《剣聖》
「思考の加速とはすなわち情報処理能力の向上、言ってしまえば走馬灯もこの類の現象じゃが……極まれば時が止まったような感覚に陥る。ただ、その領域まで至った者は例外なく何かしらの支障を抱えるもんじゃ。人の頭というものは本来そこまでの出力を許されていないからのう」
私の言葉を聞いて、アーちゃんはそう言って目を閉じた。
私は「へぇー、詳しいんだなぁ」なんて呑気に考えていたんだけど、琥珀が何かに気付いたようで、少し険しい表情でアーちゃんに問いかける。
「まるでそうなった人を見たことがあるような言い方だね?」
「……まあ、な」
ほんの一瞬。ほんの一瞬だけ、目を閉じたままのアーちゃんの意識がヒミコさんへと向いたような気がした。
ただ、ヒミコさんの方は特になんの反応もしていないので、たぶん気のせいだろう。
「深く聞くことはしないでおこう。だが、スクナは大丈夫なのかい? 今のアーサー君の発言が本当なら、スクナも相応の負担がかかっているはずだが」
「まあ……ちょっと疲れた感じはあるかな?」
最初は感覚を一切制限なく広げたから、数キロ単位の情報がドッと押し寄せてきて少しびっくりはしたけど、今の私ならあの状態でも一分くらいは維持できる。
まして翡翠を殴り倒した時はせいぜい数十メートルまで感知範囲を絞っていたのだから、思っていたよりはだいぶ余裕があるくらいだった。
「本来なら数秒で廃人と化してもおかしくないはずじゃが……まあそこはスクナだからとしか言いようがないのう。改めて見て実感したが、トーカ嬢に聞いた以上の怪物じゃな」
「怪物……まあ否定はしないけどね」
アーちゃんの指摘は正しい。
怪物と呼ばれるのも化物と呼ばれるのも、幼い頃にはよくあったことだ。無償の愛を与えてくれていた両親ですら、私の力に関しては怯えている側面もあった。
本当の意味で我慢するのをやめて、眠っていた能力を解放しつつある今、私はきっと人間の枠から大きくはみ出てしまっているのだから。
「まあ、なんともないのであれば悪いことではなかろうよ」
「それもそうだね」
「そんなことより、次はワシの番じゃろ?」
おおよそ講評らしい講評が終わり、アーちゃんが我慢できないとばかりに勢いよく立ち上がる。
「ちぃとばかしスクナの殺り方に当てられてしまってのう。火照りが消えるまで待ちたくもない。黒曜殿、悪いが一戦付き合っとくれ」
手で弄ぶ刀の鞘が、地面に当たってカンと鳴る。
逸る気持ちが伝わったのか、あるいは同じ気持ちだったからか。
「ええ、いいですよ。ちょうど私も我慢しきれなかったところですから」
黒曜は笑みを浮かべて、アーちゃんの提案を受け入れた。
☆
「スクナ殿。実際のところ、アーサー殿はお強いのでしょうか?」
「うーん……強いのは間違いないんだけど、ちゃんと戦ってるところは私もほとんど見たことがないんだよね」
翡翠からの質問に、私は若干曖昧な答えを返した。
WLOにおける大規模剣士クランのリーダーを務め、クラン最強と公言して憚らず、そしてクランメンバーの誰もがそれを否定しない。
レベル的には劣っているにもかかわらず、それでもアーちゃんは《円卓の騎士》で最強だと誰もが認めている。
私から見ても、アーちゃんは強いと思う。それは実際に刀を振るっている姿と、普段の立ち居振る舞いを見て判断したものだ。
アーちゃんの仕草は昔何度か観察した武の達人、その中でも飛びっきりに強かった人によく似ているのだ。
「ヒミコさん、アーちゃんってどうなの?」
「強いぞ。そこだけは疑いようもない部分じゃな」
ヒミコさんは私の質問に即答した。
疑いようもないって言うくらいだから、強さは本物ってことなんだろう。ただ、言い方に含みがあるのが少し気になったのか、琥珀が顎に手を当てた。
「強さ以外の欠点でもあるのかな?」
「いや、単純に長期間会ってなかったからのう。ワシもあの子がどう成長したのかはわからんのじゃ。ワシの知っとるアーサーは、少なくとも門下では敵無しの剣士じゃった」
「ああ、そう言えば会ってないって話もしてたね」
ヒミコさんは実家と絶縁して飛び出したせいで、アーちゃんとは長いこと会ってないという話をしていた。
男子、三日会わざれば〜なんてことわざがあるけれど、別にそれが女の子に当てはまらない訳ではない。
5年も会っていなければ、その強さを測れないのはある意味では当然のことかもしれない。
「つまり未知数ということですか……」
「刀を持っていたが、本来の得物は剣のようだしね。何にしろ《剣聖》スキルを持つ者である以上、弱いということは有り得ないだろう」
むむむと悩む翡翠はさておき、琥珀から聞き覚えのある言葉が聞こえてきた。
「そうだ、琥珀。《剣聖》スキルってなんなの?」
「ある試練を踏破した者に与えられるエクストラレアスキルのことだよ」
「エクストラレアスキル?」
「ああ、スキルの種類について少し説明しようか」
