不穏な気配
すっかり日が落ちた夜の迷いの森を、ランタン片手にスイスイと進んでいく翡翠。
そのあとを追いながら、私はずっと疑問に思っていたことを翡翠に聞いてみることにした。
「ねぇ、翡翠。ちょっと思ったんだけどさ」
「なんでしょう?」
「ノクターンが満月の夜にしか現れないっていうのはわかってるんだけどさ。夕方くらいから禁足地とやらで出待ちしちゃダメなの?」
これに関しては、白曜に「案内をつける」と言われた当初から抱いていた疑問だった。
満月の夜にしか現れないノクターンのように「出現時間」に制限があるモンスターを倒そうと考えた時、私が真っ先に思いついたのは「出待ち」。
要は出現する前に予め待機しておいて、出たらすぐに戦うという方法だ。
特にWLOのように全プレイヤーが同一のサーバーにいて、かつ同一のネームドと複数のパーティが同時に戦えない場合。
誰よりも早くネームドを狩ろうと思ったら出待ちをする以上に確実な方法はないと思う。
現にさっきからずっと、私たちの向かう先の方にかなりたくさんの気配がする。
おそらく他のプレイヤーが私たちに先んじて月狼と戦おうとしているか、あるいは既に戦っているのかもしれない。
出現条件が確定している未知のネームドがいるなんてわかっていれば、そりゃあ誰だって狙いに行くって話だよね。
私が言わんとしていることの意味を理解したのか、翡翠は微笑を浮かべて答えてくれた。
「月狼様が世界を渡りあの地に降り立つ瞬間、領域内にいる生物は死滅します。世界を渡る権利を持たないものは、二つの世界の狭間で圧死するんです。あの地は今宵一晩に限り、完全な異界と入れ替わっているんですよ」
「おおう……」
「だからこそあの場所は禁足地と呼ばれ、里の者が万が一にも巻き込まれてしまわないようにしているのです。一応危険域には封も張ってありますから、ある程度頭のいい者なら死にはしないでしょう」
世界の狭間で圧死。逆にちょっと試してみたくなる響きだ。
リンちゃんなら嬉嬉として突っ込むかな。バグって世界の狭間に落ちたらラッキーみたいな感じで。
「それにしてもその領域の外で待ってればよかったんじゃないかとは思うがのぅ」
私たちの話を聞いて、アーちゃんがそう言った。
「夜の森に長時間滞在するのは危険を伴いますから、その辺りを警戒されたのでしょう。あるいは、ちゃんと見送りをしたかったか、はたまた無駄に拘束時間を増やしたくなかったか。白曜様の真意は私にはわかりかねますが、もし月狼様の討伐を他の盗人に取られてしまうと思っているならそれは杞憂だと思いますよ」
「なぜじゃ?」
「単純な話、月狼様が強いからです。私の見立てでは、これまで里を訪れた旅人の中で一矢報いるほどの強さを持つのは『その装備』を纏ったスクナ様くらいでしょう。言い方は悪いですが、そもそもレベルが三桁に達していない時点で論外なのです」
「論外……それほどに月狼は強いのか?」
「月狼様の戦闘時のレベルは150です。こういえば伝わりますか?」
「……なるほどな。それは確かに、レベル三桁は必須に近い条件じゃろう」
翡翠から告げられた月狼の情報に、アーちゃんは少し険しい表情を浮かべた。
レベル150。今の私の1.5倍以上格上。翡翠の言う通り、この装備を纏ってもまだステータス的には遥かに格下だ。
アーちゃんたちの具体的なレベルは知らないけれど、そもそもレベル三桁は現状のプレイヤーでたどり着いた者がいない領域のはず。
そう考えると、確かにステータスだけを見れば私が何とか対抗できる程度なのかもしれない。
つまり翡翠は、私たちより先に戦っている者がいるのだとしても、その人たちが月狼に勝つ可能性は無いと考えているのだろう。
私個人としては、別に負けてしまえとは思っていない。
もし私より先に月狼に会って、戦って倒したのなら、それは素直に賞賛すべきことだと思う。
ただ、私は戦う以前に呪いを解いてもらう必要があるから……月狼がリポップするモンスターであるかわからない以上、できれば倒さないでいて欲しいなとは思っていた。
「あと10分もすれば着きますから、心の準備をしておいて下さいね」
「わかっ……んん?」
先ほどの会話から少し経った頃。
翡翠の忠告に返事をしようとして、私は思わず言葉に詰まった。
「スクナ、どうかしたか?」
「いや……さっきから森の気配と音を拾ってたんだけど、なんか様子がおかしいんだよね。この先にいたプレイヤーっぽいのがどんどん消えてくんだ」
ここから1キロくらいのところに、50人くらいのプレイヤー……かはわからないけど人間と思われる気配がある。
先程は距離があって正確な人数や場所がわからなかったけど、今はかなり鮮明に捉えられていた。
けど、今それが凄い勢いで消えている。数秒にひとりのペースで気配が、音が消えていく。
微かだけど、私の耳は悲鳴も捉えていた。
もしかしてさっき翡翠が言っていた、月狼の出現による圧殺が起こったんだろうか?
