限界
(……? なに、これ……?)
戦いが始まってから1分。
スクナは酷い違和感に襲われていた。
実物がどうなのかはわからないものの、とりあえず目の前にいる黒い酒呑童子の戦闘スタイルは徒手空拳。
不気味な見た目とは裏腹に、まるで踊っているかのような軽やかなステップ。そこから繰り出される、典型的なヒットアンドアウェイ戦法。
舞うような戦い方のせいか動きと動きの間に生まれる繋ぎが極めて短く、また徒手空拳であるが故の手数の多さやあらゆる体勢から飛んでくる攻撃の柔軟性も相まって、とにかく恐ろしいほど隙がない。
だが、特筆した速さやパワーは感じられない。琥珀やメルティ、そして月狼ノクターンと戦ったばかりだからそこ如実にわかる、レベル170相応のステータス感。
だというのに、スクナのHPは既に半分以上が削られていた。
(ちゃんと見えてるのに、上手く避けられない……?)
絶え間なく続く影法師の攻撃を大きく飛び退くような形で回避しながら、スクナは混乱する頭を落ち着かせながら思索を巡らせる。
酒呑童子の影法師。メルティや琥珀を除けば戦った相手としては過去最強のレベルを持つのだが、やはりステータス差で言えばそれ程でもない。
スクナの側は、レベル100の基礎ステータスにネームドボス三種討伐分のボーナスを、種族限定装備で1.4倍に引き上げた数字と、《鬼神子》の職業ボーナス。
細かなボーナス抜きにしても、少なくともレベル140の鬼人族に等しいステータスがある。
対して、恐らく影法師に設定されているのはレベル170の酒呑童子が権能を持っていなかった場合という「もしも」のステータス。
つまり今のスクナは純粋にレベル170の鬼人族と戦っているのと同じ状況にあると言える。相応のステータス感とはそういうことだ。
加えて体感では、お互いにバフもない。少なくともスクナ側は使っていないし、若干それを上回っているだけの影法師の身体能力から見て、あちらもまだ使っていないと見るべきだろう。
つまりメルティや琥珀とは比べ物にならないほど、ステータスは低い。
当然攻撃は見えている。
回避も、しているはず。
なのに攻撃が当てられる。風圧で削られるとか、攻撃に追随する何かのせいで見た目以上の攻撃範囲があるとか、そういうことじゃない。
クリーンヒットはなくとも、この短時間で少なくとも4回も拳が明確に当てられているのだ。
(原因はなんだろう。タイミングか、距離感を見誤ってるっぽいんだけど……わかんない以上、今はおっきく避けるしかないか)
スクナは視える眼を持つが故に、必要最小限の回避で事を済ませようとする癖がある。
拳ひとつ、皮一枚、紙一重。ギリギリの回避であればあるほど反撃に転じる時間は短くなり、得意のカウンター戦法はより強く機能するからだ。
だが今はそれが良くない結果を生んでしまっている。
紙一重の回避は、ほんの僅かにズレが起こるだけで上手く機能しなくなる。この一分間でそれが身に染みた。
酒呑童子の攻撃は、理不尽な軌道を描いて当たっている訳ではない。現にここまでクリーンヒットは一度もなく、当てられたのは予測より少しだけ攻撃がズレてきた分だけだった。
ただ、ズレ方が毎回違う。そして何より、最初はただカスった程度だった当たり方が、着実にクリーンヒットに近くなりつつある。
大きく飛び退くような回避をしているのはそのためだった。
(むぅ……メルティとの戦いは無茶しなきゃどうにもならなかったとはいえ、こう連戦が続くと流石に秘薬のデメリットがきついな。肉を切らせる感じの戦法が全然試せないし)
スクナはメルティとの模擬戦で鬼人族の秘薬を飲んだデメリットとして10日間、頑丈のステータスが0になっていて、赤狼装束改の純粋な防御力以外に身を守るものが何も無い。
今の防御力は頑丈込みの場合のせいぜい3分の1に満たない程度。レベル差で格上の影法師の攻撃が当たれば、かすり傷だとしても大きなダメージになってしまう。
相手は湖底廃都のゴーストのような、レベルだけが高い烏合ではない。
ハンデがあるとはいえ、明確な格上だ。15分耐えろと言われても、回避が上手くいかない原理が分からなければこのままだとどこかで崩される。
(うーん……ダメだ。正直、もう頭働かない。はぁ、明日は流石に休もっかな……)
バトラーの準備期間に無理やり知識を詰め込んだ時から、思えば既に一週間近く、脳みそをアクセル全開フル稼働させっぱなし。
いくら無尽蔵のスタミナを持つとは言っても、それは肉体面の話でしかない。
そもそもスクナは頭を使うのがそれほど得意な訳では無く、膨大な情報処理だって脳細胞を耐久性に任せて無理やり酷使してどうにか成り立たせているだけなのだ。
特にMHKSを使った連続狙撃は過去一キツかった。五感を遮断してまで休めないといけないほどの負荷があった。
その翌日にメルティと戦って、音速機動を無理やり成し遂げたのも恐ろしく負荷がかかった。
昨晩だって疲れ果てたせいで無意識にリンネに甘えていて、その疲れは取り切れたわけでもない。
傍から見れば好調のようでも、それは二宿菜々香という生物にとっての1%が他人の100%をゆうに超えているだけのことだ。
スクナ自身調子の良し悪しは気にしない方だが、差し引いてもやはり今日は朝の時点から脳の疲労による絶不調に近かった。
その上、湖底廃都での大立ち回り。地味な繰り返し作業だったが、奇襲を警戒して五感の網はきっちり広げていた。
超長時間の集中力維持はリンネの得意分野であって、スクナはどちらかと言えば苦手な方だ。短時間の超集中と、頭を使わない単純労働こそがスクナにとっての得意分野なのだから。
自分の状態はよくわかっている。だからこそスクナは、早々に諦めることにした。
「リンちゃん! ヤバいかも!」
「手助けはいる?」
「欲しいっ!」
「はいはい。じゃあ後もう一分耐えなさい」
「わかっ、たっ!」
ただでさえ頭が働かないのにステータス面にまでハンデを抱えている今、自力での攻略は困難だと判断したスクナはリンネを頼った。
わからないことを無理に考えて動きの精度を落とすことはない。それを得意とし、助けてくれる親友がスクナにはいるからだ。
リンネならスクナが苦戦しているのは気付いているだろうし、この状況を打開する案を思いつく……かもしれない。
もちろん「今日は無理ね」とさっさと諦める可能性もあるのだが。可能性がゼロじゃないならどうにかしてくれるのがリンネだと、スクナは全幅の信頼を寄せている。
「やられっ、ぱなしだと、思うなよっ!」
繰り返し大袈裟に回避し続ける中で、不意打ち気味のヤクザキックが影法師の腹に突き刺さった。
ステータス差はないため、相応のダメージはあった。だが瞬時に回復されていき、それが恐らくは《憤怒の暴走》が持つ秒間5%の自動回復によるものだと気付いた。
ステータス面のバフや権能がなくとも、不死身の自動回復効果ひとつでここまで厄介なのが《憤怒の暴走》という七大災禍。
(当時の人は絶望したんだろうな、コレ……。まあ、ダメージにはならなくても、ヘイトを稼ぐ意味はある。リンちゃんにターゲットが移らないように、こうやって攻撃も交えなきゃダメだ。……集中しろっ、私!)
改めてこの地獄を作った酒呑童子という存在の破格さにスクナはドン引きしつつ、残り時間で使い切るように集中力を再び高めた。
露骨な人間アピールって言うのやめてあげてください。