欠陥品
鷹匠凜音は、生まれた時から欠陥品だった。
☆
私とナナは親友だ。
幼い頃から、お互いに家族よりも長い時間を共に過ごした唯一無二の親友である。
そんな私たちには才能があった。
ナナには、生まれつき与えられた天性の肉体が。
そして私には、抑えきれないほどに過度に発達した頭脳が。
まるで一本の線の両端に立っているかのように、私たちは鏡合わせの才能を持って生まれてきた。
私にできないことはナナができるし。
ナナにできないことは私ができる。
だから私たちは、お互いに支え合うことで短所を補って生きてきた。
……なんて、そんなことがあるはずない。
確かに私は、致命的な短所を持って生まれてきた。
走ろうとすれば足がもつれるし、ボールを投げようとすれば変な方向に飛んでいく。
まるでゲームのデバフのように、真面目に運動をしようとすればするほど失敗する。そんな呪いのような体質だ。
けれど、この体質は鷹匠家に生まれた以上は誰もが抱えて生きているものでもある。
父も、叔父も、兄も、従姉も。
アルビノに生まれ虚弱な体質を強いられているロン姉のように、とびきりの才能の代償としてみんな何かしらの異常体質を抱えている。
私にとっての代償が、運動ができないということだっただけの話。別に日常生活程度なら悪さをしないんだから、致命的ではあるけれど優しい部類でさえあった。
そう。鷹匠の家に生まれた者は、誰もが才能に釣り合った代償をもって生まれてくる。
でも、ナナは私と違ってそうした負の要素を与えられていない。
高すぎるポテンシャルと、頑丈すぎる肉体、そして衰えることなく進化し続ける成長性。
私たちが喉から手が出るほど欲しいものを、ナナは確かに持っていた。
私は、自分にできないことをナナに任せていた。運動に関することはその最たる例で、そこは疑いようもない。
でもナナは、別に自分にできないことを私に任せていた訳じゃないのだ。
例えば私が得意な勉強だって、あの子が特別苦手だったことはない。今も覚えているのかはさておき、少なくとも学生時代の話であれば、「説明すれば理解できる」くらいにはまともな頭脳は持っていた。
得意だと思っていたアクションゲームですら反射神経だけで一方的に叩きのめされたように、私の得意なことだってナナが上回っていることがほとんどだ。
あの子のスペックはそれだけ超越的で、集中力も並々ならない。正直な話、やろうとしてできないことを探す方が難しいくらいだった。
それでもナナは、知恵を絞る必要があるシーンでは必ず私を頼ってくれた。自分で考えることだってできるはずなのに、まず私のところにやってきた。
これは、リンちゃんが得意なことだから。
そうやって、ナナは私の領域を侵さないように気を遣ってくれている。
意識的にできるほど器用な子じゃないから、最初はきっと無意識の行動だったはず。今となっては後の祭りだけど、私がゲームに負けて頬っぺを叩いてしまったのも良くなかったんだろう。
元々ナナは寂しがり屋だし、小さい頃は特にそのケが強かった。できる限り私の近くにいようとしていたし、手を繋いであげるといつも上機嫌になって、少しだけ頬を緩めていた。
それが「リンちゃんに嫌われたくない」と思ってしまった結果が、こういう癖に繋がったんだろう。
そういうところは大人になった今でも変わらない。
もちろん私がナナを助けることもあるけれど、それはあの子が自分で「やらない」と決めたことだからであって、できないことではなかった。
だから、私たちは支え合って生きてきた訳じゃない。
本当は私が一方的に、ナナに支えてもらいながら生きてきた。
それが私たちの本当の関係だ。
だからと言って、私がナナに劣っているのかと聞かれれば、そんなことは有り得ない。
私たちは対等だ。そこに疑う余地はない。
それを本能的にわかっているからこそ、ナナは私に寄りかかってくれるし、誰より深い信頼を預けてくれる。
適材適所。日常では役に立たなくとも、私には私なりの馬鹿げた才能があったのだ。
☆
2歳の頃。
私は世界に飽きていた。
私の脳みそは特別性で、見たものをそのまま記憶する。
なんて、そんな程度の能力であればどれだけ良かったか。
生まれつき背負った才能の本質は記憶力じゃなくて、情報の並列処理能力にあった。
