凶獣は牙を研ぐ
【$10000 今日は何やんの?】
「今日はゼロウォ2とマスピを2時間ずつやる予定よ。……てか投げ銭最高額とかバカ? 概要欄にスケジュール書いてあるんだから見なさいよ」
『草』
『金持ちに金持ちが金投げてて草』
『めっずらし4時間もやるんけ』
【$10000 概要開くより金なげたほうがはやいもん。てか体力持たんでしょやめときなよ貧弱なんだから】
『こわい』
『ヤバ』
『感覚バグりすぎだろ』
『今日の天気聞く感覚で100万円投げるの怖すぎるんじゃ』
『いつもの石油王おるね』
「もしかして私のリスナー、バカばっかなの?」
『ぐへへ』
『耳がいてぇぜ』
『馬鹿じゃなきゃ来ないんだよなぁ』
『どした?今日リンネピリついてんな』
『そりゃ大会ボロ負けだったかんな』
『このところ毎日ピリついとるよ』
『ほとんど練習してないのに出て負けて怒るの草なんだ』
『イキり雑魚なリンネが好きだよ』
『マスピは決勝ラウンド行ったんだから許したれ』
『今年のWGCSチャンス全部潰れてやんの』
【$10000 お金あげるから元気だして負け犬】
『↑煽るために命かけてて草』
『1分で300万飛んだぞ……』
『アンチとファンどっちやねんw』
「あのねぇ……金なんて腐るほど余ってるのよ。300万ポッチで買収できると思ってるなら社会的に消すわよマジで」
『ひぇっ』
『ひええ』
『リンネが言うとシャレにならんわ』
『家柄と金の暴力すき』
【$10000 負け犬の遠吠えは聞いてて気持ちいいなぁ】
『消される!消される!』
『この配信治安悪すぎぃ!』
『石油王VSJK資産家の熱いバトル』
『札束で殴り合わんでもろて……』
ほとんど無法地帯のように煽り散らかしてくるコメント欄に内心苦笑しつつ、コントローラーを動かす手は止めない。
ライバーズというプラットフォームで本来最高5万円までと定められた投げ銭を100万円まで投げられるのは、ごくごく一部のVIPのみ。
厳しい基準も相まってVIP持ちの特定は容易で、もちろん私もこいつが誰かは知っている。既知の仲だからこうして煽ってくるんだし、私も遠慮なく返しているだけだ。
それにしても、あの決意の日から半年。
配信者としてそれなりの成果を上げてきていた私は、今年度のWGCS予選全てに敗退していた。
まあ、案の定だけど現実は甘くない。
流石の私も今年タイトルを獲れるとは微塵も思っていなかったから、想定通りといえば想定通りだった。
私は今年、WGCSの競技に決定している5つのゲームタイトルの内、4つの大会に一次予選から出場した。内訳はTPSひとつ、MOBA二つ、格ゲーひとつの計4つだ。
残りひとつも申し込んだけれど、こちらは普通に抽選に落ちた。
それ以前の大会で優秀な成績を残していたりすると優先出場権や予選大会のシードを貰えたりするものだけど、残念ながら私はどのゲームも積み上げてきた実績が皆無だったから、下克上狙いの一次予選からの参加になった。
結果をまとめると、全てのゲームで全国規模の大会までは進めたけれど、運良く国内大会の決勝ラウンドまでは行けたMOBAジャンルのゲーム『マスターピース』を除いてどれも初戦か二戦目で敗退した。
それも優勝しなければWGCSへの参加権はなかったから、今年の夢はあえなく潰えた訳だ。
「はぁ……デカい大会はリモートにならないのがネックよね。体力持たないっての」
『貧弱すぎる』
『あまりにも体力が雑魚』
『ちゃんと鍛えろ』
『大会開けば宣伝になるからしゃーない』
『4つも出るから悪いんだよなぁ』
『体力持たないなら競技絞るべきじゃね?』
『↑ド正論はやめたれ』
「チャンスは多い方がいいでしょ。……あークソ! また負けた!」
『ざっこ』
『へたくそ』
『立ち回りがお粗末!』
『弱すぎ』
『ノロマ』
『なんでTPSだけこんな下手なん?』
「煽ってないでちょっとは役に立つアドバイス寄越しなさいよ使えないわね……」
『甘えんな』
『千尋の谷に突き落としてるだけだぞ』
『奮起してもらおうという優しさだぞ』
『そもそも煽りに来てるんだぞ』
『↑少しは本音隠せw』
「ったくもう……ネタじゃなきゃ即ブロよ即ブロ」
私が勝てばダメ出しばかりで、負ける度に死ぬほど嬉しそうに煽ってくるリスナー達だけど、コメント欄がキツめの言葉で溢れているのは正直なところありがたかった。
この頃にはもう、私の体はどうしようもなく弱っていた。
頭痛は取り返しのつかない領域まで進行してしまった。
これまでは毎日少しくらいは痛みのない時間があったのに、そんな休息時間さえないほどに脳が悲鳴を上げていた。
1日のうち、動き回れる時間はもの凄く体調がいい日ですら6時間ほど。今日のように4時間もゲームをプレイしていられるのが稀なくらい。
