月下の挑戦・天魔
「はぁっ!」
「くふふふ! やはりいい! 力のぶつけ合いこそ闘争の本質です!」
高笑いしながら己の四肢のみでスクナと殴り合うノクターン。
殴り合う、と言ってもスクナはほとんどダメージを負っていないままだ。回避、あるいは攻撃をぶつけて相殺するか受け流しつつ、反撃の手を差し込んでいる。
なんと言っても、ノクターンの攻撃はスクナからすれば極めて読み易い。
(最初の高速移動以降、ずっと見切れる速さでの攻撃ばっかりだな)
気持ちは熱く、しかし心は冷静に。
一手一手を見切り、先読みする。
傍から見れば容易く攻撃を捌いているようだが、一手間違えれば即座に均衡が崩れる程度にはギリギリの応酬でもある。
それでも、それを踏まえた上で今のスクナには余裕があった。
ノクターンのHPはまだゲージ一本目の半分も削れていない。そのせいなのか、ノクターンの攻撃は良くも悪くも重くて速いだけの打撃ばかりが続いていた。
先程展開した月光聖域も、少し霧が立ち込めている以外に現状何かが起こった気配はない。
強いて言うなら視界が悪くなったが、その手の物理的なデバフ効果はスクナに対してはほとんど意味をなさないのだ。
(とはいえ、まだまだ何があるかはわからないね)
スクナとしては、ノクターンの行動パターンが打撃だけであるというのはまず有り得ないと踏んでいる。
そもそも月光聖域などという謎の領域を展開する能力があり、破邪の爪刻という手札も見ているのだ。
アレはあくまで解呪の能力だったし、攻撃手段としては使えないかな? などという甘い考えはない。
むしろ逆に、本来攻撃として使うための能力を解呪に転用したと言われた方が納得がいくほどだった。
(みんなも少し攻撃しづらそうなんだよね)
スクナとノクターンが純粋に殴り合いを展開している間、他の3人が横槍を入れてくれてはいる。
ただ、スクナからヘイトを奪わないように慎重になっているのか、ドラゴとアーサーの攻撃はかなり控えめなものだった。
例外はロウだ。文字通りその場から消えたり現れたりしながら、ノクターンが強力な攻撃を放とうとする寸前にピンポイントで攻撃を刺している。
その度に一瞬だけヘイトを奪ってくれるので、スクナがきっちりと集中力を持続させる手助けになっていた。
そんな綱渡りの均衡をさらに10分ほど繰り返した頃。
戦いに、1つ目の分岐点が訪れた。
「おりゃあ!」
「ぐぅっ……!」
攻撃を掻い潜って放たれたスクナの渾身のフルスイングが、ノクターンの腹に突き刺さった。
この攻撃により、ノクターンのHPバーは一本目の半分を割り。
ズザザッと音を立てて数メートル押し返されたノクターンは、追撃をすることなく笑みを零す。
「……ふふ、想像以上です。まさかこの私がこれほどまで一方的に抑え込まれるなど、ここ数百年は有り得なかったことですよ」
「楽しめてる?」
「ええ、とても! そしてどうやら肉弾戦のみで下せるほどヤワな相手でもないらしい……故に!」
ノクターンは頬を赤く染めながら、両の手を打ち鳴らす。
その瞬間、周囲に満ちていた霧が晴れ渡った。
そして同時に、ノクターンを中心に視認できるほど濃密な《魔力》が溢れ出る。
「これは《月光聖域・天魔》。朧は全てのステータス低下を無効化する空間でしたが……ここから先は月の魔力をお見せしましょう」
月狼の宣言と共に、詠唱すらなく数多の魔法が発現する。
空中に浮かび上がる火水風土の魔法球が、スクナだけでなくこの場の全員へと襲いかかった。
「冗談じゃろ!?」
自分に向かってくる20を超える魔法球を見て、アーサーは思わずそう叫んだ。
この場において、アイテム無しで魔法を防御する手段を持つのはドラゴのみ。スクナも三式・水鏡の舞を発動すれば相殺はできるが、それを除けば基本属性が無属性の《簒奪兵装・逢魔》には魔法を打ち消す効果はない。
魔法を含む属性持ち放出攻撃の相殺に必要な条件は《ガード性能を持つ武器でガードする》か《同属性で同威力以上の攻撃をぶつけること》。
一応《片手用メイス》スキルで最低限の属性攻撃は覚えたスクナだが、こうも多様な魔法を全て打ち消すにはアーツの技後硬直が仇となる。
(雪花から買った呪符のうち、魔法を防げるのは8つ。まあ、このくらいなら結界術を使うまでもないけど)
スクナは襲い来る数十の魔法球を最小限の動きで躱しながら、魔法を回避するため必死に逃げ回るアーサーを見る。
そして思う。「アーちゃんって割と、ちゃんとヒミコさんの妹してるんだよなぁ……」と。
強さと技量に裏打ちされた自信が態度に出ているため、一見すると大物のようにも見える。
ただ、一緒に過ごしてきた中で、なんやかんやてっぺんヒミコと実の姉妹であるというのがよくわかるくらいには、アーサーもまた見ていて面白い人物だ。
大騒ぎしながら魔法を回避するアーサーを見て、スクナはそんなことを改めて感じていた。
それはさておき。
黒曜との戦いを見たり、一緒にレベリングをこなしたりと、これまでの戦いを見ていてスクナが予想するところでは、アーサーは恐らく対人戦……それも、対剣士戦に特化したタイプだ。
剣の技量は正しく超がつく達人級で、その技量はスクナがしっかり観察した上で完璧に真似るのは不可能なほど。
しかし反面、その戦闘技術は人以外に対してはかなりゴリ押し気味だった。
