トリリアの真実
「うーん……水温は26℃くらいか」
『わかるんだ?』
『それは具体的にどのくらいの冷たさなん?』
『天然温度計っ娘』
『温度計の擬人化とはたまげたなぁ』
『首だけ出てるのなんかシュール』
「泳ぐ分には気持ちいいと思うよ。といっても、この世界じゃ暑さも冷たさも実際の温度ほどは感じないから、少し涼しくなるくらいだね」
ひとまず水深5メートルくらいのところで緩めの立ち泳ぎをしながら、水の感覚を味わってみる。
第一に感じたのは、ごくごく小さな違和感。
(んー……見られてるな、これ)
どこからともなく視線を感じる。それは周囲をパチャパチャと楽しそうに泳ぐ水竜ちゃんではなく、もっと大きな何かからの視線だ。
もちろん人のものでもない。これは多分、水竜ちゃんよりもっと大きな水竜とかからの視線だろう。
まあ、視線と言っても目で見られてる訳じゃなさそうだけどね。ずーっとソナーをかけられてるような、そんな感じ。
私の五感でも何となくしか感じとれないってことは、たぶん魔力的なファンタジー索敵能力だろう。
「なんか水底から何かに見られてるみたい。と言っても、視線と言うよりはソナーを打たれてる感じだけど」
『変態か?』
『わざわざ潜水してまで覗きはレベルたけーな』
『水着っぽい装備の子なら他にもちらほらいるのに』
「あーいや、人じゃないよ。多分水竜とかそういう、湖底に潜んでる何かだね。ちょっと潜ってみる」
あんまり意味は無いと思うけど、軽く息を吸って水中に潜る。
配信用水晶がポチャンと音を立てて追従してくるのを確認してから、少し耳を澄ませながらもっと水深の深いところを目指して泳ぎ始めた。
(このペースだとスキル熟練度0の時に潜れるのは30秒きっかりか)
《潜水》スキルは泳ぎが得意になったり泳げるようになるスキルじゃなくて、水中で「息が続くようになる」スキルだ。
潜水時はSPとは全く違う、いわゆる酸素ゲージを使う。SPもちょっとは使うけど、全力で泳いだ時でも地上でダッシュした時くらいしか減らないから、《月椿の独奏》を装備してる私ならほとんど関係ない。
酸素ゲージもSPも水中から顔を出せば時間経過で回復するしね。深く潜りすぎない限りは基本的に問題はない。
「ぷはっ、よく考えたら水深が深くなるところまでは潜る意味なんもないや」
『せやな』
『熟練度は微増するよ』
『髪の毛が張り付いててなかなかせくしー』
『ちょっとドキッとしてしまった自分が憎い』
『↑別にええやん。自分に素直であれ』
『濡れ鬼っ娘……ありやね』
「おお、そういえば服も髪もちゃんと濡れるんだね。……これ金属鎧装備の人って泳げるのかな?」
『残念ながら……』
『一応泳げはするらしい』
『革装備に変えるのが鉄板だけど』
『錆びるんだよね、金属装備』
「え゛っ……一応逢魔はしまっとこうか」
リスナーから教えてもらった地味に衝撃的な事実を聞いて、一応金属装備であるはずの《簒奪兵装・逢魔》をインベントリにしまう。代わりにはるるから沢山押し付けられた使い潰し前提の無銘の金棒を背負うことにした。
「キュアア〜」
「おお、ごめんごめん。放ったらかしにしちゃって」
私がリスナーとばかり話しているのがお気に召さなかったのか、立ち泳ぎしている私のバランスを崩さんと水竜ちゃんが体を頭で小突いてくる。
あむあむと手を甘噛みしたり服を引っ張ったりしてくるのをどうにか宥めすかしているうちに、水竜ちゃんの相手とリスナーの相手を両立するために背泳ぎの形でぷかぷか浮きながら水深の深いところまで進むことになった。実際にはただの仰向けのバタ足だけどね。
「空が青い……って言いたかったけどもう夕方だねぇ。綺麗な夕焼けだ〜」
『モンスターのいる湖とは思えないほど平和やな』
『のほほんとしやがって』
『ついさっきまでメルティと戦ってたとは思えんな』
『頑張ってたご褒美ってことで』
『そういやスクナ全然モンスターに遭ってないやん』
「おぉ、言われてみれば確かに。モンスターが出るから水着で遊べないって話だったのに、全然出ないねぇ」
「キュルッ、キュッ、キュイ!」
「どーした〜、急に誇らしげな。もしや水竜ちゃんがモンスターを追っ払ってくれてるの〜?」
「キュキュ!」
「ほへぇ。偉い子偉い子」
『気ぃ抜けてんなぁ』
『温泉みたいにくつろいでて草』
