月下の挑戦・終幕
ロウを中心としておぞましいほどの闇が聖域を満たし、侵す。
神聖なる月光属性の対極。2つの属性は相克し、相容れない属性を持つ月光聖域と災禍の闇が喰らい合う。
溢れ出る闇を従えながら、ロウは緩やかに歩みを進める。
その姿を見て、ノクターンが苛立ちの混じった唸り声を上げた。
『まさか日に二度も破滅に手を伸ばす愚者を見ることになるとは……そのような力を使い、無事で済むと思っているのですか?』
「無事でいるつもりなんかないわ。破滅してもいいと思ったから、私はこの力を使ってるの」
ノクターンの睨みを涼しげに受け流しながら、ロウはそう言って微笑みを浮かべる。
躊躇うことなくレベルの半分を捧げ、手にした力は途方もなく邪悪な悪魔の加護。
神とは真逆の悪辣の徒。暴走状態の酒呑童子と同じく七大災禍に数えられるその存在の名は、《ジャック》。
ただの痴情のもつれをきっかけに、ひとつの国を滅亡させた。そんな、たったひとりの殺人鬼の名だ。
その名はノクターンも知っている。
鬼神のように、神代に生まれた怪物でもなく。
妖精女王のように、種を束ねる王でもなく。
堕天使のように、創造神に連なる者でもなく。
魔王のように、存在を進化させた訳でもなく。
蝗王のように、総てを呑み込む力もなく。
大聖女のように、何もかもを虜にする美貌もない。
そんな、どこにでもいる純粋な人族が、七大災禍の一に数えられているという事実。
ただの人殺しが、世界を恐慌に陥れたという結末。
直接見たわけではなくとも、その情報だけでどれほどのおぞましい闇の力なのかはわかる。
世界七大災禍とは文字通り、世界の滅びに最も近づいた七つの大災害のことを指す言葉。
ロウが引き出した力がその一端だけだとしても、既に最大展開の月光聖域を3割も侵食されているのだ。
それほどの邪悪。決して触れてはいけない深淵の力だ。
『魂が闇に食い潰されたとしても?』
「ええ、後悔はないわ」
『なるほど……覚悟はあるということですか』
ノクターンは静かに目を閉じると、天を仰いで声もなく吠える。
『鬼神と悪魔、そして剣神。どれも生涯のうちに目にすることさえ稀なほどの希少種が、力を合わせて向かってくるとは……主よ、不甲斐ない眷属をどうかお許しください』
その呟きは懺悔。
身の丈に余る力を降ろすことに許しを乞う、ノクターンの悔恨の言葉。
これが、デッドスキルの絡まない戦いであったのなら。
ノクターンはこのまま最後の戦いに挑み、あるいはそのまま倒されていたかもしれない。
けれど。
デッドスキルの使い手だけは。
今ここで仕留めなければならないのだと、ノクターンはそう考える。
スクナのように完全に手放した者ならばともかく、今ここで発動している災禍を見逃すことを、神聖なる月狼が看過できようはずもない。
そして、そんな使命感だけではなく。
何よりも、何よりも強く思うのは――!
