音の支配者
足音が、エンジン音が、装備がガチャつく音が、銃声が。
半径360メートルの絶対領域。この範囲の中であれば、ありとあらゆる音は私の元に届き、敵の居場所を教えてくれる。
フィールドのど真ん中に位置するバベルタウンと呼ばれる街。ゼロウォーズVRの汎用フィールドの中では最大の激戦区と言われる、一辺400メートル程度のタウンエリア。
私は今、このバベルタウンで一番高い場所に居る。通称「バベルマンション」と呼ばれる10階建てのやや大型なマンションの屋上から、この街全体を見下ろしていた。
「次の階、登ってすぐ右の部屋。扉から右に1斜め左に1。斜め左は割っておくよ」
『はい』
索敵の結果を、スーちゃんに伝える。返事は短いけど、今はそれで十分だ。
スーちゃんが今階段を駆け上がっていたのは、私の位置からだと大きなビルをひとつ挟んだ先にある4階建ての小さなビル。
最上階には恐らくチームメンバーであろう仲間をスーちゃんに殺され、追い詰められた2人のプレイヤーが篭城していた。
スーちゃんに「割る」と伝えたのはビルを挟んでの狙撃で防弾チョッキを破壊しておくという意味だ。
今の状況としては10階建てマンションの屋上にいる私が、間に8階建てのビルを挟んで4階建てのビルを狙う格好になる。
敵は私に背中を向ける形で窓際にいるみたいだけど、当然目の前の8階建てビルが邪魔で直接は狙えない。私が居たマンションの屋上からだと撃ち下ろすような形になって、窓の隙間を通そうにも普通に床にめり込むだけになってしまうからだ。
もちろん無理を通そうと思えば《魔弾》を当てることも出来なくはないけれど、この試合では「使わないでください」とスーちゃんに厳命されている。
だからここは、別の方法で狙いに行くことにした。
「よっ」
軽く掛け声を出して、私はマンションの屋上から飛び降りた。
撃ち下ろすのが無理なら、高さを合わせてしまえばいい。集中力を極限まで高めて、重力に身を任せてその一瞬を待つ。
大部屋の窓から、開け放たれていた扉、そして反対側の通路の窓。
誤差0.01秒も許されないほんのわずかな時間だけ、そこに狙撃のラインは通っていた。
パシュッと、サイレンサーの効果で悲しいほど音を抑えられた弾丸が放たれる。
それと同時に、私はライフルを手放しマンションの窓枠に指をかけて落下の軌道を捻じ曲げる。そのまま勢いを殺せずに、ほとんどタックルのような形で無理やりマンションの中に飛び込んだ。
窓ガラスが割れて飛び散るけど、演出的なもので意味はない。周囲に敵が居ないのも把握してるから、音が響いても問題なかった。
「うへぇ……危うく死ぬとこだった」
受身は取ったものの、屋上から3階までの落下で受けたダメージは深刻だ。防弾チョッキの耐久全部とHPを八割持っていかれた。
しかし飛び降りながらのアクロバット狙撃は狙い通りの敵を撃ち抜いたらしく、ログにはヘッドショットを示す110ダメージという記録が残っていた。
「ふふ、スーちゃん暴れてるなぁ」
ビルを挟んだ先で表示される細かなダメージ表示を見て、私は思わずクスリと笑う。
どうやら私の狙撃を上手く活かしてくれたようだ。
現実世界と違い、弾丸を受けたからといってその衝撃がアバターに伝わることはない。
そうは言っても、視界内に表示された残存HPや防弾チョッキの耐久値がグイッと減ると、多少はびっくりするものだ。
まして一撃で防弾チョッキを破壊されたり、不意打ちで撃ち抜かれるなら尚更のこと。
追い詰められているとはいえ彼らも歴戦の猛者。ヘッドショットを食らった程度で大きな動揺は起こさない。
しかし無防備な背中側から飛んできた狙撃に対してほんの僅かに生まれた混乱を、彼女は決して無駄にしない。
銃声が11発。応戦して放たれた弾丸は3発か。大きく踏み込む音が聞こえた後、続けざまに6発の銃声。私の視界に表示されたダメージは17回だったから、3発はスーちゃんが貰った反撃のようだ。
それでも5秒とかからず2人のプレイヤーをダウンさせたスーちゃん。正確には2人目がダウンした瞬間にチームが全滅したようで、ひとり目共々死亡判定のログが流れた。
ダウン状態のプレイヤーには復帰の可能性こそあるけど、それはチームに生存プレイヤーがいる場合だけだ。チーム全員がダウンしてしまえばその時点で復帰の可能性はなくなってしまう。
