月下の挑戦・混迷
轟音、暴風、そしてゆっくりと静寂が戻った境内の中で、立っている影が3つある。
ドラゴ、アーサー、そしてノクターン。ロウは相変わらずスキルによって姿を隠しており、スクナは攻撃の反動と余波をモロに受けて境内の奥に有る社まで100メートル近く吹き飛ばされたため、境内にその姿はなかった。
双龍から十重桜、そして絶拳のほぼ理想的なコンボをクリーンヒットで食らったノクターンは、それでもなお倒れずそこに在る。
HPゲージこそ1本割れ、2本目も既に3割を削り取られている。
しかし、己が放った技の反動で何十メートルと吹き飛んだスクナとは対照的に、ノクターンは未だに境内の中に立っていた。
「アレが絶拳か……」
「威力が桁違いすぎるのぅ。ノクターンが耐えきったせいもあるんじゃろうが、打った本人が弾丸みたいに吹き飛んどったぞ」
3分かけて奥の手の準備を終えた2人が、自分の技で吹き飛んで行ったスクナを見ながら若干顔を引き攣らせる。
以前スクナが絶拳を放った際は、その衝撃波だけで巨竜を粉砕していた。
あの時は《憤怒の暴走》によって筋力値に10倍のバフがかかっていたこともあり、スクナは一方的に攻撃を通して相手を消し飛ばすことができたため、物理的な衝撃が少なかった。
しかし、今回の絶拳はノクターンに直接ぶつけていて、さらにノクターン自身が下がることなく耐えきったせいで、反動はスクナに直接跳ね返っている。
加えて、アーサーが見た限りでは、絶拳をぶつけた瞬間にノクターンも反撃を加えていた。スクナが《童子の舞》の発動を前提に防御を捨てていたのも相まって、あのようなしっぺ返しを受けることになったのだろう。
「まあ、スクナは死んどらんじゃろ。童子の舞の効果は聞いたが、社に突っ込んだ時も30秒は経っとらんかったしな」
「パーティの状態を見ても生存のままだ。HPは1しか残ってないが……スタン状態になっているな」
「モロに反撃食らっとったからのぅ。あんだけ滅多打ちにしといて一発返されただけという時点でおかしいんじゃがな」
ドラゴの話を聞く限り、どうやら先程の反撃はスクナを吹き飛ばすだけでは飽き足らず、スタン状態まで付与していたらしい。
既に《童子の舞》の効果が切れている以上、ここからノクターンが潰しにかかればスクナは死ぬかもしれない。
「護らねばならんな」
「ああ」
「ロウは?」
「見る限りはノーダメで生きているようだ」
「ならばよし。気を引き締めろ、ドラゴよ。ここからが本番じゃぞ」
「わかっているさ」
軽口を叩く余裕もない。
既にこの戦いも最終局面へと移りつつある。
ドラゴは両耳のピアスと、戦闘序盤から持ち替えていた第二のネームドウェポンのスキルを。
アーサーはこれまでの着流しではなく、赤のマントが付いた騎士風のアーマーを。
それぞれ決戦に向けて奥の手を解禁した以上、勝つにせよ負けるにせよここから決着まではそう長くないだろう。
「……認めましょう。そして称えましょう。お前たちは確かに私が本気を出すに値する、優秀な戦士であると」
不意に、ノクターンが満足気な様子で呟いた。
「この戦いは一夜限りの夢。月夜が見せた夢幻の時間。この得難い体験への礼として、私の真なる力を見せましょう」
矮小な身でありながら、己をここまで追い込んだことに敬意を評して。
ノクターンは、人の姿となって抑えていた力を解放する。
狼王の一角を担う者として、本来あるべき姿へと戻っていく。
たっぷり10秒ほどかけて変化したその姿は、月色の体毛を持つ大狼。
その黄金の瞳に睨まれた瞬間、ドラゴとアーサーはとてつもない威圧感を覚えた。
『《月光聖域・三日月》』
空気を震わす音としての声ではない。2人の脳裏に直接声が響き渡った瞬間に天魔の領域は立ち消え、闇夜を照らす満月が三日月に姿を変える。
降り注ぐ月光は細く小さく、されど月の狼王を照らしていた。
『さあ、始めましょう。夢のような戦いの続きを』
月下の戦い。
決戦の幕を開いたのは、轟くような月狼の咆哮だった。
☆
(なんじゃこの怪物は!?)
