六路と美春
朝6時くらいに起きて、ご飯を食べる。
VRマシンを起動して、ゼロウォーズVRをする。
昼になったらご飯を食べる。
VRマシンを起動して、ゼロウォーズVRをする。
夜になったらご飯を食べてお風呂に入る。
VRマシンを起動して、ゼロウォーズVRをする。
睡眠不足は翌日のパフォーマンスを落とすから、夜は10時には寝る。
こんな暮らしを延々と、毎日変わらず同じように過ごした。
朝から晩までゲームに触れていられる環境。
それ自体は施設と変わらなかったけど、変わらないままでいられるということそのものが幸せなことなのだろうと思った。
身の回りの世話は、リンネが派遣してくれた世話係の美春さんがしてくれた。
ご飯を作ったり、洗濯物をしたり、ゴミを捨てたり、そういう雑事の全てが彼女の役割だった。
「これが仕事ですし、給料も労働に対して過分なほど支払われています〜。むしろ仕事が無さすぎて困っているくらいなんですから〜。六路さんは今やるべきことに集中してくださいね〜」
全部の作業を押し付けているようで申し訳ないと言ったら、返ってきた返答がこれだった。
美春さんは良くも悪くもおっとりのほほんとした人だった。私が何を言っても暖簾に腕押しというか、自分の仕事の領分には決して私を立ち入らせはしなかった。
何度か同じようなやり取りをしてからは、彼女の手伝いをしようとするのはやめた。
そもそも家事なんてやったこともない私が手伝いをしたところで、邪魔にしかならないだろうと思い直したからだ。
そうして空いた時間の全てを費やして、淡々と、淡々と、ゼロウォーズVRにのめり込んだ。
ゼロウォーズVRは元々やり込んでいたゼロウォーズ3を元に作られたゲームであったからか、武器やフィールドの構造のような知識面では困ることはなかった。
反面、仮想空間だとわかっていても初めてのスカイダイビングにはそれなりに衝撃を受けたし、ライフルを持って敵を撃つことの難しさは随一だった。
(自分の体を使うのって、こんなにも難しいんだ)
リンネが知っていたように、私のフルダイブ適性は施設でも群を抜いて高かった。
一度検査をしただけで実際にその道に進まなかったのは、TPSで既に十分過ぎる実績を残していたのと、当時はまだeスポーツのジャンルになるほどVRゲームが発展していなかったからだ。
とはいえ、フルダイブ適性が高いからと言ってなんでも思い通りに行くなんてことはありえない。
むしろ思った通りに動いてしまうということは、間違った知識に合わせた動きをしてしまうということでもある。
仮想空間では、自分が想像できる動きしか具現化できない。
走ることひとつ取ってみても、ダッシュのフォームを知識として理解していなければ非効率的な移動しかできないものだ。
ただでさえゲームしかしてこなかった私は、運動に関してはどうしようもなく下手くそだったのも相まって、最初は武器を持って走ることさえ苦労した。
知識がいる。経験がいる。この世界を制するには、今の私には何もかもが足りない。
キーボードを叩いて、マウスを操作する。
コントローラーを握ってボタンを押す。
そんな既存のゲームとは全く違う新しい経験は、私を深い没頭へと引きずり込んだ。
最初の1ヶ月は世界ランキングどころか初心者帯でボコボコにされるという、あまりにも悲惨な結果に終わった。
次の2ヶ月ではもう少しマシな結果を出せるようになり、その次の2ヶ月でなんとか世界ランキングの端っこにギリギリ載るくらいのラインまで実力を押し上げることができた。
(トライ&エラーを自分の中で完結させると、効率が全然違うな)
施設にいた時は、担当の職員に対して問題点を伝えてその指示通りに改善するという方針だった。
あの施設では、彼らの指示に従って上手くなったという事実が重要だったからだ。
個々の才能の有無に依存しない育成方法の誕生、だったっけ。
なるほど、確かにそれが完成したのなら革命的な価値を産んだのかもしれない。
でも現実はそうじゃなかった。
こうして外に出たからこそわかるけれど、あの施設で最後まで生き残れた私や他のメンバーは、誰も彼もが個人の才能によって成り立っていた。