だから、チーム戦では全員がダウンした時点で死亡判定が出されるようになっていた。
『ナナ、生きてますか』
「生きてるよ。今回復中」
『次は』
「そのビルはもう居ない。今の間に1チームが車でバベルタウンの外に移動しちゃって、街全体だと後7人、そこからだとちょい遠いけど大倉庫にチームで4人固まってるっぽい。残り3人は地下工房でちょっと音が拾いにくい」
『地下はダルいですね。大倉庫に特攻します。支援を』
「あいあいさ〜」
スーちゃんの方の通信が切れる前に、プシュッという音が耳に届く。防弾チョッキの回復材を使ったんだろう。
つまり応戦して放たれた3発の弾丸はきっちりスーちゃんにダメージを与えていた訳だ。
ゼロウォーズVRではプレイヤーが装備できる防具として、防弾チョッキとヘルメットの二種類が存在する。
ヘルメットはヘッドショットの威力を軽減してくれる防具。そして防弾チョッキはプレイヤーのHPゲージをダメージから護ってくれる、サブのHPタンクのような防具だ。
どちらもアイテムのランク……MMO風に言ってしまえばレア度のようなものがあって、そのランクが高いほど効果も高くてその分フィールドで見つけにくく設定されていた。
キャラクターのHPは統一で100。防弾チョッキの耐久はランクに応じて25〜100の間になっている。ただし、試合開始から20分経つと出現する最高ランクのチョッキだけは200という脅威の耐久を持ってたりもする。
スーちゃんが装備してる防弾チョッキはランク4で耐久は100と、普通に拾える装備としては最高の物だ。正確には拾ったんじゃなく、敵を殺して奪い取ったものだろうけど。
ともかくスーちゃんはそこそこの反撃を貰って、防弾チョッキにダメージを負った。
この事実からもわかる通り、スーちゃんは割と普通にダメージを受けている。「弾がすうぱあを避けている」なんて揶揄されることもあるらしいけど、いくらスーちゃんが最強クラスのプレイヤーだからといって、弾に当たらないなんてことはない。
むしろスーちゃんは割とゴリ押しで敵を殲滅するタイプだから、被ダメージはかなり嵩むプレイヤーだったりする。
じゃあなんで死なないのかと聞いてみれば、本人曰く「ボクは弾倉が少なくても足りるので、その分回復アイテムを多めに持ってるんです。それにこまめに回復を挟むので、倒せないように感じるのかもしれません」とのこと。
ずば抜けて高い射撃能力を活かして必要最低限の弾数で殺し切るコスパの良さが、スーちゃんの強さを支えているということらしかった。
落下ダメージでスーちゃん以上にダメージを負っていた私も、屋上に戻る道中でHPと防弾チョッキの耐久を回復させた。
「復帰したよ」
『あと少しで大倉庫前です。敵の位置は』
「倉庫屋上に1、スーちゃんから見て奥の扉付近に1、入って左の2階通路に1、右の階段裏に1」
『屋上は任せます』
「突撃する前に声掛けよろしく」
『はい』
先程のビルとは異なり、今回スーちゃんが突撃しようとしている大倉庫とこのマンションの間に遮蔽物は無い。位置関係としてはビルと真逆で、直線距離で200メートル近く離れた街の隅にその大倉庫は存在する。
倉庫の屋上には巧妙に隠れつつ周囲を警戒しているプレイヤーが居る。大型のコンテナの裏に隠れているから姿は見えないけれど、ガサゴソ動く音は聞こえるのだ。
私が屋上の敵の位置を読めているように、相手も私の位置は把握しているだろう。
なんせ私は最初に降り立ってから先、この屋上からずーっと狙撃を続けているのだ。
街で一番目立つ高所である以上、私の存在は少し目を凝らせば気がつく程度にはバレバレだった。
さっきの飛び降りは倉庫の屋上とは逆方向だったからマンションが盾になって撃たれなかったけど、もし倉庫側から飛び降りてたら普通に撃ち抜かれていたのは間違いない。
加えてこのマンションの屋上は周囲で一番高い位置にあるから、屋上の縁で立ち上がったりしない限り狙撃の対象にはならない。
狙撃に気をつけていればずっと優位に立てる場所を、私は試合開始から10分以上も独占しているのだ。
じゃあ狙撃じゃなくて下から普通に登っていけばいいんじゃ? と思う人もいるだろう。
実際、試合開始直後からここにいるのがバレバレだったからか、そういう動きも多かった。それでも私が未だに生き残っているのは、このマンションの唯一の入口をスーちゃんが守ってくれていたからだ。さながら番犬のごとく、来る敵をことごとく食い散らかしていた。
