終式と新たな謎
修練場の周囲を一瞬にして覆う夜陰。
月光も星光もないほぼ完全な闇の中で、黒曜の終式が発現する。
決着がついたのは、黒曜が終式の名を宣言してからわずか数秒後。
たったそれだけの時間で、あれだけの反攻を見せていたアーサーが即死する。
それと同時に周囲を覆っていた夜闇が消えて、再び明るい陽光が戻ってきた。
暗夜の暗闇の中で何が起こっていたのか理解できたのは、視覚と聴覚をフル活用して状況を把握していたスクナのみ。
「なんじゃそりゃ……」
黒曜の終式の効果を見て、スクナはただそう呟くしかなかった。
☆
「え……アーサー死んだんじゃが」
「……です」
思わず、といった様子でヒミコさんがそう呟いた。
どうやらヒミコさんと翡翠はあの暗闇の中で何が起こっていたのかは見えていなかったらしく、キョトンとした表情を浮かべていた。
「スクナは何が起こったのかわかったみたいだね」
「うん、まあ……琥珀も?」
「私も正確にはわからないよ。ただ、私が黒曜の終式がどんなものか知っているというだけの話さ」
なるほど、確かに元々終式が使える上に黒曜の弟子でもある琥珀であれば、黒曜の終式の詳細は知っていて当然だろう。
逆に言えば、翡翠は反応を見る限りでは黒曜の終式を知らなかったのかな? 気になって聞いてみると、翡翠は首を縦に振った。
「鬼の舞の終式は、鬼人族の決戦奥義です。絶大なデメリットを背負って使用する技ですから、訓練で軽々に見せるようなものではないと聞いています」
「なるほどねぇ」
それだけの技を今ここで見せてくれたのは、それだけの敬意をアーちゃんに払っていたからと判断すべきなのだろうか。
というか、この場合ってアーちゃんはどこにリスポーンするんだろう? もしかして里の入口まで飛ばされたりするの?
「ここでデスした場合は寄合所で復活じゃな。遠い訳でもないし、すぐに来るじゃろ」
「さすがヒミコさん、デス慣れしてるだけあるね」
「いやまあ、それもあるんじゃけど……ここに来た鬼人族はほぼ確実に黒曜に殺られとるんじゃ。スクナたそは琥珀様に教えて貰ってるから知らんかもじゃけど、鬼の舞の通常の習得条件が『一対一の試合で黒曜にダメージを与えること』じゃから」
「ああ……クロロベンゼンさんが黒曜に勝てないって嘆いてたね」
鬼の舞の習得条件が黒曜とのバトルなのは、鬼人族専用掲示板で見たから私も知っている。確か『鬼人の師範を超えろ』みたいなクエスト名だったかな。
この鬼の舞の習得こそが、鬼人の里に来る一番のメリットであると言ってもいい。
特に明確な攻略法があるわけではないらしいんだけど、だいたいレベル65前後のステータスで真面目に戦えば何とかクリアできるクエストなんだとか。
今のを見ている限り黒曜も相当手加減はしてるんだろうけど、多くの鬼人族プレイヤーが黒曜にボコボコにされているみたいだから、クエストの難易度は相当なものみたいだ。
アーちゃんの所在もわかってホッとしていると、戦いを終えた黒曜がご機嫌な様子で戻ってきた。
「うふふふ。いやぁ、アーサーさんはお強いですね。年甲斐もなく興奮してしまいましたよ」
「さっきの分身が黒曜の終式?」
「ええ。その反応を見る限り、ちゃんと見えていたようですね」
黒曜が終式を宣言した瞬間、周囲に夜の帳が下りた。
その瞬間、私の目が正しければ3体の黒曜の分身のようなものがアーちゃんを取り囲むように出現し。
それらの一斉攻撃によってアーちゃんは一瞬でデスしてしまった。
「私の終式である《黒曜の舞》は、夜闇を下ろした範囲内に最大で25体の分身を呼び出すというものです。呼び出した分身は各々が本体である私と同値のステータスを持ち、私が使えるものであればアーツも使用できます」
「ふぁっ!?」
「えぇ……」
最大で25体の分身。しかもステータスは黒曜と全く同じでアーツまで使用できる。
冷静に考えておかしすぎるそのアーツ性能に、私たちは思わずドン引きした。
「分身の数は残HP量次第ですので、先程は3体しか出ませんでしたね」
「それじゃあ、アーちゃんは結構ガッツリHPを削れてたんだね」
「かなりギリギリでした。もうひとつ強力なアーツがあれば身代わり人形は壊れていたかもしれません」
アーちゃんの詰め方はSPを限界ギリギリまで吐ききった無駄の少ないものだった。理想を言えばもう少しアーツ無しでHPを削れていれば……と言ったところだけれど、身代わり人形分のHP残量が見えない以上、アーちゃんは勘でHPを推し量るしかなかったと思う。
