里長、白曜
和風な感じの大きな屋敷。私が黒曜に案内されたのは長が居そうな大部屋ではなく、なんの変哲もなさそうな部屋の前だった。
障子越しになんとなく、誰かが部屋の中にいるのが見える。
「長、黒曜です。入りますよ」
「おお〜、構わんぞ〜」
きちっとした黒曜の声かけに対して帰ってきたのは、とても緩い返答だった。
「失礼します。スクナさんもどうぞ」
「お邪魔しまーす」
しずしずと障子を開けて中に入るように促してくる黒曜に従って、私は部屋の中に足を踏み入れた。
この世界で初めての畳の感触を味わう。WLOが日本発のゲームだからか、地味な要素として屋内では足装備を外すことができるようになっているのだ。
もちろんそれは見た目上の話で、数値上はきちんと装備されている。そうじゃなきゃ、セット装備の赤狼装束は全身脱がないといけなくなっちゃうからね。
思わず足元の感触に気を取られていたけど、改めて里長であろう人物に視線を移す。
こたつに入って、みかんの皮を剥いている白髪の少女。その容姿は黒曜にそっくりで、違いと言えば本当に髪と目の色くらいだろうか。
モコモコの半纏を着込んでいる姿はとても可愛らしいけれど……ごめん、この世界って今夏に差しかかるくらいだよね?
「ぬっ!? 客人か!?」
「そうですよ、姉上」
「お馬鹿! 客人が来とるなら一言くらい伝えんか! もー、儂もの凄いだらけてるところ見られちゃったんじゃがー」
里長なのであろう白髪の少女は「まじ勘弁」とでも言いたげな表情でぶつくさと黒曜に文句を言っている。
緩い。とても緩い。
それが私の、里長に対して抱いた第一印象だった。
「とりあえずちょっと待っとれ。少しだけ装いを正してくる」
「かしこまりました。スクナさん、申し訳ありませんが一度外に出ましょうか」
「あ、はい」
黒曜に連れられて再び部屋の外に。
こうなるとわかっていたのか、黒曜は至極落ち着いた態度だった。
「えーと……お姉さんなの?」
「ええ、不肖の姉です」
「ズバッと言うね。もしかしなくても、双子だよね?」
「お察しのとおり、正真正銘の双子ですよ」
なんというか、厳しめな口調ではあるけれど、別に黒曜は里長が嫌いだとかそういう訳ではないっぽい。
単純に性格が違うだけであり、身内相手だから少し厳しいとかそんな感じかな。
しかし、黒曜は里長の一族なんだ。
鬼人族にとって重要な存在であるはずの琥珀の師匠という時点で、既に十分立場をわかっていたつもりだったけど。
里の住民が黒曜を慕っているのは、こういう立場的な問題もあるのかもしれない。
「入ってよいぞ」
中から里長の声が聞こえて、私たちは再び部屋の中へと入る。
里長の格好は寝間着に半纏のままだけど、コタツがどこかに片付けられていて、代わりに質の良さそうな座布団が2枚用意されていた。
「まあ座れ。全く、いくら儂が暇じゃからってな? そうポンポンと旅人を連れてこられても困るんじゃて。そこら辺わかって欲しい」
「夕時までそんな格好をしている姉上が悪いんです。仮にも鬼人族を束ねる身なんですから、もう少しシャキッとして下さい」
ピシャリと窘められ、里長は「ひぇぇ」と情けない声を出していた。上下関係がはっきりしてるなぁ。
「妹が姉に優しくない……と、すまんすまん。お客人、よくぞ鬼人の里に参った。名はなんと申す?」
姉妹のじゃれ合いを止めてこちらに視線を向けた里長は、とても優しげな視線を私に向けてくる。
なんとなくだらしない人なのかなと思っていた私は、そのギャップに不意をつかれて少しだけ言葉に詰まってしまった。
「スクナ、だけど」
「ふむ、そうか……ではお主が琥珀の弟子という訳じゃな」
先程黒曜が見せたのと同じように、里長は納得したように頷く。
「儂は白曜。そこな黒曜とは実の姉妹であり、この鬼人の里を統治する立場にある者よ。ま、見てのとおり堅苦しいのは好かんからゆるりとな」
ゆるりと、という言葉の通り。
白曜と名乗った鬼人族の里長は、さっさと足を崩して楽な体勢になりながらそう言った。
☆
少し席を外します。そう言って黒曜が出て行ってしまったため、私と白曜は二人きりで部屋に残された。
「黒曜は我が妹ながらよくできた子でなぁ。強く賢く優しいの三拍子揃った自慢の妹なんじゃ」
本人がいないからか、唐突に始まった白曜の妹自慢。短い時間しか関わってないけれど、黒曜がこの里の人に慕われているのは十分伝わってきた。
「うん、見てるとわかるよ」
