ゼロノア防衛戦線『幕間』
あの深淵に飛び込んだ瞬間、私はあらゆる慣性を失い、ただそこに立たされていた。
漆黒の空間。
影でできた部屋の中。
「やっぱり来たんだね。うん、そうだろうと思ってた」
私はそこでひとりの少女と対面していた。
その容貌は見覚えしかないもので。
だって私は彼女の手から直接クエストを受注してこのドスオルカ活火山に来たんだから、見間違えるはずもない。
クライネ?
いいや、違う。
クライネの姿をしたナニカ。
本人でないことはひと目でわかった。
なにしろその頭には黒い狼耳がぴょこんと立っていて、隠しきれないほど大きく柔らかな黒尾も見えている。
ソレはこの漆黒の空間の中で輪郭だけが不思議と見える椅子に足を組むような不遜な姿勢で座っていて、けれど座っているが故に見上げるようにして私のことを見つめていた。
「……ロンド、だよね?」
「うん、そうだよ。初めまして、異邦の旅人。僕の領域にようこそ」
明るく。
とても朗らかに。
歓迎の意さえ感じ取れるほどに、黒狼は両手を広げてそう言った。
「噴火は、君が?」
「わかってて聞くのはどうなんだい? 竜の怨念の目覚めと僕の目覚めが被ったのは偶然……ではないけれど、少なくともアレが目覚めて今まさにゼロノアに向かっているのは僕の仕業ではないよ。火山は僕の縄張りでもあるんだ。ただでさえ入口の張り直しは面倒なのに、わざわざマグマで満たす理由はないでしょ?」
「確かにそっか」
クライネの話では、黒狼が自らの住処への道を作り直すのではなく隠して再利用している理由は、とても大きなリソースが必要になるからだそうだ。
その発言に間違いがないのなら、自ら噴火を起こさせる理由は皆無。あの怪獣の目覚めは少なくともロンドの仕業ではないんだろう。
サラマンドラという名前に聞き覚えはないけど、これは十中八九さっき出てた大怪獣のことだろうね。
「さて。君はここに戦いに来た、と考えていいのかな?」
「あれだけ挑発しておいてそれを聞くの? まあ、そうなんだけどさ。その身体の持ち主に頼まれたのと……もちろん、私自身の為にもね」
「ああ、この子か。えへへ、いいでしょ? もう何年前になるかなぁ……僕は一年に一度だけ『食事』することを許されているんだけど、本当に偶然縄張りを通り過ぎるこの子を見つけてね。ほとんど衝動的に食らいついてしまったんだ」
「……他の人と何か違うの?」
「違うよ。全く違う。この子は特別。確か……クライネだったかな、この子は影の才能を持って生まれた稀有な子なんだ」
影の才能。
影魔法を使う才能、ってことかな?
そんな聞き馴染みのない言葉に内心首を傾げていると、ロンドは話を続けた。
「影属性は極めて習得が難しい属性でね。光属性を順当に育てることで習得できる陽光や月光とは違って、発現には特殊な条件が必要なんだ」
「そういえば、クライネも言ってた。影属性はモンスターにしか無い特性だ、みたいな感じで」
「うん、君らがそう感じてしまうのも無理はない。何せ君らと僕らでは前提が違うからね。でも、君はもう知っているんじゃないかな? モンスターでもないのに影属性を扱える存在を」
影。と言われると、まあ思いつく人物はひとりしかいない。
「……メルティ」
「正解。彼女は吸血種ではあるけれど、モンスターではない。そう、人は影属性を扱えるんだ」
なんと言ってもメルティは住んでいる世界からして「影の世界」な訳で。
私との戦いでは使わなかったけれど、私との遭遇時には影を自在に操っていたんだから、能力として影を操作する力を持ってはいるはずだ。
そもそも吸血種という種族は「人」に数えられるのか……? という疑問はあるものの、鬼人も獣人もエルフも人族もまとめて「人」なのであれば、この世界の吸血種もきっと人なんだろう。
「そうだな、君たち風に説明するのなら……エクストラレアスキル『影魔法』。これが影属性と呼ばれるものの正体さ」
「それってつまり、神……魔神の系譜ってこと?」
「おお、博識だね。その通りだよ」
「じゃあ……ロンドも?」
「それについては影魔法そのものについて話さなきゃいけないな」
ロンドがそう言うと、ひとりの……魔導師風の姿をした少年を模した影の人形が地面からせり上がってきた。
「かつて魔神と呼ばれた人族の少年が『影属性』というものを定義した。その時、影に属する存在はみな『影魔法』という力を押し付けられたんだ。種族の特性とされていた力が、スキルという形に整理されたとも言えるね。弱い影しか使えなかった者にとっては新たなポテンシャルの獲得、でもメルティのような怪物にとっては意味の無いものだった。もちろん、僕にとってもね」
