苛立ちとの付き合い方
ツン、ツンと。
何かにほっぺをつつかれているのを感じて、目が覚めた。
「んん……? ……なな?」
全く呂律が回らないし、視界もぼやぼやしているけれど、同じベッドの中に入ってくるのなんてナナしか居ない。
つつかれた方に視線を向けると、案の定ナナが私のほっぺをつついていたようだった。
「ごめん、起こしちゃって」
「んーん……べつにいいわ」
とりあえず目を擦って視界をスッキリさせる。
自分でつついて起こしたくせに、しょんぼり顔をしてるのがなんとも微笑ましい。
「なにかあった?」
「……ちょっと、眠れなくて」
そう言ってちょっぴり俯くナナの顔を見つめていて、なんとなく状況が掴めてきた。
「……ほら、こっちきて」
少し距離を置いて寝転がっているナナを、有無を言わせず抱き寄せる。お互いの体温を感じられるように、ぐっと懐に引き込んだ。
ナナは一瞬だけビクッとして、そのあとぐったりと体を弛緩させて身を任せる。それは、小さい頃から変わらない、ナナがとても安心している時にする仕草だった。
何を話すわけでもなく、まごつくナナの背中をゆったりとさすってあげる。
眠れないなんて言っていたけれど、そんなことはありえない。ナナは本当に眠ろうと思えば一瞬で眠れる子なのだから。
だから、わざわざ私を起こしたのには、何か他の理由があるんだろうと思う。
配信関係で何かあったか、単純にゲーム内で何かがあったかのどっちかだろうけど……。
なんにせよ、ナナがこうして甘えてくるのは珍しい。
寝惚けている時に擦り寄ってくることはよくあるけど、あれは懐いたペットがよくやる癖みたいなものだし。
普段は私に気を使ってくれる分、寝ている私を起こしてまで構ってもらいたいという意思表示をしてくるのは、本当に珍しいことだった。
「あったかいねぇ……」
「ふふ、そうね」
懐で「んふ〜」と嬉しそうな笑みを浮かべているナナに、思わず頬がほころんでしまう。
どんなに暑くても寒くてもビクともしないのに、たった36度ちょっとの体温を幸せそうに噛み締める。
そんな酷く人肌に飢えた在り方が、ナナの歪だけど可愛らしいところだ。
でも、誰にだって人肌が恋しくなる時はある。
急にこうして甘えてきたということは、やっぱり今日の配信中になにかあったのかもしれない。
そんなことを考えていると、不意にナナが口を開いた。
「……リンちゃん、私ねぇ……今日、イライラしちゃったの」
「あら」
「私に向かってものすごいプンプン怒ってる子がいてね……別に私は悪くなかったし、どうでもいいはずなのに、ついイライラしちゃって。なんかねぇ……不思議な気分だったなぁ……」
ぐっぱっと手を開いたり閉じたりしながら、ナナは不思議なものを見るような視線を自分の手に向けていた。
「それで、どうしたの?」
「本気で潰した」
「容赦ないわねぇ」
「仲直りはしたんだよ」
ナナはそんな容赦のないことを言いながらも、にへらっと笑みを浮かべた。
前のイベントで怒りや悲しみという感情を思い出したと言っても、普段から滅多なことでは怒らない子だ。
それだけに、ちょっとイライラしたというだけでも、ナナにとっては衝撃が大きかったのかもしれない。
でも、その反動で潰された相手がちょっと可哀想だった。
「よくないなぁ……って思うんだ」
「イライラするのが?」
「うん。倒した後、あんまり気分よくなかったから」
それはそうだろう。
負の感情に任せて振るう暴力ほど、後になって気持ちに尾を引くものもない。
ゲームに負けてコントローラーをぶん投げて壊すだけでも罪悪感でため息をつきたくなるくらいなわけで、傷つけた相手が意思ある存在ならなおさらだと思う。
これは想像でしかないけれど、ナナが潰したという相手は《敵》と断ずるには弱い、あるいは幼いくらいの存在だったんだろう。ナナにつっかかってきたという話から察するに、たぶん年下の女の子あたりか。
本気で潰したって言うくらいだから、よっぽど一方的に、トラウマになるような暴力を振るったに違いない。
それが今になってモヤモヤしてきたから、私に聞いてほしかったんだろう。