そしてスーちゃんが私の護衛をやめて打って出たのは、この街に警戒するほどの人数が残っていないから。
護衛の身でありながら、スーちゃんがわずか10分で10人以上を屠ったからである。
「ここも《魔弾》は使わないっと」
わかりやすく姿を晒して、倉庫屋上の敵を狙う。
姿を晒すのも一種の牽制だ。より上位の狙撃スポットから狙われているという意識を敵に植え付けるだけで牽制になる。
敵は屋上に置かれたコンテナを盾にコソコソ隠れているようだけど、私の仕事は敵を殺すことじゃなく、スーちゃんへの攻撃に行かせないこと。つまり敵を屋上に釘付けに出来さえすればいい訳で、弾を当てる必要は無い。
『相手の索敵に引っかかりました。もう行きます』
ビルの隙間に隠れていたスーちゃんが倉庫へと駆け出した。敵の索敵系アビリティに引っかかったみたいだ。位置がバレている以上、隠れて近づく意味は無いと判断したんだろう。
倉庫に近づくスーちゃんを咎めるために飛び出そうとした倉庫屋上の敵に向けて、私は引き金を引いた。
当てるつもりのない弾丸は、しかし飛び出そうとした敵の機先を制する一手になる。
私と敵の間で交わされたほんの僅かなやり取りの間に、スーちゃんが倉庫へと殴り込みをかけた。
しかし敵の判断も素早く、スーちゃんが倉庫に入るのを止められないと悟った時点で標的を私に切りかえたらしい。
姿を晒した敵――確か「ワイナリオ」とかいう男傭兵キャラ――が構えていたのは、レーザーライフルと呼ばれるエネルギー兵器。風や立ち位置による弾道のブレがなく、ただ真っ直ぐ飛んでいく貫通型のレーザーを発射するライフルだ。
射程距離が事実上存在せず、建物や床などのオブジェクトに当たるまで直進するため、直線上にいた別のプレイヤーへの巻き込み事故が発生することでも有名だったりする。
このように非常に強力で癖がない反面、一発ごとにエネルギーをチャージするため全武器中最遅クラスでリロードに時間がかかる。具体的には大体3秒に1発しか撃てない。
また、ヘッドショットやクリティカルなどの特定部位へのダメージボーナスが無いため、威力の安定感はあるものの直撃時の一撃性はスナイパーライフルに劣っていた。
真っ直ぐに飛んでくるレーザーがお腹を掠める。たったこれだけで防弾チョッキの耐久が65も削られた。私が着けている防弾チョッキはランク3で耐久は75しかないから、回復しなければ次の攻撃で機能を失ってしまう。
けれど、相手のレーザーと交差するように私が放った弾丸も、敵の脳天を撃ち抜いた。ヘッドショットボーナスで101ダメージ、これでもう防弾チョッキは機能していないはずだ。
さっきの敵よりはいいヘルメットを被っていたみたいだけど、ヘルメットを被った相手ですら一撃で防弾チョッキを貫通した。
この威力が出せるのは、やはりスナイパーライフルのみに特化したキャラである「ルーファ」ならではの利点だ。これがスーちゃんの使っている「リトゥ」だったら、多分70ダメージがいいところだろうし。
リロードも兼ねてか、はたまた防弾チョッキの耐久が消し飛んでビビったか、敵は再びコンテナの陰へ身を隠した。
おそらく今は、防弾チョッキの耐久力を回復しているのだろう。敵の攻撃で耐久力を失い機能停止した場合でも、回復材を利用すれば再び防弾チョッキの機能は復活する。一度着用した防弾チョッキが消滅することは無いのだ。
「さて、援護しなきゃ」
スーちゃんが入って3秒で右階段裏のひとりを薙ぎ倒した所まではわかっている。
ただ、倉庫の入口から堂々と突っ込んだスーちゃんに対して、相手は倉庫で籠城を決め込んでいた。階段裏の敵が少し甘えた立ち位置を取っていただけで、他のメンバーはきちんと遮蔽物の裏に隠れて入口を警戒していたに決まっている。
そもそも階段がいわゆる透かし階段で、透かしの部分を綺麗にすり抜ける弾を撃ち込んだスーちゃんが上手すぎるのであって、その位置に立っていた相手を甘いと叩くのも可哀想な話ではある。私が予め場所を教えていたのもある訳だしね。
いくらスーちゃんでも遮蔽物の奥にいる相手をそう易々とは殺せない。負けはしないだろうけど、多少は苦戦を強いられるだろう。
単身で倉庫に飛び込んでドンパチしている真っ最中のスーちゃんを援護するために、私は屋上の敵を無視して倉庫の窓へ弾丸を放った。
