トキさんの趣味
「仮想空間の最大の利点。それは仮想空間内では罪を犯しても許されるということです」
仮想空間の身体能力に関しては、ゲーム側の数値で自在に変化させられるのだとか。
五感はある程度現実に準拠するのだとか。
流石の私も知っているような簡単な説明を終えてから、トキさんはそう言った。
「犯罪……って、殺しとか盗みとか、そういうことですか?」
「はい。正確には、仮想空間内での擬似的な犯罪体験によって現実世界の私たちが逮捕されることはありません。ゲームごとのペナルティはありますが、それはあくまでもゲーム内の仕様です」
それはそうだろう。
ゲーム内で人を殺したくらいで現実世界の人間が逮捕されるなら、ほとんどのシューティングゲームは成り立たない。
VRMMOもPK可、PK不可とものによって様々だけど、PK可のゲームで人を殺したってゲーム内ペナルティがあるだけだ。
一部の例外、例えば現実世界の金銭が絡むような詐欺やチート行為、ゲーム規約への違反などを除けば、ゲーム内で何をしても許されるというのは当然のことだった。
「VR黎明期、仮想現実という技術を最も活かしたのはシミュレーションソフトの類でした。例えばパイロットの飛行訓練のような、現実世界で大きなコストを必要とするような作業を、限りなく現実に近いシミュレーションで補うことで、コストの削減と機会の増加を目論んだのです」
「ふむふむ」
「このVR道場も実はゲームではなく、シミュレーションソフトの一機能です」
確かに、この道場はゲームという表現をするには少し味気なさすぎるかもしれない。
シミュレーションというよりは授業の教材とかそういうもののような気もするけど。
「さて、仮想空間というのは自由な世界です。想像できることは数値を弄れば理論上何でもできてしまいます」
「それがたとえ犯罪のシミュレーションでも、ってことですか?」
「ええ、その通りです」
私の突っ込みに、トキさんは大きく頷いた。
トキさんの言う通り、作り込みさえすれば仮想空間はなんでもシミュレートできてしまうのだろう。
そもそも大都市に降り立ってやりたい放題する系のゲームって、今も昔も人気なものらしい。
リンちゃんがそういうのをやらないから私も触ったことがないだけで、一部ではそれなりに人気のあるジャンルなんだろう。
「とはいえ、罪を犯すことが目的という訳ではありません。ただ、私が趣味の範囲でリアルな対人シミュレーションソフトを作り、仮想空間で殺人術というものを研究していたという話です」
「何やってるんですかトキさん……」
昔、私に人の壊し方を教えてくれた人だ。
そういう一面があってもおかしいとは思わないけど、そんな趣味感覚で殺人術を磨こうとしないで欲しい。
そう思ってジト目で見つめるも、トキさんは平然とした顔で話を続けた。
「生来の趣味なので仕方ありません。元より菜々香、貴女に人の壊し方を教えたのは私なのですよ?」
「それはそうなんですけど」
「ですが結果として、こうして菜々香にそれを伝えることができるのですから。私が趣味で行っていた研鑽は無駄な時間ではなかったということです」
そう言うと、トキさんはどこからか大型のサバイバルナイフを取りだした。肉厚で切れ味が良さそうだ。
ところで今の、どこからナイフ取り出したんだろう?
「このソフトには護身術を勉強するために、暴漢用の武器が何種類かあるんですよ」
「地味に便利そうな機能!」
他にもバットにスタンガンに警棒、ナイフは割と幅広く、警察官の拳銃レベルまではあるらしい。
VR道場、地味に遊べそうなソフトだった。
「さて、仮想空間による殺人術のシミュレーションは、これまでは未熟で実用性の低いものでしかなかった私の対人戦闘技術を研ぎ澄まし、実用的なレベルまで昇華させてくれました」
「実用的って、どのくらいですか?」
「文字通り、実際に使用できるくらいにですよ。とはいえ、流石に現実世界で試したことはありませんが……」
「そりゃそうだ」
ホントに現実世界で試してたら流石のトキさんでも刑務所一直線だろう。
「現実世界においては、人体に対して最も有効な武器は銃と刃物です。人は一定量の血を流すだけで死ぬ生き物ですからね。逆に言えば、人は血を流さない程度に痛め付けるくらいではなかなか死ねないのですが」
「でも、仮想空間では血が流れませんよね」
「出血状態があるゲームもありますが……市販のゲームには表現規制がありますからね」
トキさんが結構真面目にVRゲームでは殺人ができるって話をしてくれたけど、公権力だって馬鹿じゃない。
黎明期ならいざ知らず、今のVRゲームはそのほとんどが出血や欠損に関する表現規制を受けている。
大抵はWLOのように赤いポリゴンが飛び散ったり、あるいは別のダメージエフェクトでなんとなーく誤魔化す感じ。
腕を切ったら骨と肉が見えて血液が流れ出る、なんていうゲームはVRではもう販売できないのだ。
トキさんがシミュレーションに使ったソフトだって、どうせ鷹匠グループが開発したローカルなソフトだと思う。
グループ内の警備会社とかで使うようなやつをトキさん用にカスタマイズして、人を殺せるシミュレーションにした感じかな。
「そんな訳で、出血を前提としたガチの殺人術は、フルダイブゲームで使う技術としては教える意味が薄いです」
「なるほど」
「なので、私が今から教えるのは、これまで菜々香が使ってきたような『部位を破壊して相手を無力化する技術』の応用編。『無力化』ではなく『殺害』する為の技術であり、心構えのようなものです」
あえて心構えと言ったのは、技術的にはこれまでとそう変わらないからか。
それとも……。
「それは、私が対人戦でイマイチ力を発揮できないのを克服するためですか?」
「ええ、そうです。技術的には昔教えたものとそう変わりないですからね」
「まあ……あの時点で、使いようによっては殺人術でしたからね」
それこそさっきトキさんが言ってたように、急所に打ち込むだけでも人を殺せるような技術を教えてもらったのだから。
改めて考えると、4歳5歳の子供に教えることじゃないな……。
「菜々香、貴女は対人戦そのものが嫌いな訳ではないと思います。決着はつかなかったそうですが、PKプレイヤーとの戦いは楽しかったのではないですか?」
「確かに、ロウとの戦いは楽しかったです」
私がWLOで戦ったPKプレイヤーは《殺人姫》ロウしかいない。
ロウとの戦いは配信していなかったから、多分リンちゃんから聞いたのだろう。
あの時は横槍のせいでうやむやになったけれど、アレも本当に楽しい戦いだった。
「貴女は現実世界で母親を壊しかけたあの日から、人を傷つけるという行為に無意識に恐怖を抱いています。逆にモンスター相手に容赦がないのは、凜音を猛犬から守った時の記憶のせいなのでしょうね」
そう言われてみると、確かにそうなのかもしれない。
お母さんを傷つけたのがトラウマであるのも、リンちゃんを守った時から対動物への容赦がなくなったのも事実なのだから。
ただ、それを指摘されたからと言って、そう簡単にどうにかできるものだろうか?
