お誕生日配信③
「お試しの体力テストだったけど楽しかったね〜」
「はい! 鍛えるだけは鍛えてましたけど、久しぶりにナナねぇの運動するところを見られて幸せでした!」
和気あいあいと喋る二人を尻目に、リンネはあえてそれっぽさのためだけに用意したバインダーと記録用紙を眺めていた。
残る50m走と上体起こしに関しては、比較的無難な記録に落ち着いた。
ナナは50mを2.1秒。上体起こしは80回。
トーカは6.2秒の48回。
すうぱあは10.2秒の7回となった。
思ったほどナナの記録が伸びなかった理由は、まず第一に50mでは距離が短すぎて加速しきれなかったからだ。
もちろん本気を出せばもっと速く走ることはできる。が、他の競技もナナは特に本気では取り組んでいない。どの競技に対してもあくまで流す程度に留めている。
上体起こしに関してはもっと単純な理由で、この場にナナの身体をちゃんと押さえられるメンバーがいなかった。
反動なしで回数を重ねるのは物理的に難しく、反動をつければまず押さえられる相手がいない。シンプルな筋力だけでやってみた結果が80回という数字だった。
(中学の頃から、ちゃんとした計測には相応の設備が必要だったしね。設備無しならこんなもんでしょ)
疲れない程度に手を抜きながら、というあまりあてにならない比較にはなるものの、やはり中学の頃の同程度のやる気で出された記録よりは遥かに数値が向上している。
成長。こちらの世界でこれ以上成長する意味があるのかはさておき、相変わらず進化し続ける肉体には驚きより先に安心感が来た。
(んで、こっちは……まぁ、頑張ってたからね)
この程度の運動は屁でもない二人に比べて、ほとんど初めてと言ってもいいほど強度の高い運動をしたすうぱあは、上体起こしのために用意したマットに倒れ込んでいた。
「ぼ、ボクはもうむりです……」
「ハイハイみんなお疲れ様。すうぱあも年齢と運動経験の割にはよく頑張ってたわよ。水分は用意しておいたから立ち上がれるようになったら飲みなさい」
「あい……」
用意した給水ボトルを数本すうぱあの傍に置いてから、リンネはナナ達に視線を向けた。
「二人は要る?」
「私は汗かいてないから別に。トーカちゃんは貰っといたら?」
「ですね、いただきます」
燈火はぽいと投げられた給水ボトルを受け取り、回数を分けて少しずつ給水をし始めた。
ナナはそんな燈火の様子をニコニコと眺めている。ここまでふわふわと楽しそうにしているのなんて、よっぽど上機嫌な時だけだ。
「楽しめた?」
「うんっ。やっぱこう、リアルで羽を伸ばすのって大事だね」
ナナはそう言いながらブンブンと両手を振って上機嫌なのを表現している。凄く可愛い。
それはそれとして、仮想空間でどれだけ激しく運動したとしても、現実世界の身体は動かない。結局はビデオゲームと同じで、精神的な充足を得られたとしても運動不足は免れない。
最近になってネットサーフィンなどのインドアな趣味を覚え始めたとはいえ、基本的に毎日膨大な時間を肉体労働系のアルバイトに費やしていたのがナナだ。
身体を動かすことそのものが好き。本質的にはバリバリのアウトドア派。
バイトを首になって以来まともに体を動かしていなかったせいか、久しぶりの運動でご機嫌なナナを見てリンネは安心していた。
(強い相手と戦いたいって気持ちも、単純に運動したいって気持ちも、どっちが優先って訳ではないもんね。配信生活はそれなりに楽しんでたはずだけど、それとこれとは別か。ナナのストレスゲージって目に見えないから管理が難しいのよね)
これまでのWLO生活やバトラーでの体験はそれはそれでナナの「全力で戦いたい」という欲求の解消には大いに役に立った。
ただそちらに傾倒して毎日のように配信していたばかりに、運動をする機会をずっと掴めないまま過ごしていたせいで、別のストレスが溜まりつつあったのだろう。
なまじストレスを顔に出さないというか、そもそも本人がストレスをストレスと理解していないというか、そんなナナの微妙な変化を感じ取るのは親友のリンネをして相当じっくり見ていないと難しい。
