ホンモノ探し
この建物の外壁を登るにあたって、パッと思いつく問題は二つ。
ひとつは「登れるのか」。
もうひとつは「登ってもいいのか」ということだ。
まず前提として、単純に建物として見たならこの商館は問題なく外壁から登っていける構造だ。
窓もあるし、縁もある。外壁自体もそれなりに掴めそうな取っ掛りはある。
というかツルッツルで窓のないビルとかでもなければ、レベル100超えのステータスで登れない建物なんてまず存在しない。SP消費もあるから、一概には言えないけどね。
だから「登れるのか」という観点で見た時の問題点は、主に建物自体に登れないような制限がかかっていないかということ。
例えば「外壁に掴まると異様にSP消費が早まる」とか「そもそも外壁を掴めない仕様」、そして一番ありそうなのが「商館周辺に高度制限がある」パターンだ。
というのも、メルティからもらったレアスキル『空中闊歩』のスキル説明から、この世界のフィールドには高度制限がかかっている場所があることが判明している。
基本的にはダンジョンやフィールドでギミック解放前提の高所に行けないようにするための縛りだとは思うんだけど、それが街中に設定されていないとも限らないよね。
「まあ、こればっかりはやってみなきゃわかんないからいいとして」
もうひとつの問題。「登ってもいいのか」について。
これはもう至ってシンプルな話で、この世界の建物の外壁って勝手に登っていいの? という話。
まあ遺跡とかはいいんだろうけど、街中の建物となると一応ひとつひとつに所有者の権限があるわけですよ。
それをよじよじと登っていっても問題ないのか? という疑問が浮かぶのは当然のことだと思う。
「警備員さんはいっぱいいるんだよね……」
「そりゃあ高級店だもの」
「ちなみにルール的にどうなの、登るのって犯罪になる?」
「商館の案内には特段明記はされてなかったわよ。街のルールとしても『建物には登らないでください』とは書いてなかったわね」
「まあもうこれに関しては常識とか良識の話だからね……」
『草』
『スクナがリンネに常識語ってて草』
『なんも考えてないように見えて色々考えてはいるのね』
『一応スクナってゲーム内の拘留歴あるもんな』
『†街中でNPCを攻撃した罪†』
『意外と常識的なところある』
「商館の所有者さんに登っていいか聞いてみるとか?」
「今から誰か調べるの? 仮に誰かの所有物だとしたらそもそもここにいない可能性の方が高いし、街自体の所有物だったとしても、仮にダメだった場合はただの犯罪予告になるんじゃない?」
「だよねぇ……」
『まあ「登っていいですか」とか聞いてきたら警戒するわな』
『仮に犯罪じゃなくてもこいつ何言ってんだって目で見られそう』
『容易に想像できてしまう』
『むしろ言ってきて欲しい』
そんな感じでごちゃごちゃと考えてはみたけど、こうしてでっかい建物を下から眺めていると感じるものもあるわけで。
「まあいっか。私も登ってみたくなってきたし」
「ふふっ、そう言うと思ったわ」
『あれ?』
『草』
『取り戻した常識を秒で捨てた女』
『結局こうなるやんけ!』
『あかんやん』
「ちょっとだけ警備員さんの気を逸らしてもらえる?」
「了解。どこから登る?」
「うーん……あっちがいいな」
私はそう言って、商館の東側を指さした。
さっきこの建物の構造を把握した時に、一番警備が薄そうな場所は見つけている。
リラ=リロ商館は日本のよくあるデパートと違って、四方に出入口があるわけじゃない。
一般的な出入口は、街の南側から向かった時に到達できる一箇所だけ。
それから今は閉まっている大きな出入口が北口方向にあるけど、これは多分商品の搬入口。
この二箇所に関しては重要な場所だからか、特に厳重に警備が敷かれてる。
逆にそれ以外の東西の壁に関しては、本当に最低限の警備しかないのがわかっていた。
とはいえリラ=リロ商館は市場のど真ん中にあって、どの方向から市場を抜けてきても人が溜まりすぎないように、商館の周辺は広場のようになっている。
警備の目は手薄とはいえ、商館の東側にだってNPCやプレイヤーを含め人の視線自体は多すぎるほど沢山あった。
「25秒後ね。一瞬だけ人の目を集めてあげる」
「よろしく!」
リンちゃんはそう言って人混みに紛れていった。
その間に壁を見て、少し触ってみて、最悪の場合でも掴めば引っかかるくらいには摩擦があるのもわかった。
(登るルートは問題ない。よっぽどの防壁がなければ登れるね)