『命を懸け、魂を懸け、全てを懸ける貴女方への返礼として……私の最後の力を見せましょう。これは使うはずのなかった至高の領域にして、我が主の力の片鱗』
彼方の月狼が、天に向かって高らかに吠える。
その瞬間、ノクターンを包み込むように月光が降り注ぎ、全身の体毛が淡く輝く。
月の紋章が大地に浮かび上がり、それと同時にロウの足元から滾々と流れ出す闇が押し返され始める。
「……綺麗だね」
「……ええ」
ノクターン自身の力だけではなく、主である七星王、《天枢の狼王・レクイエム》の力を借り受けた殲滅形態。
本来ならば使わない……いや、使えないはずだった浄化の力。
七大災禍へのカウンターとしての力が、ノクターンの全身に漲っていた。
『《鎮魂の為の夜想曲》。稀なる力を持つ異邦の旅人達よ! 正真正銘、これが最後の戦いです!』
「行くよ、ロウ!」
「任せて!」
開幕は極大の咆哮と共に。
絶対なる浄化の化身と、共にデッドスキルを発現したことのある2人の戦士の、最後の激突が始まった。
☆
「はぁぁぁああああっ!」
全てを破壊する力を纏い、あらゆる攻撃を無視してスクナが駆ける。
『グォォォォォォォォォォオオオ!!!』
そんなスクナに対して、ノクターンがけたたましい雄叫びを上げる。
その瞬間、もはや目視で数えるのが困難なほど展開された《満月の燐光》から、計7本の《満月の咆哮》が襲いかかる。
先程一本破壊するのに奥義を必要としたほどの大火力。
どう足掻いても止められない。そう思われた攻撃を前に、ロウが自身の纏う闇をスクナと自分の前に展開する。
「《嫉妬の強奪》」
バクン! と音を立てて、展開された闇が全ての咆哮を呑み込んだ。
「お返しするわ」
ロウの手の動きに合わせて、漆黒に染まったブレスがノクターンへと襲い掛かる。
相手の放出攻撃を奪い取り、跳ね返す。
それはデッドスキル《嫉妬の恋情》が持つ力のひとつだ。
ブレスを撃ち返す度に、パキパキと小さな音を立ててロウの体にヒビが入る。
スクナの時の再現のように、ヒビ割れた体からは闇が漏れ出していた。
いくらデッドスキルが強力だと言っても、これほどの攻撃を呑み込むのにタダで済むはずもない。
強力な攻撃を返した反動は確実にロウを蝕んでいたが、そんなものはどうでもいいとロウは一瞬で切り捨てた。
そっくりそのまま返された《満月の咆哮》により、多くの《燐光》が砕け散る。
しかし砕けた燐光は消えることなく闇に染まり、欠片は寄り集まって黒き満月の形を取った。
純然たる破壊の力であった七大災禍《憤怒》とは違い、《嫉妬》の本質は「妬み、奪い、己が物にする」こと。
奪ったものが新たに傷を生み出せば、更なる簒奪の餌食となる。殺人鬼・ジャックはこの力を使い、連鎖する支配の力だけでひとつの国を滅ぼしたのだ。
「ふ、ふふふふ、あはははははははっ!」
《燐光》の一部を奪い取ったロウは、嬉しそうに笑いながら更なる攻撃を仕掛けていく。
《満月の燐光》は砲台にも盾にもなり、一見すると万能に見えるが、砲台としての機能を使えるのはあくまでも使用者の使える魔法やアーツに限られる。
ノクターン程強力な放出攻撃は持たないロウだが、《嫉妬》の力を纏った闇の塊が《燐光》から発射され、触れた《燐光》をことごとく闇に染め上げていく。
それに対応しようとするノクターンだが、既にスクナが間合いを詰め《簒奪兵装・逢魔》を振りかぶっている。
全ての力を吐き出してなお、今のスクナのパワーはノクターンを上回る。攻撃を受けないように何とか弾きながら、ノクターンは一歩後退した。
『やはり七大災禍、甘くはありませんね……!』
ロウの放つ《嫉妬》の闇玉そのものは、本来ならばノクターンの持つ浄化の力で打ち消すことができるものだ。
しかしそれは、今のスクナの相手をしながら成せるほど簡単なことではない。
故にノクターンは己の消耗を度外視で叫ぶ。
『仕方ありません! 《燐光・自律稼働開始》! 《月光聖域・過剰展開》!!』
ノクターンの宣言と共に、これまでは全てノクターン自身が操作していた無数の《燐光》が自律的に稼働し始める。
それはただ自在に動くようになったというだけでなく、主であるノクターンからMPを抜き取っての、自律的な魔法の発動を可能にしたということ。
ノクターンの持つリードが外れた《燐光》から容赦のない閃光が放たれ、戦場を蹂躙する。
その中からスクナと自身に当たる分だけをきっちり闇で吸い込みながら、ロウは数多の《燐光》へと別の闇玉を差し向ける。
闇の力に侵してしまえば、《燐光》とて奪い取れる。
とはいえ弱い攻撃までいちいち呑み込んでいれば、デッドスキルの代償は一瞬にしてロウを殺すだろう。
故にロウは飛んできた攻撃から「スクナと自分に当たるもの」を可能な限り呑み込んでは《燐光》に向けて打ち返していく。
