決勝の前に
悩む……という程のことではなかったけれど。
それでも、決勝の前にこの胸のモヤモヤを払拭したかった。
だから私は決勝戦の舞台に行く途中で、リンネを呼び止めた。
「リンネ」
「あら、どうかした?」
「聞きたいことがあります。少しだけ時間を取れますか?」
「ええ、いいわよ。ナナ、燈火、先行ってて」
「ほーい」
「わかりました」
ぽやっとしたままのナナとトーカを先に行かせて、リンネはこちらに振り向いた。
こちらを見つめる瞳が揺らぐことはなく、リンネは静かに私の言葉を待っていた。
思えば私は、こうしてリンネと向き合って話すのは初めてなのかもしれない。
「2年半前、覚えてますか? リンネはボクをあの施設から拾い上げてくれましたよね。突然現れて、たった数日でボクは新しい環境に押し込まれた」
「もちろん覚えてるわよ。貴女を探し当てるの、もの凄く苦労したんだから」
「そうだったんですか?」
「そりゃそうよ。やってることは前時代的な犯罪のくせに、小狡いからセキュリティだけはガッチリ固めてあるんだもの。まず見つけるのに苦労したし、手を出すのはもっと苦労するはずだったの。ま、その前に所長がボロを出したおかげで楽に横槍入れられたんだけど」
あの時、そんな裏事情があったんだ。
あくどい笑みを浮かべながら当時を振り返るリンネを見て、私はそんなことを思った。
「それで、聞きたいことって何?」
「聞きたいことは二つあります。ひとつは、リンネがボクに何を望んでいるのか。もうひとつは、リンネ自身が望んでいるものはなんなのか。ボクはもうスタートラインをとっくに踏み出した。教えてもらう権利はあるはずです」
「……ふぅ、直接聞くように入れ知恵したのはナナね。それで、何を知ってここに来たの?」
裏でナナと話していたことが一瞬でバレたことに少しだけ驚いたけど、インタビュー中に私とナナを二人きりにした時点で、こうして質問しに来ることはリンネも何となく予想していたのかもしれない。
嘘をつく理由もないし、素直に見聞きした内容を伝えることにした。
「大したことは。リンネが全盛期より遥かに弱体化していることと、ソレはボクに会うより前から既に起こっていたらしいってことだけです」
「まあそんなもんよね。別にあの子に隠してた訳じゃないから気付かれてるのはいいんだけど。……その二つに関して、今の貴女になら話してもいいわ」
「え、いいんですか」
「私をなんだと思ってるのよ」
ここまであっさりと教えてくれるとは思わなくて思わず聞き返してしまった私に、リンネは軽くデコピンを飛ばしてくる。
地味に痛いそれを甘んじて受け入れる私に軽くため息をついて、リンネは質問の答えを語り出した。
「ひとつ目の質問に関して言えば既に叶ってるわ。私はね、貴女にナナより強い存在になって欲しかったのよ」
「ナナより強い……ですか?」
「そうよ。ナナと同じ目線に立てる怪物でないと、あの子が得られるものはないから」
言っている意味が上手く理解できずにポカンとしていると、リンネはクスリと笑って続けた。
「ナナはね、間違いなく世界で一番強くて優れた生物だけど、だからって完全無欠な訳じゃないの。数日しか見てないけど、すうぱあもそれはわかるでしょ?」
「それはまあ……はい」
知れば知るほどそう思う。特に集中してる時とそうじゃない時の落差はすごいし、いつだってどこか無防備で気が抜けて見えるところがあるのは確かだった。
「いつだってあの子は自分ができないことを探してる。できないことができるようになる感覚を求めてる。ゲーマー的に言うと『高難易度』に挑戦するのが好きなのよ。クリア率0.1%のコンテンツをクリアできた時とか、たまらなく成長の実感を得られるでしょ?」
「わかります。エンドルフィンがドバドバ出ますよね」
「なまじ基礎能力が高すぎるせいで、大抵のことは一目見ただけで再現できてしまう。どんなに難易度が高いことでも、苦もなく容易くこなしてしまう。……成長のない人生は退屈よ。今のすうぱあならその気持ちはよくわかるでしょ? だから《魔弾の魔女》なんて幻想に憧れを抱いた。それは頂点に立った貴女が、今なお遥か高みを目指せる挑戦だから」