そんな考えが顔に出ていたのか、トキさんは私を落ち着かせるように頭を撫でてくれた。
「大丈夫。今の菜々香ならその恐怖は簡単に克服できますよ。なぜならその恐怖の根底にあるのは『力を制御しきれなかったせいで、母を傷つけた』というトラウマです」
「あ……それって」
「そう、力の制御なんて、とうの昔に克服しているのでしょう? 今の貴女は、制御を誤って人を傷つけたりはしません。蝶や花を愛でながらも、猛獣を鏖殺することもできる。自覚をすれば簡単な話だと思いませんか?」
諭すようなトキさんの言葉を噛み締める。
そうだ。人並外れたこの身体能力を完全な制御下に置いたのなんてもう10年近くも前のことなのに、どうして気づけなかったんだろう。
あの時母を傷つけてしまったのは、私が純粋に力加減を制御できなかったからでしかない。
そして今の私にはそれができる。もう、力加減を間違うことなんてありえないのだ。
なんだか自信が湧いてきた。
トキさんはそんな私の様子を見て微笑むと、軽く手を合わせてこう言った。
「さて、心の持ちようが変わったとはいえ、それだけでトラウマを克服できたとは言いきれません。ですから、まずは人を殺す感覚に慣れるために実践をしましょう」
「実践?」
「VR道場ではできないので、場所を変えますね」
そう言ってトキさんがメニューウィンドウを弄ると、先程まで広めの道場だった景色が密林に変わり、私たちの服装は迷彩柄の軍服に変化した。
「元々この空間は、私が殺人術を研鑽するために開発した、対軍戦闘シミュレーションソフトです。VR道場はその中の一機能で、本来はこちらの使い方が正規になります」
「へぇー、便利ですね」
対軍戦闘のシミュレーションなんか、それこそ軍人でもなければ必要なくない? という疑問はさておき、この密林のデザインはよくできている。
アマゾンの熱帯雨林のようで、なんだかとてもワクワクする。
「それでは始めましょう。一対五から人数設定が選べるのですが……菜々香には、とりあえず一対千くらいからですかね?」
「えっ?」
トキさんはすまし顔でとんでもないことを言ってから、メニューウィンドウで何かしらの操作を行った。
聞き返すまもなく、周囲に生物の気配が散らばる。
和やかな密林が、唐突に戦場の如き緊張感に支配された。
「さ、今日はこのシミュレーションをクリアするまでご飯抜きです。大丈夫、菜々香ならできますよ。私だって一対百までならクリアできたのですから」
それはもう優しげに微笑むトキさんだけど、私にはその微笑みが悪魔のそれにしか見えなかった。
「いや、あの、でも一対千ってむり……ひぃっ!?」
抗議しようとした私の足元に、銃弾が撃ち込まれる。
地面への衝撃から察するに、今のはもしかしてライフルの狙撃とかでは?
これってもしかして、ガチの「対軍」訓練なの?
「頑張ってくださいね」
ポンと手渡されたのは、先程トキさんが取り出していた肉厚のサバイバルナイフ。
トキさんはそれを最後に、光の粒子になって消えていった。
全身に纏う迷彩柄の軍服には、なんの武器も入っていない。
え、私ガチ武装の軍隊相手にこのナイフ一本で戦わなきゃいけないの?
「無理ゲーすぎるよ!?」
こうして、手解きという言葉がどこに行ったのかさえわからない、軍隊相手のデスゲームが始まるのだった。
めちゃくちゃどうでもいい設定集
対軍戦闘シミュレーションソフト『鷹匠式スパルタ☆トレーニング』
鷹匠グループ内、とりわけ本家筋の重要人物を守る立場にある者限定で使用される戦闘シミュレーションソフト。主にボディガードの訓練に使われるが、元々は怜が自分の趣味用に作成した殺人シミュレーションソフトを大幅に改造した代物。リアルモードとゲームモードがあり、リアルモードだとリアルな出血描写を、ゲームモードでは規制済の描写で訓練できる。
対軍戦闘シミュレーションは密林や荒野、市街地戦など多くのステージセレクトがあり、相手の人数は五人から十万人まで設定できる他、難易度設定も可能。また、VR道場やVR学園、VRプールなどおまけ機能もそこそこ充実しており、対軍シミュレーション以外でも案外使用されるんだとか。