リンネの追憶
リンネの話。
「ふぅ……」
ナナのために第5の街から始まりの街に戻って、再び第5の街へと帰って。
このシャトルランじみた強行軍を現実でやれと言われたら絶対に出来ないけれど、ゲームの中ではSPさえあれば出来てしまう。
昼から始めた放送をめいっぱいに使ってなんとか第5の街に戻った私は、そのままゲームからログアウトしていた。
時刻はすでに夜8時を回ってる。
最前線に近くなればなるほど雑魚も手強くなってきて、移動にアホみたいに時間がかかってしまった。
とはいえ、道中のモンスターを倒していたおかげでなんだかんだレベルを上げられたので、全くの無意味だったわけでもないけれど。
「お腹すいたわ……」
結構な時間何も食べていないお腹が空腹を訴えている。
朝のビーフシチューがまだ残っているはずとはいえ、逆に言えば他に何かが作られた匂いはしない。
私の見立てではナナは私より先に放送を終えて、ハンバーグあたりを作ってるんじゃないかと思ったんだけど。
「ナナ〜、もうログアウトし……っ」
リビングに置いてある、ぶっちゃけるとあまり使わないソファ。
私の趣味ではなく、兄からのプレゼントのやつなのだけど……ナナは、それに体を預けて眠っていた。
広くて大きなソファなのに、なんでか猫みたいに体を丸めている姿が途方もなく愛らしい。
「寝てる……わよね」
規則正しく動く胸が、少なくとも死んでいるわけではないことを伝えてくれる。
ナナは音もなく呼吸をするから、そういう所を見ないと分からないのだ。忍者か何かかしらね、ほんと。
それにしても、ナナが昼寝をする所なんていつぶりに見ただろう。
ご両親が亡くなる前は、割とよく眠っていたかしら。逆にそれ以降は見ていない気がする。
丸まって眠るナナの隣に座っても、起きる気配はない。
運動の邪魔だからと短く切り揃えられたショートヘアに、緩やかに指を通す。
まるで絹のように滑らかな感触の髪質。昔はこれをストレートのロングヘアにしていたのだ。
「りん、ちゃ……?」
不意に、ナナがほんの小さな声を漏らした。
目を開けている訳では無い。鼻を小さくスンスンと鳴らしているから、多分匂いで判断したのが寝言のように漏れたんだと思う。
「えへ、へへ」
私が隣にいることに気づいたのか、ナナは嬉しそうな声を漏らして私の膝に頭を乗せた。
いわゆる膝枕の体勢だ。小さく丸めていた体をだらっとソファに寝転がらせて、幸せそうな顔をして眠っている。
「ん……」
頬を撫でると、もっとと言わんばかりに体をすり寄せてくる。
もぞもぞと動かれるのがとてもくすぐったいけど、膝の上に乗っているこの可愛い生物の魅力の前には些事でしかない。
本当に、眠っているというのに、幸せそうな表情を隠しもしない。
ナナがここまで無防備な姿を見せてくれるのは私にだけだ。
元々無防備なところもあるけれど、昔兄が寝ているナナを起こそうとして寝ながら絞め落とされているのを見たこともある。
この子は、無意識でも自己防衛の機能が万全なのだ。そして私の前ではそれが働かない。
それはひとえに私が積み重ねてきた信頼そのもの。ナナに認められた証だ。
そう思うだけで幸せな気分に浸れて、安らかに眠っている親友の存在がただただ愛おしかった。
☆
私とナナが出会ったのは3歳の頃。
駆け落ち夫婦だというナナの両親が友人であった私の両親を頼ったのがきっかけで、その子供であった私達は引き合わされた。
今からは考えられないことだけど、元々ナナは酷く無口で、無表情で、感情のかけらもない人形のような子供だった。
私は頼まれたから面倒を見ていたけど、基本的にはゲームをする私の後ろでぼんやりとそれを見ているだけ。
とにかくぼんやりした子だったから、何かにつけて私はナナを連れ回していた。
毎日一緒にいて、ひと月もすると、ナナは何も言わなくても私についてくるようになった。
一歩後ろでちょこちょこと。相変わらず無表情だけど、嫌な訳ではないんだなと思ったことを覚えてる。
変化があったのは、出会って一年が経った頃。
その頃には私に対して単語で言葉を返してくれるくらいにはナナも成長していて、私は彼女のことを子分のように思っていた。
そんな時、ふとした拍子に、一緒にゲームをすることになった。
今となっては廃れてしまった、しかし当時流行していた対戦型の格ゲー。
私は兄を蹴散らせるくらいに上手くって、そんな凄さをナナに分かって欲しくて、そんな幼い気持ちで初心者のナナと対戦して。
私は呆気なく、ナナに負けた。
完膚なきまでの完全敗北だった。1ダメージたりとも削れなかった。
油断してたからと再戦して、さらに洗練されたナナに叩きのめされて。
