準備完了
「じゃあ、行ってくるね」
「頑張ってきてくれ」
「草葉の陰で応援してますぅ……」
「いやそれ死んでるじゃん」
別れ際、珍しく冗談を言うはるるに思わず突っ込む。
さっきからずっとえへえへと笑っているし、それだけ機嫌がいいのかもしれない。
「ああ……ひとつお伝えし忘れていましたぁ……」
「ん?」
さあ行くかと身体を反転させようとしたところで、今思い出したと言わんばかりにはるるがぽんと手を叩いた。
「私の方でひとつサプライズを仕込んでおきましたぁ……きっと月狼戦で役に立ちますからぁ……楽しみにしておいてくださいねぇ……」
「サプライズ?」
「詳しいことは内緒ですぅ……」
「内緒なんかい」
サプライズの趣旨としては間違ってないんだろうけど、こんなギリギリになって気になることを言うのはやめて欲しい。
「まあいいや、損にはならないことなんでしょ?」
「それだけは間違いなくぅ……」
「ん、了解。楽しみにしてるよ」
一体どこにどんなサプライズを仕込んだのやら。
少なくとも武器の性能の中にはそういう機能は無いように見えたけどなぁ。
そんなことを考えながら、私は見送ってくれる2人に手を振って貸し工房を後にした。
工房の敷地から出ようとした時、入口で誰かが待っているのが目に付いた。
「よう」
「アカガネ。どうしたの?」
「ここはオレの工房だぜ? 面白そうなことやってりゃ見にも来るさ」
おどけた様子でそう言うアカガネに、確かにと同意する。
ここはあくまでもアカガネの工房だ。私たちが使っていたのは彼女の所有するサブの工房に過ぎない。
所有者であるアカガネに出会わない方がおかしいくらいだった。
「ノクターンに挑むんだな」
「うん、呪いを解いてもらうついでにね」
「ハハハッ! ついでで名持ちに挑むのかよ! やっぱおもしれぇなァ……」
楽しそうに笑いながらも、アカガネの瞳は笑っていない。
その理由は月狼が里の守り神だからなのか、それともまた別の理由なのか、そのどちらだったのかは私にはわからなかった。
「受け取れ、スクナ」
「うん?」
不意に、アカガネから何かを投げ渡される。
受け取ったのは、小さな飴のようなものが3つだけ入っている小袋だった。
「そいつを持ってけ。役に立つだろうさ」
「なにこれ」
「ちょっとした秘薬さ。なんやかんや、毎日少しは薪を割ってくれてたんだろ? 里の奥方連中からお前さんにだとよ」
「……そっか、ありがと。お礼は勝って自分で伝えるよ」
「そうしろ。健闘を祈ってるぜ」
私の肩をポンと叩き、実にさっぱりとした態度でアカガネは自分の工房の方へと戻って行った。
受け取ったアイテムの名前は《鬼人族の秘薬》。30秒でHPを全回復する、かなり強力な回復アイテムだ。
「どこかで使い道は来るんだろうなぁ」
きっと厳しい戦いになる。
いつになく真剣な表情を浮かべていたアカガネの態度から、私は薄らとそう予感した。
☆
「……準備は万全か?」
「うん、大丈夫」
「問題ないぞ」
里長の屋敷の前。前に会った時と同様に里長としての衣装に身を包んだ白曜の問いかけに、私とアーちゃんは軽く頷いた。
白曜、黒曜、そして琥珀に翡翠。この里に来てからよく一緒にいたメンバーは全員が揃っている。
プレイヤー側はアーちゃんとヒミコさん、それからアーちゃんの隣にフードを被ったプレイヤーがひとり。多分アレが連れてきたという助っ人だろう。
正直シューヤさんが来るものだと思っていたんだけど、身長を見る限り多分女性だろう。
それでも顔を隠すように目深に被ったフードのせいで、誰なのかまでは判別できなかった。
「月狼への案内は翡翠が行う。戦いには参加させられんが、案内までなら問題ないからのぅ」
「よ、よろしくお願いします!」
「うん、よろしくね」
緊張しているからかガチガチの翡翠に苦笑しつつ、下手に知らない人じゃなくて良かったと安心する。
ロボットみたいな翡翠の緊張をほぐそうとあやしていると、白曜が私たちを眺めて満足そうに頷いた。
「ふむ、メンバーは強者揃いじゃな。正直ひとりで来るんじゃなかろうかと思っとったが……単身を選ばなかったのは賢い選択じゃろう」
「まあ、流石に私も無茶だなって思ってさ」
「冷静じゃな。それでも本音を言えば6人で行くべきじゃろうが……」
