お寝坊
「う………………おなか、へった」
目が覚めて最初に感じたのは、信じられないほどの空腹感だった。
寝起きで働かない頭にエネルギーを回しつつ、ゆっくりと体を起こす。
「ん〜……あ〜……え〜……と、そっか、ねおちしたんだっけ……」
酒呑童子の影法師と戦って、リンちゃんの追撃で倒し切ったあたりで記憶はぷっつり切れている。
ほぼ間違いなく寝落ちしたんだろう。疲労が溜まってたんだって自覚した時点でシャットダウン寸前だって言うんだから、私の身体もなかなか融通が利かないもんだね。
「……てか、ここ……わたしのへや、かな? なんでわざわざこんなとこまで運んだんだろ……」
エネルギーが足りないと悲鳴を上げる身体を一旦放置して周りを見渡せば、いつもの寝室じゃないことに気がついた。
記憶が正しければ、ここは私がリンちゃんから譲り受けた家。つまりいつも一緒に過ごしてるリンちゃんの家のお隣さん。最低限の家具だけが置かれたまま、特に使われずにいるタワマンの一室だ。
「ふんふん……カメラ、4台ある……監視中? いや、配信中か。私が寝てるとこなんて配信してもなんも起こらんでしょうに」
まあ、逆に言うと何も起こらないからこそ配信してるとも言えるのかもだけど。
リンちゃんも寝てる時は静かな方だけど自然と寝返りは打ったりするし、リンちゃんのパジャマはそもそも薄手だから少しでも脱げたりするとちょっと扇情的な見た目にもなる。
ああ、でも世間では「寝落ち配信」なるものもあるらしい。人が寝てる姿っていうのは一定の需要があるものなのかもしれない。
「身体は軽いけどとにかくお腹減ったな……リンちゃんはこっちにはいないか。あ、もし見てる人がいたらバイバイ」
とりあえず配信中の体でメインっぽいカメラに手を振ってから、リンちゃんを探すことにした。
十中八九いつもの部屋にいるだろうし、なんならもしかするともうWLOに潜ってたりするかもだけど。
「にしても、嗅ぎなれない匂いがするな」
起きた時からうっすらと感じていたけれど、自分の身体と部屋に嗅ぎなれない匂いが付着してる。普段使わない部屋のソレじゃなくて、多分人の体臭だ。
私の体重が比較的軽いとはいえそれでも40キロはあるわけで、熟睡状態の私をリンちゃんが運べるわけもない。となるとこの匂いは私をあの部屋まで運んでくれた人のものか。
少なくとも思い出せないくらいは会っていなくて、それでいて私が無意識に反撃しない程度には信頼を置いている人物。
そうなると自ずと相手は絞られてくる。
「ランさんか、レンさん……かな? それなら納得」
鷹匠本家に連なる現役世代は現在5人。
最年長が鷹匠龍麗。私も含めた全員の姉貴分で、世界中を駆け回る探検者にして研究者。リンちゃんから見ると従姉にあたる。
そして鷹匠グループの若き総帥、鷹匠紫蘭。秒単位で予定が詰まっているような超忙しい人で、リンちゃんのお兄さん。人間という生物の枠組みの中では最も優れた能力を持つ人だ。
その下が次男、鷹匠恋夜。世の中の誰をも魅了するような甘い美貌の人。今は世界を股に掛けるような俳優さんだったはずだ。
それと最近知ったんだけど、世界で一番SNSのフォロワーが多いのはレンさんなんだって。本人の能力ははっきりいって下の上がいいところだけど、ただその美貌が人々を傅かせる。ある意味では「鷹匠」を象徴するようなスペックの人だ。
で、その下がリンちゃん。
そして最後にトーカちゃん。
この5人が本家筋の次世代を担う若者たち。分家とかを含めれば同世代の子はもっといっぱいいるはずだけど、一番血が濃くて「鷹匠」らしいのはこの5人だ。
そしてひとりの例外もなく、リンちゃんを溺愛してる。