(職員の内の誰かひとりでも世界一の実績を持っていたのなら、その指導にも価値があったのに)
今思えばそれが実力が頭打ちになっていた最大の原因だったのかもしれない。監督が選手より上手くある必要はないけれど、それでも相応の実力は必要なのだから。
自分で考え、改善する。トライ&エラーを繰り返す。
そうして、その度に上手くなっていく実感を得られた。
自由に、思うままに。リンネから伝えられた言葉の通りに、私は私を改善し続けた。
そうして、ゼロウォーズVRを始めて半年が経った頃。
なんとか世界ランキングの上位に食い込めるようになってきた頃、覚醒は唐突に訪れた。
(……なんだろう、敵の位置がわかる)
索敵によるマーキングをしている訳でもないのに、敵がいる場所がわかるようになった。
自分を中心に前後左右。高低差、そして距離感。その全てがわかってしまう。
視覚でもない、聴覚でもない私の五感の外側で、無数の影が蠢いている。
それはまるで脳内に虫が這っているようなノイズとなって、私の思考領域を食い潰した。
突然増えた情報量に耐え切れず、ゲーム内だと言うのに私はまともに立っていることもできなくなった。
すぐさまログアウトをして、気持ちを落ち着かせた。
吐き気に耐えられず、トイレで何もかもを吐き出した。
気持ち悪い。気持ち悪い。どうしようもなく気持ち悪い。
落ち着くまで休んでから、私は美春さんの元へ向かった。
「おや、こんな時間にゲームを中断されるなんて珍し……顔色が悪いようですけど、どうかされましたか〜?」
何か本を読んでいたらしい美春さんは、私の様子がおかしいことにすぐに気がついてくれた。
本を閉じてこちらに駆け寄ると、そっと体を支えてくれた。
「リンネに、連絡はつきますか?」
「連絡は入れられますが、すぐには繋がらないですね〜。凜音様は大変お忙しい方ですから〜。連絡の内容にも関わりますから、まず私に今の状況を話してみてくださいな〜」
彼女は今にも倒れそうな私をベッドまで運んでから、あまりにも荒唐無稽な話に真摯に耳を傾けてくれた。
私はこれまで経験したことのない怖気が走るような感覚について、美春さんに話した。
「それはそれは! ようやく第一歩を踏み出せたということですね〜」
美春さんは両手を合わせながら、とても嬉しそうに笑った。
まるでこうなることが分かっていたように。
「第一歩、ですか?」
「そうですよ〜。元々貴女に備わっていた天賦の才がようやく目覚めたということです〜。ふむふむ、しかしここまで強烈に拒絶反応が起こるということは、まだまだ六路さんの身体はその才能を扱いきれる段階にはないのでしょうね〜」
勝手に納得したように頷く美春さんに、私は何も言えなかった。
「凜音様には報告しておきます〜。さしあたり今の六路さんがすべきことは、その感覚に慣れることですね〜。最初は辛いかもしれませんけど、慣れればその超感覚は貴女の大きな武器になると思いますよ〜」
「わかり、ました。じゃあ、続きをやってきます」
「いえいえ、今日はやめておきましょう〜。目覚めた以上はこれまでのように長時間のプレイは体に障りますから〜。今日のところは美味しいものでも食べてゆっくり休みましょうね〜」
そう言われて、全身の力が抜けた。
少し落ち着いたとは言っても、脳を虫が這うようなおぞましい感覚はまだ微かに残っていたからだ。
「開花の時期は思ったよりも早かったですけど、安心してくださいね〜。私がここで貴女の世話係を任されたのは、全てこの時のためですから〜」
才能の目覚め。リンネはこのことがわかっていたからあの日私を買いに来て、この環境を与えてくれたんだろうか。
真意はわからないままだったけれど……この日から美春さんの付き添いの下で、この超索敵感覚とでも呼ぶべき才能を制御するための特訓が始まった。
☆
「今の六路さんは五感の他にもう一つの感覚機能が備わっているような状態です〜。さしずめ《第六感》とでも呼ぶべきでしょうか〜。たった5つの感覚ですら御しきれない人間という生物にもうひとつの器官が追加されて、平常でいられるはずもありませんよね〜。現実空間では暴発しないようで本当によかったです〜」