「ひとりが3人に増えただけマシだよ。ないものねだりをしても仕方ないし」
むしろアーちゃんはよく助っ人を見つけてきてくれた。
私は割と真面目にたった2人で戦うのを覚悟してたくらいだからね。
「白曜、そんなに心配することはないさ。死んだとしても、彼らが消えることはないんだから」
「……そうじゃな。あまり言葉を重ねるのも無粋か」
琥珀から諭されて納得したのか、白曜は諦めたように目をつぶった。
「覚悟は良いな?」
「うん」
「応よ!」
強敵と戦いたくてうずうずしてるのか、アーちゃんの声がいつもよりワントーン高いような気がした。
助っ人さんも静かに頷いていたし、私たちの準備は万端と言っていいだろう。
「良かろう。では里長たる白曜の名において、お主らが禁足地に足を踏み入れることを許す。場所はこの里の北門から更に真北、本来ならば案内などなくとも容易に辿り着ける場所じゃが……月狼に宝珠を納める関係上、どうしても里の者がいなければならんのでな。大丈夫じゃとは思うが、翡翠を死なせるでないぞ」
「月狼戦では外れるし、今もこの中で一番レベル高いし大丈夫でしょ」
「念の為言っただけじゃ。何があるかもわからんからの」
「気には留めておくね」
既に3桁レベルに達している翡翠は、おそらくこの中だとステータス面では私の次に高いはずだ。
私は装備のおかげで1.4倍のブーストがあるから物理技能の合計値に限っては翡翠より高いけれど、HPやSPなんかは翡翠の方が上だろうし。
まあ、なんにせよ迷いの森のモンスター程度で翡翠がピンチに陥ることは考えづらい。私たちでガッチリ傍を固めつつ、戦いの場までの案内をお願いすればいいだろう。
「スクナ、ちょっと待ってくれ」
白曜との話は済み、いざ月狼との戦いへ……となる前に、琥珀から声をかけられた。
「これを君に貸してあげる」
「これは?」
「私からの餞別だ。きっと役に立つと思う。君は教えることがほとんどないくらい優秀な子で、仮にも師として何かできることがないかと思って……考えついたのはこれくらいでね」
琥珀から手渡されたのは、鬼灯を象った金色のピアス。
アクセサリーに分類されるアイテムのようだけど、これを琥珀が着けているところは見たことがなかった。
「私が強大な敵に挑むと決めた時、必ず身につけていたお守りのようなものなんだ。それをつけていれば、君のステータスを少しだけ底上げしてくれる。特別な効果がある訳じゃないが、無駄にはならないはずさ」
「そんな大事なものを、ほんとにいいの?」
「ああ、いいんだ。月狼に勝って、その手で返しに来てくれ」
「……うん、ありがとう」
私はピアスを装備して、どこか感慨深そうな表情を浮かべる琥珀と軽く拳をぶつけた。
勝たなきゃ。なぜだかとても強く、心の底からそう思った。
そんな私と琥珀の様子を見てか、黒曜がぽんと手を叩いた。
「おや、それでは私もアーサーさんに何かしらの餞別を渡すべきですね」
「ぬ?」
「ふむ……では私からはこれを。返す必要はないですので、使い切ってしまっていいですよ」
明らかに元々用意していたのであろう、黒曜が懐から取り出した布袋。中からはジャラジャラと硬いものが擦れる音がしていた。
「なんじゃこれ」
「この里の薬屋で売っている強化の丸薬に、私が少しばかり手を加えたものです。一粒につき5分ほどの効果があります。3人で分けて食べてくださいね」
「ほー……ではありがたくいただこう。準備がいいものじゃな」
「ふふ、何せ百余年ぶりに月狼に挑む者が現れたものですから。里の皆が浮き足立っているのですよ。とはいえ、これからきっと毎月このような状況が続くのでしょうが……」
まあ、毎月必ず同じ場所に出現するネームドとなれば、プレイヤーからすれば奪い合いになってもおかしくないくらいだ。だから、黒曜の言うことは間違っていないと思う。
今日だって場合によってはそういう争いになる可能性はある。私はずっと月狼と会うための準備のところまで配信していたし、情報を隠していた訳でもないんだから。
「……では、御三方。月狼様の元へ参りましょう」
「ん、行ってきます」
「ワクワクするのぅ」
ようやく緊張が解けたのか表情を引きしめた翡翠に促されて、私たちは月狼の元へ向かうべく里を出るのだった。