「今後は定期的に運動系の配信もしていきましょ。昔みたいに隠す必要もなくなったわけだし」
「隠さなくていいってのは楽なもんだよねぇ」
その場で2メートルくらいぴょーんぴょーんと垂直跳びをしながらナナはそんなことを口にしている。そりゃあ手を抜いてやってたとはいえ、まだまだ体力が有り余ってるらしい。
とはいえ、言い分はわかる。
ナナは人生で徹頭徹尾、自分の力を抑えて周囲に合わせてきた。
けれど、これから先は基本的にそうする必要もなくなった。
もちろんTPOをわきまえる必要はあるが、人並外れた身体能力を隠さずに振るってよくなったのだ。
このおかげでできるようになったことは山ほどある。
単純にプライベートでスポーツセンターに行っても能力を隠さなくて良くなったとか。
それこそ今日のように「ただ運動するだけ」の配信が「企画」として成り立つようになって、仕事の一環という名目で好きなように運動することも許されるようになった。
(こうして適度に現実世界の身体を息抜きさせつつ、WLOでは戦闘欲を解消していく。これでストレス解消の無限ループが完成するわね)
「リン姉様、私は着替えてきますね」
「ぼ、ボクも行きます」
水分補給が終わってある程度汗も落ち着いたからか、燈火とすうぱあが更衣室へと歩いて行った。
ナナは特に汗をかいてないからわざわざ着替えには行かないらしい。
「大体計測も健診も終わったけど、キリもいいしそろそろ一旦休憩にする?」
「そうね。思ったより時間も経ったし、いいタイミングだから少し休憩にしましょ」
『おっ?』
『休憩か』
『なんやかんやで一時間半くらい経ってら』
『再開はいつ頃?』
『いいもん見れた』
『え〜』
『俺もそろそろ仕事戻らなきゃ』
「休憩は30分くらいよ。一旦配信は打ち切るわ。ナナのアカウントで告知するからチャンネル登録しときなさい」
「次はWLOやるよ! 一昨日の配信で依頼してた私の新装備のお披露目と、スーちゃんの初プレイだね」
「後はちょっとした雑談とか、質問返しとかも合わせてするわね。そこはナナのいつもの配信にプラスアルファってとこよ」
『なるほど』
『新装備!』
『なんかあれだな、Vの新衣装お披露目みたいな』
『まあアガるよね』
『トーカちゃんは?』
『楽しみㅎㅎ』
『ええやん』
「燈火も来るわよ。ナナの知り合いもそれなりに集まってくれるんじゃないかしら? 今のナナと絡むのはそれだけで宣伝にもなるしね」
「生きる広告塔的な?」
『たし蟹』
『まー視線は集まるよな』
『トーカちゃん来るのか良かった』
『連日連夜どこでもナナの話題みるもんな』
『女子格闘技界が真っ先に門を閉ざしたのに笑った』
『↑そりゃ誰も死にたかないからな』
『体力テスト中にリスナー30万人増えてたけどもう10万人減った:O』
リスナーが言うように、世界中あらゆるところで今のナナは話題の的だ。
新情報が出る度に盛り上がるし、その人外っぷりが証明される度に盛り上がる。
本当は地球外生命体なんじゃないかとか、鷹匠家で作られた新人類なんだとか、それはもう何でもかんでも言いたい放題だ。
当然注目されているということは、それだけ広告塔としての価値が生まれるということ。世界中のインフルエンサーがこぞってナナとのコラボ依頼を送ってきている理由もそれだ。
ただ、今のところはそれらを受ける理由はない。相手方にメリットがあったとしても、こちらのメリットがないからだ。
「ま、ここでだらだらダベって万が一燈火とすうぱあが体を冷やしたりしても良くないから、一旦配信は切っちゃうわね」
「だね。……準備ができたらすぐに再開するから、さっきリンちゃんも言ってたけど通知を見落とさないためにチャンネル登録お願いしまーす」
『おけ』
『おつ〜』
『楽しかったー』
『おつ!』
『お疲れ様でした』
『ご飯食べてこよ』
『登録済なんだよね』
『催促の仕方がぎこちないなw』
『おつかれ〜』