「別にいいんじゃない?」
「えっ?」
「理不尽な目にあってイライラしない人なんていないわよ。人としては正しい反応だし……ちょっと前の私なんていっつも苛立ってたしね。そんなに自分を責めることじゃないと思うわ」
ナナの心のモヤモヤが晴れるように、私はそう言った。
思い出される黒歴史。ナナに会えない寂しさからいつもいつも苛立っていて、関わる全てに全力で噛み付いていた数年前の自分を思い出す。
あの頃得たものも多いけど、失った友人も多い。
まあ、ナナ以外の何を失ったって構いはしないけれど、全てを実力で黙らせればいいと思ってスレていたあの頃の自分は思い出すだけで恥ずかしくなる。
私ですらそんな時期があったくらいなんだから、負の感情との付き合いというのはそれだけ難しいものなのだ。
「配信者としては、そういうのを考えるのは大事なことよ。ナナのファンはギャップに惹かれて見てる人が多いから、普段怒らないナナがそういうことをしても寛容に見てくれるかもしれないけど、感情的な言動を不快に感じる人も一定数いるもの」
「ふむふむ」
「でもね? 自分が好きな物が一方的に非難されてるのは気に食わないって層もいるのよ。だから、ナナの行動を見てスッキリした人もいたかもしれないわけ」
「難しいなぁ……」
私の話を聞いて、むぅと顔を顰めるナナ。
リスナーは目に見えなくても、画面を通して確かに存在する人間だ。彼らひとりひとりに感情があって、好き嫌いがあるからこそ、全ての人に受け入れられるのは難しい。
「ひとつ言えるのは、ナナが不快だと思ってやってることはリスナーにとっても苦痛になるってこと。みんなはゲームじゃなくてナナを見るために配信に来てくれてるんだから、何よりナナが楽しんでなきゃダメなのよ」
「私を見るために……かぁ」
「だから、今日やってしまったことがナナの中でモヤモヤすることだったなら、今後はやらないように気をつけるの。逆にナナが楽しいと思ったことなら、好きなようにやればいいしね」
万人に好かれるなんてことはできない。特にナナは色々とニッチな部類に入る配信者だからなおさらだ。
でも、配信者が万人に好かれる必要はない。特にゲームの配信者なんていうのは同じ趣味を共有できるリスナーに焦点を絞っているから、元々万人受けを前提にしたものじゃないのだ。
「話がズレちゃったかしら。ま、私はナナが苛立ったりするのが悪いことだとは思わないわ。人間である以上、感情に左右されちゃうことはあるんだから。……でも、ソレがナナの中でモヤモヤすることなら、今後はぐっとこらえられるといいわね」
「……うん、そうする。リンちゃんありがと」
私の言葉を聞いて何かしらの折り合いがつけられたのか、ナナはそう言ってウトウトし始めた。
そっと頭を撫でてあげれば、徐々に瞼が閉じていく。そうして30秒もすればナナはそのまま動かなくなった。どうやら安心して眠ってしまったらしい。
やっぱり、眠れなかったわけじゃない。
気持ちがモヤモヤしてたから眠りたくなかったんだろう。
そんなことで眠れなくなるくらい悩んで、まるで思春期の子供のようだけど……ナナの情緒はまだまだ子供のソレと変わらない。特に怒りや悲しみは、やっと人並みの感情を持てるようになったばかりだ。
こういう感情は時間が経てば経つほど嫌な気分になるものだから、仕方ない部分もあるかなと思う。
「幸せそうな寝顔しちゃって」
人のことを起こしておいて自分はぐっすり眠っている可愛らしい生き物に苦笑しつつ、眠りから起こされたせいで冴えてしまった思考をどうしたものかと考える。
せめてスマホでも手に取れればと思うけど、今の私にはナナがしっかりとくっついている。これだけ幸せそうに寝られたら、ひっぺがして移動するわけにもいかない。
「おやすみ、ナナ」
結局やることを見つけられなかった私は、もう一度眠気が襲ってくるまで親友の寝顔を眺め続けるのだった。
後になるほど嫌な気持ちになることってありますよね。
ちなみにリンネは数年前まではキレ芸もするタイプの配信者でした。無言の台パンは代名詞のひとつです。