月下の挑戦・選択
「……ソレ、まだ使ってるんだね」
初めて会った時から変わらずスクナのアバターを使っている酒呑童子に、スクナは苦笑しながら言った。
「相変わらずカツカツなのでな。とはいえ今回はスクナ、お主から近づいてきてくれたおかげで随分楽に呼ぶことができた」
酒呑がスクナのアバターを使う理由は、単純にスクナが初めて酒呑と出会った存在だから。
それまではまともな姿を取ることさえままならず、封印されてから初めて干渉できたスクナの身体を写し取って仮初の体とすることで、ようやく会話ができるようになったのだ。
とはいえ、直前まで真竜アポカリプスに殺されかけていたスクナを救い出して写し取ったせいで、随分とボロボロのアバターになってしまった訳だが。
スクナとしては敗北の記憶を思い出してしまうため、できれば見たくはない姿だったりする。
「コレが異世界とこの世界を繋ぐという魔道具か。時の流れが違うせいか、この世界では上手く機能していないようだが……これがなんの役に立つのだ? 相変わらず創造神の考えることはよくわからん」
かろうじて空中に浮いてはいるものの、どことなくフラフラしている配信用の宝玉を突っつきながら、酒呑は不思議そうな表情でそう言った。
上手く機能していないということは、リスナーには酒呑の姿が見えていないということだろうか。
(便利というかなんというか。というか、今更だけど幽世ってなんなんだろう?)
「いつも突然だから、どうやってとは聞かないけど……どうして今呼んだの?」
これまで酒呑と出会ったのは、酒呑がスクナを呼び出したかった時だけ。それも、無理やりに幽世に引きずり込まれる以外でこの領域に来たことはない。
真竜アポカリプスとの戦いの時は死の間際に助けて貰ったし、琥珀と出会った次の日にはログインと同時に幽世に引きずり込まれたりもした。
冷静に考えると、この鬼神は本当に滅茶苦茶なことをやっているのだが……とにかく、酒呑が姿を現したということは何かしらの用件があるはずなのだ。
そう思ってのスクナの質問に、酒呑は間を置かず答えを返した。
「今のお主に必要なことだったからだ。外の戦いに関しては安心しろ。この空間は外界の4倍の速度で時が進んでいる故、今しばらく猶予はある。……もちろん、お主の仲間次第ではあるがな」
「なるほど……みんななら、少しの間ならきっと大丈夫だよ」
外の4倍の速度で、ということは単純に外の世界の1秒がこの幽世の4秒に当たるということだろう。
目を覚ました時から、何となく聞こえてくる戦闘音が鈍いとは思っていたが、スクナの耳が悪くなったのではなく時間の流れが違うのが理由だったようだ。
酒呑の口ぶりや色々な状況から見るに、どうやらスクナ自身はシステム上まだ「戦闘中」の扱いであり、過去2回の邂逅と同様に酒呑が無理やり幽世に連れてきたのだろう。
メルティといい酒呑といい、このゲームで最上位の強さを持つNPCに与えられている謎の権限に関しては気になるところだが、それも今はどうでもいいことだ。
「とはいえ、外の戦いにも余裕はないか。いくらこの世界の時の流れが鈍いと言っても、悠長に語らう時間はないようだ」
酒呑は外の戦いを眺め、少し視線を鋭くする。
いつの間にか装備が変わったアーサーとドラゴが、狼と化したノクターンと戦っているのがスクナの目からも見て取れた。
4分の1の速度でもなかなか見応えがあるものだなぁと思いつつ見ていると、ふとおかしな点に気付いた。
(あれ? ロウがいないな……)
てっきり3人で戦っているものだと思っていたスクナは、想定外の光景に目を丸くする。
正直な話、スクナが一番奥の手の解禁を期待していたのはロウだった。というのも、アーサーやドラゴ以上にロウに関しては謎な部分が多く、その分何かとんでもない隠し玉を持っているのではないかと思っていたからだ。
先程の会話からはスクナに不利益になるようなことはしなさそうに感じたが、一体何を考えているのか。
ここまで温存するということは、相当に特異な切り札を持っているということなのかもしれない。
そんなことを考えていると、酒呑が真剣な表情で口を開いた。
「時間がない故手短に話すぞ。今から私は、お主にひとつの選択を与える。その選択は、お主がこの世界を生きる上で大きな分岐点となるだろう」
「分岐点……」
「どちらを選ぼうと相応の力が手に入るし、この場で選ぶも選ばぬもお主次第だ。じっくりと考えたいのであれば今選ぶ必要はない。だが、月狼に打ち勝つ力はこの選択の先にあるだろう」
酒呑はそういうと、右手と左手に金と銀の簪を持った。
金色の方は、以前酒呑からもらった銅色の《鬼灯の簪》をそのまま金色に染めたような意匠で、銀色の方は逆に鬼灯のアクセサリーが無い、至ってシンプルな意匠の簪だった。
「我が祝福を受けた身で研鑽を積み、十分な習熟に至ったお主は未来を選び取らねばならん。《童子》の力を捨て、普通の鬼人として多くの手札を得るか。《童子》の先に進み、より純度の高い鬼へと至るか。どちらを選ぶもお主次第だが……力を捨てることを望むのであれば、これが最後の機会となると心得よ」
酒呑の問い掛けを聞いたスクナの前に、【WARNING】と書かれたシステムウィンドウが表示される。
――
【WARNING】
特殊職業《童子》からの転職はやり直せません!
これは今後のゲームプレイを大きく左右する選択です!
後悔のないよう、慎重に選択してください!
職業《童子》から上位職業へと転職しますか?
