3日目の朝に
「ナナ、バター取って」
「ほーい」
トーカちゃんの登場で若干バタついたものの、私とリンちゃんは朝ごはんを食べていた。
「トーカちゃん、ご飯食べなくて平気なのかな」
風のように来て去っていったトーカちゃんだったけど、それが少し心配だった。
ついでにリンちゃんはさっき、食事しながら今日の予定を立てるみたいなことを言ってた気がするんだけど、それも大丈夫なんだろうか。
「あの子は先に食べてから来てるわ。アレでなかなか食べる子だし」
「用意がいいなぁ」
「どの道あの子のペースで頑張っても、食べてからだと12時までにデュアリスに到着するのは難しいわ。まあ、ナナっていう燃料が入ったから行けるかもしれないけど」
少しだけ渋い顔で、リンちゃんは呟いた。
「第3の街からデュアリスってそんなに遠いの?」
「普通に歩いて2時間、戦闘しながらだと3時間くらいかしら。行きはボスがいるからもうちょっと時間がかかるけど、帰りは今言ったくらいね」
「んー……余裕で間に合う時間だと思うけど」
時計を見れば、まだ9時にもなってない。リンちゃんが言った通りの所要時間なら、トーカちゃんがデュアリスにたどり着くのは難しくもなさそうだった。
私の言葉を聞いたリンちゃんは、そっと目を逸らしてこういった。
「ナナ、忘れたの? ……燈火はね、方向音痴なのよ」
「あっ……」
つまりはそういう事だった。
トーカちゃんの名誉のために言わせてもらえば、彼女は地図さえあれば目的地にたどり着くことくらいはできる。
通い慣れた学校までの道を間違えたりもしなかったし、今日だってこうしてこのマンションまでたどり着いたわけだし。
とはいえダンジョンなんてただでさえ道が枝分かれしている上、現代の街並みのようにランドマークがある訳でもないから、トーカちゃんはマップとにらめっこしながら牛歩のように進んでくることだろう。
お昼までに到着できるかどうかは未知数だった。
「ま、まあ、あの子も昔よりは地図が得意になってるから、なんとか間に合わせるでしょう」
ごほんと咳払いしてトーカちゃんの話を切り上げたリンちゃんは、バターだけが塗られたトーストにかじりついた。
「ん、美味し……で、ナナには午後から燈火と一緒にプレイして欲しいんだけど」
「いいよー。久しぶりだし、楽しみだなぁ」
「昼は一旦落ちてもらうとして、午前中は好きにしていいわよ。試したいこともあるでしょ?」
「うん。職業も取ったし、少し慣らしておきたいな」
私が選択した職業《童子》は、魔法技能の全てを捨てることで物理技能にステータスを特化させられる特殊職業だ。
昨日はそれを試すことなく落ちてしまったから、今日はまず新しい職業で変わったステータスを試したかった。
「そういえば、職業は何を選んだの? 昨日は聞けなかったものね」
「《童子》にしたよ」
「……うーん、そうよね。ナナなら使いこなせるでしょうし」
「その感じだと、やっぱりあまり選ぶ人はいないの?」
「範囲魔法に弱すぎるのよ。それに、普通の魔法が普通に痛すぎるから……利点の割に欠点が目立つのよね。悪い意味でピーキーって感じ」
リンちゃんの言うことは、あの職業の詳細を見れば誰もが思うことだろう。
彼女の言うとおり、確かに範囲魔法は脅威なのかもしれないけど、そもそも普通の魔法が超強力な攻撃に変わってしまう時点で大きな欠陥があるのだ。
私はリンちゃんが使っていた雷の魔法しか見たことはないけど、流石に本物の雷とまでは言わないまでもかなりの速度があったのを覚えている。
一対一ならどうとでも躱せるけど、複数人入り乱れてとなるとなかなか厄介そうではあった。
「一応、魔防に補正のかかる装備もあるから、そういうので補うのも手ではあるわ」
「そうだね。まあ、困ってから考えることにするよ」
「それがいいわ。ナナがやりたいようにやって、困ったら頼ってちょうだい」
そう言って微笑むリンちゃんに、私も笑顔を返す。
今日も一日、楽しくなりそうだった。
☆
10時過ぎ。ご飯を食べてから告知をしたり洗濯物を干したりと時間を潰して、昨日の宣言通りに私は配信を開始した。