痛い。ひたすらに痛い。どうしようもなく頭が痛くて、集中力を保つのも困難だった。
具合の悪さで言えば、常に40度近い高熱が出ているような感覚。もちろん実際にそのレベルの発熱をしているわけではないけれど、常に微熱状態なのも確かだった。
私は何度も、この挑戦への気力を失いかけていた。
ただでさえ体調が悪いままの中、無理を押して参加した予選大会だったのだ。
案の定なんてわかっていたように言ったけれど、WGCSの予選で惨敗したのはそれなりに私も堪えた。国内レベルですら負けてしまうのに、世界への壁とはなんて遠いんだろうと思わされた。
「仕方ない」とか「もう諦めよう」なんてくだらない言葉をかけられていたら、私は立ち上がれなかったかもしれない。
でも、残念ながら私のリスナーはそういう優しさは持ち合わせていなかったらしい。
大会で負ける度に煽られ、SNSには全力で馬鹿にするようなダイレクトメッセージが届き、翌日の配信は荒れに荒れた。
慰めなんて欠片も見当たらないくらいに、誰も彼もが私の弱さと下手くそさを真正面から指摘してきた。
そんな情けも容赦もないリスナーを見ていると、自分の甘さに気付かされるばかりだった。
ただでさえ今の私は、普通の人よりもずっと使える時間が少ない。そんな私が、毎日寝る間も惜しんでゲームに向き合っているトッププレイヤーに勝とうと考えること自体が、そもそも烏滸がましいのだ。
体調も万全じゃない。時間も取れない。
そんな状況で無茶を押し通そうとしている以上、限りなく効率的に練習を重ねる必要があるし、取るべき戦術も形振り構う余裕はない。
私は限りなく少ない労力で、最も効率良く世界一にならなければならない。
お綺麗な形で正面から勝とうなんて、ちゃんちゃらおかしい話だった。
(その為には王道なんて言ってられない。……ゲームの練習だけじゃ足りないって、わかっちゃうのが辛いわね)
ディスアドバンテージは数え切れない。それでも私にしかないアドバンテージは確かに存在する。
ひとつは未だにかろうじて機能してくれている、一目見ただけで全てを記憶する完全記憶能力。これがある限り、どんなにプレイ期間が短いゲームでも知識面で負けてしまうことはまずありえない。
昔は要らないと思っていた能力が、今になって役に立つなんて皮肉な話だった。
そして、手先の器用さもまた私が世界と渡り合える武器のひとつだ。
いわゆるキャラコンなんて言われる操作面に関しては、私はどんなゲームでもトッププレイヤーを超える自信がある。
死ぬほど運動のできない私だけど、お母様に仕込まれた手先の器用さだけはあのナナですら真似できない特異な才能なのだ。
まあ、コントローラーの操作とかキーボードマウスの操作ぐらいでしか活躍しないのが玉にキズではあるけれど。
とはいえこれがあったからこそ、多数のグリッチやバグを多用するクロクロ100%RTAをほぼミスなくクリアできたと言ってもいい。
RTAのように、決められたタイミングで決められた通りに確実な操作をキメることにおいては、私は世界でもトップクラスに優れている確信があった。
知識面と操作面。この二点ではトッププレイヤーに引けを取らないのだとして、逆に今回の大会で浮き彫りになった致命的な弱点もある。
それは「反射神経」の無さ。何かに直面した時、咄嗟に状況を判断して行動に移すまでの時間があまりにも遅すぎた。
人間の反射速度は、理論上最速で0.1秒と言われているらしい。
例えば陸上競技のスタートではピストルが鳴ってから0.1秒より早くスタートした場合はフライングになるルールがあるくらいには、世界的に知られている基準の時間であるのは確かな訳だ。
要は音を聞く、目で見る、肌で感じる、そう言った知覚から身体が反応するまでの最速が0.1秒だということ。ゲームだろうと、スポーツだろうと、トッププレイヤーはほぼ確実にこれに近い領域の反射速度を持っている。
それに対して私の反射速度はなんと最速で0.8秒。これはもう笑ってしまうほど遅い記録だ。
これはシューティングゲームで死角から撃たれた時、あるいは格ゲーでスキを突かれた時、ほとんど丸一秒無防備で立ち尽くすのに等しい。
どれだけ知識があったって、どんなに正確に操作したって、どれだけ綺麗に立ち回ったって、プレイの速度が足りてなければどんなゲームも勝てやしない。
それこそ将棋やチェス、あるいはトレーディングカードゲームみたいに持ち時間が決まっていて、ターン制で交互に攻撃し合うゲームなら関係ないけれど、リアルタイムでフィールドの状況が変わり続けるオンラインゲームでは致命的な時差になる。