リンネの言葉は図星だった。
12ヶ月連続のソロレーティングにおける世界ランキング1位。そこまでは区切りとして新鮮な気持ちで挑戦を続けていたものの、達成した直後に酷い虚無感に襲われたからだ。
誰よりも強くなった。前人未到の大偉業を成し遂げた。
そこでふと感じた虚無感。これ以上頑張って、それでどうするんだろうって。
成長したって戦う相手はもう居ない。強者と鎬を削るなんて段階はとっくの昔に通り過ぎて、私の戦いはただの作業に変わりつつあった。
そんな中で。
飽きた、と感じる前に思い出したのが《魔弾の魔女》の存在だった。
私の理想を遥かに超える、チートでさえ再現できない極致のスナイパー。初めてその名前に触れた時は「ただの伝説だ」と気にも止めなかった存在が、その時の私のレベルに達してようやく微かに背中を見せてくれたのだ。
「あの時のボクのレベルに至って、初めて見えるほど遥かな高み。直接会った今になって、また背中が遠くなった気もしてますけど……だからこそやりがいがあります」
「狙撃技術以外はもうとっくに超えてるでしょ?」
「でもボクはソレに憧れたんです。遥か彼方に立っている伝説の狙撃手に」
そうだ。届かないからこそ憧れた。
できないからこそ挑戦を始めた。
それがボクが魔弾の魔女というひとつの伝説を目指し始めた理由であり……そしてそれこそがリンネがボクをスカウトした理由なのだとわかった。
「……だからこそですよね。ボクにとっての《魔弾の魔女》のように、ナナにとって今は届かない壁になって欲しい。それがリンネがボクに望むことですか」
「ええ、ほとんどそれであってるわ。現にナナは今、貴女をキラキラした目で見てる。自分には再現できないモノを持った格上の存在としてね。後はまあ……単純に、燻ってる才能には伸び伸びとしていて欲しいのよ。小さい頃から雁字搦めのまま生きてきた子を知ってるからこそ、尚更ね」
「それもナナのことですか?」
「もちろんナナもそうだし……っと」
そこまで言って、リンネは少し焦ったように口を閉じた。
その言い方だとナナのことだけを言っていた訳ではなさそうだったけど、言わなかったということは相応に理由があるんだろう。
誰か他にもボクのように開花できずに燻る才能の持ち主がいたのかもしれない。でも、それはきっとリンネが簡単に口に出していいことではないんだ。
「後はそうね、私の望んでいるものだったかしら」
「はい、合ってます」
「こっちはそんなに複雑なことじゃないわ。望んでいるというか、目標なんだけどね。HEROESを世界最強のプロゲーミングチームにしたいのよ」
確かにそれは、リンネの言う通り単純明快な内容だった。
「知っての通り、私にもう全盛期と同じだけの能力は無いわ。私は昔から身体が強い方じゃなくてね。大きすぎる才能に身体が耐えきれなくて、文字通り壊れたのよ」
「ん、それって……」
「少しは美春から聞いてたかしら? とにかく、誤魔化し誤魔化しでWGCSの切符を掴み取って、壊れるのを覚悟で最後にエンジンをフル回転させた結果として、栄誉の代償に再起不能の傷を負ったのはホントのこと。もちろん今は、3年前よりはだいぶ回復してるけどね。それでもこれから先、私はプレイヤーとしては一流止まりだわ」
「後悔は、なかったんですか?」
それはナナからあの話を教えて貰ってから、ずっと聞きたかったことだった。
世界一という称号。代償として失った大きすぎる才能。
その二つのものは、本当に釣り合っていたのかと。
私の質問を聞いて、リンネは笑いながら答えてくれた。
「そもそもね、考え方が逆なのよ。私は才能を失ってまで世界一になりたかった訳じゃなくて、元々どう足掻いても失うことが決まってた才能を全力で燃え上がらせただけ。こうなるのは必定で、だからこそ何かを残したいと思ったの。それでちゃんと結果を残したんだから、後悔なんてする理由はないでしょ?」
晴れ晴れとしたリンネの表情を見る限り、そこに後悔が微塵もなかったのはわかる。
才能を失うことがわかっている恐怖って、どんなものなんだろう? それは自分を支える土台が丸ごとなくなるってことじゃない?
