当たり前にあるべき願い
準備を終えたスクナと琥珀が修練場に向かうと、そこには巨大な門が建っていた。
高さ100メートルは軽く超えており、幅も70メートル近くある、影で編まれた門だった。
「なにこれぇ……」
呆然と見上げるスクナを見て、メルティはクスクスと笑った。
「あら、琥珀も来たのね」
「ああ。ソレが深層への移動に使われるという、かの有名なシャドウゲートなのかい?」
「ええ、流石に鬼人の里を滅ぼす訳にもいかないもの」
二人の会話から察するに、どうやらこれはどこかに続く門らしい。
深層という言葉に聞き覚えはなかったものの、あまり突っ込むと無駄に時間を取られそうだったのでスクナは黙っていた。
『でけぇ』
『遠目からもうデカかったけど改めて見ると鬼のデカさ』
『これが羅生門ですか?』
『凱旋門よりでかそう』
『場違いすぎるぞ』
「ほんとにデカイね……二時間って、もしかしてこれの準備してたの?」
「これの建造自体は数分しかかけてないわ。許可を取ってきたのよ」
「許可?」
「私は攻撃魔法の使用を基本的に許されていないの。イリスとの契約でそう決められているのよ」
「噂の権能、その対価と言うやつかな」
話を聞いていた琥珀が、メルティにそう問い掛けた。
契約、対価。十中八九《理の裁定者》のことだとスクナは思った。
イリスが直接創ったとメルティが明言していたのはこの権能くらいだったからだ。
実際《理の裁定者》は創造系の権能だと言っていた。戦闘を制限される代わりに戦闘以外のことに使える能力を渡されるのは差し引きが釣り合っている。
「正確には権能が対価なんだけど……細かい話はいいわね。戦う許可を取るのと、戦場を造るのに時間が必要だっただけよ。どの道スクナにも準備は必要だったでしょう?」
「まあ……できる限りの準備はしてきたよ」
スクナの答えを聞いて、メルティは満足そうに頷いた。
「ダラダラと話す意味はないわね。付いて来なさい、影の国へ招待するわ」
彼女が指をパチンと鳴らすと、巨大な門が開き始める。
メルティはそんな、漆黒の闇が渦巻く門の先に消えていった。
二人は軽く目を合わせてから、メルティの後を追って門の中へと飛び込んだ。
☆
気付けばスクナと琥珀は、開けた大地に立っていた。
灰色の大地に、漆黒の木々。影の国というメルティの言葉に思わず納得してしまうほど、わかりやすい異世界だった。
パッと周囲に目を光らせれば、そこが「巨大な森の一部を切り開いた」場所だとわかる。
スクナの目測で直径2キロ程度の正円状。地面から香る僅かな焦げの匂いからすると、切り開いたと言うよりは焼き尽くしたのかもしれない。
つまりこれは簡易的なコロッセオ。最低限メルティが魔法を振るえる程度の戦場の広さがソレだった。
ぐるりと見渡してみると、南の方には古城が見える。遠目だから分かりにくいが、とてつもなく大きな城だった。
「琥珀、指輪は持ってるかしら?」
メルティの問いかけにスクナが首を傾げていると、琥珀が頷いた。どうやらスクナに向けた質問ではなかったらしい。
「ああ、3つは常備しているよ」
「ならいいわ。事故でも貴女に死なれる訳にはいかないもの」
「指輪ってなんのこと?」
「身代わり人形みたいなものさ。あれより少し便利な、死を代替してくれるアイテムといったところかな」
「へぇ、そんなのもあるんだね」
身代わり人形は、以前鬼人の里で翡翠と戦った時に見た。模擬戦限定で使えるダメージの身代わりみたいなものだったはずだ。
スクナの中では仮想のHPゲージを一本増やして、そちらでダメージを代替するイメージだった。
話を聞いている限り、もしかすると指輪のタイプは模擬戦以外でも使えたりするのかもしれない。
「スクナは死んでも生き返るから、指輪は上げないわよ」
「うん」
「さ、それじゃあ始めましょう。勝利条件はそうね、貴女が私に一撃入れられたらにしましょうか」
明らかになめられている。
それを理解してもスクナは冷静だった。
何せ相手は圧倒的な上位者。今こうして対面していても、勝てるビジョンは微塵も湧かない。
スクナが現実世界で一般人相手に向ける視線と同じだ。
歯牙にもかけない実力差がある相手と少しでも対等に戦おうと思えば、ハンデをつけるのが大前提。
