睡魔に抗う
「お疲れさま。よく頑張ったわね」
技後硬直から解放されてふらつくナナを抱き留める。
完全に力の抜けたアバターから伝わってくるのは、確かな重みだけだった。
「うん……」
「もうすっかり限界ね。強制ログアウトされちゃうから、もう少し頑張んなさい」
「わかった……」
ふわふわと呂律の回らない口調で喋る姿は可愛らしく、それと同時にもうひとつ、それがとても珍しい姿だということに思い至る。
(私以外に起きてる人がいる中で眠ろうとするなんて、珍しいこともあるものね)
バトラーの帰りに車の中で眠っていたように、ナナは人前で一切の睡眠を取らないわけじゃない。
ただ誰よりも遅く寝て誰よりも早く起きているから、寝顔を見ることができないだけ。
野良猫みたいな警戒心。私といる時は尚更強い。
だからこそ、この場で眠りそうになっている時点で、ナナが酒呑に対して強い信頼感を持っているのがわかる。
「上手く麻痺で嵌めたな。逃げ切る方が楽だと思ったが、スクナ自身の調子が悪かったのか?」
「ええ。精神力が限界だったみたい。昨日はメルティと戦っていたし、今日は今日でここに来る前に随分な大立ち回りをしたみたいだし」
「やはりか。それにメルティ……接触したのだろうとは思っていたが、勝負まで挑んだのだな。それはそれは、さぞかし良い見世物になったのだろう」
「真理魔法は使ってたわ。琥珀を誘い込むための罠だったみたいだけど」
「なるほど、メルティなりに戦う理由はあったという事か。それにしても……ふふ、気の抜けた顔をしているものだ」
「私以外の前でこういうのが見られるのは結構レアなのよ?」
寝息を立ててないだけでほとんど寝てるよね、と言いたくなるほど限界スレスレのナナだけど、強制ログアウトされないあたりギリギリで信号は出てるらしい。
この子のことだから、MHKSの連射で強制ログアウトを食らったあの時に、システムに遮断される限界地点でも掴んだんだろう。
それでもここまで睡魔に抗うナナは激レアだ。寝惚けているならともかく、眠らないように頑張る姿というのはなかなか見られない。
「疲労困憊の戦士をあまり長く引き止めるものでは無いな。そうだ、スクナのレベル上限は既に解放されていることだろう。得られる恩恵は他の職業と大きくは変わらん。《鬼神子に固有の恩恵》と言えば、その扉を潜る権利を得られるくらいだ」
「この先は……」
「神代。こんな滅び掛けの焦土では無い、正真正銘私が生きた全盛の世界が広がっている。だが、今のお前たちでは挑まぬ方が良いだろう」
「レベルが足りないから?」
「それもある。が、何よりも……ここは所詮世界の果て、お主らの旅路からは遠くかけ離れた僻地だ。この世界での体験に、経験値は付いてこない。もちろん、ドロップアイテムなどもな。成長途中の戦士があまり無為な時間を過ごすべきではない」
言われてみれば、確かにさっきの戦闘ではリザルトがなかった。いや、正確にはリザルト自体はあったけど、手に入ったものは何もなかった。
ここは限られたプレイヤーとその付き添いだけが侵入できるダンジョン。誰もに可能性があるならさておき、限られた種族と職業が特別有利になるような条件はつかないのも納得ではある。
「わかったわ。この子に伝言はある?」
「たまには顔を出すように伝えておいてくれ。ある程度自由に動けるようになると、人との会話が恋しくなってくる。それから、他の童子達にここの事を伝えるように。スクナに限らず、彼らの成長は私の力の糧になるのでな」
「伝えておくわ。じゃ、私達はもう行くわね」
「ああ。次の出会いを楽しみにしているぞ」
そう言い残して、酒呑は使っていた写身をぽんと消した。
まあ正直後ろから見送られても少し居心地が悪いし、その後腐れの無さには感謝すべきかしらね。
「さ、帰るわよ。ほらナナ、おんぶするからちょっと起きて」
「ん〜……ん」
正面に抱き留めたままだと運びにくいからとおんぶして帰ることにして、背負われ体勢になったナナを背負う。
現実世界と違って、ゲームの世界の私は随分と力持ちだ。こうして人を背負って歩くのも軽々とできてしまう。
それにしたって私がナナを背負うというのは珍しいことこの上ない。
いつだって私はナナに背負ってもらう側だったものね。
