持っていてはいけない力
明暗、色。
世界の反転。
いわゆるネガとか呼ばれる色合いの世界に、私とメルティはいつの間にか存在していた。
場所自体は鬼人の里のまま。さっきまで会話していた場所がそのままに、世界の色合いだけが変わっていた。でも里で生活していたNPCの生活音はぱったりと消えた。
そんな中で私たち二人だけが元の色を保っている。まるで映画のワンシーンのような不可思議な現象だった。
「音も匂いも全部消えた……遮断……いや、移動した?」
「正解、よくわかったわね。ここは私がたった今作りだした偽の世界。リィンを容れたあの空間とは全く別の異空間よ」
たった今作りだした、とメルティはそう言った。
それはつまり、ここは酒呑が封印されているあのお社のような空間や、イベントのために用意されていた独立したダンジョンのように予め用意された空間ではないということになるのだろうか。
正直突然のことすぎて何が起こったのかまるで分からない。
『びっくりした』
『ホラー展開やんけ〜!』
『瞬きしたらすごいことになってたんだが』
『すごいなこれ』
『何が起こったん?』
『はぇ〜』
『しゅごい(小並感)』
「あ、コメント生きてる……月狼戦の酒呑の時は死んでたのに」
「その水晶には権限があるものね。酒呑童子を封印している空間は特級の立ち入り禁止区域。イリスがその権限を付与していない以上、撮影機能が使えなくなるのは当然よ」
「ここは違うの?」
「ええ、別に何を封じてる訳でもないもの。世界をそっくりそのままコピーして、反転貼り付けで作っただけのハリボテ。隠すべきものがない以上、見えなくする意味もないでしょう? この空間の使い道と言えば、どう壊しても問題ないから戦いの場としてなら使えるってくらいかしら」
黒い日差しが降り注ぐ世界でそれでも日傘を差しながら、メルティは優雅に微笑んでいた。
戦いの場、という言葉で内心身構える。ここが判定上安全地帯なのかはさておき、戦いになったら私の勝ち目はまずない。
というかそもそも、安全地帯だからってダメージを受けない訳じゃない。そうじゃなかったらあの使徒討滅戦の後の暴走で、私と琥珀が戦えたことの理由がつかない。
犯罪になるかならないか。プレイヤー視点で言うと、断罪用の衛兵が来るか来ないか。その断罪用の衛兵も万能じゃないから、私と琥珀の戦いには割り込めなかった。
さっきも感じた通り、殺そうと思えば瞬く間に殺される。そして恐らく文字通り世界最強の彼女が何をしようと、罪には問えない。どう足掻いても捕まえる手段がないからだ。
「そう身構えなくていいわよ。言ったでしょう、用事があるって。殺すならさっき殺してるし、そもそもこの世界に人を殺すことで得られるメリットがないのは重々承知してるはずよ」
「ご、ごめん、つい」
「いいわ、警戒心は持つべきものよ。前にあった時よりも集積する情報量が桁外れに増えているし、ひと月ちょっとで随分と伸びたみたいじゃない。成長……というには伸びすぎね。錆落としは終わったってところかしら」
メルティはそう言うと、嬉しそうに視線を向けてくる。
紅の瞳が、私のことを射抜くように見詰めていた。
「ねぇ、スクナ。貴女は『権能』という言葉を聞いたことがあるかしら」
「アビリティ……」
単に英語として受け取るなら、能力とか才能とかそんな意味の単語だ。
流石にこの場でそんなことはないとは思う。そして私はこのゲームの中で、その言葉を確かに見たことがある。
「《絶対破壊》みたいな能力のこと?」
「ええ、そして私がこの空間を作るのに使った力も権能の一種よ。ただのスキルをはるかに超える、『ソレ』を身につければ神の座にさえ到れるほどの力をこの世界では権能と呼ぶの」
「へぇ……」
『まずい、配信主が一瞬アホ面だ』
『権能と書いてアビリティ。字幕機能は便利だなぁ』
『リアルタイム字幕にルビを振れる変態動画サイト』
『絶対破壊とか厨二を超えて小学生レベルの能力名で草なんだ』
『これがスキルを越えた力……!?』
『↑無理にシリアス方向に持っていこうとすな』