呑み込めば呑み込むほど、デッドスキルを使えば使うほど反動は大きく、バキ、バキバキバキッと音を立ててロウの全身がヒビに覆われていく。
「アハッ」
ヒビが侵食しきり、右腕がボトリと地面に落ちる。
闇に染まる左眼はヒビ割れ砕け、ロウの体は1秒ごとにデッドスキルに侵されていく。
それでもロウは蕩けるような笑みを崩すことなく、スクナへと向けられる全ての攻撃を《嫉妬》の闇で喰らい続け、それを糧にノクターンの《燐光》を奪い続ける。
戦いの結末はスクナに託す。
憧憬を糧に、己の全てを捧げ尽くすのだ。
今この瞬間の幸せをかみしめて。
笑う。
嗤う。
闇に染まった殺人姫が、高らかに哄笑を上げ続ける。
それを理解しているからこそ。
スクナの瞳に力が宿る。
ロウがスクナを護り、スクナはノクターンを倒そうと果敢に攻め立てる。
対するノクターンは一切の消耗を度外視してスクナを、ロウを殺さんと猛攻を以て防御に転じる。
互いに「攻撃は最大の防御」と言わんばかりの衝突。
そんな拮抗した状況が2分足らず。
崩壊のきっかけは、ロウが放った闇玉が、たまたま撃ち合いからそれてスクナとノクターンの戦闘に割り込むように飛んできたことだった。
『くっ、やはりあのスキルは厄介で――』
ロウが約2分間、決死の献身でノクターンの持つ放出攻撃の全てを受け止め続ける中、不意に生まれた隙をスクナは見逃さない。
《瞬間換装》で武器を持ち替えたスクナは、ノクターンがロウへと意識を向けた瞬間に懐から全力の一撃を叩き込む。
「ぉぉおおっ! 《フィニッシュ・クラッシャー》!!」
《打撃の極意》スキル、アーツ《フィニッシュ・クラッシャー》。
このアーツの効果を端的に言うと、《技後硬直がない代わりに攻撃倍率がないフィニッシャー》。
《フィニッシャー》というアーツは本来「攻撃倍率3倍+武器の残耐久に応じた倍率上昇」の効果を持つが、このアーツは「武器の残耐久」のみでアーツの威力を決定する。
その倍率はフィニッシャーと同じく、残耐久500につき0.5倍。つまり耐久3000の武器を使ってようやくフィニッシャーの基礎威力に匹敵する火力を出せるアーツなのだ。
今回破壊するのは、はるるから託された《試作48号》。5500を超える残耐久を持つこの武器による威力倍率は実に5.5倍。
単純な倍率だけならば《メテオインパクト》にさえ及びかねないほどの一撃を、他のアーツとほとんど変わらない技後硬直で放てるという事実。
更にその上で《終式》による超絶のバフが乗り、もはやその火力は計り知れないほどに高まっていた。
『ぐぅぅっ!?』
破壊の打撃が直撃し、ノクターンの残HPを半分以上削り取る。
(……ッ!? 今ので怯みもしないの!?)
しかし。
ノクターンは呻き声こそ上げたが、一切怯むことは無かった。
そして極大の一撃の代償に、スクナの身体が僅かに技後硬直で停止する。
その硬直は《フィニッシャー》や《メテオインパクト》のように長大なものではなく、《叩きつけ》とそう変わらないわずかな時間。
しかし高速の戦闘の中、例えそれが1秒にも満たないわずかな時間だったとしても、同じ速度の世界に立つ者にとって見ればそれは致命的な隙になる。
今のスクナは完全に無防備の状態で、ノクターンの攻撃を回避する余地はなかった。
『《満月の爪刻・極光》!!』
「が……っ!?」
返す刀で叩き込まれたのは、極限まで練り上げられた月光属性の斬撃。
腹を抉るように削り取られ、スクナは攻撃の衝撃で吹き飛ばされる。
「きゃっ!?」
たまたまか狙ってか、スクナが吹き飛んだ先にはロウがいて、ロウを巻き込んで2人は地面へと叩きつけられた。
「大丈夫!?」
「え、ええ」
吹き飛ばされ転がっている間に技後硬直は解け、スクナは跳ねるように飛び起きるとロウの無事を確認する。
追撃を警戒するが、ロウが奪い取った《燐光》もまた自律稼働の恩恵を受けているのか、光の《燐光》と闇の《燐光》は互いに互いを破壊せんと攻撃を撃ち合っている。
そしてノクターンはノクターンで追撃をしてこない。
そのことが、逆に不穏な気配を漂わせている。
そんな中。
パキッ、と。
起き上がろうとしたロウの両足が、闇に染まり砕け散る。
自律稼働している闇の《燐光》は今なおロウからデッドスキルの代償を奪い続けている。
アバターの右腕、両足、左眼を失い、ロウはもはや起き上がることさえままならない状態と成り果てていた。
デッドスキルの発動からここまで、3分と経っていない。
しかしこれが世界七大災禍。
5分も使用できたスクナが例外。
ロウほど強力なプレイヤーがレベルを半分も捧げてなお、これほど短い時間耐え切るので精一杯なほど、リスクのあるスキルなのだ。
