鬼人族の歴史
神代よりもさらに昔、創世の時代の話。
《獣の祖》と呼ばれる神獣が、人族との間に子を設けた。
それが、この世界で初めて「亜人」が生まれた日。
生まれ落ちた人と獣の間の子は、人族と獣の両方の特徴を持っているが故に獣人と呼ばれ、その子孫が繁栄して現在の獣人族となったという。
現代においては大雑把にエルフや妖精、ドワーフなどの人型の種族を「亜人」と括っているが、厳密にはそれは間違いなのだ。
「人族」が「異種族」との間に産み落とした子。
人族の血を引く存在こそが「亜人」であり、そうでない種族は単なる異種族であって、それ以外の何物でもない。
そう。人族はあらゆる種族の中で唯一、他種族と交配し血を交わらせることができる特徴を持っている。
交配した種族の血を薄める代わりに、新たな種族を生み出す可能性を秘めた種族なのだ。
そして、鬼人族はその名の通り「鬼族」と「人族」の血を受け継ぐ種族である。
その始まりは獣人よりかなり遅れて、神代の最初期まで下ることになる。
鬼族は魔法ステータスの一切が生まれつき1で固定されるという、極めて大きな欠陥を持った種族だった。
MPも知力も魔防も1。成長による増加は一切ない。
魔法が全盛を迎えていた神代において、これはあまりにも致命的な欠陥だったのだ。
結果として、鬼族は差別された。とりわけ魔法に優れた吸血種や竜人族などからは酷く迫害され、奴隷のように扱われたという。
鬼族のみならず、魔法が上手く扱えない獣人や単純に弱い人族など、神代においては多くの種族が強者から迫害を受けていた。
奴隷狩りを避け、森の奥地の隠れ里で細々と暮らす鬼族だったが、ある時、鬼の姫が人族の男に恋をし子供を授かった。
それから紆余曲折を経て生まれ落ちたのが、鬼と人の間の子である鬼人であり。
鬼人族という種族は、そうして生誕の時を迎えた。
鬼族にとっては都合のいいことに、人の血を取り込んだ結果として、鬼人には僅かながらも確実に魔法ステータスが存在していることが判明した。
さらに、成長の上でその才能が伸びることもあると気づいたのだ。
「そうして、魔法ステータスの無さ故に迫害され続けてきた鬼族は、生存戦略として鬼人を産み続けた。いつしか鬼人の数が増えて鬼人族と呼ばれるようになり、逆に鬼族は寿命で数を減らしていったのじゃ」
ひとり、またひとりと鬼族は数を減らし、反比例するように鬼人族は確実に数を増やして力をつけていったが、それでも魔法に弱いという問題自体は大きな解決を見せてはいなかった。
そんな中、神代後期にあるひとりの鬼人が誕生したことで世界は大きく揺れ動くことになる。
それが鬼神・酒呑童子。生まれつきふたつの権能を持ち、他を圧倒する力を持って生まれ落ちた麒麟児。
当時はまだ童子とも神とも呼ばれていない、ただの酒呑であった。
「鬼神様は文字通り、世界最強の存在じゃった。かの御方の前では不死も不壊も意味を成さず、再生は封じられ、攻撃も防御も全てが打ち砕かれた。怒りに呑まれるまでもなく、たったひとりで世界を滅ぼせる力を持っておったのじゃ」
そんな酒呑の存在に、これまで迫害され続けてきた鬼族の生き残りと鬼人族は歓喜した。
これでこれまでの迫害の歴史に報復できる、と。
「じゃが、肝心の鬼神様の興味はそんなことには向いておらんかった。家族よりも大切な友がおったからじゃ。……それが、鬼族最後の子である宿儺様。他種族からは《最後の鬼》と呼ばれた御方なのじゃ」
☆
一息に語られた白曜の説明を聞いて、ずっと気になっていた謎が解けたような気がした。
「…………やっぱり同じ名前、かぁ」
それは恐らく、偶然の一致なんだろう。
私のプレイヤーネームであるスクナがそうであるように、この世界の『宿儺』も現実世界の両面宿儺という鬼神を元に名付けられたものだろうから。
でも、セイレーンの騎士であるゴルドがあの時私の名前を聞いて眉をひそめた理由は、やっぱりそういうことだったんだなと納得できた。だから、その事実確認ができただけでも意味はあったと思う。
ただ、酒呑の知り合いに私のプレイヤーネームと同じ名前の人物がいるということ自体は、あの時にわかっていた情報でもある。
それが鬼人族ではなかったということ自体は驚きといえば驚きだけど……さっきの琥珀の話を信じるなら、「封印」されている酒呑と違って、『宿儺』はもう死んでしまっているわけで。