「まだ3日目なんだけどねぇ」
もはや慣れ親しんだファンタジー世界の街並み。休日ということもあってか繁雑とした街の噴水広場で、私はぐっと背伸びをした。
『わこ』
『わこつ』
『わーい』
『おっすおっす』
「やー、いらっしゃい。ゆっくり楽しんでってくださいねー」
ぽつぽつと流れ出すコメントに、緩めの挨拶を送る。
それなりに気張っていたであろう昨日一昨日に比べれば、今日はよりニュートラルな気持ちで配信に臨めていた。
「今日はとりあえず職業を試しに行こうかなと。目標は魔の森……の手前のフィールドね」
『なるほど』
『魔の森には行かないの?』
『湿地の方に行くのかと思ってた』
「うん、午後から別の子と一緒にプレイすることになったんです。あ、リンちゃんとは別のね。ダンジョンに潜ると時間が合わなくなるかもしれないから午前中はお散歩しようかなって」
諸々流れるコメントからは、ダンジョンアタックを期待する声が結構あった。
私も元々はダンジョンに潜るつもり満々だったんだけど、せっかくトーカちゃんが頑張ってこの街に向かってくれてるのに、肝心の私がいないなんてあまりにも可哀想だ。
そうしてある程度方針を固めたところで、私は昨日入ってきた門とは逆側にある北門を目指して、デュアリスの街を歩き出した。
「ほぉ〜、これが話に聞いた露店通りかぁ」
少し膨らんだように広がる道に、乱雑に敷き詰められた露店の数々を見て、私は思わず呟いた。
デュアリスの噴水広場から北門へと続く道の間には、〈露天通り〉と呼ばれる露店市がある。
ここにはいわゆるNPCショップではない、正真正銘のプレイヤーショップが立ち並んでいるのだとか。
歩きながらお品書きを見てみると、どれもNPCの品に毛が生えた程度の効果しかないようなアイテムばかり。
それもそのはずで、このデュアリスの露天通りに売り物を出しているのはほぼ全て生産初心者だからである。
「始まりの街では、生産職のチュートリアルはほとんどなくて、デュアリスまで来なきゃ生産スキルは手に入らないんだってさ」
『ほーん』
『それはそれで不思議だ』
『VR慣れして欲しいとかかね』
私の拙い解説を聞いて、リスナーの中で小さな議論が始まった。
実際のところは分からないが、リンちゃんが言うには単純にプレイヤーの分散のためらしい。
確かに、何もかもが始まりの街にあったら街がパンクしてしまうもんね。
生産はボタンひとつではい完成ともいかないらしいし、何より場所も取るという。デュアリスにある共用工房は、それはもう大きな規模だそうだ。
そのうち行く機会もある……かもしれない。
何を買うわけでもなく、しかし露天の品物に興味をひかれながら門に向かって歩いていると、不意に下の方から声をかけられた。
「あのぅ……スクナさん、ですよねぇ……」
声はすれども姿は見えず……ということも無く、少し目線を下げてみれば可愛らしい白髪の幼女が眠そうな瞳で私を見ていた。
「そうですけど、どなた様?」
「わたしは〈はるる〉というものですぅ……配信、見させていただきましてぇ……ぜひお会いしたかったんですぅ……」
「それはどうも。あ、スクナです」
握手しようと伸ばした手は、小さな両手に包まれる。
突然の行動に驚いていると、はるると名乗った幼女プレイヤーが手を離した時には、私の右手はずっしりとした重さを伴っていた。
はるるが握手と共に私の手に預けたのは、分銅のような小さな鉄塊だった。
「わたしお手製の投擲アイテムですぅ……おゆずりしますねぇ……ぜひ、アナタに使ってほしくてぇ……」
「ほぅ。いや、でもタダで貰う訳には」
「今はタダでいいんですぅ……わたしは一日中、この露天通りにいますからぁ……気に入ったら、わたしを訪ねてくださるとうれしいですぅ……」
眠そうな瞳のまま、はるると名乗った幼女はそう言い残して人混みに姿を消した。
さすがの私もあの小さな幼女をこの人混みから見つけ出すのは難しい。
「いや、あの……えぇ……」
どうしたものかと立ち尽くしていた私は、とりあえずズボンのポケットに分銅をしまうのだった。