概ね確認が終わった次の瞬間、パァン! と爆竹でも弾けたかと思えるほど大きな破裂音が響いた。
「何事だっ!」
警備員がそんなことを言いながら音の中心地に走っていく。反応がテンプレでちょっと面白い。
(爆音……まあ、古典的なのが一番やりやすいよね)
そんなことを考えながらまずは思い切りジャンプして、空中に着地する。
(壁をよじ登るってなるとなかなか速度が出ないけど、私には空中闊歩がある。壁キックの要領で空中に足場を作ってあげれば……)
空中闊歩は足で空を踏めるスキルじゃなくて、空中に足場を生成するスキル。
窓の縁みたいな足を乗せられるところは建物のものを使用して、よじ登らなきゃいけなさそうなところは空中に足場を作ってサクサク跳ね飛ぶことで、単によじ登るより遥かに早く登っていける。
「ほっ、よっ」
『思ってたんと違う!』
『空中浮いてないか?』
『↑今のスクナは浮けるんやで』
『は、はや』
『なんかアクションゲームでこういうステージあるよね』
『実際にやって足滑らせたらと思うとタマヒュンする』
「ほい到着。結果論だけど、なんの制限もなかったね」
屋根の上に登るまで17秒。
空中闊歩は最近になってちょくちょく使う機会が増えてきたスキルなんだけど、思った以上に便利なスキルだね。
「リンちゃんも上手いこと逃げられたみたいだね」
チラッと地上を見たら、リンちゃんが雑踏に紛れて市場から少し離れていくのが見えた。
あの音を出したアイテムがなんだったのかはちょっと気になるけど、今は一旦忘れよう。
ここがこの街でいちばん高い場所。
目測で73メートルってところかな。
高いとは言っても、普段暮らしてる部屋の方が高い位置にある訳で、高さそのものに感動することはない。
でも。
「流石に綺麗だねぇ……あれがドスオルカ活火山で、あっちがグリフィスの方か。そんで聖都に行く前にはでっかい山がありますと」
『暗視モードだから感動薄いっス』
『ほんとに円形の街なんだな』
『活火山とかいうレベルじゃないやろマグマの海やんけ』
『なんなら今もドッカン噴火してるのが見えますねぇ!』
『なんやあのクソデカ山脈』
「あっ、そっか。夜だからみんなはあまり綺麗には見えないよね」
この街で一番高い場所からの景色に少し感動していたんだけど、よく考えるとリスナーのみんなは夜間配信用の暗視モードみたいなのを通してるから、私ほどの感動はなかったかもしれない。
「よし、じゃあいつまでもここにいて怒られないとも限らないし、ちゃっちゃと始めちゃおっか」
商館の屋根の上を少し歩いて、街の中心に限りなく近い場所まで移動する。なんかこういうちゃんと三角形の屋根って久しぶりに見るな。
立ったままだとどうなるかわからないから、念の為倒れても転がり落ちないようにしゃがんで。
ひとつ深呼吸を挟んでから、私は全力で感覚を解放した。
☆
スクナにとって最も頼れる武器はそのずば抜けた身体能力や耐久性ではなく、鋭敏な五感。その中でもとりわけ信頼を置いているのは『視覚』に他ならない。
その瞳が集積する情報量は、『天眼』というこの世の情報そのものを知覚する眼を持つメルティでさえ驚愕するほどのものだ。
常人が視覚から取り込む情報量は、全体の約8割と言われている。聴覚や嗅覚、触覚、味覚から得られる情報は残りの2割以下に過ぎない。
そしてスクナの場合は更に瞳に情報量が偏る。
あまりに精緻で詳細な情報を自然と集めてしまうが故に、占める割合は9割を超える。
だからこそ。スクナが完全に視覚を遮断すると決めた時、スクナの情報処理能力は実に9割以上が空白になる。
その空白の領域を、他の感覚を用いるために使う。
スクナはそっと地面に手を付き、伝わってくる僅かな震えを触覚で受け取り、残る全ての情報処理能力を聴覚に振り切った。
(1……3……5……7…………これで10キロ。まだ行けそうけど、街は覆いきれたかな)
自身を中心に、半径10キロメートル。
直径20キロの半球上の全ての音をキャッチする。
訪れるのは形容するのも難しい程の音の暴力。もたらされる情報量は、もはや音の洪水などというレベルではなく。
強いて喩えるのなら台風やハリケーンを思わせる、乱気流の如く絡み合ったそれらの音を、スクナは一本ずつ紐解いていく。
(ヤバいな……フィルターかけなきゃ1分も持たなさそう。ここがいちばん高い訳だし、ここから下だけ音を拾えばいいよね)
最初に環境音をフィルタリングする。半径10キロともなれば、その体積の大半を占めるのは地上ではなく空中だ。
風がぶつかり合い、渦を巻く。今日は比較的無風とはいえ、大気は決して無音ではない。