『そんだけ疲れてたんやろ』
『まー世界最強と戦ってたわけだからな』
『ワイらが霊長類最強と戦うようなもんか?』
『↑今の霊長類最強はそこで溶けてる鬼っ娘なんですが』
『↑ビンタ一発であの世行きですわよ』
『ちな水竜の子供は傷付けると親が出てくるからモンスターからは襲われないらしいで』
「ほほー。てことは今視線を送ってきてるのは親御さんかなぁ。可愛いもんねぇ水竜ちゃん」
水中でのモンスター戦もやってみたいところではあるけど、今日はもう戦わなくてもいいかなって気持ちもある。
流石にメルティとの戦いはしんどかった。規模も速度もこれまでの戦闘で一番だったからね。
「おっ、水深深くなってきた。もう少し行ったら一気に下がるっぽいよ」
陸から数えて20分くらいのんびり泳いできたあたりで、一気に水深が深くなりそうな崖が見えた。
体勢を変えて犬かきの要領でそこまで辿り着いた私は、ひとまず視線の主を探すために水中に潜ってみた。
「……もごっ!?」
深い。そして広い。想像よりも遥かに。
崖の先、水深が深くなったそこの広さは少なくとも一キロ……いや、もっと先まで広がっていた。
深さも凄まじい。光の届く範囲、リアルに換算するなら400メートルくらいか。底が全く見えないあたり、少なくともその程度の深さじゃない。
そして想像より遥かに多様な生物が蠢いている。モンスターもいれば、モンスターじゃない水生生物も。
(あっ、あのモンスター見たことある。トリリアとフィーアスの間の川にいた30m級の化け物モンスターだ)
広大な湖中を悠々と泳ぐ、見覚えのあるモンスターの姿に戦慄する。
アビストラウトLv80。化け物みたいにでかいけど、アレ鮭の仲間だったんだ……。一瞬視線を向けてたからこっちに気付いてはいるけど、アクティブ状態にはならないで悠々と泳いでる。
案外大人しいモンスターなのか、それともやっぱり水竜ちゃんには傷をつけられないということなのかも。
というか、あの川とこの湖ってもしかして繋がってるの?
そう思って耳を澄ませてみると、何かの鳴き声と思われる水中を反響する小さな音が聞こえたのと同時に、想像を遥かに超えるトリリア周辺の構造が浮かび上がってきた。
(うわぁ、……地上じゃ陸地みたいに見えてたけど、下は全部湖底洞窟みたいになってるじゃん……てか、トリリア周辺のフィールドって全部が湖の上に浮かんでるっぽくない?)
結構広く感じた浅瀬の部分はただの見せかけ。
恐らく、魔の森を出た直後からフィーアスとの間を区切る大河まで、そこを覆う陸地の殆どが湖底洞窟の天井部分なんじゃないかと思えるほどの広さ。
私の耳じゃ全容を捉えきれないほど、深さ以上に『横に広い』。それがトリリアを囲む湖の全容だった。
「ぷはっ……思ったよりやばいね、これ」
『蠱毒の壺かな?』
『これが深淵……!』
『ほんとに湖?』
『アビスって名前見えたんだけども』
『怖すぎて泣きそう』
『アビストラウト君あまりにも怖すぎる』
「パッと見もやばいけど、水深200メートル辺りで崖の壁が途絶えててさ。そこからぶわーって空間が広がってるみたい。なんというか、このトリリア周辺のフィールド自体がでっかい湖に蓋をして覆い隠すように浮かべられてる感じ?」
『ゾッとした』
『怖すぎ』
『もう帰らん?』
『今明かされる衝撃の真実』
『どんな構造よそれ』
「後で図説してあげるよ。と言っても私の耳でも捉えきれないくらい広かったから、全部はわからないけどね」
「キュッ! キュルルル、キュア!」
「おっ、どうかした?」
リスナーと共に湖底の実態に震え上がっていると、水竜ちゃんがグイグイと私の装備の袖を引っ張ってきた。
どうやら水中で何かが起こっているらしく、水の中を見ろと言っているらしい。
その瞬間、気付いた。
目には見えない湖底の深淵から、何かが上がってきている。
咄嗟に水中に潜ると、アビストラウトなんて鼻で笑ってしまいたくなるくらい巨大な何かの影が見えた。
緩やかに、しかし確実に上がってくる巨体は、水竜ちゃんによく似ていた。
全ての生物やモンスターが逃げ惑うように姿を消したあたり、頭に浮かんだ予想はたぶん間違ってない。
目測で全長300メートルはありそうな、極大の水生生物。
7対の巨大な瞳。ひとつひとつが私なんかよりはるかにでかい牙。アビストラウトなんて丸飲みできそうな巨大な口。