「神って……魔神とか剣神とか、鬼神とかのことだよね。職業を司ってるとかいう」
「概ねそうよ。剣神・リ=ラ、魔神・フィーグエルド。この二人はひとつの道を極めて権能に至った怪物たち。貴女がかつて殺されたあの真竜でさえ、権能と呼べるほどの力は持っていないわ。とはいえ実際に戦った時に魔神と真竜のどちらが強いかは議論の余地があるけれど」
「私がアポカリプスに負けたの、誰も見てなかったのによく知ってるね……」
「本人に聞いたもの」
「まさかの知人」
《理の真竜・アポカリプス》。私とロウの戦いに唐突に割り込んできて、レベルが全くわからないほどの差を見せつけられ、ほぼ一切抵抗できないまま敗北した謎の黒竜の名前だ。
もう地名はほとんど覚えてないデュアリス近くの湿地帯での戦いだったんだけど、湿地帯フィールドのほとんどを消し飛ばす悪魔みたいな大魔法を撃ってきたのをよく覚えてる。
私は結局酒呑に助けられたしロウもなにやら助けられたらしいから、巻き込まれたのはあの時湿地にいた別のプレイヤーだけだけどね。
それはさておき、有名人が他の有名人と知り合いなのは珍しいことじゃない。リンちゃんの知り合いもテレビで見かけるような有名人ばっかりだし。
ただ、明確にネームドボスモンスターだったアポカリプスとNPCであると思われるメルティが、リアルタイムで情報を交換するような仲だということには驚いた。
会話のできるネームドボスという意味じゃノクターンもそうだったけど、ボス戦の後に白曜に聞いた限りでは、ノクターン自身は満月の夜の間しか記憶を保持できないらしい。
ボスになった時までの記憶と、満月の一夜。そして次の満月にはその一夜の記憶が消えて、新たな記憶が刻まれる。
だから次に会った時は私とノクターンはまた初対面ということになる。
アポカリプスというネームドボスに関しては、どうやらそういう記憶のリセットみたいなものは起こらないみたいだ。
不思議だなぁなんて考えていると、メルティはようやく本題を切り出してきた。
「今日はね、貴女から権能を回収しに来たのよ。《絶対破壊》を回収しに来た、と言うべきかしらね」
「ああ……まあ、うん。何となくわかってたよ」
権能の話が出た時点で、ソレは何となくわかっていた。
だって私がこれまでに触れたことのある権能ってそれだけだし。
何よりこれが「プレイヤー」が使えていい力じゃないなんてことは、少し考えればわかることだったからだ。
「《絶対破壊》は何もかもを破壊できちゃう力だもんね。戦闘面だけじゃなくて、本来壊せちゃいけないものまで何もかも」
「理解しているようで助かるわ。そう、ソレは異邦の旅人だけでなく、本来この世界に存在する誰もが使えてしまってはいけない力。貴女がその一端を振るえてしまうこと自体が看過できない程の不公平になってしまう程にね」
権能《絶対破壊》。
私がレアスキル《鬼の舞》の最終奥義である《終式》を発現した時に、そのバフ効果のひとつとして得られた力。
この名前だけを聞くと本当に何でも破壊できる力のように思えてしまうかもしれないけど、実際には少し違う。
この能力は「使用者の攻撃の威力に応じて」全てを破壊する力だ。
原理としては水鏡の舞と同じ。自分の攻撃の威力が相手の攻撃の威力を相殺できるか、または耐久力を突破できる場合に、一切の消耗無しで強制的に相手を破壊する。
つまり《絶対破壊》が効果を発動できるのは、自分が出せる最大火力を下回る対象だけということになる。
そして、逆に言えば。
攻撃の威力さえ足りているのなら、《絶対破壊》は文字通り何もかもを破壊できてしまう。
「皆には後でもうちょっと詳しく説明するけど、今話してる《絶対破壊》って力はさ、多分封印とか鍵とか、そういうギミックで封じられた場所を正面から破壊できちゃうんだよね」
『チートやん』
『ズルって意味でもチートだ』
『ほほー』
『そりゃ回収されるわね』
『残当です』
『ノクターン戦で言ってた台詞の意味が今更になってわかったワ』
私とメルティが何について話しているのかを具体的に説明してあげると、リスナーも納得してくれた。