《いいえ》を選んだ場合、職業《童子》を喪失し二度と取得することができなくなります。
《はい》
《いいえ》
《選択しない》
――
(やり直せません……かぁ)
やり直せない、不可逆の選択。
これで《いいえ》を選べば、ここに書いてある通りスクナは《童子》の職業を失い、恐らくこれまで《童子》へとつぎ込んだ習熟度が返ってくるのだろう。
物理ステータスのみしか強化できないという制限は消え、知力や魔防を強化することもできるようになるかもしれない。
逆に《はい》を選べば《童子》の上位職業へと転職することになる。この世界で誰も到達したことのない、初めての力を手に入れることができる。
あるいは《選択しない》。それもまたひとつの選択だ。
持ち帰って凜音に相談してもいい。凜音のことだから「ナナの好きなようにしなさい」と言われて終わるのは容易に想像がつくところではあるのだが。
少し悩むような素振りを見せるスクナに、酒呑が少し申し訳なさそうに口を開く。
「呪いによる侵食がなければ、本来はレベル90に至った時点でお主に選択の時間を与えるはずだった。しかしデッドスキルを発動して以来、お主の魂は極めて不安定になっていたのだ」
「ん? そうなんだ?」
酒呑の言葉を聞いて、とても意外そうな表情を浮かべた。
スクナとしては、色々な記憶を乗り越えた上でWLOにのめり込んでいたこの一週間は、なんならかつてないほど穏やかな心持ちだったくらいなのだが。
しかし、酒呑がそう言うのであれば、きっと呪われた状態のスクナは、ゲームシステム的には傍から見て相当ヤバいことになっていたのだろう。
現に、初めて鬼人の里についた時は、それはもう恐ろしいものを見るような目で見られたのだから。
「そんな状態で下手な力を手にしてしまえば、お主自身が身を滅ぼすは必定。故に私はお主が呪いを解除しこの領域へとたどり着くまで、《転職》と《終式》の発現を止めた。正しい形で2つの力を得られるようにな」
「むっ、やっぱり《終式》が覚えられなかったの酒呑のせいなんだ!」
「元より《童子》のままでは《終式》の習得は出来んのだ。必要な筋力値を備えた上で先に進むか、力を捨てるか、どちらかの選択をせねばならん。私が転職を止めた以上、私のせいというのも間違いではないがな」
以前黒曜から匙を投げられた《終式》の未習得問題の元凶がここにいたことがわかって少し大きな声を出すスクナ。
それに対し、酒呑は終始穏やかな様子で対応する。
酒呑が言う通り、既にスクナが選び取るだけで《終式》を習得できる状態にあるのならば、結局は数レベル分の誤差に過ぎないのも確かだった。
「スクナ、我が祝福をその身に宿す鬼人よ。《鬼》か、《人》か。お主はどちらの道を選び取る?」
「……ふふ、わかってるくせに」
鬼神の問い掛けにクスッと笑うと、スクナは《はい》を選択する。それはもうあっさりと、躊躇いのない選択だった。
少しくらいは考えたが、やはり悩むような事じゃない。
デュアリスの職業登録所で《童子》を選んだ時から、そもそもこの力を捨てるという選択肢自体を想定していない。
酒呑との約束。
そして、琥珀との誓い。
その両方を大切に思っているからこそ、スクナはこの選択が正しいと信じている。
選択から数秒して、スクナの手の中に光が生まれる。
何かと思って見守っていると、先程酒呑が手にしていた金色の簪がスクナの手の中にあった。
「これは?」
「転職の記念品のようなものだ。見る者が見れば価値を理解するだろうが、装備しても特に効果はないぞ」
「えぇ……こんな思わせぶりな見た目なのに」
なんとなく納得のいかない気持ちでインベントリにしまうと、ステータスから新たに手にした職業の名前に目を通す。
「その職業の名は《鬼神子》。極めればいずれ鬼神へ至る、その第一歩となる職業だ」
「《鬼神子》……字面だけ見たら私が酒呑の子供みたいだね」
「何を今更。そもそも今の鬼人族全てが私の子供のようなものだぞ」
「それは見守る対象として……でしょ?」
「クク、違いない」
スクナに突っ込まれて、酒呑は楽しそうに笑う。
何やかんやと琥珀を知っていたように、酒呑自身は干渉こそできなくとも鬼人族を見守っていた節がある。
鬼人族が鬼神を敬っているように、酒呑もまた鬼人族を気にかけているのは間違いないのだろう。
「さあ、行ってこい。《鬼神子》の力をノクターンに見せてやれ」
「うん! ……あっ、そうだ」
ポンと背中を押され、一歩踏み出そうとしても立ち止まる。
出会いの衝撃で忘れかけていたが、スクナは酒呑に聞きたいことがあったのだ。
「久しぶりだし、最後にひとつだけいいかな?」
「なんだ?」
「私の名前を聞いてさ。酒呑はどう思ったの?」
セイレーンの騎士、ゴルドからその存在を知り。
鬼人の里で酒呑にとって大切な存在だとわかった《両面宿儺》という鬼の名前。
ただ名前が一致しているだけのことだということは、スクナも理解している。
それでも、一応聞いておきたいことではあったのだ。
酒呑は少しだけ目を見開くと、ほほ笑みを浮かべて言った。
「……懐かしいと、そう思ったよ。だが、宿儺はもう死んだのだ。そして私も、長い年月をかけてそれを受け入れた。お主が何かを気にする必要はないさ」
「そっか。……うん、じゃあ行ってくる」
選ぶべきものを選び、聞きたかったことは聞けた。
わずか10分にも満たない、僅かな邂逅。
スクナは満足そうに頷いてから、金棒を片手に社の外へと歩みを進めた。