祝福という名の呪い
「宿儺は私にとって、生きる理由そのものだった」
酒呑の語る「すくな」が私のことじゃないのは、声色を聞けばすぐにわかった。
「私と宿儺は神代の後期に産まれた。比較的長命で生殖が盛んでない種族としては珍しく、我らは同じ日に産まれたのだ。彼女は純粋な鬼族であり、私は純粋な鬼人族。氏族は違えど鬼の血で繋がっていた私達は、流れの中で共に育つこととなった」
鬼人族の寿命は長い。少なくとも白曜と黒曜なんかは300年くらいは生きてるって言ってたし、鬼人の里の人達は100歳くらいで成人だって言っていた。
人族の寿命は知らないけど長生きだって話は聞かないから、「鬼族」の寿命の長さを鬼人族が受け継いだって考えるのが自然なんだろうね。
「宿儺は弱い鬼だった。ステータスの伸びは器用ばかりで、武の才能の欠片もない。だが、その分高まった器用値を活かして、がらくたを掻き集めては装飾品を作っていた。作る度に私に着けさせて、満面の笑みを浮かべていたものだ」
宿儺のことを語る酒呑の声は、かつてないほど穏やかだった。
幸せだった頃の記憶を思い出しているからかもしれない。
「引き換えと言うべきか……私は産まれたその時から桁外れの強さを持っていた。お主らは既に知っているようだが、権能を持っていたからだ」
「権能を振るうには相応のステータスが必要、ってヤツだよね」
「そうだ。祝福と呼ぶべきか、あるいは呪いと呼ぶべきか。少なくとも神代における権能は間違いなく祝福として扱われていたものだ」
権能を手に入れるには相応のステータスが必要というのが絶対法則。そして生まれつき権能を持ってしまった者はその法則があるせいで、逆説的に相応のステータスを持ってしまうのだと、メルティが言っていた。
だから世界そのものを破壊する権能を持ってしまった酒呑童子は、それを成しうるに相応しい世界最強のステータスと共に産まれたのだとも。
「《絶対破壊》は世界の全てを破壊する権利だ。その持ち主に求められるステータスは『その時最も破壊が困難なモノを破壊できる』数値……すなわち、創造神を殺す力だった。だからこそ物理技能において私は生まれつき世界最強の力を手にしており……それ故に生まれてそう経たぬ頃、許されざる……大罪を、背負ったのだ」
苦々しい……いや、おぞましいほど重苦しい言葉。
嫌なものを思い出してしまった時、人はこんな声色になる。
許されざる大罪。私はそれがわかってしまった気がして、思わず呟いた。
「…………親を、殺した?」
「ははっ、鋭いな。それとも、似たような経験があるか? そう、私は実の父を殺害した。……互いに何をした訳でもない。ただ、少し身体を動かせるようになった頃に、赤ん坊らしくイヤイヤと手足をばたつかせた。それが抱き上げてくれていた父に当たり、父は即死したのだ」
それは、聞いているだけで痛々しい話だった。
この世界でも赤ちゃんは赤ちゃんらしく生きている。それは街中を歩いていればそういうNPCを見ることができるし、なんなら鬼人の里でNPCの依頼をこなして回っていた時に鬼人の赤ちゃんも見たことがある。
その経験から察するに、産まれてすぐのことではないんだろう。
抱っこして暴れるなんて、普通の人間でも生後半年とか、1年とかの話だ。つまり酒呑はそれぐらい小さな時に、ひとりの人間が背負いきれないほどの罪を背負ってしまった。
ただ、強すぎたから。
「当時はステータスカードなんて便利な物はなくてな。ステータスを知るには神官の元で鑑定を受ける必要があった。鬼族、そして鬼人族は魔法全盛の神代においては被差別種族。神官が居る街へ出ることさえ命懸けのことで、私が生まれつき背負った呪いのことなど知る由もなかったのだ」
「害意がなければダメージにはならない……逆に言えば、離して欲しいというほんの僅かな害意が事故を起こしたのね」
「そういうことだ。妖狐族の妖術師に鑑定されて初めて、私は己にその力があることを知った」
害意がなければ、というリンちゃんの言っている基準は私にはわからないけど……まあ、確かに振り向いた時にたまたま手がぶつかったとかで怪我をしたりしたら目も当てられないから、多分そういうことなのかな。
この世界の子供がデータ的にぽんと生まれるんじゃなくちゃんと出産を経るのなら、お腹の中でお母さんのお腹を蹴っただけで酒呑の場合は母体が破裂するわけで。
無意識無罪と言うか、そういうプロテクトがあるのかもしれない。
「全てを破壊する筋力と、その反動に耐えうる頑丈、そして相手に触れるための敏捷。この3つの力が極まっていた私を殺す術は鬼には無く、生後1年と経たずに腫れ物として扱われた。母は私を恐れて触れることさえなく逃げ出した。放置子となりかけた私を哀れんでか、鬼族で最も強い戦士が私の義理の親となった。宿儺はその戦士の娘でもあったのだ」
それはまるでもしもの私を見ているような話だった。
ほんの少しの掛け違いで、両親から捨てられる可能性だってあったし、リンちゃんと出会わない可能性もあったのだと。
「私に権能があったように、宿儺にも権能はあった。あの頃はそういう時代だったからな。権能の名は《物理無効》。私が《絶対破壊》を発動しさえしなければ、どれだけ雑に扱っても傷つかない無二の存在足り得る力。この世界を狂わせた創造神ではなく、運命という名の神の悪戯だと、今になってもそう思う」
