パワーホルダー
(ああ、詰みだ)
天からゆっくりと落ちてくる《メテオ》を見て、スクナは素直にそう思った。
数多の魔法を退けて、何とかして攻撃を当てられると思えば謎の障壁に防がれて。
1秒1秒どころか、0.1秒かそれより細かい単位で判断を強いられ続けながら、虎視眈々と勝利の一撃を狙っていたのだ。
チャンスはあった。
だが、それもここまでだ。
(この感じ、懐かしいな)
かつて真竜・アポカリプスが使ったあの魔法を思い出す。
スクナには知り得ないことだが、アレは暗黒属性の真理魔法、《フォールダウン》。
空そのものが落ちたような、核兵器を思わせる大規模破壊魔法。あのひとつのフィールドを消し飛ばすほどの攻撃範囲を持つ魔法と同等の魔法を前に、逃げ場などありはしない。
これが魔法の最果て。
あらゆる魔法がいずれ辿り着くという真理。
コモンスキルを極め。
マスターランクスキルを極め。
テイルズスキルを極めたその果てに、それらの魔法は姿を現す。
天から迫る絶望こそが、万を超える魔力を喰らい、あらゆる存在を撃滅する魔導の最終奥義の姿だった。
「どうしよっかな……」
どうにか回避する手段を検討するスクナだが、思い浮かべる可能性のことごとくに欠陥があった。
隕石が落ちてくる速度自体は予想以上に緩やかだ。着弾まで目測で40秒。全力で走れば一般人でも着弾地点からは逃れられる。
今スクナがそうしないのは、爆心地から逃げようとも余波を喰らえばどの道生き残れないからだ。
以前のフォールダウンから被害規模を想定するのであれば、推定半径数十キロ規模の大破壊になってもおかしくない。
世界を焼き尽くす天変の焔を前に、今のスクナにできることはなかった。
故に。
琥珀が動いた。
「諦めるにはまだ少し早いな」
「ほぇ……琥珀?」
どうしようもない絶望に集中が解けかけたタイミングで不意をつくように現れた琥珀に、スクナは薄い反応しか返せなかった。
琥珀は立ち尽くすスクナの頭にポンと手を乗せて労うと、天上の隕石に目を向ける。
「真理魔法は魔導の秘奥。発動には莫大なMPを要するから、いくらメルティでもそう易々と撃てる魔法じゃない。この場さえ凌いでしまえば彼女の戦力はかなり落ちるはずだ」
「う、うん」
「コレの対処は私が引き受けよう。スクナの出番はその後だ。何か試したいことがあるんだろう?」
「でも……それってずるいっていうか」
挑んだのが自分である以上、たとえ負けたとしても横槍なしで正々堂々な戦いを。
そう望むスクナの気持ちは琥珀にもよくわかる。
ただ、今この状況は公正な状況とは言い難い。
「ズルというのなら、彼女がこれを使った時点で反則だよ。使えば戦いは終わる。そんなことは彼女が一番よく知っているんだから」
天上のメルティに目を向ければ、琥珀を見て笑っている。
つまり、琥珀が見兼ねてしゃしゃり出てきたという訳ではない。
そうなるように、琥珀はメルティに引きずり出されたのだ。
であれば軽い意趣返しとして、この魔法を打ち砕くくらいのことはしてやらないと。
「一泡吹かせてやろう。我ら鬼人族の誇りにかけてね」
気楽な様子でウィンクをしてくる琥珀に一瞬呆気に取られた後、スクナは覚悟を決めた様子で頷いた。
☆
《破城》の琥珀。
世界中を見渡しても五本の指に数えられるほどの大英雄。
鬼人族として見ても、齢50程度の若造。たったそれだけの時間で、一切の権能を持たない身でありながら、世界一の筋力値に登り詰めた怪物。
「さあ、この魔法をどう崩してくれるのかしら」
過去に幾度となく繰り返されてきた使徒討滅戦。それはセイレーンの妄執による不定期の災禍。
それにメルティ自身が撃退に赴くのは最後の手段。彼女は創造神との契約により、世界に大きく干渉することを制限されているからだ。
彼女が自ら赴けるのは第6の街、すなわちレベル限界の突破を行っていない弱者の救済措置に限定される。
逆に言えばその先にいる人々は、自らの手で使徒を撃滅しなければならないということでもある。
大陸最東端に位置する第十の街、リ・ジェンド。
かつてその街に襲来した使徒は、《蠢く古城・アルマ》と呼ばれる全長1kmにも及ぶ史上最大のネームドボスモンスターだった。
300を超えるレベル。堅牢な城壁、絶大な質量、25本のHPバーというあまりに膨大な耐久力。ただ動くだけで周囲の全てを破壊しつくす意思ある城塞。
琥珀の成した偉業は極めて単純だった。
その《蠢く古城・アルマ》を、ただの一撃で屠り去ったのだ。
「その身に宿した世界最強の矛、見せてもらうわ」
期待を込めた声色で、メルティはそう呟いた。
対するは最強の魔法。
だが、それでも琥珀は余裕の表情を崩さない。
「そう言えば、称号 《パワーホルダー》の効果を説明したことはなかったね」
この後に備えて準備を整えているであろうスクナに向けて、琥珀は不意にそんなことを口走った。
世界で最も高い筋力値を持つ存在に与えられる称号が《パワーホルダー》。
一見するとただの名誉称号でしかないし、持ち主である琥珀があまりにも軽そうに扱うので、スクナもそれが特別なものであるという意識は持っていなかった。
しかし、実際にはその真逆。HP・MP・SPを除く全ステータスに存在する『頂点能力値保持者』とは、ただ最大の能力値を持つ者を証明するためだけの称号ではない。