特にランさんとレンさんは、末っ子のリンちゃんが可愛くて仕方ないみたいだ。レンさんなんかはあまりにも溺愛しすぎて「姫」とか呼んでたからね。
まあ、私を運んでくれたのはレンさんかな。多分。
俳優さんだから撮影が無ければ比較的暇なんだろうし、ランさんよりは現実的な気がするから。
そんなことを考えながら外に出ると、眩しい陽の光が目に入ってきた。太陽の高さ的にまだ朝だろうけど、夏至の直後だからか日光はもうガンガンに照りつけている。
「寝起きにはなかなかクる眩しさ……ただいま〜」
いつもの家に帰って見ると、靴の数はいつも通り。レンさんはもう帰ったみたいだ。
久しぶりに会えるかと思ったけど、会いたかった訳でもないからいいかな。
元々私とレンさんは仲が良くない……というより、小さい頃に寝てる私に何度も酷い目に遭わされたらしくて、レンさんが私のことを怖がってるんだよね。
「リンちゃん起きてる〜?」
「ねてる……」
「そっか〜。ねぇリンちゃん、私お腹減っちゃった」
「たべものなられーぞーこにやまほどあるわ……」
「は〜い」
思ったよりも朝早い時間だったのか、それとも昨晩に夜更かししてたのか。
想像以上に眠そうな返事を聞いて、とにかく空腹を満たすことを優先することにした。
「おお、ほんとに山ほどある……」
「おはようございます〜」
「のわぁっ!?」
冷蔵庫に所狭しと詰め込まれた食材を眺めていると、不意に後ろから声をかけられた。
全く気配を感じなかったからものすごく焦ったけど、振り返った先にいたのは知っている人だった。
「……あれ、美春さん?」
「はい〜。美春ですよ〜」
鷹匠家の元ボディガードで、今はスーちゃんのお世話係をしている美春さん。
気配を消して後ろに立たれたのは納得しつつも、つい一昨日スーちゃんと共に国内旅行に出かけたはずの人物の登場に、別の意味で困惑してしまう。
「スーちゃんとの旅行は?」
「ひとまず東京近郊はざっと見終わったので、昨日一度帰ってきました〜。5日もあれば有名どころは大体見られますしね〜。六路さんは疲れてしまって、しばらくは眠っているかと〜」
「そっか〜……ん? 5日? 一昨日出発したばかりじゃなかったっけ……」
何かがおかしい。
そう思って聞き返せば、美春さんは楽しそうに笑っていた。
「うふふ〜、今日は土曜日ですからね〜。菜々香さんは火曜日から丸々3日以上も眠りっぱなしだったんですよ〜?」
「土曜日!? 私ってそんなに寝てたの……」
どうやら寝落ちしてから再起動するまで、私はなんと4回も夜を越えていたらしい。
完全に気力が尽きて倒れるなんてこと人生でもほとんど経験したことがないから、自分の身体がそこまで消耗していたという事実に驚いた。
「その間ずっと配信されてましたね〜。相変わらず寝姿が静かすぎて私もリスナーさんもドン引きでした〜」
「ああ、うん、配信ついてたのはそーゆーことね……それで、美春さんは何をしに?」
なるほど、どうやら美春さんは私が寝ているだけの配信を見ていたから、私が起きてこの部屋に移動したことに気づいたんだろう。
スーちゃんと美春さんも大会中からこのマンションに滞在しているわけだから、気づいてここに来るのにも時間はかからない。
だからって昔みたいに気配を消して背後を取るのはやめて欲しい。私だって家の中でまで警戒なんかしないんだから。
「腹ぺこな菜々香さんのためにお料理をしに来ました〜。生のままというのも味気ないでしょうし〜、かと言って料理しながら食べるのも煩わしいでしょ〜?」
「ほんと!? わ〜、美春さんの手料理なんて何年ぶりだろ〜!」