《剣聖》スキルについて聞こうと思ったら更に知らない単語が出てきて首を傾げた私に、琥珀は苦笑しながら説明してくれた。
《打撃武器》や《素手格闘》や《雷属性魔法》のように、この世界の住人が生まれつき持っていたり鍛錬で芽生えるスキルのことをコモンスキルと呼ぶ。
《二刀流》やら《大剣》、《双大剣》スキルのように、あるスキルの熟練度を上げることでしか手に入らないスキルのことをマスターランクスキルと呼ぶ。
そしてそれらとは全く異なる、《餓狼》や《鬼の舞》のような特殊な条件で入手できるスキルをレアスキルと呼ぶ。
そしてそのレアスキルの中でも、神に連なるスキルをエクストラレアスキルと呼ぶらしい。
「帝都フィーアスには《剣神の試練》と呼ばれる試練があってね。皇帝の許可を得た者だけが挑めるその試練を踏破することで、《剣聖》スキルが発現するらしい。詳細は私も知らないんだが、たいそう難しいそうだよ」
「へぇー……じゃあアーちゃんはその試練をクリアしたってことかぁ」
剣神っていうのは剣士を司る神様だったっけ。確か最初に会った時、酒呑が神様っていうのは職業を見守る者だって言ってたはずだから。
「だが、諸々を考慮しても今のアーサー君では黒曜に勝つのは困難だろう。純粋にレベルが足りなさすぎる」
「黒曜のレベルっていくつくらいなの?」
「354だよ」
琥珀の口からサラッと告げられた数値は、私の想像よりずっと上をいっていた。
200は超えてる、300はあるだろうとは思っていたけど……。今の私の4倍のレベルがあると言えば、その高さが伝わるだろうか?
文字通り桁違いのステータスだ。そこまで行くと物理技能は全ステータスが500どころか700近くは達しているんじゃないだろうか。
「さんびゃくごじゅうよん」
「ヒミコさんが壊れた!」
「私がスクナと手合わせをした時のように、意図的にステータスは下げて戦うと思うよ。そうしないと攻撃が通らないからね」
「ステータスを下げる?」
「デバフアイテムなり、スキルなりでね。そうでなければレベル二桁のスクナの攻撃で私に傷がつくわけがないじゃないか」
それは確かにそうだ。あの当時の私のステータスに加えてバフによる強化を考えたとしても、恐らく今しがた告げられた黒曜のレベルを更に上回っているであろう琥珀に、私の攻撃が通るのはおかしい。
あの時は見た目以上に手加減されていたってことか。悔しいけど、今の私でも攻撃は捌けてもまだ琥珀に勝てはしないだろう。
「というか、あの時は傷をつけても回復されたんですけどー」
「あっはっは」
私がジト目で見つめると、琥珀は楽しそうに笑っていた。
そんな中、翡翠がその回復について説明してくれる。
「恐らく、それは《鬼血》スキルですね。鬼人族専用の持続回復スキルです」
「ほう……それ、私にも覚えられるかな?」
「ええ、試練をクリアする必要がありますが、鬼人族であれば問題なく覚えられます。私も覚えていますし、異邦の旅人の中では……確かメグルや天道虫などはつい最近試練を突破していましたね」
ふむ。そう言えばこの里に来る前にヴォルケーノ・ゴーレムを倒した時、あれは何かのクエストを達成するために必要だったってメグルさんは言ってたっけ。
ちなみに天道虫さんはたまに鬼人族専用掲示板を見るとほぼ必ず名前を見かける、掲示板常連勢のひとり。
誰に対しても煽り倒すものの、大抵自分にもブーメランが刺さっていることが多い印象がある。
普通に真面目にレスをつけることもあるから、ヒミコさんとは違った意味で面白い人だ。今は里にはいないみたいなのが残念だね。
「その話、あとで詳しく聞かせてね。見て、始まるみたい」
訓練用の武器を使っていた私たちの時とは違い、アーちゃんは刀ではなく鞘付きの片手剣を手にしていた。明らかに訓練用ではない両刃の剣だ。
前に見せてもらった剣は今は手元にないって言ってたからスペアの剣なんだろうけど、比較的華美な装飾があった前の剣に比べて随分と無骨な見た目をしていた。
アーちゃんは目を閉じて、鞘がついたままの剣の切っ先を垂直に二度、トントンと地面に打ち付ける。
それはある種のルーティンなのか、たった二度の衝突がアーちゃんの集中力を一気に最高潮まで跳ね上げるのがわかった。
片手で剣の鞘を掴み、緩やかに刃を引き抜く。
ああ、あまりにも堂に入ったその動作は見るものを魅了する舞のようですらあって。
緩やかに目を見開いたアーちゃんが、引き抜いた刃を黒曜へと向けた瞬間、全身が切り裂かれたような錯覚を覚えた。
「……ッ!」
「へぇ……」
初めて会った時に感じたものとは段違いの、凄まじい剣気。
私も琥珀も思わず息を呑み、翡翠も思わずといった様子で腰の木剣に手を添えていた。
これが、クラン《円卓の騎士》最強の剣士。
その荒々しい剣気とは対照的に、アーサーは剣の柄に両手を添えて儚げな笑みを浮かべた。
「では……参るぞ」
「ええ、いつでもどうぞ」
互いに互いを見据え、2人の剣士が睨み合う。
数瞬の時を置いて、2つの刃が甲高い衝突音を奏でた。