「実力だけならあの子が里長になっても良かったんじゃがな。ただ、あの子は鬼人族としての才能に溢れすぎていたのよ。占術の才能……お主らの言葉だと魔法技能と言うんじゃったか? それが欠片ほどもないんじゃ。お主や琥珀ほどではないがな」
白曜の言葉は、言外に彼女自身には魔法技能の才能があったということを意味しているのだろう。
考えるまでもない。だから白曜が里長なのだ。
鬼人族は魔法技能の純粋な成長度が一切ないと言っても過言ではない種族だ。
レベルアップごとのボーナスポイントを自由に振れるプレイヤーならさておき、ボーナスポイントの割り振りの何割かを運で決められてしまうNPCにとって、その割り振りの偏りこそが才能となる。
ただ、魔法技能がないということは、それ以外のステータス、つまり物理技能がその分高いということでもある。
そして、鬼人族は本来的に物理技能に特化した種族だ。だからこそ、白曜は「鬼人族としての才能に溢れすぎていた」と表現したのだろう。
「逆に儂には鬼人族としての才はまるでなかった。お主の察する通りにな」
「それでも普通の人族よりは強いんじゃない?」
「そうかもしれんし、そうでは無いかもしれん。所詮ステータスなど神の気まぐれじゃからのぅ」
悪戯っぽく笑う白曜は、少なくとも自身のステータスに対する拘りはないらしい。
「さて、そろそろ本題に入るとするかの。黒曜が此処に人を連れてくるのは珍しいことではないが、お主に関しては訳が違うようじゃ。ひと目見た時から分かっておったが、タチの悪い呪いを受けておるな」
「まあ、目立つからねぇ……」
世間話もほどほどに、白曜は私の体のヒビに目をやりながらそう言った。
「ちょいとくすぐったいぞ」
「ん、大丈夫」
まるで医者が診断をするように、白曜は黒いヒビを指でなぞる。その瞬間、ジュッと音を立てて白曜の肌が焼けた。
ただ、白曜本人は全く気にしていないのか、焼ける肌に構うことなく指を滑らせる。
合わせて1分ほど、何ヶ所かのヒビを触ってから、白曜は私の体から手を放した。
「なるほど、禁忌に触れたか」
「分かるの?」
「実際に目にしたのは何百年ぶりかのぅ。2人、禁忌に呑まれた大馬鹿者を見たことがあるんじゃ。強欲に溺れた妖精の女王と、嫉妬に焦がれた殺人鬼をな」
妖精の女王と、殺人鬼。強欲と嫉妬。私が呑まれかけた憤怒と並ぶ、許されざる大罪の名前だ。
「あの2人は討伐されるその時まで、禁忌から戻ることはなかった。最後には全身をこの黒き闇で染め上げた、文字通りの人外と成り果てておったよ。……お主は辛うじて踏み留まったようじゃな」
「うん……琥珀が、皆が止めてくれた」
直接的に戦ったのは琥珀だけ。けれど、メルティや他のプレイヤーが、被害が出ないように動いてくれていた。
あの時、たった5分間だけど、その全てを怒りのままに暴れていたらどうなっていたのか。それは私にも想像がつかない。
けれど、残り数秒でも何とか踏み留まれたから、私はこうして再びWLOを楽しめている。それだけは間違いのないことだった。
「お主の体を蝕んでおるその黒い闇。それは恐らく鬼神様の負の力を多分に含んどる。浄化する手段には心当たりがないでもないが、今すぐには無理じゃなぁ」
今すぐにはということは、何かしらの素材が足りないか、解呪ができる人材的な問題か、あるいは……。
「時間的な条件がある、とか?」
私の問いかけに、白曜は無言で頷いた。
「この里から北。迷いの森の奥の奥まで真っ直ぐ進んだ所に開けた大地と大樹がある。月の力が最大に高まる満月の夜、とあるモンスターがその大樹の元に出現するんじゃ」
「とあるモンスター……」
満月の夜にだけ出現するモンスター。なんか凄いワクワクする響きだ。こういう場所や時間帯が限られるのなんて、絶対にレアなモンスターに違いない。
そんな、ゲーマーらしいワクワクで心を躍らせていた私に告げられたのは、想像を遥かに超える言葉だった。
「その名を《彼方の月狼・ノクターン》。スクナよ、月の化身に挑む勇気はあるか?」
真剣な白曜の瞳に、背筋が震える。
《彼方の月狼・ノクターン》。名持ち、つまりはネームドボスモンスター。
懐かしい記憶が蘇る。それは私がこの世界に魅了された、熱く燃えるような戦いの記憶だ。
アリア。今なお私の背中を押してくれている、貴女との戦いの記憶だ。
抑えきれない武者震いをそのままに、私は自分でも驚くほど自然に笑みを浮かべていた。