白曜が今話してくれたことは、鬼人族の成り立ちに関する歴史と、その過程で酒呑が生まれ宿儺という鬼と友人関係にあったというだけのことでしかなかった。
そんなことを考えていた私とは別に、琥珀はしばらく目を閉じてから、ひとつの質問を白曜に投げかけた。
「何故、吸血種はその……宿儺様を人質に取ってまで、鬼神様を殺そうとしたんだろうか?」
「その日記には書いてなかったか? まあ、王族など虚栄の塊じゃから、本心は書いてないかもしれんのぅ」
やれやれと言いながら、白曜は琥珀の質問に答えを返した。
「……結局のところ、報復を恐れたんじゃよ。鬼族と鬼人族は報復を目論み、吸血種を含め鬼人族を迫害していた側の種族はそれを恐れた。肝心の鬼神様を蚊帳の外においてな」
「鬼神様って、生まれてからしばらくは神様じゃなくて普通の鬼人族だったんだよね? たったひとりの鬼人を、多くの種族が恐れたの?」
「言ったじゃろ、世界を滅ぼせる力を持っていたと。神だのなんだのは関係なく……その気になれば、文字通り何もかもを破壊し尽くすことだってできたんじゃよ。敵対していた種族だけではない。鬼神様はあまりに大き過ぎる力を持っていたが故に、身内を含めた全ての存在から畏怖され、恐怖される対象だったのじゃ」
ただ白曜の語りを聞いていただけなのに、ズキンと胸が痛んだような気がした。
それはきっと、かつて私も似たような経験をしていたから。人は怪物を受け入れるのではなく、排斥する道を選ぶことを知っているから。
どうして酒呑が宿儺という人を失った後、世界を滅ぼしかけてしまったのか。その気持ちがよくわかる。
私にも、世界の全てを捨てても構わないと思えるほどにかけがえのない人がいるからだ。
私が酒呑の遺した禁忌のスキルに触れてしまった理由もそうだ。
これは勝手な共感でしかないけれど、多分酒呑は、私ととてもよく似ている。
きっと、私にとってのリンちゃんが酒呑にとっての宿儺だったんだと、そう思った。
「抑止力というものはな。対立する双方に無ければただ恐怖の対象でしかない。鬼神様に匹敵する存在が居なかった、ただそれだけのことで神代は終わりを迎えたんじゃ」
「そっかぁ……」
もし酒呑が鬼人族に肩入れをして、嬉々として報復を行うような輩だったら。
もしかしたら、全く別の形で世界は成り立っていたのかもしれない。
それこそ、もっと色んな種族が滅びていたりとか、荒野ばかりのフィールドになっていたりとかね。
「鬼人族への差別は儂らが生まれた300年ちょっと前にはまだ残っておってな。それも何百年と経てば薄れ、なくなっていった。当時の恨みやつらみを今の平和な時代の子供たちに遺したくなかった故、里の古い文献は儂が長になった時にできる限り回収したんじゃ」
「それが、琥珀がこの話を知らなかった理由なんだ」
「幼い頃から鬼神様に憧れていた琥珀に教えるにはちと過激な話だった故な。それでも里の老害に色々吹き込まれて大変だったんじゃよ? 里は半壊させられるし……」
「わ、悪かったと思ってるよ……でも、しょうがないじゃないか。アレは理性で止められるものじゃないんだから」
「はっはっは! 冗談じゃよ」
恥ずかしそうに頬を染める琥珀に対して、白曜は楽しそうに笑っていた。
ちょっと前の感情値騒動の関係で、《憤怒の暴走》を含む「感情値」を発動のトリガーとするスキルに関しては、全て公式から発表されている。
琥珀の言っている「アレ」っていうのは、鬼人族専用スキル《忘我の怒り》のことだと思う。
その効果は簡単に言うと《憤怒の暴走》の劣化版。
発動したら最後、ステータスがかなり高まる代わりに制限時間が終わるまでアバターのコントロール権を失い、敵味方や生物非生物に関係なく何でもかんでも壊そうとする狂騒状態に陥るらしい。
莫大な力を得られ、かつ自分の意思で操作できる《憤怒の暴走》に比べれば、呪いのデメリットがない以外は完全下位互換と言ってもいいスキルだった。
ちなみに公式発表を信じるなら、《忘我の怒り》でも普通のプレイでは発動できないくらいの感情値の高まりが必要らしいから、上位に位置する《憤怒の暴走》に関しては推して知るべしである。
「しかし、思えば琥珀も成長したもんじゃなぁ。前はもっと無鉄砲で猪突猛進じゃったのに」