美春さんの説明は、思った以上にわかりやすいものだった。
実際に能力を持っている私なんかよりも、よっぽどこの力を理解しているように思えるほどに。
「まずは目を閉じましょう〜。人は情報の8割を目から得ていると言われるほど視覚に頼りきりな生物です〜。視覚を閉じたからと言って第六感を自在に扱えるという訳ではないですけど、情報を絞れば少しは落ち着いていられるはずです〜」
戦場のど真ん中で、美春さんから言われた通りに目を閉じる。
既に吐きそうなのを必死にこらえて目を閉じれば、確かに目を開いていた時よりは多少マシになったような気がした。
それでも、自分の与り知らぬところで敵が動き回る感覚はおぞましく、虫に集られているようでゾッとした。
「……うっ」
「試合開始から1分は持たないですか〜。いったんログアウトしましょうね〜」
いつの間にか拾っていたらしいグレネードを足元に落として、二人揃って自爆死する。
私は急いでログアウト処理をしてトイレに駆け込んだ。
「ある人は生まれつきの過剰知覚に耐えうる身体を作るため、生後間もなく40度近い発熱に見舞われ、3ヶ月もの間耐えきることで制御を身につけました〜。またある方は才能こそ制御できたものの、体質の弱さ故に出力に耐えきれずに壊れてしまいました〜。このように特異な才能の開花にはそれなりの苦痛や代償を伴うものですが、さてはて、六路さんは第六感の制御にどれほどの時間を費やすでしょうね〜」
吐き終わった私の背中を擦りながら過去の事例を囁く美春さんだったけれど、気だるさでぼーっとしていた私はその内容をほとんど聞き取れてはいなかった。
ただ、似たような苦痛を味わってきた人が他にいるということだけは分かって、少しだけほっとした。
5分ほど便器に向かっていた私は、口をゆすいでからもう一度立ち上がる。
「……つづき、やりましょう」
「ええ、もちろんですとも〜。その意気ですよ〜」
口元を拭って、もう一度仮想空間にログインする。
とてつもなく辛いのは確かだけれど、これを制御しないことにはこれから先まともにゲームができなくなる。それだけは避けたかった。
「うふふ、先は長そうですね〜」
10分後、再びトイレで崩れ落ちる私を見ながら、美春さんはクスクスと笑っていた。
訓練を始めて最初の3ヶ月は、とにかく情報を処理しきれなくて頭痛や吐き気との戦いを繰り返した。吐き続けるせいで胃液で喉が爛れたし、睡眠薬がなければ眠れない日がほとんどだった。
美春さんはその間付きっきりで私の世話をしてくれた。
これ以上どうしても仮想空間に潜れないほど衰弱した時には、好きな漫画やアニメなんかを紹介してくれたりもして。
料理の作り方や、洗濯のたたみ方。そんな当たり前の家事を教えてくれたりもした。
これまでただ世話をする側と世話をされる側でしか無かった私たちの関係は、確かに一歩前に進んでいた。
3ヶ月も経つと、ただ戦場に立っているだけなら、丸1日通しても体調を崩さなくなる程度には情報を整理できるようになってきた。
もちろん戦闘なんてできたもんじゃなかったから、戦績はボロボロだったけど。
それでも、一度慣れてしまえば後は早かった。
仮想空間でだけ発現する6つ目の擬似感覚器官は私に生まれつき備わっていたかのように機能し、脳はその情報を混乱することなく処理するようになった。
この頃にはもう美春さんに手助けしてもらうことはなく、ひとりでランクマッチに潜れるようになっていた。
けれど、3ヶ月の間に美春さんとの間にあった壁のようなものはすっかりなくなり、私たちの間には他愛のない会話が増えた。人と話すことが楽しいと感じるようになったのも、これが初めての経験だった。
そうして第六感が馴染んでくると、面白いことに視覚や聴覚などの通常の五感もより鋭く繊細に感じ取れるようになった。
「新たな感覚器官の増設を受けて、情報の受容・処理能力が格段に増えた結果でしょうね〜。それに加えて、五感を含めた6つの情報をよりハッキリと分けて処理できるようになったからかもしれません〜」