「ノクターンはこのくらいの時間に現れるの?」
「いえ、この時期であれば降臨なさってから既に一刻くらいは経っているはずですよ」
「うーん……なんだろ、もう20人は消えてるっぽいけど」
仮にも迷いの森に滞在できるくらいの強さのプレイヤーが、こんなにもあっさり死ぬような相手がいるということだろうか?
アイテムで街に戻っている可能性も考えたけど、悲鳴が聞こえた以上その可能性もあまりなさそうだし。
じゃあ夜にしか出ないモンスターとかかな……と思っても、モンスターが暴れてるような音はしない。
代わりに聞こえてくるのは金属がぶつかり合う音。となると、別々のグループが対立して殺しあっているとかだろうか?
流石に音と気配だけじゃ状況は掴みづらい。
もう少し近づきたいけど、翡翠がいることを考えると未知の危険に飛び込むのも怖かった。
しかし、私がそんなことを考えているのを察したのか、翡翠が力強い瞳でこちらを見ていた。
「行きましょう、スクナさん。ここで留まっていても仕方ありません」
「いいの?」
「私も鬼人の戦士です。白曜様はああ仰られましたが、いつだって覚悟はできています」
その言葉を聞いて、私はアーちゃんに視線を飛ばす。
そして、アーちゃんが頷いたのを見て覚悟を決めた。
「よし、じゃあ原因を探りに行こう。場合によっては戦闘になるかもだから気をつけて」
私は3人にそう告げると、少し感覚の強度を上げた。
より鮮明に音を拾う。何が起こっているのか、既に半数を割った人影たちの挙動を追う。
人数が減り、消えるペースは更に上がった。
近づくにつれて悲鳴はより鮮明に聞こえてくる。
これはもう明らかに何かに襲われていると見るのが正解だろう。
「夜の森にしか出ない凶悪なモンスターとか、いる?」
「一種類、《森の死神》と呼ばれるモンスターがいますが……もし出現していたら、森のどこにいても聞こえる大咆哮を放ちます。それに、月狼様が降臨なさる夜は出現しませんから、当てはまらないかと」
「流石に謎じゃのう。プレイヤー集団間の戦いにしては、スクナの言う通り静かすぎる。虐殺に近いことが起こっとるはずなんじゃがな……」
「だよねぇ……うーん、どんどん死ぬなぁ」
私たちが近づくほどに、ひとり、またひとりと死んでいく。
何より不可解なのは、誰ひとり逃げようとしないことだ。
いやまあ、デスペナを食らうくらい気にしないってことなのかもしれないけど、それにしても戦闘をしているにしては全体的に動きが鈍い気がする。
「あと3人……2人……あ、全員死んだ」
「全員じゃと? 下手人はどうした」
「私の感覚には引っかかってない。探知スキルの範囲にも入ったはずだけど、それも効いてないっぽいね」
「50人を虐殺する強さに加え高レベルの隠蔽持ち、さらに音や気配も消せる存在か……」
アーちゃんはそこまで口にして、心底嫌そうな表情を浮かべた。
なにか心当たりがあったのだろう。アーちゃんは息をついて剣の柄に手を添える。
「警戒せよ、スクナ。ワシの考えてる通りの相手なら、この場では本気で厄介な相手じゃぞ」
「うん。というか、もうそこに居るよ」
「何っ……!?」
音が聞こえない。
気配がしない。
たったそれだけの事で私の感知範囲を潜り抜けさせることなんてしない。
一瞬で戦闘態勢に入ったアーちゃんに対して、私は酷く落ち着いた気持ちで口を開いた。
「久しぶり、でいいかな?」
「……ふふ、気付かれちゃった」
少し嬉しそうな声音が響いた瞬間、真正面の空間がゆらりと揺らいだ。
何かのスキルか、はたまた装備の効果なのか。
揺らぎが溶けた瞬間、そこに立っていたのはひとりの少女。翡翠の持つランタンに照らされて、その姿が鮮明になっていく。
あの時より更に派手に優雅になった、ゴスロリのドレス。
見覚えのあるネームドウェポンの細剣。
血霧のような赤いポリゴンを纏い、夜闇を嗤うように現れたのは、かつて戦った《殺人姫》。
「久しぶり、スクナ。会えてとっても嬉しいわ」
かつて殺し合い、そして共闘した殺人プレイヤー。
ロウはそう言って、満面の笑みを浮かべた。
現れたのは……かつて戦った殺人姫。
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