魔神。魔法使いの職業神。そういえば前にクライネは影魔法を作ったのはその魔神なのだと言っていた。
属性を定義する、というのがどんなことなのかは想像もつかないけれど、ロンドの話しぶりからすると、モンスターにとってはかなり衝撃的な出来事だったんだろうね。
「影属性は光と闇の混合属性。人族においては双方の適性を生まれ持つ存在が、魔神から見初められるほどの才覚と共に生まれ落ちた場合にのみ発現する力になった。光と闇の相反する才能を持つだけでもレアなんだから、ましてや……ね」
「……で、クライネはそれに当てはまる存在だったんだ」
「うん。僕が喰らったことで彼女が影魔法を使えるようになったのは副作用みたいなものかな。生まれ持ってその身に刻まれたスキルとはいえ、影魔法自体は鍛錬しなければ解放されないものだ。その影魔法を解放するのに必要な熟練度が、僕との繋がりによって無理やり埋まってしまったんだろうね」
「ある種のバグみたいなものかな……」
私が赤狼アリアを倒したことで結果的に酒呑童子との繋がりや絶対破壊という権能との繋がりを得たように、クライネもまた「喰われる」ことで黒狼との繋がりを得た。
想定外が起こりうる世界であるということは、随分と前からわかっていたことだしね。
「影属性についてはわかったけど、なんでクライネの姿なの?」
「人化をするならなるべく過ごしやすい体がいい。とりわけ僕は特別だからね。これ、という身体を決めておかないと自分でもよくわからなくなっちゃうんだ」
「ふーん……?」
そういえば、ノクターンも最初に出会った時は人型だった。
元が狼ならそっちの方が過ごしやすそうなものだけど、人型である方が快適だったりするんだろうか?
自分が狼になるようなVRゲームをやって見たら気持ちがわかるかもしれないなぁ。
なんてことを考えていると、少しだけロンドの雰囲気が変わった気がした。
「目が覚めた時に妹が既に倒されていたと知った時は驚いたよ。その上ノクターンまでもが君と戦い、敗れた。鬼神子、なんて御伽噺でしかなかった道が切り開かれ、母の護る酒呑童子の封印も手が届かない幻想ではなくなってしまったね」
母。
というのは恐らく、文脈的に天枢の狼王レクイエムのことなんだろう。
そして妹はさしずめアリアのことか。
少なくともロンドの認識では、狼王たちはそういう関係にあるわけだ。
「こんな伝説を聞いたことはあるかい? 狼王レクイエム……我らが母はかつて、酒呑童子の気まぐれに助けられた弱々しい一匹のウルフだったという。苛烈な神代を生き抜き、いつしか王狼と呼ばれるほどに強くなり、大恩ある彼女の傍に並び立つかと思われた頃、神代はその酒呑童子によって終わったんだ。そうして母は皮肉にも、酒呑童子の封印を護る七星王へと昇格した」
ロンドが話しているのは、この世界の昔話。
レクイエムという存在の視点からすると、どうやら酒呑は命の恩人であり、彼女のために強くなった。
でも、酒呑童子と話をした感じ、レクイエムという存在は彼女の中ではそれほど大きなものとしては語られなかった。
つまり実際に彼女たちは直接大きな関わりがあったわけではないんだろう。
「かつての大災によって命を落とした、両面宿儺と呼ばれた鬼へ捧ぐものであり、滅び去った時代そのものへの哀悼であり、二度と戻らないかもしれない酒呑童子に向けた、鎮魂歌。ふふ、我が母ながらなんて健気な名前だろうと思うよ」
話しぶりとは対照的に、ロンドは心の底から面白いと言わんばかりに笑っていた。
「独奏歌、輪舞曲、幻想曲。夜想曲に聖譚曲。僕らにこの名を授けた母の夢見がちな性格には娘として思うところがないでもないんだ。元より眷属であった日月の二人と違って、僕らは母の分霊である分尚更ね」
まあ、確かになかなか乙女チックというか、とても感傷的な名付けだなとは思ったけど……。
笑い飛ばしていたということは、もしかするとロンド本人はあまり気に入ってない名付けなのかもしれない。
それにしてもこのネームドボス、本当によく喋る。
純粋な闘争心や超然とした雰囲気をまとっていたアリアやノクターンとは異なり、普通の少女であるクライネの姿であることも相まって、なんというかとても俗っぽい雰囲気だった。
