No.666
すうぱあの過去編。
物心がついた時から、ゲームと共に生きていた。
苗字は六百、名前は六路。
それは私の識別ナンバー《666》をもじっただけの仮の名前ではあったけれど、600番台の中で所長のお気に入りだった私だけが貰えた特別な名前でもあった。
私が生まれついて人生のほとんどを過ごした施設。
一見するとただの孤児院のようなソコは、eスポーツ分野で使えるエリートを誕生させるための特殊な訓練施設で。
私がいたのはたまたまeスポーツに関する訓練施設だったけれど、普通にサッカーだとか、あるいはベースボールだとか、同じような施設は世界中にいくつもあると聞いた。
幼い頃から洗脳教育を施し、専門家を作るためのプロジェクト。あとから聞いた話では、私を含む被検体は大抵は孤児か戸籍もままならないような途上国からさらわれてきた赤子だったそうだ。
才能を認められれば好待遇を。才能が認められなければまた別の施設に移され、様々な才能を測られる。
いわゆる能無しは最後には某国の軍隊に売られると聞いたけれど、事実に関してはわからない。
私は早い段階であらゆるゲームジャンルへの適性を発揮できたから、他の子供たちがどうなったのかなんて知りようもなかった。
確かなのは、600番台の検体で最後まで施設に残れたのは私だけだということのみだった。
私は施設の中で上位に入るほど優秀な成績を収めていて、だからこそ私は施設内でも比較的優遇されていた。
とりわけ私は所長に気に入られていて、その最たる例が小学校に通うのを許されていたことだろう。
本来であれば外部との接触は断絶される。
事実私も幼年期は施設から出たことはなかった。
洗脳に近い教育によってひたすら専門分野に特化させることこそが実験の肝である以上、外部の刺激を受けて心変わりされては困る。今思えば、そんな意図があったのだと思う。
7歳になる歳から4年間。それも出席日の半分程度は行かないという不良生徒っぷりを見せつけながらも、それでも少しだけは学校教育というものを受けることができた。
とはいえ無駄に大きな体も、子供からすれば聞き馴染みのない名前も、休みがちな態度も、少し内気な性格も、そのどれもが小学生の子供たちからは排斥の対象だった。
私は身体が大きかったから虐めとまではいかなかったけれど、嫌がらせのようなものは頻繁に受けていた。物を隠されたり、変なあだ名をつけられたりだ。
今思えば可愛らしい嫌がらせだけど、当時はかなり嫌な気持ちになったのを覚えてる。
だから、小学校に通っていた頃の記憶に思い返したいような内容はない。
強いて言うなら、施設の他の子が通っていない中ひとりだけ小学生を経験したというのが優越感を与えてくれたくらいだ。
私は物心ついた時からずっと、ソロ専門のプレイヤーとして育成されていた。
eスポーツのプロシーンにおいては、実のところかなりの割合でチーム対チームの大会が多い。
だからこそプロチームという枠組みがあり、強いチームに所属することはそれだけで選手の価値を上げてくれる。
施設にもチーム戦に向いた適性を示した子はいて、そういう子はチームを前提にした育成を受けていた。
私がソロという形で育てられた理由は簡単で、チーム戦の適性がゴミのように低かったからだ。
それは同時に、施設内での私と他の子の実力が隔絶していたということでもあった。
《ゼロウォーズ2》が最盛期をちょっとすぎた頃、確か年齢でいえば8歳の時、私は初めてランクマッチでシーズンの世界ランキングトップを奪い取った。
施設の職員には化け物を見るような視線と、期待に輝く視線の二つを向けられたものだ。
結局ゼロウォーズ2というタイトルで一位を取れたのはそのシーズンだけだったけれど、私の施設内での価値はその時点で決定づけられた。
使える駒を排出できれば施設の評価が上がる。私は間違いなく、彼らにとっての金の卵だった。
やることは毎日変わらない。ゲームの練習に没頭するだけの日々が続いた。
いや、実際には練習をしているという意識なんてなかった。ただ上手くなるのが楽しくて、電子の世界に耽っただけだ。
そうして上手くなればなるほど学校には行かなくなった。
ゼロウォーズシリーズが2から3へ、3から4へと移行していくのを見届けながら、淡々と実力を磨き続けた。
才能を見限られて施設から消えていく子供たちの背中を、ただただ見送りながら。
停滞を感じ始めたのは、10歳の頃だった。
当時は上手く次回作に移行できたことで《ゼロウォーズ3》が最盛期で、ランクマッチのシーズン順位は安定して1桁に載るものの、1位になれない時期が続いていた。
