異質な拳法
実のところリンネは戦闘が始まって初めてナナが被弾した直後から、ナナが酒呑に苦戦している理由を理解していた。
(酒呑童子の拳舞。破壊と暴力の化身だなんて言うけれど、技が伴っていないわけじゃないのね。ここまで異質に練り上げられた武術なんて見たことないわよ)
酒呑童子という存在のスペックを聞けば、誰もが技術や工夫なんて領域からかけ離れた、究極の暴力の化身を想起する。
それは実際に間違っている訳ではなく、酒呑童子という存在は神魔蠢く神代においても絶対的な暴力装置だった。
ただ。
神代という時代はただステータスが高く、強力な権能を持っていれば生き残れるほど甘い時代ではなかった。
酒呑童子が己の才を自覚した時から世界が終わりを迎える直前まで、長きに渡って研鑽を重ね、辿り着いた酒呑童子だけの拳がある。
(ただ当てること。それだけに特化した、それだけの為の拳法。全てを触れれば壊せる彼女だからこそ辿り着けた……そして許された異形の技ね)
攻撃の意志を持って触れるだけで、遍く全てを破壊する。
それは逆説的に言えば、武器か身体のどこかが対象に届かなければ破壊できないということでもある。
攻撃においても、防御においても、「届く」ということが何より重要。
それを突き詰めた結果、酒呑童子の拳は逃げる相手を捕まえることだけに特化した異形の拳法へと成り果てた。
(ナナの反射神経がどれだけずば抜けていて、音速の弾丸だって容易く視認できるとしても、実際に回避に移るには予測が不可欠。けれど酒呑の拳はナナが軌道予測を確定させた後から、まだズラせるだけの遊びがある。これがナナが酒呑の拳を回避しきれないカラクリ。ギリギリまで見切れるナナだから掠る程度で済んでいるけれど、他のプレイヤーならクリーンヒットをもらっているかもね)
ナナが自身の予測に絶対の確信を持ち、かつ最小限の回避を好むからこそ、予測の後に発生するズレが認識から抜けてしまう。
紛れもない神業。ナナの予測を誘い出し、回避が確定した瞬間にほんの僅かに軌道をズラすなどという離れ業をいとも簡単にやってのけるのだから。
(まるで、そういう敵がいたみたいじゃない。色々な権能の規格外っぷりを見るに、未来視に近い能力を持ってる敵でもいたのかしら)
ただ当てることを目標にするなら、今あの影法師が見せているようなズラし方は非効率だ。
ただ単に攻撃を当てるだけなら、単純に躱せないほど速く、そして鋭い攻撃を放った方が効率がいい。
というより、破壊された世界の残骸を見るに、本来の酒呑童子の戦い方はそちらなのだろう
故にこれは、純粋な武力では突破できないナニカと戦った際に習得を迫られた技術。
それが現代になってナナに刺さっているのは不運な偶然だった。
(理想的な対処は攻撃をガード性能のある装備で防ぐこと。ただそれはナナの手持ちの武器じゃできない。パリィで逸らす手もあるけど、攻撃が思ったよりズレてくる以上完璧な手段とは言い難い。頑丈がまともならそれでもいいけど、今のナナじゃあと2、3発貰ったらお陀仏だしね)
酒呑童子の戦法は、《絶対破壊》に加えて最強のステータスを持っていることが前提だ。
逆に言えば、その双方を封じられているあの影法師の攻撃は、ズラしきれないほど面積のある物体でガードすればそれだけで完封できる。
元よりこの試練は1パーティ分のメンバーを揃えて挑める耐久戦だ。
ナナがひとりでどうにかしようとしているからそれなりに難易度が上がっているだけで、そこそこやれるタンク職を3人ほど連れてくればそれだけで容易にクリアできる程度の難易度でしかない。
酒呑童子がこの試練をそう難しいものと捉えていないような発言をしていた理由もそこにある。
そもそもの話。
メルティとの戦いによる多大なデバフもなく、特に疲労の溜まっていないナナであれば、リンネが手助けなんかするまでもなく突破できる難易度なのだ。
口で教える必要は無い。というより、口にして伝えられるほど簡単なことでもない。
ナナが自分の目で見て気付かなければ、その後の攻略なんてできやしない。だからリンネはその手助けをするに留める。
その6回で理解できなかったのなら、今日はクリアできる日ではなかったというだけの話。
そして、次はしっかり休んでから万全の状態で挑めばいいだけのことだ。
「手助けは6回分だけよ。踊り方は教えてあげるから、リズムを頭に叩き込みなさい」
リンネはそう言って、7つの分身のうち攻撃能力を持つ6つを影法師へと差し向けた。
☆
「ふむ……」
影法師とスクナ、そしてリンネの戦いを巻き込まれない程度離れたところで眺めながら、酒呑童子は思案していた。
「万全とは程遠いな。もっと軽く捻れると思っていたが……あの脆さ、さては鬼人の秘薬でも飲んだか? アレを与えられるほどの相手となると照狼……いや、なりふり構わず戦う相手となればもっと上か。メルティと会ったような口ぶりだったところを見るに、手合わせくらいはしたのかもしれんな」
メルティ・ブラッドハートは酒呑童子が直接会ったことのある存在としては、神や七星王などの例外を除けば唯一の生き残りだ。
とはいえ、会話した数は多くない。それこそ、数回言葉を交わした程度。
窮地にあった酒呑童子にメルティがほんの僅かな救いの糸を垂らして、それが結果的には吸血種の滅びを招いたと言うだけの関係だ。
