子供な大人
「さて……随分遅くなっちゃったわね」
深夜一時。
グリフィスからゼロノアへの移動にめちゃくちゃ苦戦した結果、こんな遅くまでWLOに篭もることになってしまった。
ナナにはゲーム内からメッセージを飛ばして先に寝てていいと伝えたから、多分もう寝てるはずだ。
(鳩が沢山来てたからナナの方で起こってたことは全部知ってるけど、プレイヤー全体にとっても濃い一日になったわね)
軽く栄養補給と寝る前の身支度をしながら、今日一日のことを振り返る。私自身のことではなく、ナナの方で起こったことについてだ。
メルティの襲来。そういう形になったかという驚きはあったけれど、ナナに終式の効果を聞いた時点で運営側から何らかの形で接触はあるとは思っていたから想定外ではなかった。
(流石に同接は波が大きいわね……)
始まった時の50万程度から、最大同接は120万、平均同接は30万程度。一番盛り上がっていたのはメルティと戦っている時だった。
なんと言ってもWLOというゲームが始まって以来の大規模戦闘だ。
初めて見る魔法、初めて見るフィールド、嵐のように舞い踊る魔法を操るメルティと、砕け飛び散る大地の中を冗談のように駆け抜けるナナの姿。
最強の魔法、そしてそれを軽々と破壊する最強の物理火力。
下手なハリウッド映画なんかよりもよっぽど見応えがあるシロモノだった。
「カメラワークに関してはどんなシステムを組んだらここまで綺麗に行くのかしら。場合によっては複数個に分裂までしてるし」
内心思い浮かべたつもりで、思わず言葉を漏らしてしまう。
ナナは自分の配信を見返さないから気付かないだろうけど、傍から配信を見てる側としては中々に面白いことになっていた。
ズームのインアウトを自動調整しつつ、シーンによってはほとんどナナの一人称視点になることもあれば、メルティの側に寄り添うこともある。
このゲームで一番驚くべきポイントは、この意味不明なカメラワーク技術なのかもしれない。
(ナナの進化は止まらないわね。肉体的にも精神的にも間違いなくこれからが全盛期。わかっていたことだけど、あの子の才能はもう仮想空間でないと持て余すレベルになっちゃってる)
音速を視認するだけでなく、自分自身がその速度での戦闘を可能にする。それはもう単なる身体能力以上に、反射速度が人智を遥かに超越している証拠だ。
知覚から反応まで、トップアスリートでさえ0.1秒かかる。けれど、音速の世界での0.1秒は34メートル先だ。
少なくともその10倍。理想を言うなら100倍は速くないと音速戦闘時に思ったとおりに体を動かすのは難しい。
仮に反射速度が追いついたとして、手指の先まであらゆる動作が音速を越えないと反応した後の動作がついてこない。
現にナナは攻撃を一々振ったりはしていなかった。攻撃の姿勢は予め固めて置く。
つまりメルティを出し抜いたナナの最後の攻撃は金棒でぶん殴っていた訳じゃなくて、金棒を構えてただ突進していただけだった。
(仮想世界のパラメータは電子データでしかないから、育てばいずれはあらゆる動作が音速に届くでしょ。最終的には小回りの利く人型戦闘機みたいになりそうだけど……まあ、あの世界はNPCも馬鹿みたいに強いし、PvPにこだわらなければ敵に困ることはないか)
WLOにはPvP機能こそあれど、それを用いたイベントは今のところ行われてはいない。
今後行われないとも限らないけれど、どんなイベントであれナナを出場させるのは無理だと確信した。
対人において同条件であの子を倒すのはもう不可能だ。強さの次元が技術とか才能とかそういう枠組みを超えている。
ただ、純粋なステータスの暴力で勝るNPCはメルティや琥珀を筆頭にまだまだあの世界に存在する。少なくとも一年や二年で倒せるようになる相手でもない。仮にそうなったらインフレもいいところだ。
NPCが人に近い思考を持つ相手である以上、プレイヤーとの戦いにナナがこだわることも無いはず。まあ、仮にNPCが感情のないプログラムだったとしても、戦い自体が高難易度であるならナナはちゃんと愉しむだろうけど。