マルチタスク、並列思考、同時進行、ながら作業……言い方なんていくらでもあるけれど、要は「一度に2つ以上の作業を同時にこなす」ということだ。
右手で書道をしながら、左手でピアノを弾くみたいな話。実際にそれをやるのは物理的に難しいような気はするけれど、喩えとしては悪くない。
ひとつのことを考えながら、別のことを考える。
赤ん坊の頃から私は自然とそういうことをやっていて、未知の情報を取り入れるたびに並列思考の数は増えていった。
目に映り耳に聞こえる世界の全てに対して、自分なりに理解していく。ひとつ。二つ。三つ。わからないことが増えるたびに、「思考する自分」も増えていく。
まるで建物の部屋を気軽に増築していくように、私が使える並列思考の数は増えていた。未知の情報に触れるたびに延々と増え続け、気付くと100をゆうに超えた。
1000を超えるか、超えないか。そのくらいまで増えたところで、未知の情報の検討を終えた部分が「空いた」。
そうして空いた部屋に新しい情報を放り込むのと、検討を終えて部屋が空くのが繰り返されて、いつしか部屋の空きが大半になって行った。
自我は、一歳になる頃には完成していた。
あらゆる情報を記録してしまう頭脳。
膨大な情報を並列で勝手に処理してくれる便利な才能。
相乗効果が高すぎるふたつの才能のせいで、私の世界は一気に拡がってしまった。
常人の数百倍、数千倍の速度で頭脳は発達していった。
道具の使い方も、言葉の意味も、話しかけてくる人の違いも、今の自分の状況も。
一歳の子供ではなかなか判断できないような細かな違いでも。
わかる。全部わかってしまう。
未知は早々に既知に変わっていった。
それでも、その頃の私はまだまだ知らないことだらけで、世界に対してワクワク感を覚えていたと思う。
寝返りが打てる。ハイハイができる。物に掴まれば多少なりとも立てるようになった頃から、ひとりの時間が増えた。
お母様は忙しかったし、兄二人もそれは同じ。体力がなかっただけとはいえ、私は比較的大人しい方だったから、多少ほっといてもいいと思われていたフシもあった。
何よりも私の両親は、私の頭脳の急速過ぎる発達速度を理解していた。
身体が未発達で言葉が喋れなくても、スマホひとつあれば会話はできる時代なんだから。
初めてスマホで会話をした時の、驚きと、恐怖と、諦めを綯い交ぜにしたお母様の瞳は、今でもよく覚えてる。
幼い私の遊び場は、お母様に与えられたタブレット端末だけだった。一応細かな身の回りの世話をしてくれるボディガードたちもいたけれど、アレは遊び相手とは言えないし。
ともかく、あらゆる情報に接続できる魔法のアイテムだと当時の私はぬか喜びしていたのを覚えてる。
そして、それは退屈への最短ルート。
知りたいという欲求に合わせて、時間の限りネットの世界に浸った私は、まず最初に勉強をした。
義務教育の範囲を一ヶ月で終わらせて、高等教育にもう一ヶ月、一通りの難関大学の過去問に半月ほど取り組んで……そこまでやって、勉強するのを止めた。
わからないからじゃない。
全部わかってしまうから、やめた。
知り過ぎるということは、知る楽しみを失うことでしかない。
私に与えられた才能は、自分の知らない未知を無造作に食い荒らして、世界をつまらないものに変えるだけのものだったと、その2ヵ月半で気づいてしまったからだ。
タブレットを放り投げてから、退屈は加速した。
今思えば馬鹿みたいな話だけど、当時の私は本当に、このままだと世界の全部に飽きてしまうと思ってた。
未知への好奇心と、それがなくなってしまう絶望感。
無駄に増えた並列思考を総動員して考え込んだ挙句、不貞腐れて眠るくらいしかできることがなくなった頃、珍しくお父様が帰ってきた。
「凜音。君にピッタリの遊び場を用意したから、付いてきなさい」
お父様が連れていってくれたのは、遊園地でも動物園でもなくて、お父様が常駐している鷹匠グループの本社。正確にはグループの本社なんて表現はおかしいけど、わかりやすく言えばとにかくそういう場所だった。
連れていかれたのは、無数のモニターと記録用のパソコンが配置されただけの大部屋。そこは世界中の企業に送り込んだスパイから、あらゆる機密情報が集まる背徳の空間だった。
