釣り合い
エクササイズコーナー。
エクササイズブース、あるいは単純にアトラクションと呼ばれたりもするその場所がゲームイベントの定番コーナーになった理由は、ある問題が原因だった。
それはeスポーツという言葉がそれなりに認知され始めた頃からずっと議題にされてきた「ゲーマーの運動不足問題」である。
『――ゲームに限らず、インドアな趣味をメインに生きていると、どうも運動不足になりがちなのはわかるだろう』
……みたいな書き出しから延々と「健康が〜」とか「健全な競技生活が〜」なんて風に話は続いていくんだけども。
細かな話は置いといて、要は「eスポーツ選手って見た目からして不摂生な感じで、他のスポーツに比べて見栄えが悪いんだよね」という問題だ。
鍛え上げられた肉体を持っていると、冴えない表情も凛々しく精悍に見えてくるもの(らしい)。
eスポーツ選手はもちろんゲームの練習を最優先するべきだけど、もうちょっと見栄えも整えてくんないとスポンサー集められないよ〜ということで。
eスポーツ選手にも相応の「プロ意識」が求められるようになってきたわけだ。
で、その流れの一環として。
大会を見に来てくれるような一般の人にも「eスポーツ選手は運動も頑張ってるってことを証明しよう!」という企画として持ち上がったのがこのエクササイズコーナーだったのだそうだ。
最初は筋トレや有酸素運動を主軸にしたフィットネスゲームの体験コーナーを用意して、それにそこそこの手応えがあり。
徐々に悪ノリが加速していって、ゲームの大会だというのにアスレチックなり体力測定の機械なりを設置するようになって。
それでもなんやかんやで元が取れてしまうくらいには集客性があるという、謎の人気を誇るコーナーなのである。
「……と、ざっくりこんな経緯で、そこそこの規模の大会ならほぼ必ずエクササイズコーナーを設置するようになったのよ」
「ほ〜……何年か前にデートした時に、パンチングマシンをやった記憶はあるなぁ」
「ソレよソレ。なんだ、覚えてたのね」
「うん、まあ……あんまりいい思い出じゃないけどね……」
一人暮らしを始めてから6年間、私とリンちゃんはお互いの予定が合わなくてほとんど会うことは無かったけど、それでも年に数回は会って遊んでいた。
リンちゃんとのデートともなれば、それはもうただただ楽しさでいっぱいの記憶ばかりだ。
ただ、たまにはそうでもない時もあるわけで。
あの日の私はこう……リンちゃんとのデートでテンションが上がってたのか、いつもならできるような加減をし損ねた。
何があったのかを簡潔に説明すると。
エクササイズコーナーの目玉として用意されていたパンチングマシンを、当時の私は手加減なしでぶん殴って。
その結果ちょっとした騒ぎを起こしちゃって、警備の人に捕まってしまったのだ。
幸いすぐ解放されたけど……若干嫌な記憶として頭に残っているのも確かだった。
「で……なんでナナ姉様がデモンストレーションを?」
「理由はコレよ」
「ふむ?」
トーカちゃんが口にした当然の疑問に対して、リンちゃんが向けてきたタブレットの画面を3人で覗き込む。
なになに……?
「《プロゲーマー・パンチ力No.1決定戦》?」
「そうよ」
内容は読んで字のごとく、プロゲーマーのパンチ力を測定してナンバーワンを決定しようという企画みたいだ。
「今回のエクササイズコーナーには、最新の健康測定器のテストコーナーがあるのよ。本来は様々な動作に対する生体スキャンの結果を見て、色々な情報を読み取る機械なんだけどね。パンチ力測定機能もあって、それを使ってこういう企画を考えたみたいなの」
「プロゲーマーのパンチ力なんて知ってどうするんだろうね」
「ボクは……ちょっと興味あります」
「スーちゃんほんと?」
意外な方向からの援護に驚いていると、トーカちゃんが何かを閃いたようにポンと手を叩いた。
「ははぁ、なるほど読めました。つまりリン姉様は自分に来たオファーを回避するために、ナナ姉様を囮にしたわけですね?」
「チッ、バレたか……」
トーカちゃんがドヤ顔で指摘したのが図星だったらしく、リンちゃんは舌打ちをして目を逸らした。
「ナナ姉様は知らないかもですが、リン姉様、こういう運動系の企画で面白枠として採用されがちなんですよ。ほら、運動神経がどうしてもアレなので……」
「それは仕方ないね……」
「ナナ? ねぇナナ?」
「ど、ドンマイです、リンネ」
リンちゃんの運動神経が壊滅しているのは、ゲーマー界隈でも周知の事実らしい。
それはもう「アニメかな?」ってくらい、リンちゃんは理不尽に運動音痴だ。
リンちゃんがミスをせずにできる運動は、日常生活の範囲内まで。実際問題、少し駆け足をするだけで何故かすっ転ぶくらいなのだから。
VR空間では相当な訓練を積んで、ようやくちょっとまともな戦闘ができるようになったくらいらしい。
「ま、まあいいわ。とにかくナナにはこれに参加して欲しいのよ。どうせ試合までは暇なわけだし、全力でやって度肝を抜けば名前も売れるわよ?」
「うーん、まあ名前を売るとかそういうのは置いといてさ。……いいの?」
今、人前でやっても。
無言の問いかけに、リンちゃんは躊躇うことなく頷いた。