「スクナに鬼神様の力の一端を見せてもらって、私も思うところがあったのさ。憤怒というものを直に見たのは初めてでね。自分の心さえ焦がし尽くす、怖い力だと思ったよ」
「それこそ世界を滅ぼすほどに……な。スクナも二度と使わんようにな?」
「そうだね。……まあ、使いたくても使えないよ。もう怒る理由も残ってないから」
両親を殺されたことへの怒り。
理不尽な世界への怒り。
二人を救えなかった自分自身への怒り。
そういう、私が忘れることで見ないふりをしてきた多くの怒りがリンちゃんのデスをきっかけに燃え上がって、爆発したのがあの時の暴走だ。
言ってしまえば、アレは6年半溜め続けたエネルギーの解放だったのだ。そのエネルギーはもう燃え尽きて、すっきり空っぽになっている。
あの日忘れていたことを全部思い出して、ちゃんと向き合って、その上でリンちゃんの隣にいることに決めた。
だから、私はもう二度と怒りに呑まれることはないと思う。
リンちゃんを傷つけられない限りは、ね。
「それにしても……宿儺って、どうして死んじゃったんだろうね」
なんとなく歴史はわかったし、宿儺という人物を人質にして世界最強の酒呑を殺したかったのも理解できた。
でも話の肝心の部分、酒呑が暴走するきっかけとなった、宿儺の死の理由についてはイマイチわからないままだった。
そんな私の呟きに、白曜も少し難しい表情を浮かべていた。
「そこに関しては伝聞が怪しいんじゃが……自決したとも、鬼神様を守って死んだとも言われておる。如何せん、その場にいた全ての者が死んでおるせいで、状況証拠から宿儺様が死んだと判断せざるを得なかったようじゃ」
「じゃあ、もしかしたら生きてるかもしれないの?」
「鬼神様が憤怒に呑まれた時点で万に一つもないとは思うが、もしかしたらその場では生きていたかもしれん。じゃが、神代とは1000年以上も前の時代。今は老衰で亡くなっとるじゃろうな」
「流石にそうだよね」
鬼族の寿命が何年あるのかは知らない。
鬼人族である目の前の白曜が300年前から生きているとさっき言ってたから、鬼人族の始祖であることを考えるともしかしたら300年以上は生きる種族なのかもしれない。
そうなのだとしても、寿命が1000年ってことはないだろう。
じゃないと、鬼人族が増える傍らで鬼族が寿命を迎えて数を減らすという流れ自体が、とてつもない長期に渡ることになってしまう。それこそ何千年単位の出来事だろう。
流石にそんな寿命があるとは思えない。下手をすれば、鬼人族より寿命は短いくらいだと私は予想していた。
「ま、宿儺様について詳しい話が聞きたければ後で改めて教えてやろう。夜も更けてきたのでな、そろそろ本題に移らせてもらうぞ」
各々が色々と考えを巡らせている中、唐突に白曜がそう言って話の流れを断ち切った。
そういえば、私が呼ばれた理由は別に宿儺の話を聞くためでも鬼人族の話を聞くためでもなかった……のかな?
ただ黒曜に呼ばれて来て、結果としてそういう話を聞くことになっただけで、本題は別にあるみたいだった。
「スクナ。お主は今の話を聞いて、鬼神様がお主に干渉してきたのは『鬼神様の友人と名前が同じだからだったんだなぁ』などと考えておるじゃろ?」
「えっ……まあ、そうだね。そうなんじゃないかなぁとは思ったけど」
白曜の問い掛けに、私は素直に頷いた。
逆に今の話を聞いてそう思わない方が難しいだろう。
情報を公開しているプレイヤーの中で、現時点で酒呑に干渉を受けたことがあるのは私だけだ。
現状でその正確な理由はわかっていない。でも、今の話が本当なら、プレイヤーネームが宿儺と一致しているというのは十分理由になると思っていた。
何せ、酒呑はその友人の死をきっかけに時代を終わらせるほどの破壊を行ったほどの人物なのだから。
しかし、驚いたことに、白曜から帰ってきたのは力強い否定の言葉だった。
「はっきりと断言するが、それは違う。お主が鬼神様から干渉を受けた理由はそんな曖昧なものではない」
白曜はそう言って一呼吸置くと、私の胸元を指さして言った。
「お主が《童子》であり、《名持ち単独討伐者》であること。それこそが、お主が鬼神様に干渉を受けた理由なんじゃ」
白曜が指し示した私の胸元では、手に入れて以来一度も装備を外したことのない《名持ち単独討伐者の証》が、確かにその存在を示していた。
酒呑童子は簡単に言うとバグキャラです。