「……ごめんね、ロウ、無理させて」
「……いいの。貴女のためだから」
スクナの謝罪を聞いても、ロウは嬉しそうに笑う。
悔いなど微塵も感じさせないその様子が、スクナには不思議だった。
「ねぇ、ロウ。どうしてそこまでしてくれるの? 私とロウは敵同士だったのに」
「……推しの為ならなんだってできる。それがファンっていうものよ」
「……ごめん、よくわからないや」
「それでいいの。そんな貴女だからこそ、私はこうしてここにいるんだもの」
ロウの言っていることは理解できないまでも、何となく、自分を慕ってくれているのだということは理解できた。
元々スクナはロウに悪感情など抱いてはいない。
なぜならロウは、ただPKプレイヤーだというだけなのだから。
もちろん最初はただの狂人だと思ってドン引きしたりもしていたが、刃を混じえてからはその強さに闘争心を掻き立てられた。
レベル差があったとはいえ、紛れもなく苦戦させられた強敵。そして、アポカリプスとの戦いではロウのおかげで一矢報いることができた。
思えば、あの時手助けをしてくれていた時点で、何かしらの心の変化があったのかもしれない。
そう思いながら、スクナは金色の呪符を取り出してロウの左手に握らせた。
「……これは?」
「私の持ってる、最後の切り札。使うタイミングはロウに任せる」
そう言ってスクナが指を向ける先で、ノクターンが膨大なエネルギーをチャージしているのがロウにも見えた。
あんなものが放たれれば、《満月の咆哮》程度の威力では済まないだろう。紛れもなく、ノクターンの持つ必殺の一撃だ。
この一枚の呪符で、本当に防げるのか。
そんな表情を浮かべるロウに、スクナが不意ににへらっと笑みを浮かべて、ロウの髪を撫でた。
「次の一撃で終わらせる。だからロウ、あとはよろしくね」
これ以上長引かせたところで、ロウはもうもたない。
スクナの《終式》も残り時間はそれほど多くない。
何より、ロウのデッドスキルによる支援無しで今のノクターンに勝つのは流石のスクナも難しい。
それをわかっているからこそ、先ほどはリスクを承知で《フィニッシュ・クラッシャー》を放った。あわよくば連続で当ててそのまま押し切れると思っていたが、流石にそこまで甘くはなかった。
「今度はさ、みんなで勝ちたいんだ」
以前のレイドバトルの時、スクナはたったひとりで全てを終わらせた。リンネを守るどころかリンネに守られ、そして失い、失意の中で覚醒し、暴走した。
あの時の苦い記憶を忘れることは永遠にないだろう。
そして、その経験があるからこそ、今回は「全員で勝ちたい」と思っている。
本当なら、呪符だって自分で使えばいい。
けれど……そうしたらきっと、ロウは最後の力を振り絞ってでもスクナを助けようとするのだろう。
あの時のリンネのように。そんなのはもうゴメンだった。
だからスクナは、ロウにこれ以上力を使わせないために、最後の仕事を託したのだ。
全てではなくともスクナの思惑を察したロウは、少しだけ躊躇ってから頷いた。
「……ええ、任せて」
「ん、お願いね」
ロウの返事を聞いたスクナが、再び《簒奪兵装・逢魔》をその手に換装する。
その顔には既に笑みなどなく、冷徹で、凛々しい横顔だけがロウの視界には映っていた。
スクナが睨みつける先で、ノクターンが最後の一撃を放つべく月光をチャージする。
なぜ。
たった今、スクナへと追撃する絶好のチャンスをフイにしてまで、ノクターンは最後の一撃をチャージする時間を割いたのか。
その理由は至って単純なものだった。
想像を遥かに超えて、消耗が大きすぎたのだ。
元より、《満月の燐光》はひとつを維持するのもそれなりに苦労するほど燃費の悪い技だ。
8つも出せば一気にMPを消費する。
それを30を優に超えて50近く生み出すだけでもとてつもない消費を強いると言うのに、それを更に自律稼働させた。
デッドスキルによる防御を貫通せんと、自律稼働した《燐光》から絶え間なくMPを食われ続け、そしてスクナには変身前も変身後も絶え間ない攻めに対応するためごっそりとSPを奪い取られ。
無尽蔵に思えるほどにあったノクターンのエネルギーは、遂に限界を迎えたのだ。
今思えば、あの二人の剣士との戦いもノクターンが押しているようできっちり守り切られ、その上休む間もなく戦わされていた。
最大の原因はロウのデッドスキルに対処することで生じた消耗だったが、それ以外にも細かな要因が重なって、遂にノクターンは最後の攻勢に出なければならない状態に陥っていたのだった。
そして。
不意に……境内を照らす満月の光が、叢雲によって遮られる。
新月の如き暗闇が世界を覆う。
ノクターンと、スクナ。
黄金の双眸が交差する。
ギシ、ギシ、ギギギギギギギギギギッ!!
