剣戟乱舞
誰もが息を呑んで見守る中、剣戟の音が木霊する。
攻めるアーサーと、守る黒曜。互いに小手調べといった状況だが、驚いたことに表情に余裕がないのは黒曜の方だった。
ステータス上は圧倒的に黒曜が勝っている。勝負を成り立たせるために装備しているアクセサリーによる一時的なデバフを考慮してもなお、物理技能は全てのステータスで優にアーサーの倍を超えているだろう。
(だと言うのに、攻撃に移れない)
絶え間なく繰り出される斬撃を受け続けながら、黒曜はアーサーの繰り出す剣技に舌を巻く。
片手用の直剣とは思えないほどに一撃一撃が鋭い。まるで刀を用いているかのように鋭利な斬撃だ。
その上、恐ろしい程に重い。無駄な力の分散が一切ない、緻密で完成された斬撃が、極めてリラックスした状態で放たれる。
その斬撃は常に急所を狙い、それでいて最も受けにくい角度から黒曜を襲い、何とか放とうと狙った反撃は起こりの段階で叩き落とされる。
いいや、そのタイミングで反撃を仕掛けられるようにアーサーに誘導されているのだ。
先程翡翠がスクナにしてやられたように狙う場所を誘導されるどころか、攻撃に移ろうというタイミングまでもアーサーの掌の上。
攻めっ気を煽るも鎮めるもアーサー次第。黒曜はそんな、自身が踊らされている感覚にゾッとする。
ステータスの差を技量ひとつでここまで抑え込まれる経験は、数百年を生きた黒曜をして初めてのことだった。
(この若さで、これほどまでの強さ。一体どれほどの才覚を持ち、どれほどの密度の鍛錬を重ねればここまで完成された剣士に到れるのでしょうね)
文字通りの怪物、さながら荒々しい暴力の化身のような印象を受けるスクナとは違い、眼前の人族の剣士はあまりに洗練された一本の剣そのもの。
剣士という概念の理想形のひとつが、黒曜の前に立っていた。
そう感じ取った黒曜は、思い切り力を込めてアーサーの斬撃を打ち払う。
攻撃の威力は全て受け流されたが、攻めの手を中断することはできた。それで十分だとばかりに、黒曜は一度アーサーと距離を取る。
「天晴れと、そう言わせてください。今も昔も、貴女ほどの剣士を私は見た事がありません。アーサーさん、どうやら貴女は紛れもなく、《剣聖》スキルを発現するに値する人物のようです」
「ふ……買いかぶるな、黒曜殿。わざわざ殺陣に付き合うてくれただけじゃろう」
(そう、あの紫金のグラディウス。どうも鉱物ではなさそうじゃが、やけに重たい素材で作られとる。半分くらいは鈍器のようじゃ)
アーサーは黒曜の持つ短剣とも直剣とも言い難い、50センチほどの肉厚な刃の剣を見て思案する。
グラディウスはいわゆる剣闘士の持つ剣。短くも肉厚、幅広な刃を持ち、リーチは短いが斬撃による殺傷力が極めて高い剣だ。
アーサーも身長の低さとリーチの短さの相性が良いため、手に取ってみたことはある。だが、グラディウスという剣は長剣よりは短剣に近いもので、アーサーの得意とする剣術とは相性がいいものではなかった。
アレはどちらかと言うとスクナのような、フリースタイルで戦う戦士に向いた武器だ。
(それはつまり、鬼人族との相性が良いであろうということでもある訳じゃが)
物理的なステータスに特化しているが故に、近接戦闘を好む。
それは公式で発表されている種族設定にもある文言だ。
だからといって鬼人族の戦士が好んで使う武器をアーサーが知っているわけではない。
少なくとも琥珀は素手を好み、翡翠は片手用の直剣を手に取った。そして目の前の黒い鬼人はグラディウス。なるほど、統一感のない話だ。
だが、翡翠がスクナに向けて放った一撃を見る限り、基本的にはステータス任せな戦いと見ていいだろう。
速くはあるが巧くはない。アレは剣を使って戦っているだけだ。若く経験が足りないという部分は大いにあろうが、翡翠の剣はアーサーから見ればそういった類のものでしかなかった。
そして、翡翠の師が黒曜である以上、黒曜もそういう戦闘を好むのだろうと考えるのは自然なことだった。
(であれば……まずは先手を打つとするかのう)
どの道、先程のように小手先の技術で攻撃を封じた程度で止まるような相手ではない。
まずはステータスの差を埋める。そのために、アーサーはスキルの使用を決めた。
「《剣神憑依・壱番》」
溢れ出る紅蓮の闘気。アーサーのアバターに如実に力が漲った。
エクストラレアスキル《剣聖》は、この手のスキルにしては珍しく、手に入れるための手段が明確に判明している。