「ああ、ごめんごめん。如何せん僕らはアリアと違っていずれ倒されてしまうからさ。人と話す時はついつい長話になっちゃうんだ。誰だって今の自分を遺したいと、そう思ってしまうものだろう?」
「……? どういう……」
「名持ちであることにはそれなりの意味があるってことさ。例えば、ノクターンは次君に会ったとしても君のことは覚えていないだろう。なぜなら僕らは死ねば名持ちに成った時まで記憶が戻ってしまうからさ」
「え……」
どこかで聞いたような、聞いたこともないような。
そんな、ネームドボスに関する情報。
所詮は何度も戦えるモンスターだけど……そっか、戦いの記憶さえ無くなってしまうんだ。
「記憶、つまりは生きた経験。名持ちのモンスターが初めて異邦の旅人に倒された時、君たちはその経験の結晶化と共に彼らの生きた証を手に入れることができる。人の言葉でいうところの《魂》と言うやつだね。君もいくつか手にしたことはあるだろう? その装備からよく伝わってくるよ」
「私達の中では、初討伐ボーナスってことになってるよ」
「あはははっ、それもあながち間違いではないかな」
「その言い方だと、異邦の旅人じゃない……この世界の人が名持ちのモンスターを倒した時も、《魂》は落ちるの?」
「うん。そうだな……だいたい倒されずに一年ほど生き残ったら確実に手に入るようになるんじゃないかな?」
それは、こんなところであっさりと判明してしまうには勿体ないほど重要で、貴重な情報だった。
ネームドボスの落とす《魂》の持つ価値は、今更言うまでもない。それが確実に手に入る理由。
言ってしまえばゲーム的なメタな理由で私たちはそれを「初討伐ボーナス」として扱っていたけど、世界観的な理由がちゃんとあったのだ。
「僕も何度か倒されているから定かではないけれど、僕の記憶が正しければノクターンは700年死ぬことなく在り続けた。それは鬼人族や妖狐族との従属関係によるものであり、社のある位置によるものであり、そもそも月に一度しか降臨しない性質もひとつの要因ではある訳だけど……彼女はレベルの割に強かっただろう? そして、その蓄積は倒されることで君たちに還元されたはずだ。彼女を倒した時、普通ではありえないような報酬が手に入ったんじゃないかな? ……はは、図星って顔だ」
忘れるはずもない。
私はノクターンを倒した報酬として、彼女の《魂》を3個も手に入れた。
そして私以外の三人、ロウ・アーちゃん・ドラゴさん達も《魂》を手に入れる事が出来ていた。
私達はその多すぎるほど多い報酬を前に「仕様が変わったか、特別なボスだったからそうなったんだろう」なんて推測を立てたわけだけど……。
「さっきも言ったけれど、僕ら名持ちのモンスターはこの世界で生きている。レベルやステータスこそ変わらないけれど、生き続ける限りは生命活動を行うし、経験と知識を蓄積する。一度死ぬまで、延々とね。そうして溜め込んだ蓄積が君たちに倒されることで結晶化したものが、君達が初討伐の時に手にした《魂》なんだよ。もちろん、蓄積とは関係なく《魂》が手に入ることもあるけれど……知っての通り確率は高くない」
それを聞いて、私はノクターンが積み重ねてきた年月を想うと同時に、かつて使徒討滅戦の際に巨竜アルスノヴァが固有の《魂》をドロップしなかったことを思い出した。
使徒討滅戦の使徒は間違いなくネームドボスモンスターだけど、そのドロップは固有の《魂》じゃなかった。
セイレーンの騎士であるゴルド曰く、使徒は侵攻の度に産まれる、あるいは作られているような口ぶりだったし、もしかするとそれも「蓄積」が存在していなかったからなのかもしれない。
そして、もうひとつ。
私は少し心躍る事実にも気がついていた。
「つまるところ、名持ちのモンスターは初めて戦うときが一番強いってことだよね」
「あはは、もちろんそういうことになるね。……さ、それじゃあそろそろ始めようか」
ロンドはそう言うと先程まで座っていた椅子のような何かから立ち上がり、パチンと指を鳴らした。
すると、暗幕が上がるように周囲の漆黒の空間が切り替わった。
溢れ出る熱気、そしてゴボゴボと沸き立つマグマ。
それはさながら、火山の火口をそのままくり抜いてコロシアム型にしたような、灼熱のバトルフィールド。
けれどここはドスオルカ活火山ではない異空間だと、私の五感が告げていた。
「僕はロンド。影に生まれ、影を司る王狼。この火山の支配者のひとり」
《群像の黒狼・ロンドLv120》
「おいで、君に『群れ』の強さを教えてあげる」