、少女は数メートル吹き飛ばされる。
しかし少女は地面に叩きつけられそうなところを片手で支え、軽やかに身を立て直して着地した。
「ゲホッ、ゴホッ……酷い事するわ」
「いや、なんか今明らかにやばいアーツ使ってたよね?」
「そうね。当たっていれば猛毒になっていたわ」
「ほら! 私悪くないじゃん!」
咳き込みながらも悪びれることなく笑みを浮かべる少女。
この少女との力関係はわからないけど、職業でブーストまでかかっている私の筋力から繰り出される攻撃はそれなりに通ったらしく、HPは1割弱が削れている。
けれど、少女の口から笑みが消えることはなく、軽口を叩ける程度には余裕があるようだった。
「貴方、名前は?」
「……スクナ」
「そう。スクナね。じゃあ、改めて名乗りましょう。私はロウ。《殺人姫》と呼ばれることもあるけれど、貴方にはロウって呼んで欲しい」
「殺人……レッドネームね。デメリットしかないのによくやるよ」
デスペナルティはステータスと経験値をわずかな時間制限されるだけでしかなく、街中が安全地帯のWLOにおいて、プレイヤーキルは本当にメリットのない行為だ。
それどころかPKプレイヤーは街に入れず、街の近くで騒ぎを起こせば衛兵NPCによって捕獲されて所持金と所持アイテムを全て失う。
モンスターにやられてリスポーンしても衛兵NPCに捕まり、同様の措置を受ける。
その上プレイヤーにPKされれば所持金とアイテムを全てロストし、レベルが半減する。
旨みという点では何一つの旨みもない。それがこのゲームでのPKというものだ。
「メリットならあるわ。好きなように人を殺せる。それが私にとっては何にも代えがたいメリットだもの」
少女――ロウは、クルクルと手の中でレイピアを弄びながら、息をするようにそう言った。
その瞳は酷く純粋で、嘘偽りなど欠片もないように思える。
「少しだけ本気で行くわ。スクナなら死なないと思うの。生き残ってね?」
言葉と共にレイピアを構えたロウに対して、私も本気でやる必要があることを理解した。
意識が切り替わる。
ロウが望んでいるのは殺し合いだ。
殺らなければ殺られる。ゲームだと言うのに、そう実感させられる。
ロウの発する純粋な殺意は、ゾッとするほど冷たく透明だった。
瞬間、目の前に現れたロウの切り上げを、間に金棒を挟むことで防ぐ。
見えてはいたし、反応もできた。だが、先程までの緩やかな動きと比してあまりにも速すぎる。
防がれるのは想定のうちだったのか、いつの間にか反対の手で持っていた短剣を、身体ごと反回転しながら薙ぐように振るわれる。
バックステップで躱そうとして、背筋に走った悪寒に従って既のところでその手首を抑えた。
短剣は囮だ。本命はバックステップやスウェーバックで空いた体に、体の後ろに隠したレイピアで刺突を叩き込むこと。
互いに半身になって膠着状態に陥る。
状況を打破したのはロウの方だった。私の腕をレイピアで刎ねようとした所で私が手を離したので、そのまま後ろに飛び退いた。
「串刺しに出来ると思ったのに」
心底残念そうに呟くロウは、しかしその瞳に爛々とした煌めきを灯している。
感情に合わせてゆらゆらと揺れるレイピアの剣先から、燃え上がるような興奮が見て取れた。
「そう簡単には行かないよ」
「あは、そうでなくっちゃ。もうひとつ上がるわ、付いてきて」
そう言って突っ込んできたロウが選択したのは乱撃戦だった。
本来刺突に特化しているとはいえ、レイピアは両刃の剣だ。
だから、使おうと思えば切り裂くのにも使えるし、現にロウはかなりの頻度で刺突ではなく斬撃を選択している。
しかしそれはあくまで、そういう風に使えると言うだけの話に過ぎない。
細身の刀身は少なくとも打ち合うための構造ではないし、耐久度に支配されるゲームとはいえ細い武器よりは太い武器の方が打ち合いに対しては頑丈なものだ。
その点で見れば、少なくとも乱撃戦に耐えうる構造をした武器ではないはずなんだけど。
わずか1分の間に数十を超える剣戟を防がれても、彼女は焦りの感情など欠片も見せなかった。
「随分と、頑丈な、レイピアだねっ!」
「ええ、お気に入りなの。見て分かったわ。スクナの防具と同じものよ」
どこか嬉しそうに、ロウはそう言った。
私の防具はネームドボスモンスターの素材をフル使用した、現状最大級の化け物スペックを誇るシロモノだ。
髪飾りまで含めて、《魂》という激レアドロップを使用した、正真正銘の壊れ装備である。
同じ物を持っているのは、子猫丸さん曰くゲーム内では私を除いて3人のみ。
それはつまり……。
「ネームドウェポンか」