(しばらくはこっちから無理に声をかけなくてもモチベは続くわね。壁にぶつかってる時が一番楽しいんだから)
いい意味で、あんなに肩に力の入っているナナは久しぶりに見た。
最初から最強だったナナにとってトレーニングとは、どうやって自分に上手に枷をかけるか、ただそれだけだった。
今ある能力の限界値をようやく目にして、それでもなお強くなりたい、限界を超えたいと思えるようになったのだ。
それは間違いなくいいことで、私がWLOというゲームに望んでいた夢でもあった。
「よし、そろそろ寝ましょ。……あら」
取り留めのない思考を打ち切って寝室に行くと、珍しくナナがベッドのど真ん中を占拠して眠っていた。
寝相で真ん中に、という線は薄い。ナナは寝ている時は基本的に微動だにしないから。
となればまあ、わかりやすいアピールだ。
「ふふ……」
ベッドの脇に腰掛けて、すやすやと眠るナナにそっと手を伸ばしてみる。
釣れない。普段なら擦り寄ってくるところなのに目に見える反応はなく、どうやら思った以上にちゃんと疲れてはいるらしい。
(なんだ、ほんとに珍しいわね)
あれだけの激闘をこなして、その後も5時間近く配信を続けてた訳だから当然と言えば当然ではある。
仕方ないので素直に布団に潜り込んで、寝ているナナに寄り添うことにした。
(今日は甘えたがりの日ね)
ナナの寝る時の姿勢は、仰向けでゆったりと眠る時と、猫のように丸まって眠る時の2パターンに分かれる。
本人は全く自覚していないけれど、ナナが丸まって眠るのは決まって甘えたがっている時、つまり寂しい時だ。
まして今回はわざわざベッドの真ん中を占有してまでアピールしているんだからわかりやすい。
私はナナにとっての止まり木。
唯一羽を休めることができる場所。
ナナはちゃんと見てないと延々と飛び続けてしまう鳥だから、休息のサインはちゃんとこちらで読み取ってあげなきゃいけない。
どうしてこの子は私にだけ察してちゃんなのかと思うこともあるけど、こればっかりは小さな頃から何事も察してあげちゃってた私が悪い。
(今も昔もそういうところは変わらないのよね。言葉でちゃんと甘えたいって言ってくることはほんとに少ないところ。まあ、ここまではっきりと寝床を占領してたらどうして欲しいのかなんてひと目でわかるけど。それでも少しずつ、昔みたいに甘えてくれるようになったわね)
「ほら、おいで」
「んぅ……えへ」
丸くなって眠る背中をポンポンと撫でながら耳元でそう囁くと、ナナはもぞもぞと体勢を変えて私にのしかかってきた。
くっついて来るくらいかと思ってたから少し焦ったけれど、仰向けになって迎えてあげると、ナナはうつ伏せのまま私の胸を枕にして幸せそうに身動ぎした。
(なんか、この言い方だとナナが変態みたいね)
ナナは私に対して性的興奮を抱いてはくれていない。
なんせこの子は情緒が2歳から15歳まで全く育たなかったお子ちゃまだ。あれから6年半経ったとはいえ、リアルに考えれば9歳児くらいのレベルでしか三大欲求を理解してない。
年齢に対するそのアンバランスさもナナの魅力のひとつではあるけれど、恋愛や性に対してアンテナが働くのはもう少し先の話。
少なくとも今は、ただ単に本能的に「リンちゃんの匂いがいっぱいで幸せ」くらいにしか思ってないと思う。
(ナナの矢印の向きは心配ないとして、この子の場合は永遠にそういうことに興味を持たなさそうなのがね)
さっきの移動は無意識だったみたいで、涎でも垂らすんじゃないかと心配になるくらいふにゃっとした顔で眠っているナナの頭を撫でながら、ナナの将来に思いを馳せる。
「……ふへへ……」
「まぁ……可愛いから今はいいか……」
バトラーのこともあったから、こうして肌で触れ合ってイチャつくのも久しぶりだ。
ナナがめいっぱい甘えモードに入ってる間に私もナナ成分を補充しておかなきゃね。
この後めちゃくちゃ構い倒した。
今夜は寝顔盗撮無し!