思わぬ来客
「ふぅん、鬼人の里のネームドねぇ」
ヒミコさんと別れてログアウトしたのが午後5時半。
私は今日は一日かけて第6の街を目指していたというリンちゃんと、今日あったことを話していた。
「面白そうな話だけど、WLOで満月ってざっくり一週間後よね」
「確か白曜もそう言ってたよ」
「まあ……奪い合いとまでは行かなくとも、取り合いにはなりそうね。配信しちゃってたんでしょ?」
リンちゃんの懸念はもっともだと思う。
鬼人の里は、手順さえ踏めば誰でも行くことができる場所だ。
グリフィスにいるとある鬼人族NPCの依頼をこなし、先導石を入手するだけでいい。メグルさん曰く難易度も高くはないそうだし、現に鬼人の里にはそれなりの数のプレイヤーがいる……らしい。流鏑馬場にも会話をしなかっただけでプレイヤーは何人かいたしね。
とはいえ、先導石入手用クエストの難易度は鬼人族かそうでないかで大きく変わるらしいから、多くのプレイヤーが鬼人の里に押しかけるということはないのかもしれない。
そもそもグリフィスに到達できているプレイヤーが、全体の2割もいないくらいなのだ。
第6の街を目指しているプレイヤーの存在や満月の夜という限定的なタイミングを考えると、必ずしも多くのプレイヤーが《彼方の月狼・ノクターン》の討伐を狙うとは限らないと思う。
そもそも戦いになるかどうかも定かじゃないって白曜は言ってたけどね。
私も根本的には呪いを解いてもらいに行くのが目的なんだし。
まあ、何にせよ先の話だ。そもそも夜想曲の名を冠する月狼がどのタイプのネームドで、どんなモンスターで……という部分がまるで不明瞭な今、難しいことを考えすぎても仕方がない。
ヒミコさんに美味しい茶屋を紹介してもらったものの、なんだかんだで鬼人の里はほとんど見て回れなかったし、月光宝珠を貰うためにクエストをこなしたりもしなきゃいけない。
子猫丸さんに装備強化の依頼を出したりとか、やりたいこともあるしね。
「そう言えば、ヴォルケーノ・ゴーレムも倒したんでしょ? 何かいいドロップはなかったの?」
「レアっぽいのは何もなかったかなぁ。フレアメタルが沢山手に入ったくらい?」
「十分レアじゃないの」
そう言われても、肝心の属性結晶がないんだから宝の持ち腐れだ。
ヒートメタルやフレアメタルのような属性の名前を冠した金属は、対応する属性の武器を作るのに必要になる重要なアイテムだ。
別に無くても属性武器は作れるけど、より強力かつ耐久のある属性武器を作るならこういった属性金属も用意したい。
欲しい人にとっては垂涎のアイテムだけど、現状は使い道に困るアイテムだ。宵闇作る時にクリムゾンジュエルを使っちゃったからなぁ。
ちなみにフレアメタルは、今の相場でだいたいインゴット1個で50万イリスってところだ。私の財産的には余裕だけど、普通のプレイヤーにはなかなかお高いアイテムと言える。
「それにしても……ん?」
「やっと来たのね。インターホン見てくるわ」
のんびりとWLOの話をしていると、来客を告げるチャイムが鳴った。
そうだよね、今日はお客さんが来るから時間内に配信を切り上げたんだから。
「……居るわよ。嘘じゃないって。鍵開けたから早く来てね」
インターホンに向かって話すリンちゃんは、とても気安い喋り方だった。
十中八九知り合いだ。それも、かなり親しい仲の人。
うーん、インターホン越しなのと玄関まで遠いせいか上手く聞き取れない。なんとなく聞き覚えのある声なのは確かなんだけど。
「お客さん?」
「ええ、ナナも知ってる人よ」
「私も? トーカちゃんじゃないよねぇ……」
トーカちゃんならそもそもロビーのオートロックで引っかかったりしないし。
とはいえ、こうなるともうリンちゃんの親戚の誰かくらいしか思いつかない。
でも、リンちゃんの親戚ってトーカちゃん以外みんな世界中を飛び回ってるとこあるからなぁ……。
誰だろうなーとワクワクしていると、数分してからお部屋の方のインターホンが鳴った。
「行きましょう」
「うん!」
2人で玄関に行って、来客を出迎える。
玄関まで来たのに扉を開きに行かないリンちゃんに疑問符を浮かべつつ私が扉に向かおうとした瞬間、ドアノブが外から捻られた。
「はっはっは! 邪魔するぜ!」
高笑いを響かせながら、バァン! と勢いよく開け放たれた扉の先にいたのは、確かに見覚えのある人の姿だった。