そんな音を立てて、収束した月光のエネルギーがノクターンの周囲に集まり、空間を歪ませる。
暗闇の世界を煌々と照らすそのエネルギーは、膨大な破壊の力として放たれる時を待っていた。
「飢え喰らえ……狼王の牙!」
スクナの言葉と共に、この戦闘中一度も使わずにいた、赤狼アリアから受け継いだレアスキル《餓狼》が発動する。
《終式》によるバフの上から、更に筋力値と敏捷が1.5倍に跳ね上がった。
先程のノクターンの《満月の爪刻・極光》によってダメージを受けたスクナのHPは、もう3割も残っていない。
故に《餓狼》の継続時間は良くて1分。それでも、決着には十分足りる時間だ。
全てを賭ける。
躊躇いはない。
決着まで、残り8秒。
叢雲が去り、月光が顔を出す。
ノクターンのチャージが終わる直前に、スクナがまっすぐに駆け出した!
そして放たれるは新月の音色。
己が全てを込めた極限のブレス。
『《月無き世界の夜想曲》!!!』
これまでに見たどんな攻撃よりも圧倒的な暴威。
閃光が爆ぜ、スクナとロウを諸共に消し去らんと迫る。
回避は不可能。
否、元よりスクナに回避や防御の選択肢はない。
その手段は既に託してあるのだから!
まっすぐ駆け抜けるスクナを護るように、ロウは最後の力を振り絞り、握り締めた呪符の名を告げる。
「ぜっ……かい……!」
リィィン……と、清らかな鈴の音が鳴り。
全ての脅威から発動者を守る、絶対なる断絶の結界が出現する。
それは世界で唯一の秘法。
妖狐族の英雄、雪華のみが使える最強の結界術――《絶界》。
雪華本人が発動すれば、街ひとつを数時間、使徒討滅戦の余波から守り続けられるほどの防御性能を発揮する究極の結界だ。
最高クラスの金塊を素材に用いてなお、数秒しか呪符に刻み込めなかったほどの秘術。
しかし今この場では、その数秒が値千金の価値を生む。
《絶界》はスクナの全身を護るように覆い尽くし、直後に月狼の最大火力が衝突する。
断絶の結界はあの巨竜アルスノヴァですら消し飛ばせるであろう威力を秘めた《月無き世界の夜想曲》を正面から受け、それでもなお一切のダメージをスクナへと通さない。
絶対の護りは健在。しかし、思わぬ誤算がスクナを襲う。
(ぐ、ぬぬぬぬぬぬっ!!!)