「ええ、そう。《誘引の毒蛇・ヴラディア》っていう、パーティネームドを殺して作ったの。流石に友達の手を借りたけれど、アレも素敵な戦いだったわ」
攻撃の手を止めて刃を撫でるロウは、酷く機嫌良さそうに己の武器の出自を語った。
というか友達がいるのか。友達がいたのか。
レッドネームの友達なら厄介極まりないな。
そうでなくとも少なくとも1人以上、ネームドと対等にやり合える友人がいるってだけで驚きだ。
「《誘惑の細剣》。それがこの武器の名前。『切り付ける度に相手の状態異常耐性を下げる』、そんな効果を持った刃よ」
「……なるほど」
それは確かに強力な効果だ。
毒、麻痺、睡眠の有名どころだけでも、相手の耐性を無視して与えられれば大きな効果を生み出すだろう。
ただ、恐らく《魂》を投じて作りあげたのであろうネームド武器の持つ効果としては、少し弱いようにも思えた。
「これ単体ではあまり効果がないように見える? ふふ、スクナもネームドを倒したなら知っているでしょう? ネームドを倒すとレアスキルが手に入るの。ヴラディアの報酬で手に入ったのは《毒蛇の滴り》ってレアスキルでね。その効果は『MPを消費して武器に毒属性を付与する』っていうシンプルな内容。これだけでも強いけれど、誘惑の細剣と合わせれば……ね?」
見せつけるようにレイピアに紫のオーラを纏わせるロウ。あれが今語った《毒蛇の滴り》というスキルの効果なのだろう。
となると、先程私に打ち込もうとした《デストラスト》という突きのアーツは、それ自体には毒属性はないと見るべきか。
全く笑えない話である。発動は任意のようだし、武器の効果は誂えたようにスキルと噛み合っているし、ネームド装備の耐久から考えて武器破壊も望めそうにない。
そしてそれらを併せ持っているのが、推定で私よりステータスの高いレッドネームプレイヤー。
なんの冗談だと笑いたくなるほどに、今の私の状況は厳しかった。
「で、それはバラしちゃってもよかったのかな」
「それなりに有名なのよ、私。今更隠す必要もないくらいに。それに、こんなのはモンスターを嬲る時と、雑魚を甚振る為にしか使えないわ。スクナみたいなプレイヤーには大抵通じないし、雑魚は知ろうが知るまいがどうせ死ぬの」
「自信家だね……それだけの実力がある、それだけの事なんだろうけどさ」
この少女と戦っていて、実感したことがある。
彼女の戦い方はよくも悪くもとても丁寧で、そこに突き詰めた合理性と意表を突く不意打ちを織り交ぜている。
だから、簡単だと言うつもりはないけど、ありえない角度から攻撃は飛んでこないし、見えてさえいれば見た目の速さほど攻撃を捌くのは難しくない。
ただし、厄介なのはそれらが非常に高いステータスに合わせて襲いかかってくるという事だ。
はっきり言って私なんかよりも遥かに高い物理ステータスを保持している。それも人族でありながら、赤狼装束によってステータスを上昇させている私よりもだ。
多分、リンちゃんよりもレベルの高いプレイヤーと見て間違いはないだろう。
いくら攻撃が捌きやすい類だと言っても、このまま長時間彼女の攻撃を受け続けるのはなかなかに骨が折れる。
かと言ってこのステータス差で安易に突っ込んでも、簡単に攻撃をかわされるのがオチだろう。
《月椿の独奏》によるSP半減を持ってしてもなお、有利を取れるかは微妙なところだった。
腹を括るしかない。
どうせ失うものもなし、せいぜい足掻いてみるべきだ。
「ねぇ、ロウ」
「あはっ、なぁに? 初めて名前で呼んでくれたわ」
「秘密を教えてくれた代わりに、私も秘密を見せてあげる」
「本当? とっても嬉しい」
顔を綻ばせるロウに対して、私はなんともため息をつきたくなる気分だった。
正直なところ、使いどころがこんなに早くなるとは思っていなかった。
けれど幸いなことに、今の私は配信をしていない。
切り札を切り札のままにしておけるという点では、ここ以上に使うべきシーンもないだろう。
もったいないという気持ちはある。けど、私はどうしても、出し切ることなく彼女に負けるのが嫌なのだ。
発動のキーはたった一言。
私はそれを、高らかに謳い上げた。
「《餓え喰らえ、狼王の牙》」
瞬間、私の体を赤いオーラが包み込む。
レアスキル《餓狼》。赤狼アリアから貰った……自身のHPを消費して、最大5分間筋力と敏捷を跳ね上げる諸刃の剣。
全身を包む高揚感が、ステータスの変化を如実に伝えてくれた。
「それが、スクナの切り札なのね」
「正真正銘の、ね」
「本当に素敵だわ。胸がキュンとしちゃう」
うっとりとした表情で、ロウはそう言った。
それ以上言葉はいらない。
いや、交わす余裕すらありはしない。
互いに視線を交わすと、殺し合いが始まった。