全てが終わりかけた世界で
「おお……」
「これが神の時代、ねぇ……」
失われし神の時代。
巫女さんがそう形容した世界の空は、酷く赤く染まっていた。
夕焼けとは違う、明確な赤。それは私の目が間違っていなければ、世界の空を覆い隠すような雲の色だった。
大地は砕け、ひび割れ……そう、いつか見た永久焦土を思いっきり叩き割ったような様相とでも言えばいいのか。
捲れ上がって大地から突き出す槍のような岩盤も、何も無いはずなのに所々で燻るように立ち上る黒炎も。何もかもが命の存在を否定している。
遠くの方には瓦礫の山みたいなものもあって、よく見るとそれが建物の残骸だとわかる。きっとあそこには街や国があったんだろう。
火山が噴火した後や、隕石が落ちた後に残る景色に近い。大災害によって滅びかけた世界の姿がそこにあった。
「まるで地獄ね」
「たぶん酒呑童子が暴れた後、ってことだよね。失われし神の時代って『はるか昔の神代』って意味じゃなくて……『終わりを迎えた神代』って意味だったのかな」
「見てナナ、よく見ると所々でオブジェクトもバグってるわよ。メルティの話から推測すると、世界を構築するリソースがなくなって綻びを隠してたテクスチャが剥がされたってところかしら?」
『はぇ〜』
『まっさらに消えるって訳でもないのがまた……』
『地面が文字化けしてて草』
『この世の地獄だな』
酒呑童子が暴走した後に残った、荒廃した世界。
創造神イリスが意図的に発生させたというバグですら表面化して目につくほど、この世界は終わっている。
もしこれが現実だったなら、死体がそこら中に転がっていたのかもしれない。それぐらい悲惨で、どうしようもない光景だ。
「ああ。これが一度滅びかけた世界の姿。そして我が罪の姿でもある」
「おわっ!?」
急に足元から聞こえてきた声に、私は思わず大きな声を出してしまった。
下を見ると、そこにはまるで私をデフォルメしたみたいな20センチくらいの人形が立っていた。
リンちゃんはそれを見ていきなりしゃがみこむと、つんつんと人形の頭を突っつき始めた。
どうやら布や木で作られている訳じゃないらしく、ぷにぷにと指がほっぺに沈んでる。これは多分アバターと同じ素材なのかな。
「何よアンタ」
「やめ、止めんか、突っつくでない! ただでさえバランスの悪い写身になってしまって、倒れたら立ち上がるのも一苦労なのだぞ!」
「この人形よくできてるわね……かわいい……私もこういうの1個作ろうかしら……」
リンちゃんは突然現れたその私人形をよっぽど気に入ったのか、両手を脇の下に入れて持ち上げてはそのまま細部まで観察し始めた。
人形の中身が誰かはもう分かってる。ただいつになく真剣な瞳のリンちゃんを止められずにいると、揉みくちゃにされていた人形が悲鳴を上げた。
「ええいスクナ! お主の友だろう! 早く止めてくれ!」
「あ、うん。リンちゃん、そろそろやめよ、めっちゃしんどそう」
「ハッ……! ……ごめんなさい、つい、ついね」
どうやら本当に我を忘れるくらい気に入っていたみたいで、リンちゃんにしては珍しくハッとした様子で少しバツが悪そうに手を止めた。
そのまま片手の上に立たせてから、両手を人形の足場にしてあげていた。
「酷い目にあったぞ……」
「なんかごめん」
「いや、軽率に写身をお主の姿にした私にも責任はある……愉快な友を侍らせているものだ」
人形は小さな手で乱れた服を整えながら、大きくため息をつくような動作をした。
「それで、どうして酒呑がこんなところに?」
私の姿を依代にして出てくる、旧知の人物。
この条件に当てはまる知人は今のところひとりしかいない。
酒呑童子。元世界最強の鬼神であり、《鬼神子》という職業を司る鬼人族の信仰対象であるNPCだった。
「この世界の案内人だ。このところ、どういう訳か我が眷属がこれまでの比では無いほど増加していてな。写身の作成に使える資源がぐんと増えた故、こうして新しく写身を作ってみたのだ。とはいえ、このような小さな体躯を作ったのは初めての試み。こうして案内がてら試しに来たというわけだな」
「そっかぁ。童子を選ぶプレイヤーが増えてるんだね」
「ここ最近、スクナが八面六臂の大活躍だからでしょ。貴女は気にしてないだろうけど、今新しい旅人に人気な種族って人族、エルフ族、獣人族に次いで鬼人族なのよ。しかも童子の進化ルートも着々と開拓されてるし、そりゃあ選ぶ人も増えるわよね」