戦いが再開されて、一分。
アーサーは内心で声にならない悲鳴を上げていた。
『《三日月の爪刻》』
「ぐぬぅ!」
ノクターンが腕を振るった瞬間、三日月形の斬撃が5本アーサーに向かって放たれる。
上位属性である月光属性の、高速で飛ぶ斬撃。もはや境内の広さではどこにいても射程の範囲内であり、打ち消す手段がない以上回避するしかない。
何とか横っ飛びで回避した先で、音もなく移動していたノクターンが既に爪を振るっている。
(クソが!)
「ぬぅあぁっ!」
アーサーは無理な体勢のまま剣を振るい、ガギャギャッ! と音を立てて爪撃を逸らした。
先程の斬撃も厄介ではあるが、そもそもただの攻撃の威力も桁違いに跳ね上がっており、もはやステータスは暴力的な域に達している。
獣人状態ですら、アーサーとノクターンの間には刃すら通らないほどの絶望的なステータス差があった。
そんな今のアーサーが何とかノクターンの攻撃を逸らせている理由は2つあった。
ひとつは《剣聖》スキル、《剣神憑依・参番》の発動。
その効果は以前黒曜との戦いで発動した《弐番》よりも更に高く、一時的に物理ステータスを2倍まで跳ね上げるという超強力なバフアーツだ。
それに加えて、先程の時間で切り替えておいた、エピックレア防具《メルスティヴの遺鎧》。
《剣聖》スキルと共に手に入れたはいいものの、《剣神憑依・参番》より先を発動しなければ装備できず、逆に発動すると強制的に装備されてしまう特殊な防具。
アーサー個人としてはほぼフルアーマーに近いこの装備は性に合わず、《剣聖》スキルの使用自体が滅多にないことも相まって、まだ一度しか装備したことがない代物だ。
しかし、装備するだけで全ての状態異常に耐性がつき、何より純粋に防御力が高いため、今この場では苦渋の決断で使用しているのだった。
「隙だらけだっ!」
アーサーを狙っているが故に隙を見せているノクターンに、ドラゴが気合いとともに大剣を振り下ろす。
『《三日月の燐光》』
「くっ! 甘いか!」
斬撃を光の盾に阻まれ、返す刀で振るわれた爪を大剣の腹で受ける。
この物理攻撃を受け止める盾技がノクターンの厄介さを底上げしていて、ドラゴとアーサーはなかなか攻撃を加えられずにいた。
とはいえ、ドラゴもまたノクターンの攻撃に力負けすることなく、きっちり受け止めることができている。
その秘密は、戦闘の序盤の時点で蒼天大剣から持ち替えていたもうひとつのネームドウェポンにあった。
銘を《刻限剣ファルマ》。
グリフィス南西のネームドボスを討伐した際に手に入れた《魂》を利用して作成した代物で、ドラゴの中では《天空剣・蒼穹》とその強化版である《蒼天大剣・無窮》に続く三振り目のネームドウェポンだった。
素の性能自体は蒼天大剣に大きく劣る。
しかし、この武器のネームドウェポンたる所以はスキルにある。
この武器の持つネームドスキル《ファルマの勇気》は、「一戦闘中にこの武器を持ち続けた時間」と同じだけの時間発動するという、かなり特殊な発動条件を持つスキルだ。
さらに、一度発動したら1週間は再発動ができないという重すぎるクールタイムを持つ。
そもそもがレイドバトルや今のようなネームド戦など、長時間の戦闘を前提としたスキル。
その効果は《発動中に受けた全ての精神系状態異常を無効化し、HPを除く全ステータスを2倍にする》というもの。