私が下手になったわけでも、周りが特別に上手くなった訳でもない。
ただなんというか、勝負どころで勝ち切れない。結果として追い込みが効かずランキング順位が伸びない。
いや、原因は何となくわかっていた。
確かに私は下手になってはいないけれど、上手くなってもいなかったから。
幼い頃から磨き続けた才能の限界なのか、はたまた磨き方の問題なのか。
分からないまま、トップクラス程度の結果を出し続けた。能天気な職員たちは相変わらず嬉しそうにしていたけど、私はずっとぼんやりとした閉塞感に包まれていた。
そんな時期が2年近く続いたある日、転機は唐突に訪れた。
顔を真っ青にした施設の職員に「君を訪ねてきた人がいる」と言われたのだ。
この施設で生きてきて、初めての訪問者。小学校の頃ですらそんなことは無かったのに。
全く心当たりのない私が施設の応接室に入ると、見たことのある女性が座っていた。
「貴女を買いに来たわ」
女性は名乗りもせず、ただそう告げてきた。
いや、名乗る必要もないのがわかっているだけだろう。
仮にもeスポーツプレイヤーを養成するこの施設で、今最も注目されているプレイヤーを知らないはずがないと。
「HEROESのリンネ、ですか」
「ええ、そうよ。《No.666》……それとも六百六路って名前で呼んだ方がいい?」
「どっちでもいいですけど……なんでここに」
「今言ったわよ、貴女を買いに来たってね。とりあえず座ったら?」
まるでこの部屋の主であるかのように振る舞うリンネに促されるまま椅子に座って、テーブル越しに様子を窺う。
半年前、eスポーツの祭典を女性で初めて制した人。
ランクマッチの実力的には私よりも遙かに格下。普通に野良であたったら負ける気はまずしない。
けれど、あの大会のリンネは並み居る強豪の全てを蹴散らして頂点を掴んだ。
年齢の規定で出場はできなかったけど、もし出られていたら。もしあの日のリンネと対戦したら、私は勝てていただろうか。
そんな妄想を膨らませた相手が、今目の前に座っているという事実。
あまりの衝撃に混乱しすぎて、思考が浮つくのを止めることができなかった。
「一応、順を追って説明するわね。とりあえず、この施設はもうひと月も経たずに潰れるわ」
「…………えっ?」
「所長が公権力にしょっぴかれたのよ。芋づる式に色々と不正が発覚して、当然この施設の存在も明るみに出た。どんなに甘く見積ってもこの施設自体が拉致監禁で作られた犯罪の温床なんだから、そりゃバレれば潰されるわよ」
今となっては当たり前のように納得しているけれど、当時は驚いたものだ。この時初めて、ここにいる子供たちが正規の手段で集められた子供じゃないことを知ったのだから。
小学校に通ってるときから普通とは違うのは知っていたけど、一応は孤児という体裁があった訳で。
「ちゃんと親元に返せる子もいれば、貴女みたいに戸籍がない子もいる。もちろんこのまま行けば貴女は国家に保護されて、ちゃんとした戸籍を作られて、どこぞの孤児院にでも入れられるでしょうね。なんせ過保護な国だもの」
「よくわからないですけど、それの何が悪いんですか?」
「悪くはないわよ。ただ、その道には今みたいなゲームに取り組む理想的な空間は無いわ。それどころか、孤児院にいる間はほとんどゲームに触れられないと思った方がいいでしょうね」
物心がついた時からゲームと共に生きてきた。
そんな私にとって、ゲームのない生活は考えられなかった。
「それは、やです」
「そうでしょ? だから私がここに来たのよ。六路、貴女が望むのなら私が国から横取りで買い取ってあげる。戸籍も作らせるし、ゲームをするのに最高の環境も用意してあげるわ。外で自由に……とは行かないけれど、元々それは貴女にとって価値のある事じゃないでしょうし」
リンネの提案は、これから先のことを考えるととても魅力的だった。
私は別にゲームさえできればこの施設に留まる理由はない。言われた通りにすればずっとゲームをさせて貰えたから指示に従ってきただけで、施設そのものに愛着なんて微塵もない。
であればリンネの要求を呑んだところでデメリットはひとつもなかった。
気になるのはむしろ、私にメリットしかないことだった。
「私は、何をすればいいんですか?」
私は買い物をしたことがないけど、何かを買うということは何かしらの役に立つと思っているからのはずだ。
確かにゼロウォーズシリーズに関しては、世界でトップクラスに上手い自信がある。逆に言えば私の価値なんてその程度でしかないはずだ。
プロチームのメンバーを集めているという話は聞いたことがあったし、その勧誘の可能性もあるだろうか?