「私の知らぬ間にそんな影響が……」
私個人としては、あんまり鬼人族はおすすめじゃない。鬼人族って基本的に魔法が使えないし魔法に弱すぎるから、その点ではある程度縛りプレイになっちゃうからね。
ただ、シンプルに武器で戦いたいって人には理想的な選択肢になりうるのも確かだ。ボーナスポイントで魔防さえちゃんと上げれば硬くて速くて強いの三拍子揃ったアタッカーになれる。
ただ、童子はその魔防を上げることさえ許されない。
ある程度装備で補えるにせよ、ガード性能のない武器で戦おうと思ったら対魔法の戦闘手段は必須だ。
シンプルに回避する。あるいは破壊する。
私であれば《鬼の舞》の三式・水鏡の舞だったり、終式による権能《徹底抗戦》の発動であったり。それだってちゃんと魔法を撃ち落とさなきゃいけないから、どの道魔法を見切る必要はある。
あらゆる属性攻撃から身を守れるガード性能のある装備だって、飛んでくる魔法をちゃんと防がなきゃダメージは受ける。
良くも悪くもプレイヤースキルに強く依存するのが《童子》であり《鬼神子》。
まあ転職イベント発生時に鬼神子にならないって選択もあるから、救済措置がない訳じゃないけどね。
とはいえ、私の配信が結果としてこのゲームのプレイヤーを……ひいては鬼人族人口を増やせてるならそれは嬉しい。
特に私はものすごい特殊なルートを走ってきたから、《童子》のプレイヤーが増えたらまた別のルートが開拓されてくこともあるだろうから。
「ククッ、布教により信徒を増やすなど、神子らしくなって来たではないか」
「図らずもね……にしてもさ、なんで酒呑はいつも依代を作る時に私の見た目にするの? そろそろ私も酒呑のホントの姿を見たいんだけど?」
「ぬぐ……まあ、そうだな。その疑問は尤もだ」
私の指摘に、酒呑は図星をつかれたような反応をした。
今回のデフォルメスクナ人形はどうやら《赤狼装束改》の方をモデルにしているらしく、これまでみたいにお腹が欠損した擬似アバターではなくなっている。
単なる縮小版じゃなくて完全新規の人形が作れるなら、わざわざ私をモデルにする必要は全くないはずだ。
酒呑は少し話しにくそうに口を噤んでから、諦めたように理由を話した。
「そもそもお主の背丈が私の元の姿とほぼ同じで扱い易いということもあるのだが……根本はもっと単純な話でなぁ。私はもう、自分の姿をほとんど覚えておらんのだ」
「えっ?」
「へぇ……」
自分の姿を覚えていない。
そう言われてみて、腑に落ちた。
「私はあの幽世の社で1000年を超える時を過ごした。本体が封印されていて写身を作る力もない状態の私は、意識を持った靄のような存在でな。あの空間に鏡はなく、あそこに漂う私はスクナが来るまで肉体はおろか仮想体さえ持ち合わせてはいなかった」
「残酷というか無常というか……この世界の住人たちも記憶を忘れることがあるのね」
「我らの記憶の在り方もお主らとさほど変わらんよ。少しばかり機械的ではあるが、古い記憶は忘れ易いし、新しい記憶は忘れにくい。本体があれば写し取って複製することも出来なくはないが、その本体は封印の下で手が届かないからな」
本人の言を信じるなら、確かに1000年以上も自分の姿を見ていないのに、それに合わせたアバターを作るのは困難だろう。
だって、似顔絵ひとつまともに書けない人が世界中に溢れてるんだよ。自力で精巧な人形を作るなんてもっと難しい訳で。
前に傷ついた私のアバターをコピったみたいにコピーと印刷で作ろうにも、肝心の本体がなきゃできないと。
だからこの世界に入ってきた私のアバターをコピーして、小さく縮めて作ったのが今の酒呑のデフォルメスクナ人形状態ってことなんだと思う。
「私以外のモデルをどうにか調達しない?」
「あら、私はいいと思うわよ。このデフォルメナナ人形なんてほんと魅力的な造形してるし。ねぇ酒呑、これはどうやって作ったの?」
「《式神創造》スキルの応用だな。《人形作成》スキルでも同じことはできるはずだ。ただし、私が意識を乗せることが出来る理由は権能によるものだ。意志を持って自立する人形は作れんだろう」
「そういうクリエイター系のスキルがあるのね……ありがと、覚えておくわ」
リンちゃんが思った以上にスムーズに酒呑と仲良くなっててなんとも言えない気分になる。
なんだろ、性格の相性がいいのかな?