今回はスクナが格下というだけの話だった。
「スキルもアイテムも好きに使うといいわ。戦いの最中は私も《天眼》を含む権能は一切使わない。そうね、後は武器も使わないであげようかしら。今回は魔法とスキルだけで戦ってあげるわ」
勝利条件は一撃を入れること。
スクナの側に制限はない。
メルティの制限は権能と武器の使用禁止。防具に制限をかけないのは、どの道スクナが一発当てられるかという戦いである以上、防御力自体は装備があろうがなかろうが誤差ということだろう。そもそもダメージが通る気もしなかった。
戦いの条件は決まった。
スクナは念の為にアイテムを整理し、観戦者である琥珀が充分に距離を取るのを確認してから、改めてメルティの前に立つ。
琥珀から貰った秘薬は既に飲んだ。月狼戦で余った丸薬もついでに飲んである。秘薬の方の効果時間は30分あったので、戦闘終了まではほぼ確実に持つだろう。
考えるまでもなく、準備は万端に整っていた。
近すぎず、遠すぎない。15メートルほどの距離を開けて2人は対峙していた。
「準備はいいかしら?」
「うん、大丈夫」
「そ、じゃあ始めましょう。これから先、瞬きの間ですら集中力を切らしては駄目よ。そうでないと……」
朗々と語るメルティの言葉がほんの僅かに途切れた瞬間。
瞬きの暇さえないほどの刹那の時間で、メルティはいつの間にかスクナの懐に入り込んでいた。
「一瞬で終わってしまうわよ?」
ポッとメルティの手に赤い光が点る。
魔法発動に際するほんの僅かなラグ。
そしてスクナは懐に入られる前から動き出していた。
「《ファイア》」
瀬戸際でギリギリ飛び上がったスクナの足元を、灼熱の劫火が通り過ぎた。
(ちょ……はぁ!?)
スクナは眼下で起こった現象に目を見開いた。
ファイアという魔法は本来、手のひらに小さな種火を生成し、投げつけて攻撃する初級魔法である。
攻撃範囲は精々がバレーボール大。ファイアボールよりも小さく、投擲物故に速度も遅い。
あくまでも入門用の魔法であり、攻撃に使うと言うよりは点火させたり燃焼させたりと「火」が欲しい時にだけ使われる便利魔法だ。
彼女は確かに《ファイア》と唱えた。
だが、起こった現象は手のひらに種火なんてレベルじゃない。
最弱のはずの呪文はメルティを起点にして、扇状に200メートルの範囲を焼き尽くした。
「今のを跳んで躱すなんて思わなかったわ。片腕くらい犠牲にするかと思ったけれど、よく反応できたわね」
戦闘中にパチパチと気の抜けた賛辞を送るメルティだが、今はそれがありがたかった。咄嗟の判断で上に躱したが、即座の追撃があれば詰んでいたところだ。
(今のは……手を弾かなきゃいけなかったな)
全開の警戒網を、それでもあっさりと抜けられた。
技でもなく、術でもなく、ただ圧倒的な身体能力ひとつで。
研ぎ澄ましていたつもりの思考も反射を強要された結果、次の動作に繋がらない下手を打った。
スクナはまだ、メルティという存在の桁を見誤っていたことに心底驚いていた。
(死ななかったのは、彼女の気まぐれ。上限が全く見えないな)
初級の魔法でこの規模だ。ここから先降り注ぐであろう全ての魔法がアレを超えてくるだろう。
最適解を出し続けなければ即座に死ぬ。いいや、最適解を出した上で、生き残れるかどうかは運次第。そういう理不尽な戦いになる。
(やば……興奮してきた)
あまりの実力差に総毛立つような気持ちと共に、絶望的な状況にゾクゾクする自分がいる。
今の自分が出し切れるはずの力を全て使って得られた結果が、「一番弱い魔法を間一髪で避けただけ」という絶望感。
その絶望こそが、スクナにとっては極上のスパイスになる。
「ふ、ふふふ」
思わず漏れ出す、傍から聞いていれば気持ち悪い笑い声。
嬉しかった。望んでいたのはこういう、どうしようもなく勝ち目のない戦いだったから。
スクナの身体は少しでもぶつかりそうな壁があればそれを乗り越えるように己自身を改良し、瞬時に適応して突破できる性質を持っている。
常に完全無欠な訳ではないが、欠落を補完して完璧へと邁進し続ける。
その無限の成長力こそが「二宿菜々香」が怪物たる所以だ。
この最強生物を最も効率よく育てようと思った時、それこそRPGのように、同格やちょっと格上の相手をぶつけ続けるのは非常に効果的だった。