それが悪いわけではない。ただ単純に、アーサーの持つ技術が今はそうであるというだけの話だ。
単純に一対一の戦いであれば、剣の切れ味を上げたアーサーはノクターンにも食い下がれるかもしれない。
しかし、こういった多数の飛び道具に対しては、アーサーはその手札も相まって非常に弱かった。
というのも、アーサーは別にスクナのように未来予知じみた人外の動体視力など持ち合わせていない。
一対一であれば経験と読み、そして天性の勘でどうとでも戦えるが、飛んでくる数多の魔法球の軌道を全て見切り、ほとんどその場から動かずに全てを回避するなどという離れ業はできないのだ。
故にアーサーは無様だとわかっていても、全力で走って回避する他ない。全てをその場で回避しているスクナや、大剣を盾にして丁寧に防いでいるドラゴと比べれば無駄が多く見えるが、この場では間違いなくそれが最良の手だったのだ。
ただ、スクナがそんなアーサーの姿を面白いなぁと思っただけである。
「この程度は防がれますか。私としても小手調べでしかなかったですが……では、次はこれでどうでしょう?」
ノクターンの周囲で揺らぐ魔力が、ノクターンの頭上に集まり燃え上がる。
その大きさは直径で約5メートル。超巨大な炎塊を前に、その場の全員が驚愕する。
「《月明光焔》。防いでみてください」
ノクターンの指先の動きと共に、炎塊が動き出す。
攻撃の対象になったのはドラゴ。
それなりに広い境内とはいえ、自動車並みの速度で迫る5メートル級の魔法を前にドラゴの思考が一瞬固まる。
「ぼんやりしてる場合じゃないわ」
いつの間にかドラゴの後ろに居たロウは、パシッと軽い音を立ててドラゴの手元から大剣を払い落とし、そのままドラゴを抱えて炎塊の攻撃範囲から離脱する。
2人が離脱した瞬間に着弾した《月明光焔》は、半径10メートルほどの巨大なドーム状の爆発を引き起こした。
「すまない、助かった」
「油断しないで。今貴女に木偶になられては困るの」
そう言って再び姿を隠したロウに、ドラゴは改めて疑問を抱く。
(あの状態に入った時、ロウはヘイトを集めないようだが……しかし攻撃にせよサポートにせよ、何かに干渉するには実体化しなければならないのも確かのようだ。暗殺用のスキルとしては破格ではあるが……問題はなぜロウがそれほどのスキルを使用してまで完全なサポートに回っているのかだ)
透明になり、モンスターからのヘイトを遮断するだけでなく、ドラゴ自身の探知スキルから逃れていることからも恐らく感知系スキルの対象からも消える。
スクナの反応を見る限りだと、音や匂いといった感覚的な感知からも抜ける可能性さえある。
はっきり言って、スキル性能が異常すぎる。実体化しなければ干渉できないといっても、ダンジョン攻略などでこれ以上理想的なスキルもない。
「ドラゴさん!」
「大丈夫!」
スクナからの呼び掛けを受けるまでもなく、飛んでくる魔法球を先程の着弾点から拾い直した大剣の腹で受け止める。
あの炎塊は今度はアーサーに向けられており、半泣きになりながら回避しているのを見ながら、ドラゴは頭の片隅でロウについて考えていた。
殺人姫と呼ばれ、サービス開始からたった一ヶ月半で既に数百人のプレイヤーを殺しているPKプレイヤー、ロウ。
神出鬼没で、最前線にいたかと思えばデュアリス辺りで初心者が狩られることもある、出現傾向が不明な少女。
前線のプレイヤーの中では名の通った存在だが、ロウについてわかっていることはネームバリューの割にはほとんどないのが現状だ。
ネームドウェポンのレイピアを使う、ゴスロリ衣装のPKプレイヤー。本当に、たったそれだけの情報しかないのだ。
WLOにも、粘着プレイヤーに対する通報機能はある。
例えば特定のプレイヤーに対して街から出る度にPKを繰り返したり、PKまではいかなくともひたすら妨害を繰り返したりするプレイヤーは、通報することでアカウントの永久停止措置が取られる。
ロウの厄介なところは、良くも悪くも無差別な殺人鬼であることだ。
特定のプレイヤーを狙わず、ただ遭遇したから殺す。それ以外の行動パターンが見受けられない。
結果として複数回戦闘になって殺されたプレイヤーはいるだろうが、そこにロウの恣意的な悪意はないのだ。
事実として、ロウの通報は何度もされているが、彼女はアカウントを停止されていない。それはロウが、運営が許した範囲内でのPKしかしていないことの証拠だった。
そんなロウとスクナの間にどういった因縁があったのかは、ドラゴの知るところではない。
先程の話を聞く限りでは、初心者の頃にどこかで襲撃されたのを退けたのだろう。ああ見えて廃人クラスのレベリングをしているロウを初心者だったスクナが退けたのは快挙だとは思うが、それも「スクナなら」で納得してしまえるのが正直なところだ。
どちらかと言うと驚いたのは、そのロウがスクナを助けるためにこの場に来たということだ。
破綻した殺人鬼。ドラゴ同様カンストレベルに達しているのは想像にかたくなく、頼りになるのは間違いないが……助けに来たその理由だけがわからない。
無償の奉仕というのはまず有り得ない。しかし、ソレが悪意であるというのもまた違う気がする。
とにかく今は、ロウに言われた通り戦いに集中すべきだろう。魔法を混じえた戦闘スタイルに変化したノクターンを見据えながら、ドラゴは大剣の柄を握り直した。