その中で最善を尽くしたという意味で、アーちゃんは本当によく戦ったと言えるだろう。
とはいえ、これはあくまでも黒曜がアーツをほとんど使っていなかったからこその結果でもある。
一度だけ、一瞬でアーちゃんの後ろに回った時の移動だけはアーツを使っていたっぽいけど、それ以外には実質的にただステータスだけで戦っていた。
黒曜の本来の戦い方というのをもう少しちゃんと見たかったけど、アーちゃんがあの状態から反撃を通し、そこから繋いだ攻撃の流れも見事だったから、黒曜の戦い方に関してはまた今度見せてもらえばいいかな。
「さて、スクナさん。アレが終式の発動の仕方であり、ひとつの完成形です。スクナさんも鬼の舞はそれなりに使い慣れた頃だと思いますが、ひとつおかしな点があることには気が付きましたか?」
黒曜に問われて、先程の戦いを思い出す。
おかしな点という程ではないけれど、不思議なシーンは確かにあった。
「えーと……諸刃の舞と鬼哭の舞の重複発動?」
「その通りです。鬼哭の舞は非常に強力なバフですが、頑丈を強化するという性質上、頑丈の数値を0にしてしまう諸刃の舞と効果が打ち消し合ってしまいます。故に、このふたつのバフは本来であれば発動が両立しません」
黒曜の台詞は概ね正しく、このふたつのバフは両立しない。正確には後から発動した方の舞で効果が書き換えられてしまうようになっている。
さっきの黒曜を見ている限り、バフが書き換えられた様子はなかった。
とはいえ、あくまでもバフを表すオーラの色が書き換えられていなかったというだけで、実際にどうなっていたのかはわからなかったけどね。
でも、黒曜が肯定したということは、私の見立ては間違ってなかったようだ。
「終式を起動した瞬間、必ず一式から五式の全ての舞が順番に発動されます。ここにスキルのクールタイムなどは一切関係なく、強制的にです。この過程を経ない限り、終式は絶対に発動できません」
「それは……戦闘中だと、かなりのデメリットだね」
「はい。なので、使用の際には安全を確保できるよう、できる限りひとりでの使用は避けるべきです」
どんなに早く舞っても、一から五までの全ての舞を通せば数秒はかかってしまう。
戦闘中にそれだけ無防備な時間を作ってしまうというのは、結構怖い話だった。
「そう言えば、終式って使い手によって効果が変わるんだよね?」
「ええ、琥珀様であれば究極の一撃、私であれば手数に特化した分身生成など、使い手に最適な終式が芽生えるとされています。必ずしも攻撃技とは限らず、過去には盾などを発現した者の記録も残っていますね」
「そっかぁ……私ならどんな終式になるんだろう」
黒曜の終式は、控えめに言ってバランスを完全にぶち壊しているレベルで強力だった。
恐らく目に見えないデメリットやあえて口にしていないような制限を抱えているんだろうけど、それらを差し引いても最強クラスの技なのは間違いない。
さっきアーちゃんを倒した時は単純に三体で三方向から攻撃してたけど、分身がアーツも使えるということを考えると、多分分身をひたすら自爆特攻させるのが一番火力の出る使い方なんじゃないかな。
他のスキルの最強アーツと比べてものすごい強力なのは明らかだから、是非とも習得したいところだった。
私が自分の終式に思いを馳せていると、少し表情を固くした黒曜が口を開いた。
「……スクナさん、五式は既に習得されていますか?」
「うん、筋力値が500を超えた時に覚えたよ」
子猫丸さんに作成してもらっている防具は、鬼人族専用の装備素材である《鬼哭紬》を使ってもらう予定だ。
その装備の為に筋力値が500必要らしいので、余ったボーナスステータスポイントから筋力値がちょうど500になるようにステータスは振り分けてある。
その時に《五式・童子の舞》が解放されたから、鬼の舞の基本アーツは全て習得済みだった。
私の返答を聞いた黒曜は顎に手を当てて悩むような仕草をしてから、少し言いにくそうにこう言った。
「……鬼の舞の終式は、使用者の筋力値が500に達した時、五式・童子の舞と同時に発現するものです。その点から見ると、スクナさんには既に終式を習得していないとおかしいはずなのですが」
「えっ?」
黒曜の言葉を受けて、私は思わず呆けたような声を出してしまった。