鷹匠家の女性ボディガードとしては当時最強だった美春さんだけど、彼女は主に怜さんのボディガードだった。
怜さんも基本的には在宅で仕事をしてるから、仕事がない時の美春さんはメイドとして働いていたりもしたのだ。
手料理を食べさせてもらうのは、もう10年以上ぶりのことだった。
☆
「美味し〜! 流石に料理の腕は敵わないなぁ」
「お仕事を引退してからも、何だかんだと家政婦をやってましたからね〜。それこそ六路さんのお世話なんか最たるものですし〜。暇すぎて料理を凝るくらいしかやることなかったんですもの〜」
「スーちゃんって全然手がかからなそうだしね」
凄まじい手際の良さで次々と出てくる料理に舌鼓を打ちながら、美春さんとの久しぶりの会話を楽しむ。
スーちゃんなんかは特に時間さえあればゼロウォーズをやってそうなイメージがあるし、ただでさえ家事の手際がいい美春さんからすると暇で仕方ないのは想像に難くない。
「美春さん丸くなったよね。体型とかじゃなくて、雰囲気がさ」
「それはそうでしょうね〜。貴人の護衛、それも鷹匠家の方々の護衛ともなればプレッシャーは桁外れですから〜。あんなヒリつく仕事はもうごめんですよ〜。それに、菜々香さんの相手をするのも骨が折れましたからね、思えば怜様には随分と酷使されたものです〜」
「はっはっは、私もボコボコにされたからお相子だね」
「うふふ〜」
私にリンちゃんのボディガードとしての立ち振る舞いを教えてくれた……もとい文字通り叩き込んでくれたのは美春さんだ。
身体能力では勝ってたはずなのにボコボコにされていた幼少期の記憶も、両親のことと一緒に思い出している。
今思えば私の相手をさせられてた美春さんの方がよっぽどしんどかっただろうけどね。ちょっと間違えたら人の骨なんて簡単に折れちゃうんだから。
「……菜々香さんとこんなにもトントンと会話が続く日が来るなんて、実際に経験すると不思議な感覚ですね〜。夏鈴が大きくなった時とはまた違った感慨深さがあります〜。六路さんにも言えることですけど、若者の成長はいいものですね〜」
「そっか、美春さんが辞めた頃はそうだったもんね」
感慨深そうに言う美春さんの言葉に、15歳より前に別れた人だということを改めて認識させられた。
両親の事故の前後で、私の性格は大きく変わった……ように見えると思う。内面はさておき、少なくとも社交性が桁違いに高くなったのは確かだ。
当たり前のように話していたけど、美春さんからすれば別人と話しているような気分でもおかしくはなかった。
「ところで、菜々香さんのお誕生日も間もなくですが、配信のご予定は立てられてますか〜?」
「んぐっ!? ……あー、そっか。もう明後日なんだね」
私の誕生日は七夕の日。つまり7月7日だ。
バトラーの最終日が6月29日でそれから6日経ってるから、今日は7月5日。明後日にはもう誕生日が来てしまうことになる。
ここ6年、誕生日の度に祝われるようなことは無かった。
私もリンちゃんもイベントごとにはそんなに興味がなかったし、両親が二人の誕生日に亡くなったのもあって、無意識に自分の誕生日からも逃げていた。
リンちゃんはそれをわかってたから、私に気を遣って誕生日祝いをしないでいてくれてただけだとは思う。興味がないって言っても、少なくとも15歳の頃までは毎年祝ってくれてたんだから。
メッセージ。ひとつも飛ばしてこなかったのは、少しでも私を精神的に落ち着かせるためだったんだろうね。
「しかし、配信か……いや、なんかしようね〜って話はしてたけど計画全然立ててないんだよね」