想像しただけで寒気がするけれど、少なくともリンネはそれを知ってから怖気付いたり俯いたりすることなく、まっすぐ自分の目標に突き進んだんだ。
凄い、と思った。きっと私はそこまで簡単に割りきれないから。
「自分がやりたいことは全部やった。これ以上自分を高めるのも難しい。……となれば今度は、自分以外を育てたくなるじゃない? だから私はHEROESを作ったの。私が育てる、私だけのプロゲーミングチームをね」
「今の躍進するHEROESを見てると、その計画も結構現実味はありそうですね」
「私としては上手くいってない方なのよ? 世界大会の十や二十は取れると思ってたんだけど、やっぱり他人の育ち方を予想するっていうのは難しいわよね」
「そこまで目立ってない選手をスカウトして才能を開花させるって方針でそこそこ結果を残せてるだけ、十分だと思いますけど」
HEROESに参加するメンバーは、初期メンバーや一部の特殊な経緯を持っている選手を除いては、ほとんどがそのゲームにおけるランキングのミドル層から引き抜かれ、驚異の成長を見せたプレイヤーばかりだ。
目に付く一芸は持ち合わせているものの、上手く噛み合わなかったり使えていない選手を拾い上げて、才能を開花させる。
だからHEROESのメンバーは燻っていた自分を導き強くしてくれたリンネに対して、かなり強い信仰心を持っている人が多い。
これは界隈では結構有名な話で、「HEROESと言えばリンネスキーの集まり」みたいな共通認識は当然のように蔓延っている。
信仰云々はさておき、才能を見抜いてそれを適切に開花させることに関しては、リンネの右に出る人がほとんど居ないのは間違いない。
そう思えるくらいHEROESの躍進は凄まじいのだ。
「そこそこじゃダメなの。あらゆるゲームで『最強と言えばHEROES!』って認識を持たれるくらい強くしなきゃね」
「ふふ、世界最強のプロゲーミングチームを育てるんですもんね」
ふんすっ! と自信満々に腕を組むリンネに、こういうちょっと子供っぽいところもあるんだなと安心する。
自分の夢を語るリンネは、なんだかとてもらしく見えた。
と、そこでふと気付いたことがあった。
「……あれ、そういう意味だとナナの存在ってどうなるんですか? こういう言い方をしていいのかわからないですけど、あの人って育てるまでもなく最強じゃないですか」
ランキングのミドル層云々は置いておくとしても、リンネがHEROESのメンバーに助言を与え、例外なく成長を促しているのは確かなことだ。
私も多かれ少なかれ、その恩恵には与っている。与えられた助言はわかりにくかったけど、少なくとも環境を整えてくれたことと美春さんを手配してくれたことに関しては言うまでもなくリンネの支援だ。
でも、ナナはちょっと訳が違う。
だってあの人は、最初から最強だ。
私が拾われたのだって、ナナ自身があまりにも強すぎるから少しでも糧にして成長できるような仲間を用意した、という話であって。
それはナナを育て上げるとかそういう目的ではなくて、彼女の人生に彩りを加えたいという理由でしかないように思える。
そんなことを伝えてみると、リンネはあっさりと頷いた。
「そりゃそうよ。だってVR部門だけは元々、私とナナが楽しむための場所だもの。だからあの子の得意分野で同格に成り得る貴女を、当時まだ存在すらしなかった『VR部門』に勧誘したんじゃない」
「え……いや、はい、理解はできますけど。そっか、となるとボク自身もHEROESの中ではちょっと立ち位置が違うんですね」
「そうね。VR部門に限っては、私自身がメインで参加するってところも含めて特別なチームよ。VRが隆盛して何年も経つのにここだけ設立が遅れたのも、中心になるべきナナが加入する道筋が立たなかったからなのよ。そのせいで予定してたメンバーがひとり欠けちゃったし」