何度やっても何度やっても勝てなくて、私は子供らしく泣いてしまった。
多少の応答が出来るようになったとはいえ、相変わらずナナは感情の機微を捉えるのが酷く下手っぴで。
泣き止まない私を抱き締めたり、頭を撫でたり、とにかくどうにかして慰めようとしてくれていた。
それでもそんなナナが気に食わなくて、私はナナの頬を張って逃げ出したのだ。
ナナは叩かれた頬を無表情に押さえて、立ち尽くしていたらしい。
初めて私が見せた怒りの感情をどう受け止めたらいいのかわからなかったとか。
翌日以降もナナは普通に姿を見せたし、何かを気にしているようでもなかった。
ただ、私から話しかけないと黙っているだけだったナナは、自分から口を開いてくれるようになった。
それは小さいけど、大きな変化。
今となってはそう思う。
それ以外はあまりにも態度が変わらないナナを相手に私の方がギクシャクしちゃっていたけど、最終的には私が折れてその喧嘩……というか癇癪は終わった。
それからだ。私たちが本当に友達と言える関係になったのは。
そして、その事故は起こった。
きっかけは、2人で公園に出かけたことだった。
砂場で遊んでいた私達は、突如として襲撃を受けたのだ。
その襲撃者は犬。同じ公園を訪れていたどこかの金持ちが飼育していた、ピットブルという品種の飼い犬だった。
遊びたかったのか。はたまた興奮するような要素があったのか。
幼い子供だった私は、突然突っ込んできて吠え散らかすその犬が怖くて仕方がなくて、無我夢中で泥玉を投げつけた。
結果として、それがピットブルを怒らせた。
大人さえも殺しうる獰猛な犬種が、4歳の子供に襲いかかったのだ。
本当に怖かった。泣いていたようにも思う。
ピットブルは飛びかかってきて、怖くて目をつぶったら、ぐしゃりと音がした。
痛くない。衝撃も来ない。ただ、暖かい液体が体にかかった。
なんでだろうと思ったら、ナナが目の前にいた。
肩口にガッツリと噛み付かれて、血を流す友達が。
大丈夫? なんて、心配そうに言うのだ。
私の無事を確認してから、ナナは噛み付いた犬の目玉にシャベルを叩きつけて、無理やりに引き剥がした。
そして、目玉を打ち据えられて悶絶する犬の頭を、思い切りシャベルで叩いた。
何回も、何回も、何回も。
頭の形が変わって、動かなくなるまで何回も。
完全に動かなくなったのを確認して、ナナもまた倒れ込んだ。
4歳の女児にはありえないほどの膂力で、ナナはピットブルを撲殺した。
ナナが犬を殺したことなんて本当にどうでも良くて、私は血だらけで倒れ込んだナナが心配で泣いた。
その騒ぎを聞き付けてやってきた大人が、病院に連絡してくれて。
ナナはかろうじて一命を取り留めたけど、出血のショックで死にかけていたと後になって知った。
目が覚めて、ナナは第一声で私の名前を呼んだらしい。
急いで駆けつければ、いつもと変わらないナナがそこにいた。
私は謝って、謝って、よかったって嬉しくてまた泣いて。
ナナはそんな私の頭を撫でてくれた。
その後のことは、全部お父さんがカタを付けてくれたから、私にはわからない。
犬の飼い主は酷く怒っていたらしいけど、そもそもその飼い主がまともにリードも繋がないまま犬を放置していたことにも責任がある。
けれど、ナナが犬を殴り殺した事実は、地域一帯に瞬く間に伝播していった。
化け物と呼ばれた。人でなしと言われた。直接ではなく陰口のように、ナナは腫れ物扱いされた。
ナナが気づいていたのかは知らないけど、実の両親でさえナナの異常性には怯えていたように思う。
けれど、周囲がなんと言おうとナナは私の友達で、幼なじみで、助けてくれたヒーローで。
だから私は誓ったのだ。
何があってもナナの味方でいる。
それが私に出来る数少ないことだから。
大好きな友達のために、私だけができることだから。
☆
「……ちゃん、リンちゃん?」
「……ナナ?」
ゆさゆさと肩を揺さぶられる感触で、私は意識を覚醒させた。
膝枕をしているうちに、私も眠ってしまったらしい。微睡みから抜けきらない意識のままに、私はナナを抱きしめた。
「どうしたの?」
「小さな頃のことを、ね。少し夢に見たの」
「そっか。……今日は、もう寝ようか」
「……そうね」
少しふらつく足元を、ナナが横から支えてくれる。
「ねぇ、ナナ」
「何?」
「……今日は、楽しかった?」
「今日も楽しかったよ」
「そう、ならいいわ」
ベッドに辿り着いて、布団に潜り込む。
そのままナナも引きずり込むと、一瞬驚いたような顔をしてから、抵抗することなく入ってきた。
「ナナ、おやすみ」
「うん。おやすみなさい」
ナナの肩には未だにその頃の傷が薄ら残ってたり。