それは、全てが規格外の巨大さを誇る、一頭の水竜だった。
津波や渦潮を起こさないように気を使ってくれたのか。
水竜がなるべく波を立てないようにゆっくりと首を水面に出すのに合わせて、私も潜るのをやめて顔を水面に出す。
「キュゥゥ……キュッ!」
水竜ちゃんは嬉しそうにその巨大な水竜の傍によると、周りを泳いでは頭を擦り付けていた。
まず間違いなく、あの子の親がこの巨大な水竜なんだろう。
「でっっっっかいね……」
『うぉぉ』
『ひぇえ』
『うっそだろお前』
『あまりにもデカすぎる』
『草』
『子供との体格差ァ』
『もしかして水竜ちゃんってまだ赤ん坊なんか?』
『子供を攻撃できない理由への納得感』
『でけぇ』
『目がいっぱいある……』
「……グルルゥ……」
底冷えするような、小さくも響き渡る唸り声。
親と思われる巨大水竜は私のことをその7対の目でしばらく見つめたあと、首をグッと折り曲げて私に顔を近づけてきた。
何をしたいんだろうと思いつつ、どうせ抵抗しても即死するよな……と半ば諦めたような気持ちで待っていると、口の隙間から蛇のような舌がヌッと出てきて私の全身を舐め回した。
とはいえその巨体にあったサイズの舌は、私の全身を容易く絡め取れるほどにデカかった。
「にょわっ……ちょっ……何を……くすぐったいって……」
一分程ただただ舐め回された後、満足したのか水竜は静かに水中に潜りそのまま湖底に帰っていった。
水竜ちゃんは一緒には行かなかったみたいで、見送るように水中で手を振ったあとまた私の傍に戻ってきた。
「なんなの今の……」
「キュル!」
『草』
『なんか草』
『すごいなにか起こりそうだったのになにも起こらなかった件』
『べちょべちょに舐め回されてるやん』
『スクナの周り以外小さな津波起きてたよ』
『きたない』
『でっかかったなぁ』
『壮大に何も始まらない!』
『水竜ちゃんお帰り』
「なんかアイテムとか手に入ってたりしないかな……あっ、称号増えてる!?」
ステータスを開いてみると、称号を新規獲得した旨のメッセージが点滅していた。
「なになに……称号《水竜の友》。フィールド『水竜淵底』において、自ら敵対しない限りあらゆるモンスターに敵対されなくなる。えっ、この湖そんな名前なの?」
『突っ込むとこはそこじゃないやろ』
『トリリア湖って名前だと思ってた』
『要するにセルフで水竜ちゃん同行バフがつくってこと?』
『あんま変わらなくね』
『あるのと無いのの差がわからん』
「あって損はしなさそうだけど……まあ、こっちから殴りかかれば戦いにはなるみたいだし、不意打ち先制攻撃権ゲットと思えば強いのかな」
『その表現だとなかなか陰湿だな』
『邪悪な称号で草』
『発想が殺意マシマシなんだよね』
「えー、普通に考えるでしょこれくらい。後でアビストラウト殴ってみようよ」
こちらから敵対しない限りは相手も敵対してこないってことは、こっちが攻撃しない限り相手から攻撃が飛んでこないってことだ。
とはいえ今の《潜水》スキルの熟練度じゃ、アビストラウトがいる深さまでは潜れない。ああ見えて水深50メートルよりはずっと下にいるみたいだしね。
あのモンスターのHPゲージは2本あるし、不意の一撃で倒せる強さでもなさそうだ。戦えるのはそれこそ、湖底廃都に辿り着いた後だろう。
「とりあえず、しばらくは《潜水》スキルの熟練度上げのためにひたすら潜り続けるね。水中は綺麗だし、水族館代わりに見てって貰えたら嬉しいな」
「キュアッ!」
『この水族館世紀末過ぎん?』
『なんかこう本能的な恐怖を感じるんだよね』
『アビストラウト君以外にもクソでかい魚類がおるよなぁ……』
『自分は襲われないからって!』
「はっはっは」
それから日が暮れるまでの2時間ほど。
私は繰り返し潜水をしては湖底の景色を配信して、ついでに何匹かあの巨大水竜の子供たちと出会ったりしながら、スキルの熟練度上げに勤しんだ。
湖底廃都はスクナが潜ったのとはちょっと離れたところにあります。特殊なダンジョンなので、頑張って潜れば見ることはできるくらいの深さにはあるのです。
ちなみに親水竜さんは水竜淵底全域で複数体います。
深く潜れば潜るほど強いモンスターもワラワラ。光の届かない水底って怖いですよね。