現状のカンストであるレベル100に達し、バランスよく丁寧に組まれたステータスビルドの持ち主であるドラゴ。
その全ステータスが超強化を受けているからこそ、今この場においてのみドラゴはノクターンと打ち合える。
恐らく人状態の1.5倍近いステータス上昇をしているであろうノクターンに対して、2人の切り札は通用していた。
しかしそれもあくまで何とか戦えているだけ。
所々でダメージ入れられているが、当然ながら反撃も食らっている。
「クソ! ロウは何をやっとるんじゃ!」
「スクナを助けに行ってるんじゃないか!?」
「一言くらい入れていけって話じゃろ!」
互いに互いの隙を守るように、凄まじいまでの連携でノクターンの攻撃を凌ぎながら、2人はやけくそ感のある会話を交わす。
相も変わらず戦場にロウの姿はなく、今度は本格的にカバーすら入れてくれていない。
(切り札を切るという言葉に嘘はないように見えた。現に先ほどまでは何度も私たちを助けてくれていた。だと言うのに、なぜ今は一切のカバーをせずにいる? スクナを助けに行っているならいいが、そうでないならなぜ……?)
ノクターンの攻撃を凌ぎながら、ドラゴは思案する。
先ほどまでのロウの行動は、自分勝手ではあってもパーティのバランスを調節する絶妙なものだった。
それが今は一切ない。スタン状態になり死にかけのスクナを救いに行っている可能性はあるが、ノクターンの攻撃が現状では全くスクナへと向いていない以上、自力の復活を待つのも十分に選択肢のひとつであるのだ。
(私たちが死ぬまで待っているのか、あるいは私たちが戦っていると発動できない類の切り札か。彼女に関しては情報が無さすぎてまったく想定も出来ないが……なんにせよ、この暴威をたった2人で抑え込むのは手間だぞ)
ドラゴの奥の手である《ファルマの勇気》は、戦闘の序盤に持ち替えたおかげでまだ15分近い猶予時間がある。
問題はアーサーの方だ。話を聞く限り長時間もつ類のものではなく、短期決戦用のスキルに近いという。
必殺技と言うからには、バフアーツの他にまだ何か火力系の切り札があるのだろう。
しかしそれもバフが切れる前に発動しなければ宝の持ち腐れだ。
そして、現状の猛攻を凌いでる中ではその切り札を切る余裕もない。
『《三日月の爪刻》』
「チッ!」
防ぎようのない攻撃を、2人は大きく飛び退いて回避する。
その瞬間、ノクターンを中心に無数の光の蝶が舞い上がった。
『《月光夢幻の蝶々華》』
目視で数え切れないほどの蝶々が、2人を襲うように飛びかかる。
月光属性の攻撃は撃ち落とせない。ガードはできるが、どうやら上位属性のガードは想像を遥かに超えて武器の耐久値を削られる。
故に2人は回避する他ないのだが、互いに数匹ずつ回避できずに蝶にアバターを食い破られてダメージを負う。
(クソ、面倒な技を! 速く多いだけじゃが、だからこそ単純に回避しづらい!)
ダメージ量的に今のは魔法。そう判断しつつ、アーサーはポーチから即座にポーションを取り出し砕き割る。
もはや悠長に飲んでいる余裕はない。体にかけるだけでも多少は回復できる以上、握りつぶすのが最も効率がいい。
(《参番》ももう長くは持たん。《肆番》は更に短い。このままではやはり押し切られる。短期決戦であれば何とかしようもあったが……ロウはもういいとして、スクナの回復もまだなのか! スタン状態にしても時間がかかりすぎじゃろ!?)