VR部門の設立をリンネが公式に宣言したのは、もう半年近くも前のことだ。
ナナが加入したのは2ヶ月ほど前のこと。数ヶ月の差分があるのは、それだけ準備に時間がかかったからだろうか。
そんなことを考えてるのが見抜かれたらしく、リンネは説明を続けてくれた。
まず、ナナは二ヶ月前のデビュー直前まで、三箇所のアルバイトをかけ持ちしていたらしい。
しかしそのどれもで立て続けにクビに。クビになった理由はどれも店舗側の都合で、更に言えば親会社側の都合で店が潰されたせいだった。
世間のニュースを見ていれば、やれ食中毒だの経営悪化だのと不穏な気配はもっと前から漂っていたけれど、ナナは基本的にネットにすら全く興味がない情報弱者の極みのような人なので、そんなことを知る由もなく。
クビになることを知ったのもそうなる直前だったのは、リンネからすれば容易に想像ができた。
さてはて、不穏な空気を掴んでいたリンネは情報を集めて、いつ頃ナナのいる店舗まで影響が波及するのかを試算してみる。すると、三つのバイト先全てが同じ時期になくなりそうだということがわかった。
これが、ちょうどHEROESのVR部門設立を発表した頃のことだったらしい。
後はナナが無事に綺麗な身体になるタイミングで、偶然を装って電話をかける。
それが2ヶ月ほど前のことで、部門設立の宣言から数ヶ月で無事にメインキャラクターであるナナをHEROESに引き込むことができたという経緯のようだった。
「苦労してますね」
「前々からちょくちょく誘ってはいたんだけど、あの子も妙に義理堅いところがあってね。何かのバイトをやってる時は誘っても断られるのよ。もちろん無理にお願いすれば聞いてくれるけど、そこまで強引にいくほどのことじゃないでしょ? 鷹匠グループの力でバイト先を潰すことはできても、ナナは喜ばないし。だからね、三箇所全部がいい感じに潰れてくれたのは天恵だったの」
潰れた店舗や経営が傾いた会社からすれば良いことではないだろうけど、リンネからすればそれら全てが幸運の賜物らしい。
まあ、実際ソレにリンネが関わっていなかったのであれば、天恵と言って差し支えないほどの幸運なのは間違いない。
私が一番活躍できるであろうゼロウォーズVRを使った大会に間に合ったのも含めて、何もかもが。
「何もかもがナナの為……いや、ナナとリンネの為のステージって訳ですね」
「気に入らない?」
「むしろ安心しました。なんの見返りもなくあれだけの物を与えられたのだとしたらそっちの方が怖いですし。何よりこのステージには、ボクにもちゃんと配役がありますから」
言ってしまえば、私はただの当て馬で。
リンネにとってはナナに世界を楽しませるための道具に過ぎないんだろう。
でも、だけど、それでも。
今ここにいるボクには、何より確かな価値があった。
「ありがとうございます」
「ふふっ、それは何に対するお礼?」
「全部です。初めて会った時から今この時まで、リンネがしてくれた全部のこと。お陰でようやく、ボクはボク自身のために前に進める気がします」
この大会に参加した理由は、《魔弾の魔女》の存在もあるけれど、結局はリンネに何かを返したかったからだ。
生まれてからずっと、与えられてばかりでここまで来た。
施設に居た時もあの家に居た時も。
ボクもそろそろ、恩のひとつくらいは返してもいい頃だ。
「うん。なんだか今なら、なんでもできそうな気がします」
「いいわね、やる気満々じゃない」
ようやく地に足が着いたような、そんな高揚感から思わず零してしまった言葉を聞いて、リンネはただただ楽しそうに笑っていた。
決勝戦が、間もなく始まろうとしていた。