幼い頃、私の力を「見せない」ことを決めたのは他でもないリンちゃんだ。
それは私が奇異の目で見られることを避けるためであり、私を守ると同時に私から世界を守るための決まり。
私自身、人を傷つけるのは好きではなかったから、力の制御も兼ねて身体能力を抑えることを受け入れた。
そうは言っても隠しきれるものでもなく、たま〜にリンちゃんが許可してくれた時だけガス抜きをしたりして。
それでも私はこれまで「運動神経がヤバい人」の範疇を出ない程度の身体能力を演じてきたのだ。
それはリンちゃんから離れていた6年間も変わらない。
人並み……からはちょっと外れているかもしれないけれど、何事もギリギリ人間に可能な領域で留めてきた。
リンちゃんが語り、私がそれを肯定してきたとは言っても、配信のリスナーや動画の視聴者さん達はせいぜいがゲーム内の私しか見たことはない。
ちょっと前に生配信で見せた小道具での小技なんかも、あくまでもテクニックメインのものばかりだった。
そしてVRゲーム内での行動では、大抵が神経の反応速度やら運動神経の良さくらいしかわからないものだ。
ゲームアバター「スクナ」は、月狼ノクターンを倒して区切りとも言える第一のカンストレベルである99に達したけれど、それでも素のステータスでは現実世界の私よりも遥かに劣る身体能力しかない。
つまるところ、「現実世界の二宿菜々香こそが本当の化け物である」ということは、現状では誰もが話半分でしか聞いていないはずなのだ。
それを知っているのは、鷹匠家の中でもリンちゃんに近しい人たちだけ。
真の意味で私の体質を理解できているというところまで絞るなら、リンちゃんとトキさん、それから私の身体を研究してくれていたロンさんだけということになる。
そして問題なのは、今の私は一応HEROES所属のプロゲーマーであるってこと。
前にパンチングマシンをやって警備員に連行された時は、立場としてはただの一般人だった。
それにリンちゃんも変装をしていたから、たとえ動画が拡散されていたのだとしても、私個人に辿り着くのは難しかったことだろう。
けれど、今は違う。
今の私は「HEROESのナナ」。
リンちゃんが守り隠してくれていた、昔の私ではない。
この界隈で、それなりの立場を与えられた状況にあるのだ。
そんな状態で私がバケモノであるということを公言するというのは、とてもリスキーなことのように思えた。
「ねぇ、ナナ。確かにこれは私に来たオファーをナナに押し付けた形ではあるけど、ちょうどいい機会でもあると思わない?」
「ちょうどいい?」
「ええ、ちょうどいいのよ。ナナが『リンネ』に釣り合う存在だって、シンプルに証明するためにはね」
リンちゃんはそう言ってニヤリと笑みを浮かべた。
「私はこの6年間、とにかく実績を積み上げた。私が世界一の女性プロゲーマーって呼ばれている以上、隣に立つには相応の『価値』が求められるわ。もちろん私にとってナナは何より価値ある存在だけど、それを理解しているのは燈火みたいに昔の私たちを知ってる人だけ。今のナナは『友人という立場を利用してリンネに取り入った部外者』でしかないわよね」
「それはそうだね」
かつてWGCSで世界一に輝き。
1000万人を超えるチャンネルフォロワーを抱え。
プロゲーミングチームをプロデュースして多くの実績を残させ、今なおeスポーツのイメージ改善に多大な貢献をしているプロゲーマー・リンネ。
その暴力的なまでの実績の数により、リンちゃんがeスポーツの世界で手にした名声は途方もないものになっている。
私はその軌跡をネットのまとめ情報ぐらいでしか知らないけど、リンちゃんがとても人気者なのはわかる。
アイドルが一般の人と結婚した時にやっかみを受けるのと同じで、今の私は見る人によってはリンちゃんに寄生する新参者のように見えることだろう。
人気のプロ野球選手が可愛らしい女子アナウンサーと結婚するようなもので、何事も釣り合いが取れているかどうかは重要なのだ。
私とリンちゃんは「化け物同士」という意味では釣り合いの取れた存在だけれど、「社会的な立場」では残念ながら釣り合いが取れていないのだ。
「ナナがそう思われても苦にならないのは知ってる。でもね、私は私の親友がいつまでも侮られているのも気に食わないのよ。……だからナナ、本気でやっていいわ。ゲームの上手さだと名人様がなかなか認めないし、とりあえず貴女が世界で一番強いってことを『腕力』で証明してきなさい」
なるほど。
私はさっきまで、リンちゃんの隣に居るのがバケモノだなんて受け入れられないんじゃないかと思っていたけど。
むしろ化け物級の実績を持つリンちゃんの隣に居るためには、分かりやすくバケモノであった方が釣り合いが取れているのかもしれない。
「ん……まあ、そういう理由ならやぶさかでもないかな。……でも、ホントに本気でいいんだね?」
「ええ、構わないわ」
「おっけー」
リンちゃんがそう言うのであれば。
WLOではなく、現実でそうしてもいいと言うのであれば。
少しの高揚感と共に、私は右手をぎゅっと握った。
実はナナが自分の身体能力をリスナーに向けてちゃんと見せたことはないんですね。
生配信でやったのは良くも悪くも小手先の技術なので、身体能力は関係ないのです。