《絶対破壊》はその性質上、火力さえ足りていれば恐らくシステム的な「鍵」を全て無視して破壊する事ができてしまう。
例えば「○○の遺跡に侵入するためには□□というアイテムが必要です」みたいなクエストがあるとして、《絶対破壊》があればキーとなる□□というアイテムを集めることなく扉を粉砕できてしまうわけだ。
もちろん、封印なんて関係なしにそもそも扉に高い耐久値が設定されていれば破壊することはできない。本当に重要な施設とかにはちゃんと高い耐久値が設定されてるとは思う。それこそ、酒呑童子の封印とかね。
それでも、抜け道を自分の意思で作れてしまうということ自体がこの権能の問題点であることに変わりはない。
どこか一箇所でも抜けられてしまえば、その時点で問題だからだ。
そしてそんな私の想像を裏付けは、他ならぬメルティが取ってくれた。
「『鍵』を設定することで封印をかけるのには意味があるのよ。高い耐久値を持つ物体はただそれだけで世界のリソースを圧迫する。金棒をメインの武器にしてきたのなら、高い耐久値を持つ武具の性能が要求筋力値の割に極端に低くなっているのを見たことがあるでしょう?」
「なるほど。確かに金棒って全体的にそういうコンセプトだったね」
最初に持っていた金棒からして、ものすごく高い耐久と引替えに値段の割に攻撃力が低い武器だった。
もう破壊しちゃった武器だけど、《メテオインパクト・零式》なんかもその類だったね。
「その力を振るうだけで抜けられてしまう場所がこの世界には至る所に存在する。だから、貴女にその力を持ち続けられてしまっては困るの。もちろん《終式》は連発できる力ではないけれど……ここぞという時に使われるだけでも本当に困るのよ。回収しに来た理由はこれで十分かしら?」
「うん。私も納得してるし、回収されるのはいいんだ。《終式》はそもそも未完成だし。知りたいのはさ、どうやって回収するのかと、そもそもなんで私が《絶対破壊》を使えるようになっちゃったのかってこと。言っちゃなんだけど、こういうのってそもそも普通の人は手に入らないようになってるものなんじゃないの?」
これに関しては、《憤怒の暴走》を発動してしまった時からぼんやりと思っていた疑問だ。
運営が「想定していない」ことが起こる。これ自体はまあわかる。どんな大作だとしてもどこかに綻びはできるものだし、バグのひとつや二つで目くじらを立ててもしょうがない。
でも。プレイヤーにしか使えないスキルとか、逆にNPCや敵モンスターにしか使えないスキルとか、そういう設定って初めからされてるものじゃないの?
確かに《憤怒の暴走》というスキル自体は、多分プレイヤーの中でもとびっきり頑丈な身体を持ってる私以外は発動できなかったんだとは思う。
それでも、万一にも使えないようにしておくなんて言うのは当たり前にできるはずだ。
「貴女が水晶を使っているのもちょうどいいわね。元々この話は全ての異邦の旅人が知るべきこと。スクナ、そしてその水晶を通してこの世界を覗く異界の住人。貴女達の疑問を解消するために、まずはこの世界の成り立ちについて話してあげる」
「ほほぉ……」
『wktk』
『ktkr』
『なんか始また』
『こういうの好き』
『ほう……創世記ですか』
『ぶっ込んでくるなぁ』
『異界の住人だった件』
『全裸待機』
『NPC視点の俺らってそんな感じ?』
『スクナは寝るなよ』
『寝そう』
『寝るな』
どうやら私の抱えていた疑問にはちゃんと答えてくれるらしい。
突然始まったメルティからの情報提供に、コメント欄も大盛り上がりだった。
それと、流石の私も対面で話してもらう時に寝たりなんかしないやい。
「この世界はね、とある二つの権能によって形作られたの。それが《万物創造》と《絶対破壊》。スクナ、貴女が二度振るったその力は、ひとつの世界の創世に用いられるほどの力なのよ」
メルティの語り口は、割ととんでもないカミングアウトから始まった。
要するに修正パッチを当てる前に本人に伝えに来たという。
これによって弱体化とかにはなりません。