白髪、そして赤い瞳。それは生物学的にも極めて珍しいアルビノと呼ばれる体質の証左だ。
黒縁の瓶底メガネをかけた、私よりも小さな女性。
リンちゃんが言った通り、確かに私は彼女のことを知っていた。
「ロンさん!?」
「よう! ひっさしぶりだなぁ、ナナ、リン!」
その女性はその小さな体に見合わぬとてもハツラツとした声で、私とリンちゃんに向けて眩しいほどの笑みを浮かべた。
☆
人懐っこそうな、そしてとても楽しそうな笑みを浮かべている彼女の名前は鷹匠龍麗。
リンちゃんから見て、トーカちゃんとはまた別の従姉に当たる関係で、年齢的にも私たちよりだいぶ年上だ。
ロンさんはリンちゃんが唯一尊敬すると公言して憚らない、一言で表現するなら豪放磊落な人だった。
ロンさんは私やリンちゃん、トーカちゃんからすれば頼れるお姉ちゃんのような存在で、世界中を飛び回ってはふらっと帰ってきて楽しそうに旅の話を聞かせてくれた。
そして、両親を失って壊れかけていた私を、根気強く励ましてくれた恩人でもある。
あの日、親戚に引き取られて以来会っていなかったから、実に6年以上ぶりの再会だ。
ビックリして思わず放心してしまう。そんな私に近づくと、ロンさんはリンちゃんも引っ張って2人纏めて抱き締めてくれた。
「2人とも元気そうでよかった! 特にナナ、お前のことはずっと心配してたんだぜ?」
「ロンさん……」
「うんうん、強くなったな。パワーじゃねぇ、ハートがさ! どちゃくそ可愛いのは相変わらずだけどな?」
「うんっ……!」
私たちを抱き締めながら、ロンさんは優しくそう言ってくれた。
懐かしい温もりだ。心がとても暖かい。
リンちゃんから感じるものとはまた違う、大きく包み込まれるような温度だった。
「リン! お前も久々に会ったんだからちったぁ喜べよ!」
「私はちょこちょこ電話してたからありがたみがないのよねぇ」
「かーっ、ホントは会えて嬉しいくせしてよ! 耳ぃ赤くなってんぞ〜?」
からかいながらも身長差のあるリンちゃんの頭を撫でるロンさんだけど、確かに撫でられているリンちゃんの耳は真っ赤だ。
それも当然だろう。リンちゃんにとってロンさんというのは唯一甘えられる……実のお姉ちゃんと言っても過言ではない存在だからだ。
リンちゃんと対等なところで支え合う私とは違う。リンちゃんが本当に困った時に頼ることができる、数少ない人のひとりなのだ。
「み、見間違いでしょ。ロン姉、目が悪いもんね」
「照れんなよ! 大好きなお姉ちゃんが帰ってきてやったんだぜ? ナナしか居ねぇんだから外聞気にしたってしゃーねぇさ」
「もう!」
あまりからかわれ慣れてないリンちゃんは、ぷんぷんと誤魔化すようにお部屋の方に行ってしまった。
ロンさんはそんなリンちゃんを見て肩を竦めつつ、後を追おうと歩き出して……そして、唐突に崩れ落ちた。
「っと……」
「ロンさん、大丈夫?」
「わり、助かった」
多分そうなるだろうと予想していた私は、倒れかけたロンさんを抱きとめた。
「はぁ……すまん、嬉しくて疲れてんのにはしゃいじまった」
「そうなんじゃないかと思ったよ。顔色悪かったもんね」
「バレてたか。いやぁ、ヨーロッパは遠いわ」
ぐったりともたれかかってくるロンさんの体勢を少し崩して抱え上げ、そのままお姫様抱っこで連れていく。
ロンさんは生まれつき目が悪く、そしてとても病弱な体質だ。それがアルビノという特異体質のせいなのかはわからないけれど、とにかく昔からリンちゃん以上に体力がない。
精神的なバイタリティは溢れんばかりだけれど、体がついていかない。そういうジレンマを抱えている。
私とは真逆に、人並外れて体力がない人なのだ。
先に部屋に戻っていたリンちゃんは、私が連れてきたロンさんの姿を見てため息をついてから、ソファの上をざっくりと片付けてくれた。
「ロン姉、やっぱり疲れてたんじゃない。年甲斐もなくはしゃぐから倒れるのよ」
「年甲斐もなくって、アタシまだ28だぞ」
「もう28でしょ。あまり体が強いわけじゃないんだから、もっと自分を大事にしてよ。そういう自分に無頓着なところ、ナナと大差ないんだからね」
「悪かったって。可愛い妹分の前では強がりたくってな」
先ほどまでの元気が嘘のようにふにゃふにゃなロンさんを、リンちゃんが窘める。