よってスクナはどの角度から耳に届いた音なのかという判定を用いて、不要な雑音を早々に排除することにした。
(これでよし。建物の中……も公共施設以外は切っていいな。生活音もなるべく消す。人の動作音と声だけを拾おう。足りなかったら増やしていけばいい)
あの少女の群れが入り込めるのは、どうやらプレイヤーが入り込める範囲まで。プレイヤーに本体を探させる以上、プレイヤーの侵入不可エリアに存在されても困るので当然のことではあるのだが。
であれば、そのエリアから鳴る音は全て対象から消していい。これでほとんどの情報を絞り切れる。
(足音や衣擦れの音の質から感じられる街全体のあの子の数は、全部で1022人。『ホンモノを探して』って言葉を、私が感覚を広げてから口に出した個体は8人だけど……多分もう少し居るよね)
対象を街中の人型生物から、さらにその1022人付近に絞る。
プレイヤーに捕まっている個体はその会話の内容まで、そしてそうでない個体は何をしていてどこへ向かっているのか。
(16……18……ああ、なるほど。このリズムの個体が『ホンモノ』を言う個体なんだ。OK、じゃあ総数は30だね)
全ての個体が同じ装備、同じアバターを使っていて、同じフォームで逃げ回っているように見えるから、聞こえる足音も同じように思える。
けれど実際のところ、足運びのリズムが若干違うことにスクナは気がついた。
地面に足が着いた時の音そのものは、足場ごとの性質による差異──例えば石畳なのかカーペットなのかなど──を考慮すると、どれも差異はない。
ただ、その音が聞こえてくるリズムが僅かに違う。徒歩でも、走って逃げている時でもだ。
(1022のうち30……まで絞ったのはいいけど、肝心の本体はどう絞ろうか。とりあえずこの30人全部に接触してみるしかないか……?)
ただ逃げ回ったり、笑っているだけだったりする約990人。
本物を探すように伝えて回る30人。
ホンモノを探して、と告げ回る30人の偽物を特定できたとはいえ、肝心のゴールが見えない。
1022人全員を捕捉しながらでは、なかなか頭も回らない。かなり絞ったとはいえ、処理しなければならない音の量は引き続き膨大だった。
(……そういえば、この30人、八割近くが上層に居るな……)
ふとした拍子に、スクナは気付く。
音ばかりに集中していたが、どうも少女の分布が偏っていることに。
いわゆる「ホンモノちゃん」は八割近くが街の上層部、ひいてはオルカ市場とリラ=リロ商館の中に居て。
それ以外の個体は全員が中層より下にいる。
(偏りすぎじゃない……? いくらなんでも、偏り方がおかしい気がする)
重要そうなNPCはほとんどが上層に固まっていて、それ以外は中層以下に。
こんなにも露骨に、配置の偏りがあるという事実。
「……ああ」
それが、スクナの犯した致命的なミスを浮き彫りにする。
「なるほど」
スクナはそう呟くと、ゆっくりと立ち上がる。
目を開き、感覚を普段通りまで戻してから、改めて自身を中心に半径100メートルほどの範囲で聴覚を張り巡らせた。
同時に、今回は視覚にも多大な集中力を割く。いいや、聴覚と視覚だけでなく、あらゆる感覚を総動員していた。
『どしたん』
『???』
『なんかすごいことをやってるのはわかる』
『とりあえず後方腕組みでもしとくか……』
先程までの目をつぶって地面に手をつく、明らかに何かを探知しているようなポーズをやめて、ぼんやりと立ち尽くすようなポーズに変わったスクナを見て、視聴者も何かが変わったことには気づいたものの、何が起こっているのかはわからないまま。
10秒。20秒。30秒。
1分ほど経過しただろうか。
謎の緊張感がリスナーに走る中、不意にスクナはこう呟いた。
「そこか」
言うが早いか、建物の中心から南方向……つまり、下に一般の出入口がある方へと屋根を歩いていく。
屋根の縁から2メートルほどの位置で止まると、スクナはおもむろに金棒を手に取る。
そして何かを切り払うように真横に向かって薙ぎ払った。
パリン! と、ガラスが割れるような音と共に、空中にヒビが入る。
ヒビは少しずつ広がっていき、最終的にガシャン! と音を立てて、大量の鏡が崩れ落ちた。
鏡の壁の中から出てきたのは、冷や汗をかいて座り込むひとりの少女。
その姿は紛れもなく、この街に今1022人の分身が蔓延っているあの「少女」のもので。
「これで見つけた、ってことでいいのかな?」
「……う、うん」
笑顔のまま問いかけるスクナに、少女は怯えた様子で頷いた。