それから少し来た道を逆走して、元の世界へと帰還した。
「私はあんまり疲れてないけど、随分頑張りすぎちゃったみたいね」
『連日お疲れ様やで』
『ホント寝てると可愛い子やな』
『寝てる……のか?』
『ギリ寝てない状態を維持する天才か?』
『強制ログアウトに抗うな』
「もう落ちる寸前よ。あと三分は持たないと思うわ」
辛うじて睡魔に抗う力も尽きかけているらしく、背中から勝手にずり落ちそうになるナナを何とか抑えながら果ての森を歩いていく。
「ナナのリスナーは終わりがこんなのでごめんなさいね。バトラーの時もずっと頑張ってくれてたから、少なくとも明日は休ませるわ。とはいえ、一度完全に電池切れになると何日寝っぱなしか分からないのよ。もしかしたら三日くらいは眠りっぱなしかもしれないわね」
『三日!?』
『タンクが大きいと補給も大変なんだな』
『ほぼ休みなく長時間配信してたからたまには休め』
『ええんやで』
「ナナのリスナーは優しいわねぇ。私のリスナーなんかだとここで貧弱とか虚弱とか飛んでくるもんよ」
『ソイツの体力に物申せる人間はこの世におらんねん』
『むしろ限界があるんだとわかって安心したんだよね』
『リンネが虚弱なのは事実定期』
『昔よりは体力ついたけど未だ貧弱』
『てぇてぇが見られたからええんよ』
『疲れきって電源落ちるの羨ましいわ』
「ま、ただの疲れだからそこは安心してちょうだい。というかこの子、生まれてこの方病気にかかったことなんてないから」
『知ってた』
『ほーん』
『もう驚かないぞ』
『毒が効かない女だからな』
「言われてみるとそうね……っと、限界みたい」
ぼちぼちリスナーと会話しながら配信の締めに移っていると、不意に背中が軽くなるのを感じた。
後ろを振り向いてみれば、ナナのアバターが粒子になって空中に溶けていくのが見えた。
「強制ログアウトってこんな演出になるのね」
『ふわ〜っと溶けていった……』
『昇天しとるやん』
『なんか草』
『バトラーの時は衝撃で消し飛んだみたいに見えましたけどねぇ』
『なんだこのコレジャナイ感は』
「少しずつ軽くなっていく喪失感が地味に胸にキたわ」
『草』
『草』
『草』
『草』
「じゃ、私もナナを寝かしつけてくるから落ちるわね。ナナの動向に関してはSNSの方で担当者に呟かせるからそっちを見てちょうだい」
『おつ〜』
『おつかれ〜』
『おつかれさん!』
『おつ!』
『お疲れ様です』
『ゆっくり休めよ〜』
『お疲れ!』
☆
ログアウトしてすぐにナナの様子を見れば、フルダイブマシンに寝転がったまますっかり熟睡してしまっていた。
「流石にこのまま寝かしておくのはね……」
いくらこのVRマシンが高性能でベッドタイプであるとはいえ、睡眠のために作られたわけじゃない以上何十時間も寝かしておくのには向いてない。
もちろんナナは床で寝たって筋肉痛にはならないくらいだから問題は無いだろうけど、だからってそれでいいとはならない。これはただの私のわがままだ。
「とはいえ、完全に寝てるナナを持ち上げるのはちょっと無理よねぇ……」
ナナがレム睡眠くらいの状態であれば抱き上げるのもできなくはない。
でも、基本的に人を抱っこする時には相手の協力がない状態だと何倍も重く感じるものだ。
WLOの中でならさておき、この世界の私にそんなパワーはない。絶対に腰をヤること間違いなしだ。
「ふぅ。仕方ないわね、増援を呼ぶとしましょう」
ひとりで運べない以上、誰か助けを呼ぶ必要がある。
とはいえ、どれだけナナが深い眠りについていたとしても、人選を間違えてしまえばどんな反応をするか分からない。
ナナは寝たままでも、警戒心に引っかかる相手であれば寝技のひとつや二つはかけてくる子だからだ。
「燈火は期末のことを考えるとダメね。美春はすうぱあのお付きだし……ん?」
眠りにつくナナを撫でながら誰をヘルプに呼ぼうか考えていると、ちょうどスマホにショートメッセージが届いた。
「今どきSMSなんて珍し……ああ、なるほど」
予想外の、けれどちょうど今欲しかった人材からの連絡に、私はなるべく早く来るように急かすメッセージを返信した。
使徒討滅戦以来、ナナもだいぶ柔らかくなりつつあります。心に余裕ができたからです。