地味に飛び火した私は背中をチクチクと刺されているような気持ちだった。無頓着でごめんなさい。
ソファにぐでーっと背中を預けたロンさんが、とても気持ちよさそうに目を細める。
「ふぃ〜……相変わらずいい素材使ってんな、お前ん家のソファは」
「最近はもっぱらナナのベッドだからね。この子すぐ猫みたいに丸くなって寝るのよ」
「えへへ、ちょっと前まで暮らしてたワンルームの床と比べたら気持ちよさすぎて……」
特に最近は精神的に疲れたり不安定だったりしてすぐに寝落ちしちゃうシーンも多くて、このソファには結構な回数お世話になっていた。
元々一人暮らししていた時は床に……というよりは壁に寄りかかるようにして仮眠を取っていた。
あの硬さに慣れた私としては、ただ柔らかいというだけでも至福の心地よさを秘めているのだ。
ましてこのソファは、座椅子ひとつで当たり前のように数百万円とかするような超高級家具店のものだ。
ソファ自体は多分1000万は超えてるし。ブランド料があるにせよ、最高クラスの素材で作られているのは確かだった。
「ワンルームて。そんな部屋住んだことねぇぞアタシ」
「私も4LDK未満の家には住んだことないわね」
私の生活を聞いて愕然としたような表情のロンさんと、一応どんな生活をしていたかは知っているリンちゃん。
リンちゃんの発言は流石のお金持ちである。普通の人は4LDK以上の家に住んだりしないからね?
ちなみにロンさんは世界中を飛び回って色んな場所に行ってるから、リンちゃんよりは色んな場所に住んだ経験があるはずだ。
それでもロンさんも「鷹匠」の子だ。一般的な人達よりは遥かにいい暮らしを送ってきてるということなんだろう。
「2人は別格すぎだからね? まあ、私の住んでた月6千円の3畳はちょっと狭すぎたなとは思うけど……」
「それホントに家か? ロフトは?」
「なかったけど、一応賃貸には登録されてたよ」
「生活の道具はどうしてたんだよ。狭すぎて机も置けねぇだろ?」
「お洋服用のタンス1個とハンガーラック、それに貴重品を入れるカバンだけあれば生きていけたから。お風呂はバイト先で借りてたし、コインランドリーで洗濯してたし」
生きて行ければいい。当時の私の考えはそんな感じで、なおかつありあまる体力を消費したくてアルバイトばかりしていたから、そもそもあまり家に帰らなかった。
帰っても1時間だけ仮眠して家を出るとか、そんな感じの言ってしまえば中継点のような扱いで。
バイトをする上で住居が必要だったから契約してただけの場所だった。
そんな私の生活を聞いて、ロンさんが愕然としたような表情でリンちゃんに詰め寄った。
「切り詰めすぎだろ!? リン、なんで止めなかったんだ」
「止めたわよ。でもあの頃のナナはダメだったんだもの」
「あー……うーん……アタシも言える立場じゃねぇが、ナナはほんっとに自分に無頓着だな」
「ロン姉と違って強がりじゃないのがね。なまじそれで苦もなく生活できちゃうからタチが悪いのよ。平然としすぎてて周りが気付けないの」
2人して残念なものを見るような目で私のことを見てくる。
あれ? ロンさんに向いていたはずの矛先がいつの間にか私に向いてない?
雲行きが怪しくなってきた。ここはなんとか話題を変えないと。
「そ、そんなことよりロンさん、今回はどれくらいこっちにいる予定なの?」
世界の全てが見たい。
そう言って世界中を飛び回るロンさんは、昔からどんなに長くても一週間程度しか日本に滞在してくれなかった。
下手をすると一泊二日で別の国に飛んで行くのもザラだったくらいだ。
例外は私を預かってくれていた時だけで、それも私の方が親戚に引き取られたから、そんなに長くはなかったはずだ。
またすぐにどこかに旅をしに行くつもりなら、私やリンちゃん、トーカちゃんも呼んで、みんなで遊ぶ予定でも立てたいなと考えての質問。
けど、ロンさんから返ってきた返事は意外なものだった。
「いや、しばらく日本からは出ねぇ。日本に帰って来たのはゲームをするためだからな!」
「ゲーム?」
「お前らが今やってる、WLOだったか? リアルと遜色がないっつー仮想の世界にちとお邪魔するっつー話さ」
そう言って楽しそうに笑うロンさんに、私は思わず呆然としてしまうのだった。
ロンさんの身長は150センチよりもう少し小さい。
トーカ>リンネ>ナナ>ロンリの順で身長が高いです。