でも、どんなに練習したとしても私の反射速度がこれ以上速くなることはない。これは生まれつきの才能で、スポーツができない体質と一緒に変わらず付き合ってきたものだ。
だからこうして練習を続ける意味は、あらゆるシチュエーションを覚えることができるということだけ。
より多くのシチュエーションを知れば、それだけ多くの状況に備えられるようになる。
予め備えていれば、咄嗟の反応も多少は早くなるものだ。
それは反射速度をある程度までは補うことができるけれど、私がそうしているように他のプレイヤーだってそうしている。他人との差を埋める手段としては期待薄だ。
(正攻法での実力アップはもちろん欠かしちゃいけない。知識の積み重ねも、シチュエーションの研究も。でも、私が取るべき手段はきっと邪道。ゲーム自体の実力に限界があるのなら、盤外戦にこそ私の活路がある)
盤外戦。それは対戦中、あるいは対戦前から始まるプレイヤー同士の心理戦。
それはある種のプロレスであり、情報戦だ。
試合前に敵チームに対して暴言を吐いて煽るのだって盤外戦だし、「こういう戦法」で戦うと最初に予告するのだってそう。
相手に心理戦を仕掛けて、疑心暗鬼にさせる。あるいは激昂させたり動揺させたりして、平静を欠かせることで優位を取る。
情報戦レベルならさておき、実際に相手を貶めるレベルまで行くと褒められた行為とは言えない。
けれど、スポーツの世界でもトラッシュトークなんて言葉があるように、ひとつの立派な戦術であるのは確かだ。
私が挑んでいるのは、状況が刻一刻と変わるオンライン対戦ゲーム。
こうして配信で野良マッチングをしている分には対戦相手の顔も見えなければ、素性も知れない。多少なりとも知っている人間相手であればプレイヤーの手を読むことはできるけど、流石に見たことも聞いたこともない人間の思考を読めるほど、私の頭脳は万能じゃない。
でも。都合のいいことに、ゲームの大会に出場する人間というのは、その素性が割れている。
知っている人間が相手であれば、読み合いに持ち込むのは難しいことじゃない。
プレイヤーネームだけしかわからない? そんな温い隠し方で鷹匠凜音の持つ情報網から個人情報を守れるわけが無いでしょう?
顔写真ひとつあれば、住所も名前も経歴も、何もかもを洗い出せるんだから。
そう、このeスポーツという世界で最も私が秀でているのは頭脳でもキャラコンでもなく、莫大な資産と人脈に他ならない。
私の一声で動かせる人員。ロン姉や兄たち、そして燈火に声をかけることで使える味方は世界中にごまんといる。
何より必要なのはゲームの技術ではなくて、戦う相手の情報だ。対戦相手のプロフィールを紐解いて、思考の全てをトレースできるくらい、深く深く知らなければいけない。
手のひらの上で転がせるくらい、深く、深く。
私が真に目指すべき領域は、世界一上手なプレイヤーなんかじゃない。
対戦相手の全てを知り、プレイ中の心理を読み切り、盤上を荒らしてゲームそのものを支配できるプレイヤーだ。
反射神経が鈍くて咄嗟の動きで対応できないのなら、相手の行動全てを私の予測のうちに収めてしまえばいい。
RTAを決められた手順でクリアするように、試合の全てを予定調和に落とし込んでしまえばいい。
データを取り入れて、解析して、起こりうる未来を予測する。それこそが私の頭脳が最も得意とする分野。
ゲームに勝つために練習するのではなく、戦う相手を研究するという、あまりにも埒外の方法で私は世界を獲りに行く。
その為に私は、誰彼構わず噛み付いて食い荒らし、時に脅迫に近い言葉を吐いて相手を惑わす悪魔にならなければいけない。
心理を読むだけではダメなのだ。対戦相手の心理状態を最も容易く攻略できる形に掻き乱してこそ、予測の精度は向上する。
弱点は見つけるものじゃなくて、創り出すものなのだから。
(ナナが見てなくてよかったわ。こんなの、あの子に悪い影響しか与えないもの)
そんなことを思いながら、画面上で殺された自キャラを見てチッと舌打ちを漏らす。
限度さえ弁えれば、これがまたよくウケる。私は元々他人への言葉遣いが優しい方でもないからか、リスナーも直ぐに順応してくれた。
それに加えて頭痛のせいでいつもしかめっ面なおかげで、不機嫌な上に口も悪く、常にリスナーと煽り合う不穏な配信の出来上がりだ。
それでも登録者は右肩上がりで増えているんだから、過激なのが好きな層にはこういうのが刺さるんだろう。
我ながら、整った容姿をしているものだしね。
後に《凶獣》と呼ばれて多くのゲームで公式大会を荒らし回った、リンネの黒歴史であり全盛期となる3年間は、こうした経緯で始まっていた。
ちなみにナナの反射速度はリンネの100倍早いとかなんとか。