世界の崩壊にメルティだけを巻き込まなかったのは壊れた心のどこかで恩義を感じていたから。
己が種族の滅びを望んだメルティの心境は今でも計り知れないが、彼女もまた《権能》と呼ばれる力に翻弄されたひとりの少女に過ぎないのだと酒呑は思っている。
魔導を愛し、魔導を極め、けれど権能を持ってしまったからこそ神の座を逃した神童。真理に辿り着いたものは歴史上でも数あれど、魔神や真竜と比較してもなお単純な魔法の力でアレを超える者はいないだろう。
「今のスクナには高すぎる壁だな。全てを出し切った出涸らしの状態で私の影法師をどうにか捌いているのだとすれば大したものだ。それに……良い友を持っている」
雷の精霊魔導士。
力の源である精霊王ティスタミアは、モンスターに対して苛烈で厳正な裁きの化身。
故に、その力を借り受けるには「ジャッジメント」という極めて発動が困難な魔法の発動を強いられる。
100を超えるモンスターとの戦いで怯まず裁きの雷を選択できる胆力こそが、精霊王が求める資質。
少なくとも雷の精霊を操っている時点で、彼女がソレを達成したのは間違いないことだ。
リンネは七体に分身した雷霊のうち、回復能力を持つ雷霊は早々にスクナに飛ばしていた。
クリーンヒットが出れば即死まである状況下で回復をしない理由はないため、そこに関しては当たり前の選択だった。
残りの六体をどう使うのか。
何よりそこに注目していた酒呑童子だったが、1体目の雷霊をリンネが差し向けた結果を見て驚愕した。
「……私の拳の真髄を、この短時間で理解したというのか」
スクナは先程から、大きめの回避を駆使することで、躱したはずの攻撃が何故か掠ってくるという現象を回避していた。
ただ、大きな回避を何度も強いられていれば、ただでさえステータス上はスクナを上回る影法師の追撃への反応が少しずつ遅れていってしまう。
仕切り直すために、ギリギリの回避をせざるを得ない時が必ずやって来る。リンネが狙ったのはそのタイミングだった。
ナナが影法師の拳を見切り。
予測し、回避行動を取る。
影法師がその「予測」が確定した後、ほんの僅かに用意していた「遊び」を駆使して追撃をかける。
運悪く噛み合ってしまうこの2つの行動を咎めるように。
影法師の攻撃の軌道が変化してから攻撃が命中するまでの、いわゆる1フレーム未満の一瞬の隙間時間に、ふわりと放たれた雷霊の頭突きが炸裂した。
「のわぁっ!? ……っとぉ」
思わぬ衝撃に、スクナの口から酷い声が漏れた。
リンネ以外の誰にとっても予想外のタイミングで炸裂した雷霊による攻撃だが、攻撃の軌道を逸らすには遅すぎるし、既に当たりかけた攻撃の慣性までは止まらない。
スクナに当たるはずだった攻撃はその通りに命中し、先程の回復用雷霊で戻った分のHPは再び失われた。
だが、雷霊特有の感電による「麻痺」。初回でさえ3秒がいいところだが、そのおかげでスクナは瞬時にバックステップで距離を取り、ポーチから取り出したポーションを握り潰せた。
(だが、回復の有無など些細なことだ。今の一撃は値千金の価値をスクナに与えただろう)
単に感電による時間稼ぎをするだけであれば、あのタイミングを狙って当てる必要はない。もっと早く当てれば、今のダメージも負う必要はなかった。
リンネは影法師の……ひいては酒呑童子の扱う拳法の特性を理解した上で、スクナの間で起こっているミスマッチをスクナ自身に気づかせるためだけに、あのタイミングで攻撃を当てたのだ。
見て、予測し、回避する。
いわゆる見切りの中でどうしても抜け落ちてしまうほんの僅かな時間の隙間。
スクナですら無意識に見落としていた、その瞬きほどに短い空白を、リンネは極めて正確に突いて見せた。
スクナが追い詰められて、ギリギリの回避を強いられるタイミング。
影法師が繰り出す攻撃の種類と、その速度。
スクナがソレを見切り回避してから、影法師の攻撃がズレるまでの僅かな空白。
そして雷霊が飛んでいって、命中するまでの時間。
全てが重なる一瞬を、一発でこともなげに狙い撃った。
(見てから回避するスクナの超反応とは原理が違う。そもそもリンネはあの瞬間、交錯点を見てすらいなかった。 未来予知に近い予測と、予測した未来を寸分違わず撃ち抜ける精密な雷霊操作。スクナと同じ、異邦の旅人であるが故の異分子か)
圧倒的な動体視力と極まった反射神経に任せて、見たもの全てに対処するスクナのやり方とは真逆。
その目に見えようが見えまいが関係なく、得た情報を分析してシミュレートした未来に沿って行動を置いておく。
それは傍目から見たらただの博打だ。だがそこにはリンネなりの明確な理論があり、そして何よりも絶対的な自信に満ちている。
「共に戦う仲間……隣に立って支えてくれる友か」
リンネの一撃でなにやら悟ったスクナは、先程までの寝落ちしそうな気だるさが嘘のように目を見開いて戦っている。
リンネもまたそれを眺めながら、必要な時に確実な支援の手を入れるために状況を見据えている。
二人の間に言葉はなく、時折交わされるアイコンタクトの度にスクナの一挙手一投足が洗練されていくのを見ながら、酒呑童子は静かに思い出していた。
「ふっ……今日は少し、感傷的な気分にさせられる」
最強であるが故に得られなかった、仲間という存在。
そして親友と並び立って戦う姿。
どちらも経験がなかったからこそ……酒呑童子は羨ましそうにそう言った。