続けざまに5発。弾丸は倉庫の窓枠を通過して、それぞれ狙いの位置へと跳ねていく。
弾は誰にも当たってはいない。最初から当たらないように狙って撃ったからだ。
私がマンションの屋上から倉庫内を狙っていることは、多分先程ヘッドショットを当てた屋上のワイナリオからの通信で気がついている。そしてこの屋上から窓を通して直接撃ち抜ける範囲に関しては、倉庫内に残された敵二人もわかっているはずだ。
もちろん《魔弾》を使えば大抵の場所なら撃つこと自体はできるものの、今回使用は禁止されている。
恐らく敵2人は私の狙撃範囲には入ってこない。
それでもスーちゃんを援護する必要はある。だから露骨な形で「外から狙っているぞ」というアピールがてら、倉庫の中を撃ったのだ。
一瞬でも動きが鈍るなりしてくれれば御の字だ。ウチのエースはそのほんの僅かな隙で敵を殲滅する化け物なのだから。
それから約12秒。倉庫内で6回ショットガンによる射撃音が鳴り響いた後、倉庫の中の敵の音が消えた。
リトゥが持てば一撃100ダメージを超える高威力散弾銃を、防弾チョッキ破壊に1発、HPを削り切るのに1発、ダウン後のトドメに1発のひとり頭3発ずつ当てたってとこだろう。
ちなみにゼロウォーズVRはバトロワ系の例に漏れず、ダウン後は復帰可能ゲージみたいなものがあって、それが時間経過で減っていくようになっている。
ダウン状態の敵を追撃するとそのゲージを削れて、それが尽きたらゲームオーバーという訳だ。
屋上にはまだ敵が残っていて、仮にダウン後の二人を放置しておいて復活されたら面倒なのは間違いない。余裕がある時にダウン状態の敵を殺すのは当然の行為だった。
「これで何キル?」
『あっちのトーカと合わせて18です』
「ちょうどいいね……おっと」
倉庫内の敵を殲滅したスーちゃんと通信を交わしていると、屋上にいた敵から飛んできたレーザーが私の胸を貫いた。ダメージ超過で防弾チョッキが機能を停止し、HPを直接削られる。
いくら姿を晒しているからとはいえ、かなりの精度の狙撃だった。
とはいえ、これも作戦通りだ。
「おっけー。じゃあ、私はここで落ちるね」
『GG。ボクも適当に荒らしてから落ちます』
リロードからの再狙撃で、今度は首を貫いてきた。どこに当たろうとダメージは同じだけど、200メートル先から細い首に当てるのはなかなかすごいことだ。
そんな風に敵スナイパーの技量に素直な賞賛を送りつつ、HPが0になるのを見届ける。アバターがダウン状態に移行して、その場からほとんど動けなくなってしまった。
このゲームを始めてから、まだそれほど経験のないダウン状態。アバターの重さ的にはWLOのSP切れみたいな感じがするけど、明確に苦しさがあるあちらと違ってこっちはただ動きにくいだけ。
まだ生きているスーちゃんが助けに来てくれれば、再び戦線復帰することはできる。逆に敵から追撃を受けたり、一定時間が経過すると私はこのままリタイアだ。
とはいえさっきの通信で交わした言葉のとおり、私とスーちゃんの仕事はここまでで終わりだ。本戦第一試合でやるべきことは既に終わらせた。手の内を晒すのは最小限でいい。《魔弾》を使わなかったのもそのためなんだから。
という訳でさっさと死のう。
「とうっ」
幸いなことに屋上の縁に立っていた私は、特に労することなくマンションから飛び降りることができた。
なかなかの風圧に晒されたあと、地面に叩きつけられた私は地面をワンバウンド。
落下ダメージで復帰可能ゲージが一瞬で消し飛び、あえなく第一試合をリタイアとなった。
タウンエリアの真ん中で一番高いポジションにナナを置いといたら狙撃手付きの管制塔になる。これマメな。
という訳で、いきなり試合の中盤からでした。
ここから終盤に入るぞ! ってとこでナナはリタイアです。スーちゃんとトーカとリンネはこの時点では生きてます。
ちなみにバベルマンションの「屋上」は狙撃ポイントとしては強ポジとは言い難いです。直接狙えるのは隣接してるビルとエリア端の大倉庫くらいで、隣接してても小さなビルは角度的に狙いにくい。
そもそもバベルタウンはガラス張りの小規模ビルが乱立するミニ摩天楼みたいなマップなので、狙撃自体が難易度高めです。邪魔な建物が多すぎる。
ちなみにナナは途中でライフルを捨ててるけど、同じのを無駄に五本持ってただけです。スーちゃんが殺した敵から奪ってはナナに押し付けてました。いらない。