アーサーは再び飛んできた《三日月の爪刻》を回避しながら、ジリ貧な状況に歯噛みする。
《剣聖》スキルは下から順番に《剣神憑依》を繋ぐことでより強力なバフを発動できるようになる反面、ひとつひとつのバフの時間は短くなっていく。
今発動している《参番》も、更に先の領域である《肆番》も、ドラゴの《ファルマの勇気》のように長時間持つバフではないのだ。
(頼むぞ2人とも。ワシらが死ぬ前に戻ってこい!)
アーサーはそう祈りながら、奇跡的に作り出せた隙を突いてノクターンの体を切り裂いた。
☆
(……ここ、は……?)
絶拳を放った反動と、激突の瞬間にノクターンから貰ったカウンターのダブルパンチで境内の社まで吹き飛ばされたスクナは、混濁する意識を社の内部で覚醒させる。
もたれかかるように壁に背中を預けた状態での覚醒。視界が暗いのは下を向いているからだろうか。
視界の端で点滅するHPはもはや無いに等しく、まずは回復をと思うも動けない。よく見れば自分自身がスタン状態になっており、スクナは最後の反撃を躱さなかったことを悔やむ。
(……どうしようもないかな)
耳を澄ませると、とてもくぐもった音ではあるが、かろうじて戦闘の音が聞こえてくる。
恐らくドラゴとロウ、アーサーが本来の姿を解放したノクターンと戦っているのだろう。
となると、ノクターンの反撃で想像以上の時間、意識を持っていかれていたらしい。
とはいえ、スタン状態とは元々そういうものだ。プレイヤーがスタン状態になった時も、スタンが解ける直前まで擬似的にアバターは意識を失う。
逆に、今意識が戻ったということは、まもなくスタン状態が解けるということでもあった。
(それにしても……とんでもない勢いで突っ込んだのに、お社に傷ひとつないのはなんでだろう?)
意識を失う直前にバキバキと社が壊れたような音が聞こえたはずなのに、かろうじて見える範囲で不思議と社には傷ひとつ残っていない。
特に背中を預けている壁などは一番大きな傷があって然るべきだろうに、背中に当たる感触からはそんなものは微塵も感じとれない。
すぐに修復されたのか、はたまたバキバキという音が気のせいだったのか。
それでも埃のひとつも立っていなければおかしいような気はするが、よくよく見回してみればこの社には空気の流れが全くない。
仮想空間とはいえこの世界には空気が循環していて、社の入り口が開いている以上、そんなことはありえないはずなのに。
「……まるで、ここだけが世界から隔離されてるみたい」
スタンはまだ解けずとも、どうやら意識が戻れば口は動くらしい。
そういえばノクターンもそんな感じだったなと思いながら、何となく呟いた言葉だった。
「その通りだとも」
「……っ!?」
そんなスクナの言葉に、何よりも聞き慣れた声で返事があった。
驚き目を見開くスクナに、声の主はクックッと押し殺すように笑いを零す。
「よくぞこの社に辿り着いた。お陰で大した苦労もなくこちらの世界に引きずり込めたぞ」
声の主は嬉しそうな感情を隠そうともせずに語る。
その《声》は、今日この戦いの場に来た戦士のものだった。
しかしそれはドラゴではなく。
アーサーでもなく。
ロウでもなく。
そして、ノクターンのものでもない。
つまりは、他でもないスクナの声。
生まれてから今日まで、文字通り一番よく耳にした声だ。
そこまで理解して、ようやくその正体に気が付いた。
スタンから解けた瞬間に顔を上げて、正面に立つ存在を見る。
視界に映るのは強化前の《赤狼装束》。
脇腹は何かに貫かれたようにポッカリと穴が開き、その全身が戦闘の後のように少し汚れている。
その姿に見覚えがないわけがない。
スクナは思わず、その名前を口走った。
「酒呑……!?」
「ああ。久しいな、スクナよ。元気そうでなによりだ」
当時のスクナの体を依代にして姿を得た、かつて二度だけ邂逅した幽世の主。
創造神に封印された、世界最強と呼ばれた存在。
鬼神・酒呑童子は、傷だらけのスクナを見ながら意地の悪い笑みを浮かべた。