その時のスクナが限界まで頑張って、さらにもう一歩進化すれば突破できる。
その程度の状況を絶え間なく用意する。適応したらそこから新たに環境のレベルを引き上げるのだ。
リンネの手引きと、単純な偶然と、幸運と。
スクナ本人が望んだにせよ望まないにせよ、WLOを始めた当初から彼女は理想的な環境に身を置いていた。
バイト生活で完全に錆び付いた闘争本能を、赤狼アリアによって呼び起こされ。
ロウによる襲撃で数年ぶりに対人戦を強いられ。
真竜アポカリプスに一矢報いるために命懸けの弾幕ゲーに挑み。
魔の森でのモンスタートラップをギリギリまで粘り抜き。
琥珀との戦いでは、ゲーム特有の絶対的なステータスの差を思い知らされた。
ダンジョンイベントで封じられた感情の鍵を緩められ。
黄金騎士ゴルドとの戦いで、五感に掛かる無意識の制限に気がついた。
使徒討滅戦では記憶と感情という己のルーツを思い出し。
鷹匠本家で殺戮の感覚を磨き直され。
月狼戦では今持てる最大の手札を持って、仲間と共に遥か格上の敵を打倒した。
そうしてWLOを通して得た経験を元に、バトラーの期間中全体を通して「今の二宿菜々香」の全てを完全に掌握した。
こうして順当に、確実に、時に容赦のない挫折を混じえながらスクナは強くなってきた。
(強くなった、は正確じゃないね。思えば身体能力自体はこの数ヶ月でほぼ変わってない)
そう、正確には強くなったのでも成長したのでもない。
彼女の体には最初からこれだけのスペックは眠っていた。
単にWLOを始めた頃には雀の涙ほどしか使えないくらいに錆び切っていた己自身の才能を、ようやく完璧に磨き上げたとも言えた。
つまりここからが、本当の意味での「成長」の時。
ブランクを取り戻す戦いではなく、自分自身を高めるための戦い。
100%に達した今だからこそ、過剰な才能のせいで望むことさえしてこなかったとある思いをスクナはようやく胸に抱けた。
強くなりたい。
そんな誰もが当たり前のように持っている、成長への渇望。
その為に求めていたのが、今の能力では絶対にできないことへの挑戦だ。
自分の力を試す戦いではなく、絶望の中で自分の立ち位置を測るための挑戦。
どこまで強くなっていいのかを知るための挑戦である以上、壁はどこまでも高くあって欲しい。
だからスクナは勝てないことをわかっていて、メルティという世界最強との距離を知るためにこの戦いを挑んだのだ。
(それにしたって想像の何倍も桁違いだけどさ)
強いのはわかっていたが、ここまでぶっ飛んでるとは思っていなかった。
先程のファイアの攻撃範囲は未だに脳裏に焼き付き、スクナの本能はとてつもない警鐘を鳴らし続けている。
(今ある全力で足りないなら、無理するしかないんだよねぇ。強制ログアウトとかされなきゃいいけど)
五感を全開に広げても尚メルティの行動を捕捉しきれないというのなら、更に出力を上げればいい。
問題は《憤怒の暴走》やMHKSの時のように、自分自身への負荷が高くなりすぎて強制ログアウトをさせられないかということくらいだ。
瞬きを起点に意識を切り替えたその瞬間、スクナの雰囲気がガラリと変化する。
特に精度を暴走気味に高めたのは、視覚だった。
まず目が追いつかなければ何も始まらないと思ったからだ。
その変化に気づけたのは、この場ではメルティひとりだけ。
彼女はスクナを彩る赤い瞳に集積される情報の質が爆発的に高まったのを見て取った。
「……やっぱりいいわね、その《眼》。やる気は出てきたみたいだし、少し強めの魔法で試してあげるわ」
メルティがパチンと指を鳴らすと、地面に百を超える影ができた。
それは当然、空中に浮かぶ魔法の影。
氷滅属性・上級魔法《乱舞・凍て氷柱》。
本来であれば精々15本程度の氷柱を射出するだけの魔法も、メルティの知力で放てば、無詠唱であっても20倍の量を容易く生み出せる。
「さあ、まずはこれを見切ってみせて?」
その変化がメルティが思う通りのものならば、この程度は容易く躱せるはず。
ここからが本番だと言わんばかりに、300の氷槍がスクナに向かって襲いかかった。
スクナが強くなりたいと思うのは、フリーザ様が初めて修行してゴールデンフリーザ様になるのに似ている。