そんなことを言われても、現に私は終式を習得できていない。筋力値が500になった時に習得したのは童子の舞だけだ。
改めて自分のステータスを覗いて見ても、結果は変わっていなかった。
「考えられる可能性はいくつかありますが……ひとつはスクナさんが異邦の旅人であり、この世界の住人ではないこと。2つ目は、スクナさんが《童子》という職業の祝福を受けていること。3つ目は、スクナさんの身を蝕むその呪いが何らかの悪影響を及ぼしているということ。後は……いえ、すぐに思いつくのはこの3つですね」
「どれもそれっぽい感じだから困るね」
黒曜が挙げてくれた要素は、どれも可能性としては十分ありそうなものばかりだった。
この中でひとつ目と2つ目に関しては、プレイヤー側で検証できる要素ではある。
例えばメグルさんのように鬼の舞を覚えた《童子》のプレイヤーは私以外にもいるから、彼らが筋力値500になった時に終式を覚えられたか聞いてみればいい。
3つ目の呪いが原因説に関しても月狼に解呪してもらえばわかることではあるから、今は待つしかないだろう。
問題はこれら全てが関係なかった場合。そうなるともう、何が原因なのかはわからないから、習得できるまでは悶々としたまま過ごすしかない。
「ひとまずは待つしかなさそうですね」
「そうだねぇ」
「ま、スクナたそは色々と特殊なところもある訳じゃし、焦らずのんびり覚えていけばええじゃろ。あんまり生き急いでもゲームは楽しめないからのぅ」
「ヒミコさんが言うと説得力があるね」
ゲームを始めてからもう一ヶ月以上、鬼人の里から出られずに過ごすヒミコさんの言葉だ。やはりそれなりの重みがある。
そうだ、今は焦っても仕方がない。まずはいい加減鬱陶しくなってきた呪いの解呪に専念しよう。
「さて、スクナさんと翡翠とのわだかまりも解け、アーサーさんとの試合の約束も果たしました。後は当初の予定通り、黒曜組の訓練のお手伝いをお願いしたいのですが」
「私は大丈夫だよ」
「ワシはあっちで罠設置の練習でもするかの。ちょっとやる気が出てきたのじゃ」
最初は訓練場の隅っこに逃げていこうとしていたヒミコさんも、ちょっとやる気になったらしい。ふんすっと鼻息を荒くしている姿に、なんともほのぼのした気分にさせられる。
罠設置の練習って普通に気になるな。《罠師》のレアスキルの熟練度上げなんだろうけど、後で見せてもらおうかな。
「ではスクナ殿。こちらの方で百人組手をやりませんか? みなスクナ殿の強さに興味津々なはずですので」
「ほんとに?」
嬉嬉としてそう言う翡翠だけど、肝心の黒曜組の面々はさぁっと顔色を青くしているように見えるんだけど。
同じ目に遭わせたい系か、それとも純粋にそう思っているのか……どちらにせよ黒曜組の面々にとってははた迷惑な話かもしれない。
「翡翠がスクナの相手をしてくれるならちょうどいいね。黒曜、少し話があるから付き合ってくれるかい?」
「構いませんが……」
私たちが百人組手の準備をしようとしていると、琥珀が黒曜を連れてどこかへ行ってしまった。
一瞬だけ聞き耳を立てようかと思ったけど、すぐに思い直した。内緒話を聞くのはあまり好きじゃないのだ。
まだイマイチ五感を制御しきれていなかった小学校のころなんかは、聞きたくもない内緒話やら陰口が延々と耳に入ってきて辟易としたことがあるからね。
「いやはや、酷い目にあったわ……おや、黒曜殿はどこじゃ?」
「アーちゃんお帰り。黒曜は琥珀と話してるよ」
「そうか。ではまた後で話をするとしようかのう」
少し休むと言って木陰で座り込んだアーちゃんは、それなりに清々しい表情を浮かべていた。
あそこまで一方的にやられてはもうどうしようもないと吹っ切れたんだろう。
その後、私は黒曜組の面々と百人組手を行い。
途中からアーちゃんとヒミコさんも混ざって、鬼人族のNPCたちと交流を深めたのだった。
黒曜の終式は、終式の中でも断トツにイカれた性能をしています。身代わり人形装備の上で使用すれば代償は少ないですが、それでも一度使用すれば一ヶ月は再使用できないなど、多くのデメリットを抱えています。
ちなみに身代わり人形はもう一本見えないHPゲージを追加するようなアイテムなので、今回黒曜の終式は身代わり人形のHPを利用して終式を発動させました。本来は自身のHPを強制的に1にしてしまう、かなりハイリスクな技だったりします。