でもリンネはゼロウォーズ3で世界を制した女だ。そのリンネにとって私が本当に価値のある存在かと言われると微妙に思えた。
「今度、ゼロウォーズのVR版が出るのは知ってる?」
「一応は。ゲーム内のお知らせで、告知を見た程度ですけど」
「貴女にはそれをやって欲しいのよ。私の運営してるHEROESはVR部門の人材不足なのよねぇ」
困った困ったと言いながら微笑むリンネからは、困っている様子は全く見受けられない。
VR部門の人材が不足しているのは嘘ではないのかもしれないけど。
「構いませんけど……でも、VRなんてこれまでほとんど触れてませんよ」
「でもずば抜けて高い適性は持ってる、でしょ? これでも貴女のプロファイルはちゃんと確認してるのよ。私の予想が正しければ、今貴女が抱えているスランプの解消にも繋がるはずよ」
全てを見透かされているようで、少しゾッとした。
スランプのことは施設の職員にだって一回も言ったことは無い。それこそ私の戦績をしっかりと追ったってわからないはずだ。
成績自体はトップに立てないだけで高アベレージをコンスタントに出していたし、相対評価で言えば全く下手にはなっていないはず。
私が気持ち的に伸び悩んでいるような気がしているだけで、周囲から見ればここまで贅沢な悩みもないはずだ。
自分の中でさえぼんやりとしていた問題をハッキリと指摘されて、驚きより先に怖さを感じた。
「とりあえず乗り気になってくれたみたいだから、今日のところはここまでにするわ。今すぐに決めなきゃいけないってことでもないから、少し冷静になって考えなさい。もし意思が決まったらすぐにでも連れ出してあげるから」
「わ、わかりました」
リンネはそう言って、振り返ることもなく応接室を出ていった。
冷静に考えなさいと言われても、私は所詮この施設で育てられただけの吹けば飛ぶような根無し草でしかない。
私はただ、ゲームをしていたかった。勉強とか、施設の人への恩とかそんなものはどうでも良かった。
だから私はほとんど迷いなくリンネの手を取ることにした。少なくともそうすれば、ゲームをしていられると思ったからだ。
こうして私が約12年過ごしてきた生家とも呼ぶべき施設はあっさりと無くなり、私はリンネによって新しい拠点を与えられることになった。
☆
初めて飛行機に乗った。プライベートジェットというやつに。
あれよあれよという間に、気付いた時には日本では無い国に連れてこられていた。
「今日からここに住みなさい。必要なものは全部揃えてあるし、足りなくなったら好きに買い足していいわ」
どこの国かもわからないけれど、窓の外の景色を見るに少なくとも都会ではない場所にある5LDKの平屋一戸建て。
リンネの言う通り、ここには生きるのに必要なものが全部揃っていた。
夢のような場所だった。施設では見た事がないような機材があって、ゲーム機もパソコンも、ありとあらゆる環境がそこには全て揃っていた。
何よりも衝撃的だったのが、ベッドタイプのフルダイブマシン。オーダーメイドでしか手に入らない超高級品で、一台で家を買えるほどの値段がするという。
それでも予約は1年以上も空かないほどに人気の商品なのだと、施設の職員が話しているのを聞いた。
私は仮想空間を用いたゲームの経験がほとんどなかったけど、それでもこの機材には驚愕せざるを得なかった。
「こ、これ、いいんですか」
「ええ。……一応言っとくけど、HEROESに入る子の誰も彼もにこのレベルの設備を買い与えてる訳じゃないわよ。ウチはまだまだ新興のチームで、即戦力が要る。今のところスカウトしてるのはどれも自分の機材を持ってるような子ばかりだからね」
eスポーツ選手になるはずだった私は、eスポーツに関わる情報はそれなりに知っている。
当然ながら大先輩にあたるリンネについての情報も、ネットで拾える程度の情報は把握している。というか、ここ数日で色々と調べた。
その知識が正しければ、HEROESの成立自体はリンネがプロゲーマーになったのと同時のことだ。
プロの世界において、個人で戦うプレイヤーはほとんど居ない。いいや、正確には企業のバックアップを受けて戦うからこそのプロゲーマーなのだとさえ言える。
HEROESは、鷹匠グループの系列企業が出資するプロゲーミングチーム……という建前だが、要するにリンネがプロとして活動するのに不自由しないために作った企業でありチームだった。