頂点を頂点足らしめる、最強格の称号。
その真価が明かされる。
「と言っても、勿体ぶるようなものでもないんだ。『所持者の基礎筋力値』を2倍にする。たったそれだけの効果さ」
スクナは思わず絶句した。
琥珀のレベルは500を優に超えるとスクナは黒曜から聞いた。
ほぼ全てのボーナスポイントを筋力値のみに注ぎ込んだ琥珀の筋力値は、単純なステータス計算だけでも鬼人族の筋力基礎上昇値である1.3✕500に加え、ボーナスポイントの5×500とそれだけで軽く3000に到達する。
そこからパワーホルダーの効果で更に倍、種族専用装備を纏うことで更に1.4倍にまで跳ね上がる。ネームドボスを討伐していれば更に嵩増しだ。
スクナがぱっと思いつくだけの要素でも、琥珀の基礎筋力値は9000近い。
レベル500の後ろ二桁の数字次第では、下手をすれば基礎筋力値だけで1万を超えているかもしれないのだ。
何よりそこを基準として更にバフが乗る、という事実。
唖然とするスクナの反応に笑いつつ、琥珀は両手を打ち鳴らした。
「鬼の舞は5つの型と終式の合計六手で形成される、鬼神様が遺された数少ない鬼人族の奥義だ。こと必殺の切り札としてこれに優るものはない」
両手を打ち鳴らし、鮮やかに舞う。それは鬼人族に伝わる《鬼の舞》。
スクナはその発動の仕方を琥珀から習った。
だが、今目の前の琥珀が捧げた舞型をスクナは見たことがなかった。
「思うんだ。鬼神様に捧げる舞がたったの5つしかないなんて、あまりにも少なすぎやしないかって」
鬼人族として最も大きな才能を持って生まれた少女は、誰よりも伝説に憧れ、誰よりも大きな絶望を知った。
見上げるほど遠く、焦がれるほど届かない。
もはや信仰の域に達した琥珀の想いは、新たなスキルを編み出すに至った。
「これは私が創り出した、鬼人の新たな可能性」
エクストラレアスキル《鬼姫ノ神楽》。
《鬼の舞》を極めた者が、更にその先に行くための力。
自ら編み出したわずか4つの舞から成る神楽の、第1の型を舞う。
「第一奉納《神楽・春荒の羅生門》」
筋力、頑丈、器用、敏捷。
4つの物理ステータスを短時間、爆発的に高めるのが《鬼姫ノ神楽》の純粋な効果だ。
第1アーツ《神楽・春荒の羅生門》の効果は筋力値の爆発的な増加。
その数値は実に4倍。更にこれはスクナの《餓狼》と同じく、全てのバフ計算が完了した後の最終的なステータスに更に乗算されるタイプのバフ効果だ。
酒呑童子はかつてスクナにこう言った。
「琥珀は自分より遥かに才能ある鬼人族だ」と。
確かに酒呑童子は最強の存在であり、全盛の力を以て勝てない相手は存在しないのだろう。
だが、それでもなお、ただ一点その筋力値においてのみ。
世界で最も筋力値に愛された鬼が居る。
それは鬼神でさえ期待を寄せるほどの、絶対的なステータスの化身。
「星を砕く程度であれば、終式を使うまでもない」
メテオが大地に衝突する、その直前。
琥珀はそっと支えるように、メテオに両の掌を当てた。
それは酒呑童子が遺した彼女の戦型。
すなわち《鬼神流破戒術》において奥義の三と呼ばれる御業。
「《鬼哭滅業》」
ゴッ!!! という衝撃波と共に、メテオ全体に亀裂が走った。
それは両の手を使った掌底打ちによる浸透勁。浸透する破壊の力がメテオの岩石を粉々に砕き割っていく。
隕石としての形を保てたのは、それから2秒の間だけ。
真理魔法。そう呼ばれる最強の魔法は、たった一撃で崩れ去った。
本来発生するはずだった衝突の衝撃さえ真正面から粉砕し、盤面に残ったのは砕け散ってバラバラになった瓦礫のみ。
破壊された以上いずれは消えるオブジェクトだが、それでも一時的に『実体』を持っていたが故にすぐには消えない真理魔法の残骸たちに対して、琥珀は更にもう一手を加えた。
「《昇扇乱破》!」
胸元から取り出した鉄扇を思い切り天上へと扇ぐ、本来であれば風圧によって飛び道具による攻撃を防ぐためのアーツ。
轟と吹き荒れる暴風がメテオの瓦礫を押し返し、メルティの周囲にばらまかれ、メルティの視界を塞ぐ。
瓦礫自体の命中はない。それは《時の城塞》によって容易く防がれている。
それで構わない。琥珀はあくまでも攻撃した訳ではなく、落ちてくる岩塊の群れを押し返しただけだからだ。
それは琥珀からスクナに向けた餞別のようなもので、琥珀の予想が正しければ今のスクナが最も欲している状況のはずだった。
「さて、私にできるのはここまでだ」
スクナはこの戦いの中で進化し、更なる何かを掴みかけている。
戦いに割り込まれた時に迷いつつも介入を受け入れたのは、なにか試したいことがあったからだと琥珀は判断した。
鬼神が見初め、吸血姫が認めた、天賦の才能が花開く。
その瞬間を琥珀は見逃したくはなかった。
故に、宙を舞う翼を持つメルティと少しでも戦えるようにと、紛れるための足場を空中に作ってやったのだ。
「スクナ、今度は君の番だ。覚醒の時だよ」
そんな琥珀の思惑を知ってか知らずか、スクナは瓦礫で塞がれたメルティの死角を突くようにメテオの残骸の中へと勢いよく飛び込んでいった。
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