帝都フィーアスにある剣術道場《剣神会》にて課せられるおつかいクエストを全てこなすと、エクストラクエスト『剣聖の御魂』が発生する。
同時に侵入を許されるようになる神域ダンジョン《剣聖メルスティヴの墓標》。その最下層にて、ネームドボスモンスター《建国の英雄・剣聖メルスティヴ》をソロで打倒し、《剣神》と謁見することで《剣聖》スキルは発現する。
《剣神憑依・壱番》の効果は、剣神の力を一部だけ憑依させ、プレイヤーのHPとMP、SPを除く全ステータスを五分間大幅に向上させるもの。
それでいてスクナの使用する鬼の舞や餓狼と違い一切の制限がない、単純明快にして非常に強力なアーツだった。
「なるほど……それが《剣聖》スキルの壱番ですか。昔、伝え聞いた話とは違う気もしますが……」
「未熟なものでな。何せ建国の英雄が使っていたスキルじゃ、手に入れたとて使いきれてはおらんさ」
剣神憑依は、本来の性能を発揮できていれば全ステータスを何倍にも跳ね上げる強力なスキルだ。
今のアーサーではせいぜいが1.4倍弱。それでも、WLOにおいてこの強化がデメリットなしで発動できるのはとてつもない性能と言える。
(鬼神、剣神、そして魔神。現時点で三柱の神が既にプレイヤーの前に姿を現している。その一柱の力、この化け物相手にどこまで通じることやら)
「アーサーさんも本気のご様子。それでは私も本来の戦い方でやらせてもらうとしましょう」
黒曜がそう言って軽く大地を蹴った瞬間、いつの間にか黒曜はアーサーの背後に移動していた。
「……っとぉ!?」
振り向きざまに振り切られたグラディウスを、アーサーはかろうじてしゃがむことで回避する。
だが、それは悪手。回避もままならない体勢に追い込まれた瞬間に、黒曜の回し蹴りがアーサーの首を刈り取るように叩き込まれた。
「ぐあっ!?」
「よく反応しましたね!」
ただの蹴りで吹き飛ばされ、二度地面にバウンドして三度目に着地をしたアーサーは、追い詰めるように距離を潰しに来た黒曜に対しかろうじて剣を構える。
「変則抜剣・穿蜂!」
「ぐっ……」
整わない体勢、混乱する意識。
それら全てを無視して放たれるのはスキルのアーツではなく、アーサーが現実世界で修めた鞘なしの居合抜き。
本来の居合抜きとは使う得物も方法も違う。それでもその神速の斬撃は黒曜の首を穿ち抉った。
「いい技です!」
素のステータスが高いせいか、急所へのクリティカルヒットも大したダメージにはならなかったらしい。
だが、首を斬られたという事実が黒曜のテンションを盛り上げたのか、浮かべる表情は驚愕ではなく歓喜だった。
元より今の攻撃が大した効果を持っているとはアーサーとて考えてはいない。そもそも穿蜂は、次の一撃を放つために使用し体勢を整えるための技なのだ。
「剣城流・獅子嚇!」
振り下ろされる黒曜のグラディウスを狙って、アーサーは剣を振るった。
衝突の瞬間、ひときわ甲高い金属音が鳴り響く。互いに力を入れていたとはいえ、その音はあまりに不自然に大きい。
その瞬間、想定を遥かに超えた衝撃が黒曜の手を襲っていた。
(なんっ……!? まさかこれは、持ち手そのものに衝撃を伝播させる技!?)
思わずグラディウスを取り落としそうになる黒曜だが、筋力に任せて無理やり柄を握り直す。
だが、その僅かな時間が致命的な空白を生む。
「剣城流・千変万華!」
「くうぅっ!」
剣は決して首だけを落とすための武器ではなく、その刃は切り裂くことにこそ本領を発揮する。
咲き誇る華の様に舞い散る斬撃が、黒曜の全身を切り裂いた。
(まるで鋼鉄の壁を斬っているような硬さ……いや、分厚さじゃな。人のことを言える身ではないが、この体躯でこの厚み、レベルとステータスで強さが決まる世界だと実感させられる)
ステータスの暴力とでも言うべきか、剣神の力を借りてなお、斬っても斬っても手応えのない黒曜にはアーサーとしても笑うしかない。
圧倒的な物理ステータスの壁。黒曜のレベルを聞いていないアーサーには黒曜のレベルがいくつなのか想像することしかできないが、数百単位で差があることは想像に難くない。
剣城流は現実世界の生家で修めた剣術。アーツではない純粋な剣術をアーサーがこの世界で再現しているだけであるため、SPの消費や硬直がない代わりに威力の倍率や属性がない。
千変万華は完璧な形で決まったが、黒曜に大きなダメージを与えるには至らなかった。
(もうひとつ上げるしかないのう!)