本格的に動きだしたのはリンネがWGCSで優勝したあとだけど、今いるメンバーがHEROESへ移籍して活動を開始したのはそれより一年くらい前。
つまりリンネは優勝トロフィーを手に入れる前から、HEROESというチームをプロデュースする計画を密かに進めていたということになる。
その中で、初期メンバーに元々それなりの知名度や実力があるプレイヤーを選ぶのは決しておかしなことではない。
というか、どんなプロチームだって基本的には最初から強いプレイヤーを数人スカウトしてチームを形成するのが普通のやり方だ。
強くなるかもしれない。そんな不確定な理由でメンバーをスカウトして育てようなんて、常軌を逸しているとしか言えなかった。
ましてゼロウォーズVRはまだ発売されてもいないゲームなのに。
まだ何も実績を残していない私に対する投資としては、過剰なんてものではなかった。
「リンネは私に何を……私はリンネのために、何をすればいいんですか」
「強くなりなさい。誰も寄せつけないほど圧倒的に」
豪華な家、そして機材。戸籍の用意も、施設に縛られない自由も、何もかもがリンネから一方的に与えられたものだ。
もちろん嬉しい。嬉しいからこそ、何かをリンネにお返ししなきゃいけないと思っている。
でも、リンネから返ってきたのはただ「強くなれ」の一言だけ。
なにか目標があるとか、目的があるという答えは返ってこなかった。
「思うまま自由に過ごすといいわ。貴女はただそうするだけで強くなれる。管理して伸びる才能もあれば、自由が伸ばしてくれる才能もあるものよ」
「自由に……」
「何ヶ月後か、あるいは何年後か。その内に眠る怪物を目覚めさせることができたのなら、もう一度会いに来てあげる。私に何かを返したいと思ってくれているならそこがスタートラインだと思いなさい。じゃ、期待してるから頑張って」
リンネはそう言い残すと、呆然とする私を残してさっさと出ていってしまった。
まだ何も達成してない私に、家をひとつぽんと渡す。世間の常識には疎いほうである自覚はあるけれど、これがあまりにもおかしな行為であることはわかる。
あまりにも非現実的すぎて、夢なんじゃないかと疑ってしまう。疑いのままにほっぺをつねったら痛かった。そもそも夢の中では痛みがないってホントのことなんだろうか?
「嵐みたいな人って、ああいうのを言うんだ」
嵐というものをこの目で見たことは二回しかないけれど。
リンネにはピッタリの表現だと思った。
期待してると言ってくれたけれど、その割には私に興味があるのかないのかもよく分からないし。
「使い方……は、マニュアルがあるんだ」
用意された機材だけでなく、家具の保証書や暮らす上での注意点などがひとまとまりになったマニュアルを見つけて、内容を読み込んでいく。
ご飯の頼み方。食べ物の取り寄せ方。そんなことから始まって、お風呂や洗濯機のような各設備の使い方、それからゲームに必要な機材の初期設定に関わるものまで。わからないと思ったらこれを読めば一通りはわかるようになっていた。
最大の注意点として「できる限り家から出ないこと」というルールがあるのはどうかと思ったけれど。
色々と読んでいくと、そもそもさっきの食事の管理も含めて、家事雑事は専門の世話係さんがやってくれるということがわかった。
正直助かった。家事なんて一度もやったことはなかったから。
小学校で家庭科の授業を受けた時、自分の中に生きるために必要なスキルが全く存在しないことには気づいていた。
それでも気にしなかったのは、実験動物という立場上与えられるものを粛々と受け入れればよかったからだ。
これからは何をするにしても、自分の意思で動かなきゃいけない。
煩わしいのは事実だ。でも、これがリンネのいう「自由」というものなんだろう。
「とりあえず……ゲームの初期設定から、かな」
何はともあれ、それをしないと始まらない。
ゼロウォーズVRはまだリリース前だし、インストール済だったゼロウォーズの各シリーズを順番に設定していこう。
こうして私は、世界中の誰よりも恵まれた環境を与えられて。
ゴールの見えない旅の一歩目を踏み出した。
私事ですが打撃系鬼っ娘のコミックス3巻が昨日発売されました!
活動報告では既にご報告していますが、これが最終巻になります。書店等でお手に取っていただければ幸いです。