これまでの私はコーヒー牛乳をそのままひとつの情報として受け取っていたのが、今はコーヒーと牛乳を別々に2つの異なる情報として受け取れるようになった。その結果、より鮮明な情報として理解できるようになったのだ。
美春さんはこう説明してくれたけど、イマイチピンとは来なかった。
結局、この暴れ馬のような才能を完全に飼い慣らすのに半年近い年月を費やした。
どこにいても、何をしていても、フィールド上を駆け回るプレイヤーの目まぐるしく変わる位置情報が脳裏にこびりついてくる。
全員ではない。目安としてはだいたい50人程度で、しかも自分から近い順だから遠くの敵の場所は分からない。
それでも、1マッチにつき半分くらいのプレイヤーの居場所が常にわかっているような状態だった。
「しかし、本当によく頑張りましたね〜。まさかたったの半年でものにしてしまうなんて〜」
「美春さんのおかげです。私はただ、我慢していただけですから」
「謙遜しないでください〜。あれだけ憔悴するほどの苦痛に耐えながら努力を重ねるなんて、並大抵じゃできないものですよ〜。ゲームそのものがトラウマになったっておかしくないですし〜。六路さんの何よりの強みは、弱気に囚われず淡々と努力を積み重ねられる姿勢そのものなんでしょうね〜」
私の頭をヨシヨシと撫でながら、美春さんはそう言ってくれた。
才能を開花させたあの日以来、美春さんはこうして私のことを子供のように扱うことが多くなった。
気恥ずかしさはあるけど、これまでの努力が認められたのが嬉しくて、思わず頬を綻ばせてしまった。
「今シーズンから本気でトップを狙いに行きます。それで、記録を整理するために新しいアカウントで心機一転始めようと思うんですが……私のこれからのアカウント名、リンネのようなプレイヤーネームを、美春さんに決めて欲しいんです」
「おや、いいんですか〜? これから多くの人に呼ばれる名前ですよ〜?」
「はい。だからこそです」
第六感とも呼ぶべき私の才能の制御。その過程は容易いものではなく、これまで感じたことの無いような苦しみに満ちていた。
施設にいた頃の私は、痛みや苦しみをほとんど感じたことは無かった。怪我をするほどやんちゃではなかったし、小学校の頃のイジメもどきだって物理的な攻撃を受けたりはしなかったから。
そんな生温い人生を送ってきた私にとって、才能が覚醒したあとの3ヶ月間は本当に地獄だったのだ。
心が折れそうになる時もあったし、本当に全く動けない時もあった。焼け爛れた喉の痛みで呻いたり、頭痛に狂いそうになることもあった。
そんな私を美春さんはずっと支えてくれていた。
それはきっと、私をリンネの役に立つ優秀なゲーマーとして育てるためのメンタルケアでしかなかったんだろうけど……。
生まれつき家族のいなかった私は、私はお母さんとかお姉さんとかが居たらこんな気持ちなのかな、なんて。
そんな温かい気持ちを、美春さんから貰ったのだ。
「……そうですね〜。ではかつて私が憧れたヒーロー、超人と書いてスーパーマンと読む、ありきたりながら原点でもある彼から名前をお借りしましょうか〜。第六感なんて、まさしくヒーローが持っていそうな能力ですし〜」
「ふふっ、なんですかその理由」
「理由は大事なものですよ〜。それに、プレイヤーネームにはキャッチーさも必要です〜」
美春さんはそう言うと、タブレット端末の画面に指で文字を書き込んだ。
自信満々な表情で画面をこちらに向けながら、美春さんはこう言った。
「はい! 《♡すうぱあ♡》なんてどうでしょう〜?」
「……………………うん、ハートマークは消しましょうか」
「ええ〜! そこがチャームポイントなんですよ〜!?」
「要らないです。絶対要らない」
「横暴です〜! 私に任せるって言ったのに〜!」
唇を尖らせてブーイングをかましてくる美春さんを宥めつつ、何とかハートマークを削除させることができた。
こうしてゲーマー《すうぱあ》は誕生し。
私はこの日から1年の年月をかけて、ひとつの伝説を残すこととなった。
美春さんは夏鈴さんの叔母に当たる人。すうぱあとは母娘くらいの年齢差がありますね。ネーミングセンスは……。