「あれ、ちょっと待って。酒呑って《絶対破壊》の他にも権能を持ってるの?」
「生まれつき2つ。後天的にも幾つか手に入れたからなぁ。少なくとも4つは持っているぞ」
「うわぁ……」
「理不尽の極みみたいな存在ね」
「そうでなければこうはならん。……とてつもないだろう? 世界の終わりというものは」
リンちゃんの手の上に座りながら、酒呑は小さな手のひらを周囲に向けた。
さっきも自分の罪の姿だ、なんて言っていた。
封印を素直に受け入れる程度には、災禍を起こした責任を感じているってことなんだろう。そうじゃなきゃ、そんなに辛そうな顔をするわけがないから。
しばらく遠くを見るような目で周囲を見渡してから、酒呑は気を取り直して言った。
「さて、本題に入るとしよう。レベルの上限を超える試練は単純な物だ。この地を踏破し、始まりの封印へと辿り着き、番人を倒せばいい」
「ホントに単純だね」
「そうとも。はっきり言うが、レベル上限の突破など有るべき力を示す為だけのただの儀礼だ。そこに関門を設ける理由は本来存在しない」
「実際通常職はそういうのないらしいわね。セフィラに行って神に祈ればハイおしまいって感じらしいわよ」
「何それずるい」
ただでさえ私は面倒な手順を踏んでやっとここまで来たって言うのに。
特殊職業以外のプレイヤーはセフィラに着くだけでレベル上限解放の条件が満たせるのか。
……と思ったけど、よく考えると初期ステージに戻るだけでここまで来られてる私の方がずるいかもしれない。セフィラって攻略最前線にあたる第7の街だから、行くだけでもかなり大変なはずなんだよね。
「お主らが求める物は、始まりの封印の先にある。本当の神代……世界が崩壊する前、この地獄より更に過去の記憶もな。まあ、いつまでもここで話していても仕方があるまい。ひとまず封印に案内してやろう」
「よろしく! 酒呑はリンちゃんの頭の上乗せとく?」
「それでいいわよ。ナナの上じゃいざとなった時ずり落ちそうだし」
最初に言っていた通り酒呑は案内役を務めてくれるらしく、軽く話し合った結果、酒呑人形はリンちゃんの頭の上に乗っけておくことに決まった。
こうしておけば、戦闘に入った時に移動で落ちる心配をする必要は少なくなるだろう。リンちゃんは魔法使いだから、あんまり動かなくても戦えるもんね。
酒呑を頭に乗せるために頭装備をイヤリングタイプのソレに変更したリンちゃんの頭の上にミニ酒呑を上手く貼り付けて、私たちは「始まりの封印」に向かって歩き出した。
「ついでだ。封印に辿り着くまでの道中、世界がこうなる前のことを、少しだけ話すとしようか」
二人と一体で歩き始めてすぐに、酒呑は気軽な様子でそう言った。
ミニスクナ人形はこの後商品化されて1体1万円で売られたとかなんとか。
自分の姿は忘れたくせに親友のことは今でも鮮明に覚えているのが酒呑童子という人です。