里長の屋敷にて
「今夜、20時を過ぎた頃に里長の屋敷に来てください」
訓練の終わり頃に黒曜にそう言われた私は、一度ログアウトをして食事を取ってから改めて里長の屋敷に向かっていた。
私がログアウトした時にはリンちゃんはぐっすり眠っていたから、起こさずにお布団をかけ直すだけに留めておいた。
体調が悪い時はとにかく寝るのが一番らしいからね。
「なんの用事だろうねぇ」
『説教』
『告白』
『あら〜』
『密談っぽさある』
『月狼関係とみた』
「まだあんまり里のお手伝いした気はしないんだけどなー」
そもそも薪割りやら黒曜のお手伝いをしていたのは、デッドスキルを使用した代償として受けた呪いを解くためで。
もう少し細かくいうと、月狼ノクターンに呪いを解いてもらう取引材料にするための《月光宝珠》を手に入れるのが目的だった。
その月光宝珠を譲ってもらう条件として里長の白曜に頼まれたのが、里の住人の手伝いだったわけだ。
実際に薪割りだったり訓練のお手伝いをしたり、たまに流鏑馬場で遊んだりと割と鬼人の里を満喫していたわけだけど、月光宝珠を貰うのに十分なお手伝いができたような気はしない。
私の考え方がワーカホリックなだけで、実際に求められてたのはこのくらいの勤労だったってことなんだろうか?
そんなことを考えつつリスナーと話していると、すぐに里長の屋敷に到着する。屋敷の門の前では、黒曜が涼しげな表情を浮かべて立っていた。
「よく来てくださいました、スクナさん」
「待っててくれたの?」
「呼びつけておいてお迎えもしないのは流石に申し訳ないですから」
黒曜はそう言うと、私を屋敷に招き入れた。
特に何も言わない黒曜の後を黙って付いていくと、前回白曜の部屋に通された時とは違う廊下を歩いていることに気がついた。
今度は黒曜の自室にでも案内されるのかな? なんてことを考えていると、ある部屋の前で黒曜が止まった。
「こちらです」
そう言って黒曜が障子を開けた部屋には、普段通りの格好の琥珀と、白い着物を纏った白曜が座って待っていた。
前はすごいラフな格好だったのに、今日の白曜が着ているのは……「里長!」って感じの豪華な着物だった。
「数日ぶりじゃな、スクナ。適当に座布団のある所にでも座っとくれ」
「ほーい。今日はちゃんとした格好なんだね」
「少し真面目な話をするのでな。お主と、お主以外の全ての旅人にとっても重要なことじゃ」
「ふむ?」
私だけじゃなく、全ての旅人に……つまり、全てのプレイヤーにとって重要な情報ってこと?
これは暗に他の人にも伝えるようにってことなんだろうか? 一応配信はしてるし、アーカイブを残しておけば自然と伝わるだろうからあまり深く考えなくていいかな。
「まずはスクナよ。お主にこれを渡しておくぞ」
白曜からひょいと投げられた物を受け取ると、それは私が必要としていた月光宝珠だった。あの日、初めてこの屋敷に来た時に見たのと同じものだ。
「いいの?」
「構わん。元よりソレはお主に渡すつもりじゃったからの。この数日でお主の人柄も問題ないと確認できたし、そもそも月光宝珠自体はいくつもあるのでな」
「そうなんだ……」
白曜の話だと、月光宝珠自体は作成に時間がかかるものの、一年を通して色々な儀式で使われるせいか常にストックがあるらしい。確かに前に見せてもらった時も、レアアイテムだとは明言してなかったかもしれない。
その上、特に装備作成に使えるわけでも装飾品になるわけでもないので、ひとつひとつの価値はいいとこ10万イリスくらいだそうだ。最近作ってもらっている武具の値段からすると思ったよりリーズナブルな感じだね。
私が受け取った月光宝珠をインベントリにしまうのを見届けた白曜は、まず琥珀を見据えて口を開いた。
「さて琥珀よ、まずはお主の聞きたいことから片付けようかのぅ。そのためにわざわざ里まで帰ってきたんじゃろ?」
「ああ。実は、先日始まりの街でスクナの暴走を抑えた後、メルティからこういったものを受け取っていてね。どうも、神代を生きた吸血種の王族が記した日記のようなんだが」
白曜に促された琥珀は、そう言って一冊の日記を取りだした。
時間の流れで風化していると言うよりは、物理的に損傷させられたようなカバーのボロボロさ。戦火にでも巻き込まれたのかと聞きたくなるような代物だった。
「メルティ……《天眼》か。なるほど、ならば真贋を問う必要はなさそうじゃな。あの魔女もまた、神代の生き残り。吸血種の滅びを招いた張本人じゃからな」
「吸血種って滅びてるの?」
「他ならぬ鬼神様の手によって、な。奴らは逆鱗に触れたのよ。そして異邦の旅人を除けば現存する最後の吸血種が《天眼のメルティ》であり、あの時代を生きた唯一の生き証人でもあるんじゃ」
逆鱗に触れたっていうのが、多分《憤怒の暴走》を発動した時のことなんだろうなというのはわかる。
滅びを招いたということは、メルティがその逆鱗に触れたってことなんだろうか?