配信者の誕生日ともなれば、盛大に企画を立ててお祝いしてもらいつつリスナーを楽しませる……ものらしい。単に誕生日を祝ってもらうというよりは、支えてくれたファンへのお礼でもあるわけだ。
まあ、まだ活動始めて2ヶ月経ってないけどね。とはいえ良くも悪くも今の注目度で「誕生日スルーします」は無理だし、激動だったこの数ヶ月を配信というものが支えてくれたのは確かだ。
簡単な企画くらいはやるべきだろうなという自覚はある。
自覚はあるんだけど……。
「うーん……私、企画とか計画を立てるのって死ぬほど苦手なんだよね……」
「他人に動かしてもらう方が得意なところは変わってないんですね〜」
「リンちゃんが居たし、バイトも基本的にやるべき事をこなすだけだしで、全然成長してないよ」
「ソレはソレで強みだと思いますけどね〜。逆に菜々香さんは無茶ぶりをこなすスペシャリストなわけですから〜」
バトラーの時もそうだったけど、指揮官と兵士のように私とリンちゃんの適性ははっきりしてる。
美春さんの言う通り私は駒としては何よりも優秀だけど、逆の才能は全くないのだ。
「少し安心させるようなことを言うとですね〜。3日間丸々寝てるところは配信されてましたから、そんなに盛大な企画を期待されてはいないと思いますよ〜」
「ありがたいけど、それも結局はリンちゃんのおかげだ〜。……ちなみに美春さん的にオススメはある?」
「私ですか〜? まあ、今であれば一周回ってただの雑談回のようなリスナー交流型の企画がいいでしょうね〜。何しろ二宿菜々香という生物に世界中が興味を向けている訳ですから〜」
「ふむふむ……ま、確かにそうなるか」
「有名どころであれば凸待ち配信なども多いですけど、現状菜々香さんの知り合いはほとんどがWLOの知り合いですし〜。そもそもそういうのは人望が厚かったり顔が広かったり、箱系の配信者達が交流がてらにやるものですしね〜」
凸待ち配信。
それは知人、または知人じゃないけど有名な人とかが「お誕生日おめでとう!」と言いに来てくれるのを待つだけの配信のことを指す。
要するに突撃待ちのスラングなんだと思う。
あの○○さんがおめでとうを言いに来てくれた! とか。
いつも仲良しの××くんが真っ先に祝ってくれた! とか。
ほとんど絡みのなかった△△ちゃんと初めて話してコラボを取りつける、とか。
そういうのを楽しむのが凸待ち配信というものだそうな。
私がコレをやる上での問題点は、そもそも知人が少ないこと。
そして何よりの問題は、配信に有名人が凸しに来てくれたとしても、私が相手を知らない可能性がめちゃくちゃ高いことにある。
なんたって私は直接会ったことのない人の名前はまず覚えられないタイプの人間だからね。世間に向ける興味だって、最近になって持ったばかりだ。
とてもじゃないけどこの界隈で有名な人なんて知るわけもない。
有名人が来て「あ、はい。初めまして。よろしくお願いします」なんて他人行儀で盛り上がらない配信をするわけには行かないでしょ。
とはいえ、凸待ちという定番以外だと、ほんとに雑談かゲームくらいしか思いつかないわけで。
「気負わず、緩くやればいいと思いますよ〜。なんなら六路さんも貸し出しますし〜。まずは凜音様にご相談なさっては〜?」
「だね。というかそんな、スーちゃんを自分の物みたいに……」
「うふふ〜、彼女のお母さんポジションを得ているのは私なので〜」
「その言い方だとちょっと邪悪な感じだ」
旅行に出かける時も当たり前のように引率として付いて行ってたし、スーちゃんも嫌がる様子は全くなかったから、二人の関係は私が思ってるよりもずっと強いのかもしれない。
結局リンちゃんが起きてくるまで、私はずっと誕生日配信のことで頭を悩ませるのだった。