黒曜の体勢が整った瞬間、アーサーの負けは確定する。
故にアーサーは《剣聖》スキルの更に上を解放する。
「《剣神憑依・弐番》」
発動と共に、アーサーが纏う紅蓮のオーラが爆ぜる。
更なるバフがアーサーのステータスを強引に跳ね上げ、現実世界の身体能力では到底扱いきれない剣城流の奥義を解禁する。
「剣城流奥義・閃光!」
脳内リミッターを無理やり解除し、本来の人体では到底出せない程の脚力で地を踏み締め、文字通り閃光の如き速度での移動を可能にする移動術の奥義。
本来であれば筋肉の断裂と脚部の複雑骨折を前提として放つ自爆技のような移動術だが、ゲーム内であれば似たようなことをリスク無しで行える。
だが、閃光は所詮移動術でしかない。本命は当然、移動に合わせて放つ斬撃に他ならない。
選択しうる中で最強の威力を。そのためにアーサーが選択したのは《剣聖》スキルのアーツではなく、コモンスキルであるはずの《片手剣》スキルのラストアーツだった。
「《リ・スラッシュ》」
「そのアーツは……!」
アーツ名の宣言と共に、アーサーの持つ剣が淡い白色の光を帯びる。
このアーツは攻撃用ではなく、《片手剣》スキル限定でとある追加効果を与えるバフ用のアーツだ。
発動のクールタイムは長いが、他のアーツの使用を前提とされている以上硬直は発生しない。
故に、アーサーが次に選択する技こそが《片手剣》スキルの最強アーツ。
さながら破滅の星光のような輝きが、アーサーの剣にまとわりついた。
「《メテオスラッシュ》!」
「ガハッ!?」
両手を添えて振り下ろした斬撃が、千変万華で体勢を崩された黒曜の体に叩き込まれる。
袈裟斬りの斬撃痕はアーサーがアーツの発動を完了した瞬間に輝き、内側からエネルギーを破裂させ爆発を起こした。
アーツ《メテオスラッシュ》。単純に超強力な斬撃と、斬撃痕から無属性の防御無視ダメージによる追撃を行う《片手剣》スキルの最強アーツ。
全てを受け切り、防御無視攻撃を食らってもなお倒れぬ黒曜だったが……追撃の威力がなくなった直後に、先程の《メテオスラッシュ》を鏡写しにしたような斬撃痕が黒曜の体に刻まれた。
これが《リ・スラッシュ》の効果。『直後に使用した《片手剣》スキルのアーツがヒットした際、全く同一のダメージによる追撃を行う』バフアーツ。
つまり、単純に全てのアーツの威力を2倍にするのが、このアーツの効果だった。
「ハァ、ハァ」
(デカいアーツを連続で使ったせいでSP切れ寸前じゃ)
初撃を貰ってから攻め続けた。
理想的なタイミングで最大威力のアーツを当てることもできた。
だが、それでも。
黒の鬼人は倒れない。
「……ここまで一方的に攻撃を食らったのはいつぶりでしょうか」
パリンッと音を立てて、黒曜の手から指輪が弾ける。
それは彼女のステータスを抑えていたアクセサリーだった。
黒曜が軽く首を鳴らし、腕を薙ぐ。
たったそれだけの動作で、周囲に立ち込めていた土埃が掻き消えるほどの風圧が生じた。
「お見事でした。まさかあんな不安定な体勢からの反撃でここまでのダメージを貰うとは。危うく身代わり人形が壊れるところでしたよ」
「壊せていないのであれば変わらんさ」
「ふふ、ストイックですね」
ストイックも何も、結果倒せていないのであれば意味はない。アーサーから見れば、この試合は既に負けていたと言ってもいい。
侮られている訳では無いのは分かっているが、黒曜のこの余裕を見るに、SPが切れかけたアーサーであればただ力ずくで戦うだけでも容易に殺せたはずなのだ。
少し拗ねるような心持ちで歯噛みするアーサーに対し、黒曜は満足気な表情のままグラディウスを納刀する。
「さて、アーサーさんにもスクナさんにも、とてもいいものを見せてもらったお礼をしなければなりません」
「礼じゃと?」
「ええ。ですから、鬼人族の奥義をお見せします。見て、なにか学び取っていただければ嬉しいです」
黒曜はそう言うと、どこからともなく白一色の鉄扇を取り出して、緩やかに舞い始めた。
その舞踊の名は《鬼の舞》。
一式・羅刹の舞。
二式・諸刃の舞。
三式・水鏡の舞。
四式・鬼哭の舞。
五式・童子の舞。
時間にして僅かに数秒。流れるような舞を経て、黒曜は全身に5つのバフを纏う。
「《鬼の舞・奥義》」
――終式・黒曜の舞。
黒曜のとても穏やかな宣言と共に、周囲に夜の帳が下りた。