いや、それならメルティこそ死んでなきゃおかしい気がするし、なにか別の意味で滅びに関わったのかも。
なんかこう……こう……うーん、私の頭じゃ思いつかないや。
「話を戻すかの。それで琥珀よ、その日記がどうしたんじゃ?」
「うん、この日記にはちょうど、今話していた鬼神様が吸血種を滅ぼすまでの出来事が、持ち主の視点で克明に記されていてね。おおよそは私の知っている伝承通りだったんだが、初めて見る単語があったんだ」
ボロボロの日記を捲る琥珀は、割と最初の方のページを開くと、それを私たちに見えるようにしてくれた。
うーん、この世界って基本的な読み書きの言語は日本語なんだけど、この日記の文字はなんだろう?
よく見たら崩しただけのローマ字みたいにも見えるけど、少なくともパッと見て読めるような代物ではなかった。
「この日記を見る限り、どうやら吸血種は鬼神様を殺すために謀略を企てていたらしい。人質を取って脅すというよくある方法なんだが、この際に人質の方を殺してしまった結果、鬼神様の逆鱗に触れた……という流れだったらしいんだ」
「ふーん、なんかよくある話だね」
人質に抵抗されたか、あるいは取り返されそうになっての意趣返しか。身代金だとか要人の引き渡しだとか、本来の目的を達成できなかった腹いせに人質が殺されるというのは、悲しいけど現実でもよくあることだ。
どちらにせよ、種族そのものが滅ぼされているんだから、それが悪手だったのは間違いない。
吸血種がそうまでして酒呑を殺したかった理由はなんだったんだろうね。
「ああ、悲しいほどに単純でよくある話だ。それで、今回聞きたいのはこの人質にされた人物についてなんだ。この日記では《最後の鬼》と記されているんだけどね……」
最後の鬼。ぱっと聞いた感じだとメルティのように「種族的に最後の〜」というのが思い浮かぶけど、鬼人族は別に滅びてない。となると別の意味なんだろうか?
「鬼神様にとっては世界を滅ぼすほどに大切だった、この《最後の鬼》について、君たちの知る全てを教えて欲しい」
「うむ、いいじゃろう。ようやくそこまで辿り着けたんじゃな」
反応を見る限り、白曜はそれがなんなのかを知っている。
黒曜も知っているっぽいけど、この場では白曜に説明を任せるようで静かに後ろに控えたまま動かなかった。
「先に言っておくが、今からする話を聞いてどうするかはお主ら次第じゃ。これを聞いたからと言って何を強制するわけでも、望むわけでもない。特にスクナ、お主はそもそもこの世界の住人ではないからのぅ。……ただ、知るべきことを知っていなければ選択を後悔する可能性もあるのでな」
言葉ほどには真剣な様子ではないけれど、決して適当なことを言っているわけではないのもわかる。
琥珀も肩の力を抜いているようだし、要はあまり気負わずに聞いて欲しいということでいいんだろうか。
なんにせよ、私だけが緊張していても仕方ないので、とりあえず全身の力を抜いて話を聞く体勢を取る。
そして、私たちが話を聞く状態になったと判断したのか、白曜は静かに語り始めた。
「《最後の鬼》というのはな。鬼神・酒呑童子様の真なる友にして鬼人族の始祖たる鬼族の最後の生き残り、両面宿儺様のことじゃ」
白曜の説明は、そんな衝撃的な内容から始まった。