《絶界》はスクナを護っている。しかし、その勢いに押されてスクナはジリジリと後退させられ、前に出られなくなっていた。
「ふん、ばれ、私っ!」
ここで回避してしまえば、ロウが死ぬ。
故にスクナは増強された全てのステータスを総動員し、ブレスを受けてなお前進しようと奮闘する。
その耐久は刹那の時間。
されど永遠にさえ思える暴威との衝突。
危うく意識が飛びかけそうなほどの極光との押し合いは、唐突に終わりを迎えた。
「《メテオスラッシュ》!」
それはこの数分間月狼の歯牙にもかけられていなかったアーサーが、このタイミングを狙って潜んでいた《剣聖》が、名もなき剣で放った斬撃。
その一撃は最後の場面に於いてはあまりに弱々しく、頼りない斬撃だった。
しかし、ブレスを放つ月狼の顔に直撃した斬撃は僅かに、そして確かに月狼の体勢を切り崩す。
「ゆけ! スクナ!」
「アーちゃん、ナイス!」
僅かに軌道が逸れたことで、ロウを庇う必要がなくなったスクナが一気にノクターンとの距離を詰める。
『ま、だです!!』
そう簡単には終わらない。
消耗は限界であり、先程の《月無き世界の夜想曲》で無尽蔵に近いMPもSPも吐き出しきった。
それでもなお、ノクターンは己の命を削って絞り出した力で8つの《満月の燐光》を出現させる。
「ぐわっ!?」
今のノクターンが放てる術は、《満月の爪刻》が精一杯。
まずひとつを使って真横にいたアーサーを吹き飛ばし、残る全てをスクナに差し向ける。
一撃でも掠れば致命となる7つの斬撃が、一直線にノクターンへと突き進むスクナの足を止めるように放たれる……その直前。
「そう来ると思っていたぞ!」
この場にいる最後の戦士が、蒼玉の大剣を力強く振るった。
「《エクスキューション・ノヴァ》!!」
ガシャァァァン!!! と轟音を立てて炸裂する閃撃が、全ての燐光を消し飛ばす。
《大剣》スキル、その最強アーツである《エクスキューション・ノヴァ》。
再び手にした代名詞、《蒼天大剣・無窮》のネームドスキルにより威力が倍加され、《ファルマの勇気》によって更に倍加された斬撃。
残りわずかに見えてなお膨大な月狼のHPを削りきるには足らずとも、援護として最高の結果を生む。
「スクナ!」
「うんっ!!」
ありがとう、は後でいい。
感謝はいつでも伝えられる。
今はただ、その一撃に応えるために!
三者三様の支援を受け、スクナは遂に最後の一歩を踏み込んだ。
「《鬼神流破戒術・奥義》!」
『おおおおおおおおおおおおおっ!』
絞り尽くし、出し尽くし、何もかもを使い尽くしたノクターンの、最後の一撃。
もはや術でも技でもない、ただの爪撃だ。
(……あ……)
スクナはその姿を見て、ほんの一瞬、赤狼アリアとの戦いを幻視した。
このゲームを始めて最初に出会った強者との戦い。
死力を尽くして相打ち、僅かな差で勝利を収めたあの戦いを。
あの日のリベンジではないけれど。
今度は、きっと。
「《鬼哭天衝》!!」
振り上げるように放たれたスクナの打撃と、ノクターンの爪撃が衝突した。
拮抗は、しない。
腕は消し飛び、衝撃が全身に広がる。
スクナの放った一撃は、ノクターンに残る全てのHPを削り取った。
☆
ノクターンが力を失い、崩れ落ちる。
緩やかに解けるように、月狼の体が消滅していく。
『……お見事。……この……夢のような、ひと時に……ただ、感謝を』
「こっちこそ、楽しかったよ」
『それは、良かった……』
ノクターンはスクナの言葉を聞いて嬉しそうに微笑むと、その視線を倒れ伏すロウへと向ける。
そして残った左手をわずかに動かし、苦しげな様子で呟いた。
『《破邪の……月光……》』
ノクターンの呟きと共に、月光がロウへと降り注ぐ。
全身を漆黒の闇に覆われ、侵されていたロウの全身から、闇の侵食が取り払われていく。
「何を……?」
『使うはずのない……力に頼った、詫びです……。……あとは、人の力で治せるはず……二度と使わぬよう、言い聞かせなさい』
「……ありがとう、ノクターン」
『ふふ、礼など…………っと……時間、ですね……』
緩やかな消滅が、速さを増す。
長々と話している時間はなく、ただ戦闘の余韻を残すだけ。
互いに微笑みを浮かべながら、最後の言葉を交わした。
『いずれ、月夜で』
「うん、またね」
最後は凛々しく立ち上がる。
《彼方の月狼・ノクターン》はそのまま音もなく、風と共に月夜に混ざり、消滅した。
長らく続いた月狼戦もこれにて決着。
一夜限りの夢の時を、満足して逝きました。