自分の欠点を補ってくれる奇跡のような存在との出会い。
酒呑のソレは私よりも遥かに切羽詰まったもので……だからこそ、奇跡が身に染みたんだろうね。
「なぁスクナよ、お主ならわかるのではないか? 隔絶した力を持たされたことで恐怖を向けられる孤独と、そこから救い出してくれた『光』へ抱く信仰にも近い感情が」
「……うん」
「鬼族の抱く恩讐も、他種族による支配も、何もかもどうでもよかった。宿儺さえいれば私は幸せだったよ。その日常を守るためだけに強くなり、最強になって……守ることができずに、憤怒に溺れた。その末路がコレだ」
果てしなく広がる地獄。
灼熱と赤い絶望の世界。
触れてはならない導火線に火をつけて、終わりの引き金を引いた結果がこれだ。
酒呑に悪い所がなかったなんてことは無い。やりすぎも大概にしろと言いたくなるくらいには、やりすぎな光景だった。
でも、起こるはずのなかった災害を起こしたのは酒呑ではなく、宿儺を死に追いやった何者かで。
憤怒の中では思考が壊れるってことも、私は知っているから。
私は酒呑に対して、共感することしかできなかった。
「酒呑は……我に返った時、どう思ったの?」
「満足したとも。そして、どうしようもない喪失感にひとしきり泣いて、嗤った。宿儺は帰ってこない。そんなことはわかっていたのだ、最初からな」
NPCは死んだら最後、生き返らない。
復讐は何も生み出さない。時間も、お金も、命も、心も、恨みや怒りでさえ。失うものはいくらでもあるのに……得られるものはただ、本人の満足だけだ。
全て分かっていて、酒呑は憤怒に心を染めた。
「お主は名前とは裏腹に、私の方によく似ている。強さも、在り方も。我が憤怒を継承したことからもそれは明らかだ。赤狼の討伐が私とお主の架け橋となったが、それがなくともいずれ我らは巡り会ったことだろう」
「そうだね。嫌ってほど理解できちゃったもん」
「努々忘れるな。憤怒とは他者に対してだけ生まれるものでは無い。己自身の弱さにこそ、深い怒りを抱くこともある。……とはいえお主には私と違って友があり、師がある。いざとなった時にはきっと彼らが止めてくれるだろうがな」
「はは、確かに。実際あの時も琥珀が止めてくれたんだし……昨日も、助けて貰っちゃったしね」
酒呑にはきっと、宿儺しか味方がいなかった。
鬼という種族も、敵対する種族やモンスターも、酒呑にとっては平穏を脅かす脅威でしか無かったんだ。
だからきっと、宿儺がピンチだった時も助けてくれる人なんて他にいなくて。
独りで向かって、絶望して、闇に堕ちた。
私も、昔ならそうだったかもしれないけど……。
今は違う。支えてくれる人はいっぱいいるって知ってる。
「ほう、琥珀の実力の一端くらいは見たようだな。強かったろう、琥珀は」
「うん、思ってたよりもずっと凄かった」
「鬼人族としてはあれが最も正当かつ理想的な強さだ。理想を体現するだけの才能あってのものではあるがな。鬼人として強くなるのであれば、琥珀に頼れば間違いは無い」
暗い雰囲気はどこへやら、酒呑はからからと笑いながらそう言った。
前にあった時も、宿儺の死は吹っ切ったってことは話してた。思い出せばそれなりに心が暗くなる記憶だろうと、千年の時を経て酒呑は思い出に昇華できている。
それはきっと、私が両親の死を受け入れたのと同じことだ。
「暗い話になってしまったな。詫びに少しばかり助言もやろう。リンネとやら、お主は雷の精霊王と契約を結んでいるな?」
「そうよ。わかるのね」
「長年生きると多少はな。その道を進むのであれば、ベラミラードの精霊門を目指すといい」
「ベラミラード……ありがと、覚えておくわ」
ベラミラードの精霊門。もちろん全く聞いたことのない名前だ。とはいえプレイヤーは山ほどいるからもしかすると単語くらいは見つかってるかもだけど。
そういえば、リンちゃんは前のイベントの時に雷の精霊魔法を覚えたんだった。精霊結晶だかなんだかを使ってすんごい魔法を唱えた時に、雷の精霊と契約が結べたとかなんとか。
精霊を呼び出して、指示を出すことで攻撃する魔法。普通の魔法よりワンテンポ遅い代わりに威力が高い特徴がある、らしいよ。
「さて、そろそろ第一の関門だ。戦いの邪魔にならぬよう、私はここで引っ込んでおくとしよう」
ちょうどキリのいいタイミングで、酒呑はそう言ってリンちゃんの頭の上から飛び降りた。
思いのほか身のこなし良く着地する酒呑に安心しつつ、突然目の前に現れた「真っ黒な影の扉」に目を向ける。
何か出てくるんだろうか。
そう思って待っていると、出てきたのは黒いヒトガタの何か。
私と同じくらいの背丈で、二本の角や和服の意匠が凝らされた装備から、この黒いヒトガタが鬼人族を模しているのは明らかだった。
「それはこの私の影法師だ。この世界を滅ぼし、力を使い果たす直前のな。当然弱体化はしているが……それでもアレは私の化身だ」
「……なるほど」
「倒せなどという無茶は言わん。どうにかして抗え。15分耐えられたらお主らの勝ちだ」
相対しているだけで身震いしそうなほど、構えが堂に入っている。
《鬼神の影法師Lv170》
これまで戦ってきた相手の中では、最高の数字が目に入る。
世界最強の鬼神の欠片。純粋な暴力の化身との戦いが始まった。
ちゃんとした過去編は機会があれば書きます。
親の手を潰したくらいで済んだナナは幸運だったのだろうか。