世界屈指の大企業。お父様は、その闇の部分を見せてくれた。
「一億円貸そう。ここにある情報を自由に使って、それを増やしてみなさい。きっといい暇つぶしになる」
2歳にも満たない子供にそんな事を言いつけて、お父様は去っていった。
その場にいた誰もが驚いていたし、私自身も驚いた。お父様は私のことを溺愛してくれていたけれど、私の前で仕事の話をしたことは一度だってなかったからだ。
その日から私の暇つぶしは、お金を増やすことに変わった。
楽しかったかと聞かれると、別に楽しくはなかった。
やってることはデータを眺めているだけだし、仮にお金が無くなったとしても私にリスクはなかったから。
でも、ただ知識を蓄えて世界を知ったような気になるよりは、変動し続ける情勢を読んでいる方が気が紛れたのは確かだった。
2歳を過ぎてコントローラーを持てるようになってからは、オンラインの対戦ゲームにハマった。
知識があるだけじゃ勝てない相手との勝負が楽しくて、努力して技術を磨く楽しさを知った。勉強なんかじゃ得られなかった充足感を、私はこの時初めて知った。
そして、3歳になった頃。
私は初めて、ナナに出会った。
☆
それから一年間に色々あって、猛犬から命を救われて。
ずっと後ろを付いてきてくれる子分から、対等な友達になって。
ナナのことを知れば知るほど、世界はもっと面白くなった。
何をするにも、ナナと一緒なら楽しかった。
ナナは肉体的には4歳の時点で世界最強だったけれど、精神面は良くも悪くも普通の子供だった。
初めて見たものに興味を示しては、「これはなに?」と問いかけてくる。それが何かを教えてあげれば、嬉しそうに笑った。
世界をつまらなくするだけの才能だと思っていた頭脳が、無意味に蓄えた知識が、あの子を楽しませるのに無くてはならない道具になった。
最初はそれでよかった。
でも、ナナの知識が蓄えられていくにつれて、それも難しくなった。
知識を教えるのが、じゃない。ナナにとって新鮮なものを探すのがどんどん難しくなったからだ。
当たり前のことだ。物事を知れば知るほど、世界の新鮮さは薄れていく。私がそうなるのが早すぎただけで、ナナにだってその状況は訪れた。
だからって、あの子がそれを不満に思った訳じゃない。
世の中がつまらなくなると不貞腐れていた私とは違って、あの子は本当に心の底から「リンちゃん」といられるだけで幸せだと思っていたし、それは私も一緒だった。
ただ、ナナに頼られる機会が減ったのは、私にとっては寂しいことだった。
そして反対に、大きくなればなるほど私はナナに頼りきりになっていった。生まれつき背負った代償は、それだけ重く私にのしかかっていた。
初めて出会ってから、10年。
お互いに13歳になった頃。
私の並列思考の数は、1万を軽く超えていた。
ざっくりと表現しても常人の1万倍。
ただただ効率よく、沢山の情報を処理できるようになっていた。
厳密には違うけど、わかりやすく喩えるなら、頭の中にスーパーコンピューターがそのまま載っかっているような……そんな状況だ。
自慢するようだけど、当時の私は凄かった。
鷹匠グループが収集した一般人には知り得ない闇の情報と、世界中の情勢。それらの情報を利用して百発百中で株価の変動を見切り、莫大な資産を築き上げた。
1と0で構築されたデータを効率良く処理するだけのコンピューターとは根本的に違う。
人の感情も、企業の内情も、世界の情勢も、私は全てを予測の内に組み込めた。
だからこその百発百中。2歳の頃から始めて成功や失敗を繰り返してきたマネーゲームは、本格的にただのゲームになった。もはや失敗するのが困難な程に、その精度は上がっていた。
それを羨ましいと、そう思う人もいるかもしれない。
でも、実際に持っている身からすると、こんな才能なんて要らなかった。
ナナには一度も伝えたことはないけれど。
この頃から少しずつ、私は自分の欠陥に蝕まれ始めていた。
リンネは割と抱え込む性格。
ちなみにリンネは情報処理の効率がいいだけで、いわゆる頭が良いタイプではないです。例えば画期的な発明をしたり、数学の難問に革命的な発想をもたらしたりはできません。
リンネの才能は良くも悪くもコンピューター的でしかなく、そこに感情などの不確定要素を組み込めるだけのものです。